八一六年。
 ウィルザはリザーラとサマンを連れて、旧王都から緑の海へと向かった。
 世界を破滅から救うためにウィルザができること。それはケインを倒してマ神の復活を止めることだ。古き神の復活は全ての生命の終焉を伴う。そのような神の復活を許すわけにはいかない。
 ケインよりも先に緑の海にたどりつき、その神殿の崩壊を防ぐ。
 そうした理由から、旅は強行軍となった。体力的に劣るサマンがどうしても遅れがちになるが、足を止めるわけにはいかない。サマンも歯を食いしばって強行軍に耐えた。
 今までの旅は早めに行動していたこともあって、旅程はかなりのんびりと行くことができた。だが、今回はスピードが優先される。こうした時に休憩を取りながら、歩調を緩めながら行くことはできない。
 サマンはよく耐えた。ウィルザについていく資格を見せるためには泣き言を言わないことだということを自分に言い聞かせていた。昼夜の食事の際には必ずウィルザが丹念にマッサージを行った。少しでも疲労を取らなければ強行軍はずっと続くのだ。
 そうして緑の海にたどりついたのは、月の中旬に入る前だった。サマンが耐えたおかげで、予定よりも三日も早い到着だった。
 一面に広がる緑の海──大森林。この森林の中のどこかに三つ目のザ神殿が眠っている。
「行こう」
 ウィルザが声をかけて、慎重に足を踏み入れた。
 緑の海は各国を分断する境界線である。この緑の海のゲ神は強い。この地に住むゲ神の強さが、各国が簡単に敵対できなくなっている要因の一つである。
 だが、三人の連携はよく取れていた。サマンがマシンガンを乱射する間にウィルザとリザーラが接近し、打撃と剣技で圧倒する。
 特にウィルザの動きはめざましかった。サマンも今までずっとウィルザと行動を共にしてきたが、ザ神の二つ目の力を手に入れたウィルザの動きは、ゲ神を完全に圧倒していた。
 その力の上がり具合にはウィルザ自身が驚いていた。確かにこれならば、黒童子やケインとでも互角に戦える。そう感じられる。ただ、問題はリザーラやサマンが同じようにレベルアップしているというわけではないということだ。自分ひとりが独断先行してしまうと、二人を危険にさらすことになりかねない。また、一人だけが強かったとしても、複数の敵に囲まれてしまってはおしまいだ。リザーラやサマンとうまく連携することが必要であるというのは明らかなことだった。
 その意味でも、この緑の海のゲ神と戦うことは意義が大きかった。ケインほどに強いわけではないが、今のうちに連携の確認が取れるのはいいことだった。
 そうして三日。リザーラの導きに従って進んだ、緑の奥の最深部。
 そこに、神殿があった。
「これが、三つ目の神殿」
「急ぎましょう、ウィルザ。ケインたちよりも先にこの神殿に入ることが重要です」
 三人は駆け足に神殿に入っていく。
 その神殿の中に──
「ケイン!」
 黒いローブとフードを被った男がいた。そしてその左右には旧王都で戦った黒童子が一人ずつ。
 三対三。人数的には互角でも、実力的には不利なのは目に見えていた。
「遅かったな、ウィルザ。今こそこの神殿の封印は解かれる」
「マ神の封印を解いて、この世界を崩壊させるつもりだな」
「ふ、知っていたか。その通り。我は大いなる神、マ神に仕えるもの。はるかな昔にザ神を作り上げた神」
「ザ神を作った?」
 三人が衝撃を受ける。さすがにザ神がどこから来たのかなどという神の秘密を知っている者がいるはずがない。リザーラもしかりだ。
「そうだ。ゲ神の亡骸から神の魂となる部分、召霊石を抜き取り、機械の体に埋め込む。それがザ神の正体だ」
「なら、ザ神の王とは何者だ。マ神が作ったというのなら、何をもってザ神の王にしたんだ」
「ザ神の王は、神殿そのもの」
 ケインがおごそかに言う。
「大いなるマ神は五体のゲ神の王のうち四体を滅ぼし、その召霊石を神殿に封印した。その中でも最も強き神をアサシナの旧王都に、残りの三体をドルーク、イライ、そしてこの緑の海に封印した。ザ神の恩恵を受ける人間たちは、この四つの神殿の力をもって生かされているのだ」
 ザ神の祝福を受けた者は神殿に登録される。登録された者はこの地上でも生きていくことができる。もしそれを受けられないとするのなら、ゲ神信者となるしかない。
「では、ザ神の王とは、つまり──」
 リザーラがその顔を青白く変化させた。
「そう。存在などしない。あたかも存在するかのように見せかけられていただけだ。ザの神官リザーラよ、お前はそれでもザ神を信仰するのか。全ての者を作り上げたマ神に従うことこそがお前の使命ではないのか」
「違う!」
 だが全力で否定したのはウィルザだった。
「リザーラはぼくたちの仲間で、今のこの世界を守ることが使命なんだ。マ神に協力して全ての存在を滅ぼす片棒を担ぐことはない!」
 はっきりと言い切ったウィルザに、後ろでリザーラが微笑んだ。
「はい」
 そして、彼女は自分の左胸を押さえる。
「私が誰に仕えても、私の使命は変わりません。私はこの世界の人々を愛し、守ることが使命。それならば、マ神に仕えることは私の使命に反することになります」
 そして、ウィルザの隣に並んだ。
「私はもう誰にも仕えない。私はただ一人、ウィルザとだけ行動を共にします」
 リザーラのその台詞は、歴史が大きく変わる前触れだった。
 彼女の意思が弱ければ、そしてウィルザが彼女を信頼しきれていなかったら、歴史はまた別の未来を用意していただろう。すなわち、リザーラがウィルザと袂を別つ、という。
 だが、そうはならなかった。ウィルザが彼女を信じ、サマンが姉を信じ、そして彼女自身が自分の使命を果たすことを誓った、それが歴史の変化につながった。
「ならば、もう言葉はない」
 ケインの言葉に、黒童子たちが動き出す。
「先手必勝!」
 だが、それより先にウィルザが動いていた。鋭く振り切った剣が黒童子に致命傷を負わせる。これで三対二。
(先に黒童子を片付けないと)
 だがそう簡単にはいかない。ケインがゲ神の魔法、雷神撃を唱える。ウィルザを襲う雷撃が体力を奪っていく。だが、足は止めない。リザーラに向かう黒童子に逆に近づいていく。
「ザの神よ、ぼくに力を!」
 鋭く振りぬいた剣は、サマンの機銃によって足が止まっていた黒童子の胴体を二分した。
 これで黒童子は倒した。あれだけ強く感じた敵も、二つ目の力を手に入れたウィルザにとってはまさに子供を相手にするようなものだった。
 だが、この相手だけはそう簡単にはいかないだろう。
 黒童子の支配者、ケイン。
「力をつけたようだが、まだ私には届かぬぞ」
「だったら、試してみろ!」
 ウィルザが距離を詰めるが、ケインは武器を手にしているわけではない。距離を置いて魔法を唱える。
「裁きの光よ!」
 そのケインの手から放たれた灰色の光がウィルザに照射される。
「あああああああああああっ!」
 全身が焼ける。だが、これを耐え抜けばケインに次の手はない。自分の勝ちだ。
「ウィルザ!」
 サマンが銃を放つ。撃たれたケインが一瞬怯む。瞬時にウィルザはその光から逃れ、ケインの懐まで入り込んだ。
「覚悟、ケイン!」
 ウィルザの剣が、ケインの腹を貫いた。







第四十四話

緑の海の神殿







「が……ぐふぅ」
 よろめくケインが神殿の壁に背を預ける。剣を引き抜いたウィルザはさらに第二撃を加えようと振りかぶる。
「今までにお前が苦しめてきた人々の気持ちを、受け止めてみろ!」
 そのまま振り下ろす──が、剣はむなしく空を切った。負傷した体で、ケインは大きく飛び上がり、壁に『着地』していた。横向きに。
「ぐう……まさか、この私に手傷を負わせるとはな」
 四メートルほどの高さのところの壁に『しゃがみこんで』いる。重力の発生地点が壁であるかのように。
「だが、この私を倒せたとしても、既にこの神殿の封印は解放寸前なのだよ!」
 その右手がオレンジ色に輝き出し、ザ神の心臓に向かって光が放たれる。
「さあ、三つ目の封印が解放される時だ!」
「くっ!」
 ウィルザがザ神の魔法、ビームを放つがケインはそれをいとも簡単にあしらう。
「ふははははは! これで三つ目の神殿が解放される! ザの恩恵を受けてきた者たちの力は失われ、マ神最後の封印を解くことも容易くなろう!」
 神殿が揺れ出す。封印が解放されようとしている。
「くっ、もうどうすることもできないのか」
『ウィルザ』
 だが、そのとき彼に話しかけてきたのは世界記だった。
「世界記?」
『私が神殿とケインを抑える。君はその間に、この神殿の力、三つ目の力を手にし、そして最後の四つ目の力を取りに行きたまえ』
 突然の指示に、どういうことかが全く理解できない。
「何を言ってるんだ、世界記」
『私の力ならば、数年はこの神殿の解放を防ぐことができるだろう。ケインごとこの神殿に封印する。その間にイライ神殿の力を君は手に入れるのだ』
 イライ神殿。
 それが自分が手にすることができない、最後の力。だが、神殿は既に解放、崩壊されてしまっており、力を手にすることはもうできないはず。
「どうすれば」
『三つ目の力を手にすれば、君は『人以上』の力を使うことができる。その力を使って、炎の海を越え、ニクラへ行くのだ』
「ニクラって、この前に言っていた」
『そうだ。そこで君は、四つ目の力を手にする方法と、そして二十年の時間が過ぎ去った後にこの世界に留まる方法を知るだろう』
 その魅力的な内容に、ウィルザは一瞬言葉が詰まる。
「お前はどうするんだ、世界記」
『力を使い果たせば、消滅するだけだ』
 ウィルザの顔が青ざめる。
「そんな、そんなのは駄目だ、世界記!」
『大丈夫だ。君ならば一人でもやっていけるだろう。そして、君を助けてくれる者がニクラにも、そして他にもたくさんいる。君の使命はこの大陸を救うこと。それを最優先に常に考えていれば、君の罪は許されるだろう。では、さらばだ、ウィルザ。君の幸せを願っている』
「世界記!」
 青白い光がウィルザの肩に浮き上がる。
 その発光体は徐々に拡大していき、ついにはこの神殿そのものを覆い尽くした。
「な、なんだこの光は」
 ケインが慌てふためくが、既に世界記の力は完全に展開されている。揺れが徐々に静まり、やがてぴたりと収まる。
「ぐ……まさか、これが世界記の、かの『七つの偉大なる書』の真の力だというのか。ぐっ……こ、このままでは、この神殿に私が封印されてしまう!」
 徐々にケインの体がひずみはじめる。そして、ケインそのものが青白い光を発するようになった。
「こ、ここまでか。だが、世界記の力は無限ではないぞ。ウィルザよ、私は必ず復活する。そして、そのときこそこの神殿を解放し、マ神をこの大陸に降臨させてみせる!」
 それだけを言い残すと、ケインは青白い光と変わって、ザ神像に吸い込まれるようにして消えていった。
 直後、神殿を覆っていた光は跡形もなく、消えた。
「な、なに、今の」
 サマンが目の前の出来事にただ呆然としている。
「……世界記が、力を使ったのですね」
 リザーラが確認するように尋ねてくる。どうやら何も言わなくてもこの女性は全てを理解しているようだ。
「はい。ぼくの相棒が、いなくなりました」
 呼びかけても返事はない。
 今までずっと、自分の行動を見守り、そして導いてきてくれた存在。
 それが、まるで感じない。
(お前が一緒じゃないと、意味がないだろ、世界記)
 長い時を共に過ごしてきた相手。この世界を守るために努力を重ねてきた相棒。
(アルルーナの言っていたのは、このことか)
 大切なものを失い、大切なものを手に入れる。
 その言葉の意味するところは、世界記を失い、かわりにザ神の三つ目の力と、この世界にとどまる方法を手に入れたということだ。
 確かにこの世界にとどまれるのなら、そうしたい。だが、その代償が自分の相棒だというのでは。
「一言も、ぼくに相談しないで、勝手にいなくなるなんて」
 ふざけてる。
 誰がそんなことを望んだのか。世界記を犠牲にしてまで自分の幸福など望んではいないのに。
「世界記のバカヤロウ!」
 全力で叫ぶと、サマンが体を竦ませた。リザーラは落ち着いた様子で彼の肩に手を置く。
「少し、冷静になってください、ウィルザ。アルルーナは何と言っていましたか」
「アルルーナ?」
「ええ。『あなたはそこで、大切なものを手に入れ、大切なものを失うでしょう』と言った、その次です」
「その次……」
 そうだ。
 確かに、アルルーナは言っていた。

『失ったものが取り戻せるかどうかは、あなた次第です、ウィルザ』

「世界記を取り戻すことができる」
「ええ。あなたが願えば、きっとそれはかなうはずです」
 また、世界記と共に旅をすることができる可能性がある。
「そうか──そうか! ありがとう、リザーラ。それを思い出させてくれて」
「いいえ。私こそ感謝しなければなりません。あなたが声をかけてくれなければ、私はケインについていったかもしれませんから」
「お姉ちゃんはそんなことしないよ。だって、ウィルザの仲間で、私のお姉ちゃんなんだから」
 サマンが笑って言う。ようやく三人が笑顔を見せ合った直後、リザーラは真剣な表情に戻った。
「ニクラへ向かえと、世界記はそう言ったんですね?」
「ええ。そのためにこの神殿の力を手にしろと。そして四つ目の、イライ神殿の力を手にしろと」
「ですが、イライ神殿はもう」
 そう。既に存在しない神殿の力を手に入れることは不可能だ。
「でも、ニクラに行けばその方法があるかもしれない」
 だから世界記はその方法を自分に伝えようとしたのだろう。
「なら、すぐにでも向かいましょう」
 リザーラはただちにザ神を起動させる。そして、その力をウィルザに宿らせる。
 三つ目の力。それが入り込んできた瞬間、ウィルザは自分の体の中に流れる血が逆流するかのような衝撃を受ける。
 そして、自分の体が変化していくのがわかった。
 次の瞬間──彼の体は竜の姿と変わっていた。時渡りのミヅチ。あの時の竜の姿に、それはよく似ていた。
「うぃ、ウィルザ」
 サマンが目の前の変化に目を白黒させる。だが、竜となっても彼の優しさはそのままだった。
『怖いかい、サマン?』
 竜の口から出てきた言葉は、音程こそ異なるが、いつもの彼の口調だった。それが彼女を落ち着かせた。
「ううん。ウィルザなら怖くはないよ。乗ってもいいの?」
『ああ。リザーラも』
「ええ。最果ての地、ニクラ。一度行ってみたいと思っていたんです」
 二人が彼の背に乗る。そして、天井のステンドグラスに向かってウィルザが急浮上する。
『しっかり捕まってて』
 そのステンドグラスを破って外に出たウィルザは、一直線に東、炎の海のさらに向こうへと飛び去っていった。







最果ての地、ニクラ。そこはグラン大陸とは切り離された地。
そこでウィルザが手にするのは、イライ神殿の力を手に入れる術。
さらに得られる新たな知己。
そしてウィルザは自分の未来を変えるために、新たな旅に出る。

「お待ちしてました。お久しぶりですね、ウィルザさん」

次回、第四十五話。

『最果ての地』







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