最果ての地、ニクラ。
 床という床が大理石で敷き詰められ、計画的に家々が配置された都市設計。
「こんな都市が存在するなんて」
 リザーラもサマンも、そうした姿に圧倒される。ただ、ウィルザだけはそれほど感慨を持つわけでもなく、辺りを見てすぐに中へ進んでいった。
 慣れているというわけではないが、そうした都市設計に驚くほどではない。それは、過去に失くしてきた記憶の中に似たような都市があったからなのかもしれない。
「これからどうするの?」
 既に人の形に戻っているウィルザにサマンが尋ねる。もちろんどうするといっても彼にも何をすればいいのかなど分からない。頼りの世界記は傍になく、かつて自分にたくさんの道を示してくれたアルルーナも完全に活動を停止した。頼りになるのは自分の思考能力と、かつて世界記から教えられていた未来の歴史だけだ。
「とにかく代表者に会わないと話にならない。とりあえず今のぼくたちは急がなければならない理由はない。ケインの動きは封じられている。ザ神の四つ目の力を手に入れて、マ神の復活を防ぐ方法を探すだけだ。力があればマ神を封じることもできるし、ぼくがこの世界にとどまることだってできるようになる」
 その方法を求めてこのニクラまで来たのだ。まずは話が分かる人間に会わなければならない。
 ニクラには民がいるのかというほど、都市は完全に静まり返っていた。
 人がいないのか、それとも隠れているのか、それとも外に出るような生活をしていないのか。理由は分からないが、通りに人はなく、風の音だけが三人の耳に届く。
「なんか、寂しいね」
 その閑けさに耐え切れなくなったかのようにサマンが声を絞り出す。その声に一安心したかのようにリザーラも続けた。
「そうね。もう誰もいなくなったかのよう。でも、人がいるっていう感じはするわね。もし人がいないのなら、もっと建物が風化していたりしてもいいと思う」
「何か、事情があるのかもしれない」
「出てこられない?」
「いや、ぼくらが来るよりちょっと前に、この都市を捨てて別の場所に移動したとか、そんな感じ」
 それはウィルザの直感だった。
 リザーラの考えはよく分かった。人の住まない家は長持ちしない。一年もすればいくつもの家が壊れたりする。だが、この辺りの家にそうした様子は見られない。
 もしこの辺りに人が全くいないのなら、つい最近、数日単位で住民が都市を捨てて別の場所に移動したと考えるのが一番妥当なのだ。
「じゃ、どうするの?」
「あの中心の、一番大きい建物に行ってみる」
 そこが恐らく行政庁になっているのだろう。古来より行政庁は都市の中心にあるものと相場が決まっている。
 音のない街を三人は進んでいく。
 その大きな建物に入っても、人の姿はない。うっすらと埃がつもっているが、それほど長い間掃除をしていないというほどでもない。
(一ヶ月……というほどでもないかな。それよりは短いと思うけど)
 それよりも前まで、つまり八一五年の段階までは人がいた。だが、八一六年に変わったころに突然人がいなくなった。そんなところだろうか。時期としてはそれくらいだろう。
 ただ、目印があった。
 全て閉じられている扉の中で、一つだけ開いている扉。明らかに目立っていて、不自然な様子だった。
 ウィルザはその扉に向かう。そして中をうかがった。
「お待ちしてました」
 中から突然声がかかり、ウィルザは敵意がないことを悟って中に入る。
 そこに、ニクラの民がいた。髪も、肌も青い。およそ人間とは思えない奇怪な容貌だ。
「お久しぶりですね、ウィルザさん。それにサマンさん、リザーラさん。と言っても分からないでしょうが」
 確かに突然そんなことをいわれても当然分かるはずがない。
「君は?」
「私はオクヤラム。このニクラに残った民の代表です」
「ニクラには他にも人がいるのか?」
「ええ。ほんの数人、ですけど。ここに残った民は、ニクラの民としての使命を果たすために残った者たちです。他の者たちは昨年の末に移動しました」
 時期的なものはどうやらウィルザの考えで正しかったらしい。だが、分からないことが多い。
「色々と聞きたい」
「どうぞ」
「君たちはマ神と何か関係があるのか?」
 直球で尋ねるとオクヤラムが微笑んだ。
「さすがに分かる人には分かるんですね。マ神とつながりがあることは、元々ここに住んでいたニクラの民の中でも、知っている者は少ないのですが。まあ、知っている者しか残っていないわけですが」
「やはり関係があるんだな」
「ええ。ニクラの民はマ神の末裔ですから」
 サマンとリザーラの顔色が変わったが、ウィルザは平然としている。あくまでも『末裔』にすぎないのなら、そのマ神としての力は使えないということだ。
「マ神というのは何者だ?」
「この星ではない、別の星から来た異存在、とでも言えばいいでしょうか。その大陸に根を張り、大陸の力を蓄えて、そしてそのエネルギーを暴走させて大陸ごと爆発する、性質の悪い寄生虫のようなものです」
「それはまた、随分と変わった生命体だ」
「ええ。我が先祖ながらそう思います。その大陸の中でも強者の力を奪い、機械化して力を蓄える。そして力が充分に蓄えられたとき、その力を解放する者が地上に誕生する。それこそが、マ神の生まれ変わりです」
「生まれ変わりか。それはもしかして、ニクラの民の中から誕生する、とでもいうのか」
「そうです」
 にわかにリザーラとサマンが殺気立つ。だが、ウィルザはなおも落ち着いていた。
「君たちニクラの民は、その破滅の歴史をあまんじて受け止めるのか」
「いいえ。我等はマ神の末裔ではありますが、マ神ではありません。むざむざと滅びたくはありません。いわば、マ神の敵です」
 まだ信じられないのか、二人は警戒を解かない。
「なるほど。でもそのことはほとんどのニクラの民は知らないのか」
「ええ。ニクラの上層部の中でも、ほんの一部だけが知っている事実です。その上層部のうち数名がこのニクラに残って、マ神を見張っています」

 場が、凍りつく。
 今、この男は何と言ったのだ。いや、だが、考えてみれば、確かに条件はそろっている。
 何しろ、崩壊のときは八二五年だ。ならば、既にマ神は──

「マ神がこのニクラにいるっていうのか!?」
 ウィルザが声を張り上げる。オクヤラムは静かに「ええ」と答えた。
「八〇四年。イブスキの悲劇が起こったちょうどその日、マ神は生まれました。もしかすると、あのアサシネア五世の命こそが、マ神をこの地上に誕生させる鍵だったのかもしれません。マ神は誕生したときから言語能力を既に持っていました。調べてみると、その話す赤子こそがマ神そのものであることが分かったのです」
 オクヤラムのマ神誕生秘話にじっと聞き入る。その中に自分の知らない事実があるはずだった。
「マ神は八〇五年の十二月にグラン大陸の結界がわずかに綻んだその隙に、自分の配下を送り込みました」
 八〇五年の十二月。
 もちろんその年月には思い当たるところがある。
「もしかして」
「そうです。あなた、ウィルザがグラン大陸に入り込んだ、その瞬間こそ、マ神が自分の配下をグラン大陸に送り込んだ瞬間だったのです」







第四十五話

最果ての地







「ぼくの、せいで──」
 もちろんマ神の配下ということは、それはあのケインということだ。ケインは八〇五年の末にグラン大陸に現れた。ウィルザと同じ瞬間に。
 そしてマ神に連なる者は世界記の情報に残らない。それは世界記と対立する『敵』だからだ。歴史を動かすキーパーソンの情報は世界記に載るが、マ神に連なる者は載らない。
「はい。言うなればあなたの責任ではあります。ですが、あなたがいなければ八二五年にマ神が力を解放するのは動かしようのない歴史上の結末なのです。だからあなたが気にやむことはありません。これからどうやってマ神が力を解放することを止めるか、そのことに全力を費やせばいいのです」
 淡々としながらも相手のことを思いやる彼の口調に、徐々にウィルザは好感を持ち始めていた。
「ありがとう」
「いいえ。当然の帰結です。それに恥を承知で言うのでしたら、マ神の配下であるケインは、我々ニクラの民の一員なのです」
「な」
 さすがにそれにはウィルザも驚いた。たとえニクラの民といえども、大陸を崩壊させるということに協力する者がいるとは思ってもいなかった。
 そしてあのケインがよもや、このニクラの民だなどとは。
「マ神は誕生後、自分の手下を作ろうとしました。それに引っかかったのがケインです。ニクラの民という立場をもともと嫌がっていたケインは、マ神の誘いにのってグラン大陸の崩壊に協力するようになりました」
「何故、そんなことを」
「分かりません。ですが、彼はニクラを嫌っていた。いや、憎んでいたと言ってもいい。だからこそマ神に協力することでニクラに対立しようと思ったのかもしれません」
「ニクラを嫌う理由は何かあったのか?」
「ニクラの民はこのグラン大陸も含めたこの世界を護ることが使命。だからこそ、その使命に縛られているのが嫌だったのでしょう。さすがにそれ以上は本人でなければ分かりませんが」
 だが、その話はウィルザにある意味で安心を与えていた。
 ケインもまた、自分の考えに基づいて行動している。それはケインが得たいの知れない、正体不明の敵ではないということからくる安心であった。敵にも感情があるなら、それはただの敵にすぎない。感情のない、得体の知れない相手は戦いようがない。
「マ神を抑えることはできるのか?」
「今のあなたなら可能です。いえ、今よりもさらに成長したあなたなら、というところでしょうか」
「今よりも?」
「ええ。あなたはザ神の三つの力を手に入れている。あと一つ。四つ目の力を手にすれば、マ神の力と互角以上の戦いができます。マ神を封印するだけではない。消滅させることも可能です」
 マ神を消滅させる。それができれば、グラン大陸は永久に崩壊を免れることができる。
「でも、イライ神殿は破壊され、封印されていた力は解放されてしまった」
「大丈夫です。イライ神殿があった頃に、過去に戻れば問題ありません」
 過去に戻る。その解決策に、ウィルザは目を白黒させた。
「そ、そんなことが可能なのか」
「ええ。ニクラの技術があれば充分に可能です。そして既に準備は進めてあります。いつでも過去への転送ができますよ」
 それらの話を聞いて、ウィルザはようやく得心が言った。
「分かった。さっき君が言った『お久しぶりです』っていうのは、過去に戻ったぼくが、君に会ったということだね」
 オクヤラムは笑った。
「そうです、そうです。相変わらずすごい洞察力ですね。過去ではいろいろとお世話になりました。ありがとうございました」
「いや、そう言われても分からないけど」
「いろいろとあったんですよ。でも、行けばすぐに分かると思います。さて、あと聞いておきたいことはありますか? なければ転送施設にご案内しますよ」
「いや、特別は何もないよ。いろいろと教えてくれてありがとう、オクヤラム。過去についたときに君に会ったとき、最初にまず『この間はありがとう』って言うよ」
 それを聞いて、オクヤラムはぽかんとした表情に変わった。そして今度は大きな声で笑った。
「なるほど! なるほど! そうでしたか、あのときウィルザさんがおっしゃったのは、そういうことだったんですか! いやあ、なんだかすっきりしましたよ!」
 話が進むに連れて会話が弾んでくる。
 きっとこの人物とは、まだまだ仲良くなることができるだろう。だが、全ては終わってからの話だ。
「じゃあ、転送をお願いするよ」
「分かりました。では、ご案内します」
 オクヤラムが部屋を出て、転送装置へと案内した。
 転送装置のある部屋はすぐ三つほどいったところで、準備ができていると言った通り、いつでも転送できるという様子だった。床には魔方陣が描かれており、部屋の四隅にはそれぞれ形の違う機械が置かれており、それが魔方陣にエネルギーを送り込むようになっているみたいだった。
「過去の私に会ったら、八一六年一月からニクラの装置Cを使って来た、と伝えてください。それで私には分かるはずです」
「何だかよく分からないけど分かった。いろいろとありがとう」
「いえ、こちらこそ。それではウィルザさん、過去でもよろしくお願いします」
「分かった」
 そして、転送装置が動く。
 床の魔方陣が発光し、徐々にウィルザたちの体が透明になっていく。
 そして──ウィルザたちの意識が、飛んだ。






 ウィルザはフクロウの鳴き声で目を覚ました。
 目を開くと、そこは墓場だった。見覚えがある。ここは、自分が生まれた場所。イライ村の裏地にあるあの墓場だ。
「ウィルザ?」
 サマンも丁度目が覚めたらしく、ゆっくりと起き上がる。リザーラも続けて起き上がってきた。
「ここは、イライですか」
「よく分かりますね」
「何度か来たことがありますから。でも、過去といってもいつごろでしょうか」
「多分、八〇五年末だと思う。イライの神殿が開くのは十年に一回だけ。つまり、明日だ。そして今日は、ぼくがこの地上に現れたときだ」
 そのとき、ウィルザたちの頭上を巨大な竜が飛び去っていった。
「な、何あれ」
 サマンが驚いて空を見上げる。
「時渡りのミヅチ。今、あの竜に、この時代のぼくが乗っている」
「あ、あれにウィルザが?」
「ああ。そして、明日の結婚式にウィルザ──いや、その体の本来の持ち主である、トールはいない」
 それはいくつかの歴史を変化させることになる。イライ神殿を邪道盗賊衆が襲うことはなくなり、本来会うことのなかったルウとガイナスターが結ばれるきっかけとなる。
「明日は騒然となる。だから、その前にぼくが神父さんに会って、先に神殿に入り、力を手に入れる。それが一番都合がいいと思う」







ザ神、ゲ神、マ神、そして偽りの星と星の船。
さまざまなものが絡み合い、そして物語は最初の地に還る。
過去のイライ神殿で、ザ神の王から聞かされる真実。
そして、ウィルザはついに、四つ目の力を手にする──

「ならば覚悟せよ。汝、我が力を手に入れる代償は大きい」

次回、第四十六話。

『イライ神殿』







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