「怪我をしているのですね」
 少年は近づいてくると、ウィルザの傷口に手をあてて、それを癒す。
「あまり上手ではありませんが」
「いや、充分だよ、ありがとう」
 ウィルザは素直に礼を言う。そして、その少年をじっと見詰めた。
 蒼い髪と、意思の強そうな瞳。そして、どことなく──
(似ている)
 そう、似ている。誰にとか、そういう問題ではない。
 まさか、とウィルザの頭の中に去来した思い。だが、それが現実だとすると、今はいったい何年だというのか。
「もしかして、お前は」
「はい」
 少年は頷く。そして目に涙を浮かべた。
「生きていてくれてよかったです。子供の頃の、ほんのわずかな思い出しか残っていないけれど、かすかに覚えている記憶のままです。お久しぶりです──お父さん、お母さん」
「グラン、なのか」
「はい。お父さん。ご無事でなによりです」
 まるで実感がわかなかった。
 最後にこの子と別れたのは、ウィルザにとってはグランがまだ二歳の時だ。八一五年の一月から大陸全体の大きな争乱に巻き込まれて、現在にいたっている。あの時まだ二歳になったばかり。
「大きくなったな」
「はい」
 グランは頷いて、はにかんだように微笑む。
 実感は、わかない。自分の中ではグランはまだ幼い顔をしたまま記憶に残っている。それから何年経ったのかは分からないが、その間、この子は確実に成長してきた。それなのに自分はまるで変わっていない。
「グランなのね」
 サマンが泣き笑いの顔で、グランを抱きしめる。
「はい、お母さん。ご無事でなによりです」
「馬鹿。いつの間にか、こんなに口も身体も達者になって」
「十年という時間は、長かったですから」

 十年。

 何気なくグランが言った台詞は、すぐに三人を凍りつかせた。
「待て、グラン。今は何年の何月だ」
 グランは訝しむように顔をしかめたが、父親の問にすぐ答える。
「八二五年の十二月です」
「なっ」
 八二五年十二月。それは、滅亡の年。今年の終わりに、グラン大陸は滅亡の時を迎えることになっている。
「そうか、じゃあお前はもう十三歳になったのか」
 グランは微笑む。はい、と素直に頷いた。
「はい。父さんと母さんはいませんでしたが、ドネア姫様が僕を育ててくださいました」
「そうか」
 ウィルザは子の頭をやさしくなでた。
「長い間、留守にしてすまなかった」
「──いえ」
 少し涙目になったグランが首を振る。しっかりしているようでも、十三歳の子供だ。
「ごめんね、グラン」
 サマンもグランを抱きしめる。グランはただ首を振るばかりだ。
「でも、お父さんとお母さんはどうしてここに。それに、どうして姿があまり変わっていないんですか、十年も経っているのに。今までどこにいらっしゃったんですか。それから──」
「ああ、順を追って説明するが、その前にここがどこで、世界情勢を教えてくれると助かる」
「え」
「ぼくたちは十年前の世界からここへ時空を飛ばされてきたんだ。僕たちの時間は十年前、八一六年の一月で止まっている。それから世界がどう動いたのかを知りたい」
 しばらくグランはじっと黙り込んでいたが、やがて二度、三度と頷くと、小さく「分かりました」と答えた。
「だから、この十年間、一度も顔を出してくださらなかったんですね」
「信じるのか」
「ええ。お父さんは嘘をつかない人だと知っていますから。幼い頃の、ほんのかすかな思い出でもそうでしたし、何より周りの人がみんなお父さんのことを褒めてくれました。だから僕は──レジスタンスの実行部隊長として活動しているんです」
「レジスタンス?」
「はい」
 グランは回りをきょろきょろと見てから答える。
「ここは緑の海です。一度ドルークに戻りましょう。そこが僕たちレジスタンスの本拠地ですから。それに、ドルークにはお父さんとお母さんを待っている方がいらっしゃいますから」
「分かった。じゃあ、案内してくれ」
「はい」
 意気揚々と、グランは先頭に立って歩き出した。
「それにしても、驚いた」
 ウィルザはまだ頭の整理がつかない。
 八二五年。あのニクラ人のおかげで時間指定がずれ、八一六年に戻るつもりが、十年も先送りされてしまったのだろう。まったく、滅亡の前だったのが不幸中の幸いではあるが、それでもこの十年で相当な変化があったのだろう。
(滅亡を止めることができるか)
 どうすればいいのかは分からない。だが、滅亡する前に戻ってきたのは運命とでもいうのだろうか、きっとこれからの活動次第で滅亡を防ぐことはできるのだ。
「ウィルザ、私、頭、こんがらがってる」
 サマンが素直に言う。そんなものはウィルザも同じだ。
「ああ、ぼくもだよ。でも、考えないと。考えるためにはまず理解が必要だ。歴史がどう変わったのか、誰かに教えてもらわないと分からない」
「これから会う人に教えてもらうってこと?」
「ああ。グランがそれだけ信頼を置いている人物なら間違いないだろう。少し話しただけでも分かる。あの子は聡い」
「よく成長したわね。何かあったら風邪ひいたりしてたのに」
「周りがきちんと育ててくれたってことだな。感謝しないと。それに──」
 八二五年という時代。あれから十年も経っている。その間にいったいどのような歴史が刻まれ、そして誰の命が失われたのか。
「リザーラには、何か分かることがあるかい?」
「全くです。ただ──おそろしいことですが」
 リザーラは真剣な表情で言う。
「おそらく、緑の海の神殿はもう破壊──いえ、そこに封じられていた『偽りの星』は解放されていると思われます」
「『偽りの星』が。じゃあ、ケインが」
「おそらく」
 それは世界記も言っていたことだ。何年かは封じられる、と。であれば随分前に封印は解かれていたのだろう。
(世界記──お前、どうしてる?)
 力を使い果たして消滅したのか、それともどこか別の場所にいるのか。
 会いたい。
 あいつがいないと、自分が自分でない感じがする。
(いや)
 それは甘えだ。自分ひとりで解決しなければいけないことを、世界記に頼ろうとしているだけだ。
 自分で解決できることは解決する。
 そうしなければ、ここから進むことはできないのだから。







第四十八話

力ない世界







 ドルークは荒廃していた。
 八一五年に戦場となったドルークはほぼ完全に滅ぼされたはずだ。そのドルークに誰がいて、世界がどのように動いているのか。
 それを、正確に把握しなければならない。
 グランが「こっちです」と案内したのは、かつてのリザーラの家。家のあちこちが壊れている様子が見られるが、それでもまだ家としての形がきちんと保たれている。
「グランです。入ります」
「お帰り、グラン」
 するとそこから、小柄で金髪の美少女が出迎えた。彼女は近づいてきてグランに飛びつく。
「セリア、ちょっと──今、その」
「あ、す、すみません」
 小柄の少女はウィルザたちに気付いてすぐに離れる。おそらくグラン一人だと思ったからそうした行動を取ったのだろう。つまり、それだけグランと仲がいい少女がいるということだ。
 いや、待て。
 蒼い髪の少女。そして、その名前。
「セリア?」
 ウィルザが思わず呟いていた。びっくりしたように少女が目を丸くして見つめてくる。
「はい」
「あ、セリア。こちらは──いつも話にのぼっている、僕のお父さんのウィルザと、お母さんのサマン。お父さんたちは──分かりますか」
「ああ。大きくなったんですね、セリア姫」
 相手を敬うように言う。するとセリアは少し悲しそうな表情になって頷いた。
「ウィルザ叔父さまに、サマン叔母さまでしたか。私はもう、ほとんど覚えていないのですが……お会いできて嬉しいです。父も生きていたら、きっと喜んだと思います」

 その瞬間、ウィルザの動きが止まった。

「……ガイナスターが、どうしたって?」
 それはもう、衝撃、とかいう言葉では表すことができない。
 自分の信頼していた人物。それが、まさか、この十年で。
「お父さん。これから、色々と説明しなければいけないことがあります。まず」
 グランが沈鬱な表情で説明する。
「お父さんにとって大切な仲間であった人たち、ガラマニア王ガイナスター陛下、アサシナ騎士ミケーネ様、大神官ミジュア様、それにジュザリア王リボルガン陛下、マナミガル女王エリュース陛下、皆、お亡くなりになりました」
 目の前が、一瞬何も見えなくなる。
 ガイナスターだけではない。自分に協力してくれたミケーネ、ミジュア。この大陸のために必要な存在が、次々にいなくなる。しかも国を動かすリボルガンにエリュースまでが亡くなっているのだ。
「アサシナは? クノンは無事なのか?」
「クノンは……」
 グランが言いよどむ。だが、その次の言葉は別の人物がつむいだ。
「その先は、私が説明しましょう」
 家の奥から出てきた女性。
 それは、あれから十年経って大人の女性の魅力をさらに磨いた、ドネア姫だった。
「姫!」
「ドネア様!」
 思わず二人が近づく。自分たちだけが時間を移動してきて、こうして知っている人物に会えることがどれほど嬉しいことか。だが、それは十年という間、自分たちに会うことができなかったドネアの喜びの方がはるかに嬉しいだろう。
「お久しぶりです。本当に……本当に、お待ちしていました」
 ドネアは深く頭を下げる。その目からは涙が零れている。
「すみません。敵の策略にはまってしまって、戻って来るのがこんなになってしまいました」
「ええ、分かっています。皆さんが戦いに敗れたとも、全てを捨てて隠れたとも、私は全く疑っていませんでした。たとえこのグラン大陸にいなくとも、きっとこの大陸を救うために戦ってくれているのだろうと……そう、思っていました」
「ありがとうございます」
「それに、皆さんを最後にお見かけしたときと全く姿が変わっていないところを見ると、この十年という時間を、皆さんは飛び越えてきたということなのですか?」
 さすがに聡明な女性だった。ガイナスターの代わりに国を治め、そして今も大陸を救うために何かしらの活動をしているのだろう。聡くなければそのようなことが務まるはずがない。
「はい。おっしゃるとおりです」
「では、この十年に起こったことも全くわからないということですね」
「恥ずかしながら。偶然緑の海で出会った息子のグランにここまで案内してもらいました。姫、どうか私にこの十年の歴史を教えていただきたい。何があっても、この大陸を救ってみせます」
「分かりました」
 ドネアは自分が聞きたいこともおさえ、そしてウィルザたちに説明を開始した。
「そもそも、最初の問題はミジュア大神官が処刑されたことでした。その頃から、アサシナには何か、おかしな空気が漂っていたように思います」

 八一九年、請願事件。
 大神官ミジュアがガラマニアに対してゲ信仰をやめるように請願したが、聞き入れられなかった。この失敗の責任を取らされ、ミジュアは処刑される。処刑命令を出したのは、アサシナ王クノンだ。

 八二〇年、マ神の来訪。
 ついにマ神がアサシナの新王都を訪れた。というよりも、クノンがそれを迎え入れたということだった。どうしてそうなったのかは分からない。この頃からザ信仰は弱まり、マ神の信仰が広がるようになった。
 何しろクノン王自身がザ神を否定し、マ神信仰を行いだしたのだ。国民もそれに従わざるをえなかった。

 八二一年、ジュザリア侵攻。
 クノン王がジュザリアに侵攻し、国王リボルガンが戦死する。ジュザリアは完全にアサシナの勢力下となった。

 八二二年、マナミガル制圧。
 クノン王はジュザリアに侵攻した余勢をかって、さらにマナミガルまで制圧した。女王エリュースは処刑された。

 八二三年、アサシナ帝国の成立。
 アサシナ王クノンは皇帝となり、アサシナ王国をアサシナ帝国と名称を変える。皇帝クノンの圧政に批判を行ったミケーネまでが処刑された。

 八二四年、ガラマニア制圧。
 アサシナ帝国が戦力を整えてガラマニアに侵攻。ガイナスターは捕らえられ、処刑される。

「以上が、ここまでの歴史です」
 ドネアの簡潔な説明に、さすがに三人とも声が出ない。
(ぼくがいれば、全てを解決できなかったとしても、いくつかの事件は防げただろうし、また死ななくてもいい命が助かったに違いない)
 ガイナスターにミケーネ。この大陸の命運を託せる二人がいなくなってしまえば、もはやこのグラン大陸に自浄能力はない。
「ではレジスタンスというのは」
「はい。グラン大陸にはもはやアサシナ以外の国が存在しません。私が各地の勇者を集め、このドルークを本拠地に活動しています。相手は無論──」
 皇帝、クノン。
(何故だ。クノンはそんな圧政などするような子じゃなかった。ぼくがいなくなってからの数年でいったいクノンに何があったんだ?)
 それに、歴史の流れは分かっても、問題はいくつも残っている。
 緑の海の神殿はどうなったのか。他のメンバー、カーリアやバーキュレアは無事なのか。
「カーリアとバーキュレアは?」
「二人は無事です。今は各地の勇者を集めるために行動してもらっています。それにタンドも私に力を貸してくれています」
「タンドが」
 彼とはあまり話しているわけではないが、何となく理解しあえるような相手ではあった。それに彼はガイナスターとドネアには無私の忠誠を誓っている。ドネアを任せられる相手としては最適だ。
「ルウは?」
「母は、皇帝にさらわれました」
 セリアが悔しげに言う。
「人質のつもりなんです。もし大々的に歯向かえばお母様の命が危なくなるんです」







繰り返される、再会と別離。
最後の決戦を前に、全ての情報が出揃う。
あとは、全ての死力を尽くして戦うのみ。
ウィルザは、頼れる仲間たちとともに、敵陣へ乗り込む──

「久しいな、ウィルザ。元気で何よりだ」

次回、第四十九話。

『希望の船』







もどる