マ神。
かつて、この星にたどりついた異星生命体。
この地上にいたゲ神たちを倒し、ザ神として新たな体を与え、大陸を崩壊させるエネルギーをたくわえ。
そして今、完全な形で復活を遂げようとしている。
既に、マ神の生まれ変わりは二十年も前に誕生していた。
そのマ神がこのアサシナの『星の船』と同化し、そのエネルギーを解放したとき。
世界は、終わる。
地下へと至る青いクリスタルの柱。
エネルギーを今も送り続けているのか、時折、どくん、と脈打っているかのように感じる。
やがて、最下層から柱の内部へと移動する扉が現われる。
もはや、四人に言葉はない。ただ顔を見合わせて頷くと、ウィルザがその扉を開けた。
中は異空間か。奇妙に空間が歪み、いくつもの機械=天使が壊れた状態で廃棄されている。
その一番奥に、黒い霞に覆われたエネルギー体があった。
「ようやく会えたな、ウィルザ」
そのエネルギー体が声をあげた。
グランを滅ぼそうとする意思がそこに存在する。かつてニクラで生まれたその生命体は、いまや実体を持たず、ただの『エネルギー体』として存在している。そして既にそのエネルギー体は、この星の船と同化し、大陸が崩壊する時を待ち続けている。
「はるかな昔、我々の先祖は星からやってきた。この船でな。そして、その力は今、我がものとなった。マ神である、我のものにな。我はマ神の血を引くものにして、マ神の生まれ変わり。もはやこの力を解放するのに時はいらぬ。ただ一つ。我の新たなる器があればいい」
「器だと?」
「そうとも。サマンよ」
突然マ神から指名されたサマンは身体を震わせた。
「お前の夫であるウィルザは、この世界の人間ではない。それでもなお、お前はこの男についていくことができるのか?」
グランが驚いたようにウィルザを見つめる。おそらくそれは、自分たちの仲を引き裂こうとする罠だったのだろう。
だが、サマンにだけはその技はきかない。何故ならば。
「知ってるわよ」
あっさりとサマンは言った。
「そんなの、もう二〇年くらい前から知ってたわ。直接教えられたもの」
だからこそ、逆にサマンは落ち着くことができた。マ神という得体の知れない相手が、単純な小細工を弄する相手にすぎないということを知り、マ神といえども決して自分たちとは相容れない存在でもなければ格段に強いわけでもないということが分かったのだ。
「だが、お前たちの息子のグランは知らなかったようだな。グランよ。お前の父親はこの世界の人間ではない。それでもお前は父親を信じるのか」
「父を否定するということは、自分自身を否定することです」
グランはきっぱりと答えた。
「確かに驚いたことは事実です。ですが、父も母も、そうした問題に立ち向かって、僕を産んでくれたんです。だとしたら僕は両親に感謝こそすれ、否定する理由なんかありません。僕は、ウィルザとサマンの息子です」
ウィルザは微笑むと、グランの頭をぽんとなでた。少し顔が紅潮しているのがウィルザには分かった。
「ありがとう、グラン」
「いえ。父さんは僕が憧れていたままの父さんでした。だから信じられるんです。血筋だけが問題じゃない。父さんが誰よりも素晴らしい人だからこそ尊敬し、敬愛し、そして誇れるんです」
「息子に言われるのはなんだかむずがゆいな」
困ったようにウィルザは顔をかく。だが、そんな気持ちもすぐにおさまる。
戦いの時は来たのだ。
「お前たちがどうあがこうと、我は復活した。そして我が決定は誰にも変えることはできぬ。それが運命というものだ」
「変えられるさ。歴史も運命も、全て変えられる。ぼくらはそれを実行してきた。未来は決まってなんかない。変えられるんだ。ぼくらの手で」
この想いは譲れない。
「いくぞ、みんな。これが最後だ!」
エネルギー体が一点に収縮する。
そして、それは心臓の形をとり、どくん、と脈打つ。
ずっとこの柱の中で脈打っていたのは。
マ神の、心臓だったのだ。
「回避しろ!」
ウィルザの叫びに全員が飛び退く。四人がいたところをエネルギー波が薙ぎ払っていく。
「サマン、援護を頼む!」
「分かったわ!」
サマンがライフルを乱射し、リザーラがザの魔法で心臓を撃つ。
だが、そうしている間にマ神の周りで三体の機械が動き出す。
それは間違いない。偽りの星。ザ神の神殿に封印されていたもの。
(ここに来ていたのか)
あの三体の中には自分たちに協力してくれたものもいる。忘れてはいない。
だが、偽りの星は星の船に逆らえない。つまり、戦わざるをえないということ。
「先に『偽りの星』を倒すぞ。そうしなければマ神に効果的なダメージを与えられない!」
だが、マ神からのエネルギー波がたてつづけに来るので、ウィルザもグランも近づくことができずにいる。
「どうしますか、父さん」
「ぼくが一体倒す。ぼくが攻撃に専念する間、お前はぼくを守ってくれ」
「分かりました」
そして素早くサマンを見る。
(頼む)
見ただけで、彼女には伝わる。
援護射撃。彼女とうまくタイミングを合わせれば、偽りの星とて倒すことが可能だ。
ウィルザからのアイコンタクトを受けたサマンは集中してライフルを握った。
自分は少し甘えていたかもしれない、と彼女は思う。
自分はウィルザの役に立つためにここにいるのだ。決して足手まといになるためではない。そして自分の行動はウィルザは分かってくれている。彼と同じレベルで行動できなくても、自分にできることはいくらでもある。
グランがついさっきそれを示したのだ。ケインとの戦いで、グランは自分の身が危うくなることもかまわずにケインに斬りかかった。あの勇気と大胆さが必要だ。おそれていては、敵にのまれるだけ。
ウィルザと自分を信じて、放つ。それだけ。
「ウィルザ!」
そのウィルザと、そして偽りの星を目掛けてライフルを放つ。同時にウィルザがサイドステップを踏む。
彼の背中から放たれた弾丸は、寸分違わず偽りの星の中央にあたった。
怯んだ偽りの星を、鬼鈷が一閃して滅ぼす。
(やった)
サマンが喜ぶ。ウィルザと視線が絡む。
言葉はいらない。ただ、十年以上ずっとコンビを組んできた感覚だけがそこにあった。
(これでいいんだ)
自分に力が足りないのは分かっている。だがウィルザはそれをふまえてくれている。
だから自分は自分の信じたとおりに行動すればいい。
そして、次に自分が何をしても、もうウィルザは分かってくれている。
大丈夫。自身を持てばいい。自分の考えはウィルザは分かる。分かってくれる。
「くらえ!」
さらにライフルを放つ。二体目の偽りの星がそれに怯んだところへリザーラのノヴァが放たれ、鬼鈷でとどめをさす。
最後の一体をグランが何とか押さえ込んでいたが、もはやここまでくれば数の勝負だ。ウィルザはその背後に回りこんで三体目にもとどめをさす。
その直後だった。
(ありがとう)
そのとどめをさした偽りの星から、そんな言葉が聞こえたような気がした。
もしかすると、今のは。
「戦いの最中に考え事か!」
だが、その背にマ神からの魔法『ラニングブレッド』が放たれる。
「ウィルザ!」
直撃を受けたウィルザだが、何とかこらえるとマ神を睨み返した。
「その程度か」
「なに?」
ウィルザは鬼鈷を構えた。
「お前は強くなどない。お前はただ単に星のエネルギーを解放させるだけの役割。スイッチを押すだけの係だ。そんなのは三歳の子供でもできる。つまり、お前は強くない」
「貴様」
さすがにその言葉はマ神を怒らせたのか、心臓が勢いよく脈打つ。
「ぼくたちは違う。自らの手で、仲間を守り、生き抜くための強さだ。お前の力では、ここにいる誰も殺せやしない。ぼくらは強い。お前などに負けはしない」
「ふざけるな!」
さらなる炎がウィルザを襲う。だが、それももはや彼には通じない。
「この攻撃を受けてみろ、マ神!」
そして突進した。
四体のザ神の力を受け、さらには運命を変化させることができる鬼鈷の力が、そしてこの世界の人々の想いが、亡くなった人々の想いが、ドネアの、タンドの、カーリアの、バーキュレアの、セリアの、グランの、リザーラの、そしてサマンの想いが、この世ならざるウィルザの手によって一つにまとまり、マ神へと向かう──
「ぼくたちは強い!」
鬼鈷の一撃が、マ神の心臓を貫いた。
「ばっ、ばかな──!」
マ神は、倒されたのだ。
Last Episode
グランヒストリア
「やった」
サマンの言葉に続くものはない。あっけない。あまりにも。
これで終わりではない──そう思わせるものが確かにあった。
「ウィルザよ。我が終焉のための余興にしてはなかなかであったぞ」
マ神の声が再び響き、そして地下神殿が揺れだした。
「く、すごい揺れだ」
グランが母であるサマンを支え、リザーラが片手を大地につけて身体を支える。
「まさか、エネルギーを暴走させたのか!」
「歴史は変えさせぬ。このグラン世界は滅亡させる。それが、我が、望み──」
そして、マ神の声がかすれていく。どうやら、それが最後のマ神の力だったらしい。
全てを無に帰す、マ神のエネルギー。この大陸を消滅させるほどの。それが発動した。
もはや止める方法はないのか。
「私たち……駄目だったの?」
サマンが悲しげな声で言う。
いや、まだだ。
きっと方法はある。
「こっちよ!」
その時、どこかで聞いたことのある声がした。
「君は──ルウ!?」
マ神のいた場所の奥の通路から現われたのは、生贄として連れて来られていたルウであった。
「トール。よかった、来てくれたのね」
疲れたように、ルウは微笑む。その強大な揺れの中、何とか壁につかまってこちらを見つめている。
「この上に部屋があるんです!」
『そこが最終制御室だ』
世界記からも声が響く。
そう。最終制御室。そこで鬼鈷を使えば、エネルギーの流れを止めることができるのだ。
大陸を救うことはできる。
「サマン、グラン、リザーラ。大丈夫か」
「もちろん」
「はい」
「ええ。いきましょう、ウィルザ」
三人からの元気のいい返事に頷くと、ウィルザはルウの手を取ろうとする。
だが。
「……ルウ」
見てしまった。
その、彼女の、足元。
おびただしいほどの、血液。
「……私は、行けないわ」
血の気のない顔で、ルウが言う。
「大丈夫だ。必ず助ける」
「無理よ。自分のことは、自分で分かるもの。だって、この傷は、自分でつけたものだから」
「どうして!」
「マ神が、私の身体を自分の器にしようとしていたから」
愕然とした。
最後の最後で、そんな事実を知らされるなんて。
「私の命一つで大陸が救われるなら、それでいい」
「いいわけあるか! 君を必ず助ける、だから死ぬな、ルウ!」
「いいのよ。だってもう、あの人はどこにもいないのだから」
そして今度は悲しげな表情を見せた。
「お願い、トール。このまま私を置いて先へ進んで。私はここで待ってるから」
「ふざけるな! リザーラ!」
「分かっています」
リザーラはルウの傍にしゃがむと、その傷に手をあてる。治癒の魔法を唱えているのだ。
「任せていいな」
リザーラは強く頷く。危険は承知のうえだ。だが、助けられる命を見捨てていくことはできない。
「グラン。お前は護衛だ。もしかしたらマ神が操っていた機械が動き出す可能性だってある。お前が二人を守れ」
「わかりました」
「ぼくとサマンは、最終制御室に行く」
頷くサマン。そして二人は駆け出す。
そしてたどりついた最終制御室は、まさにコンピュータールームとなっていた。
『この選択が全てを決める。マ神が暴走させたエネルギーはこの大陸を消滅させるほどだ。急ぐのだ、ウィルザ』
世界記からの声が届く。
「でも、鬼鈷を差し込む場所が二つある」
『そうだ。右へ鬼鈷を差し込めばエネルギーの流れが通常に戻る。ザ神とゲ神が残る世界だ。そしてこの地上の混乱は続く』
「左は?」
『この星の船のエネルギーを完全に停止させる。ザ神は全て消滅する。そして、ザ神の加護が消えた世界では、人々は生きることが精一杯となり、争う余裕すらなくなるだろう』
「……ぼくは、どうなるんだ?」
そう、知りたいのはそこだ。
自分としては、できれば右を選びたい。未来は変えられるというその考えからすれば、滅亡という選択肢さえ消せるのなら、人間の自由を尊重する未来を選択をしたい。
『右へ差せば、君はザ神としてこの世界に残る。だが左を差せば、君もリザーラもザ神としてのくびきから解かれ、時間のある歴史の中に身をゆだねることになる。つまり、人間として生きていくことができるだろう』
人間として生きられる。
だがその代償は、ザ神の消滅と、人間が豊かに生きることができる権利。
争いもないかわりに、豊かさも消えうせた世界。
「どちらにしても、この世界には残るわけか」
『君がザ神となったとき、既に君の運命は変化した。私は君を連れていくことはできない。だから君がこの世界にザ神として残るか、人間として残るか、それを自分で決めたまえ』
(ぼくの選択か)
結局、混乱から逃れることはできない。ならば、自分にとって都合のいい選択をしたくなる。
だが、それではたしていいのだろうか。未来を自分が決めてしまってもいいのだろうか。たとえ争いがあり、混乱があっても、それもまた人間が築く未来だ。それを奪ってまで、自分がサマンと同じ時を歩むことを選択していいのだろうか。
自分の幸福は、人間の自由意志と引き換えられることになる。
人間の輝きを、人間が未来を切り開いていくのを。
彼の、たった一人のわがままで、潰してしまっていいのか。
いいはずがない。
自分は罪人だ。
この世界を救うためにこの世界にいるのだ。
優先順位を思い出せ。
自分は、この世界で幸せになることは求めたが、それ以上にこの世界そのものを救うことが最優先だったはずだ。
だからこそ、自分は選ばなければいけない。
自分が不幸になっても、世界を救うという選択肢を。
「サマン」
自分の覚悟は決まった。だが、彼女はどう思うだろうか。
だが、彼女もまた微笑んで頷いた。
「いいのかい」
「うん。やっぱり、一緒の時間を生きられないのは辛いけど……でも、私は私のできるかぎり、一生懸命にウィルザを愛したいから。ここでウィルザが自分を優先するようなら、私は多分、ウィルザのことを好きになってないよ」
やはり、彼女は自分の妻だ。
全ては決まった。
自分が不幸になっても、彼女と一緒の時間を歩むことができなくても。
この世界を、救うことに決めた。
「右だ」
この世界を救うこと。それが、自分の生きる意味なのだ。
『君の望みはかなえられないぞ。それでもいいのだな?』
「ああ。ぼくはこの世界の『神』なんかじゃない」
そうして、鬼鈷を力強く差し込もうとする──が、鬼鈷は途中で止まった。
「え?」
すると、鬼鈷はウィルザの手を離れた。
『よく、決断した。ウィルザ』
世界記の声と共に、鬼鈷の姿が薄れていく。いや、違う。
鬼鈷が、二つに分かれていく。
ウィルザもサマンも目を疑った。
そして、その一つがウィルザの手元に戻り、もう一つは右の穴に差し込まれた。
直後、揺れが停止した。
825年 星からの船、発見される
レジスタンスの部隊長だったグランによりアサシナ地下から、星からやって来た船が発見される。エネルギーは暴走寸前であったが、彼の活躍により平常に戻される。
「ど、どういうことだ。世界記」
『何もない。ただ、君の選択が正しかったというだけのことだ』
「だ、だって、鬼鈷を使えば、鬼鈷がここに残るなんてことは」
『ない。だが、君はこれまで七つの世界を救い続けてきて、最後に君は誰よりも愛しい相手を見つけた。だが、その最愛の妻すら失ってもかまわないということを決断した。その瞬間、君の罪は赦されたのだ。もし世界よりも自分を優先したのならば、世界は君を赦さなかっただろう』
以前世界記に言われた『一つの決断』とはそういうことか、とウィルザは納得する。つまり、自分よりも世界をきちんと優先することができていれば、サマンと一緒に暮らすという望みがかなうのだと。
それにしても、赦されなかったときはどうなっていたのだろう。聞くのが怖かった。
「じゃあ、ぼくは」
『その鬼鈷を持っている限り、君の妻と同じ時間を歩むことができるだろう』
「……もしかして、君がそういうふうにしてくれたのかい?」
『他に誰がいるというのだ』
当たり前だろう、というふうに世界記が答える。
「ありがとう、世界記」
『気にしないでいい。十万年もの間一緒に戦ってきたパートナーに対する、私からのささやかな餞別だと思ってくれればいい。さて、私はそろそろ還るとしよう』
すると、ふわり、と蒼い光がサマンの目にも見えるように輝きを帯びる。
「あなたが、ウィルザのパートナー?」
サマンがその光に向かって問いかける。
『そうだ。辛い思いをさせたな。すまない』
「ううん。みんな、あなたのおかげなんですよね。ありがとうございます」
『よくできた妻だ。ウィルザ、捨てられるなよ』
「世界記!」
だが、茶化そうとする世界記を大きな声で呼び止める。
こんな、突然、別れが来るなんて。
『ウィルザ。一つだけ、約束をしてほしい』
「約束?」
『そうだ。君になら、かなえられる』
「お前との約束だったら、不可能なことでもやってやるさ」
『そうか』
世界記の声が、優しさを帯びた。
『幸せになってくれ』
そして、蒼い光が徐々に高く、高く上がっていく。
「世界記!」
そして消えていく光に向かって叫んだ。サマンを抱きしめながら。
「ぼくは必ず幸せになる! だから、約束だ! 世界記! ぼくからの約束を守ってくれ!」
最後の光に向かって、叫んだ。
「もう一回ぼくたちは会うんだ! 必ずだ! 幸せになったぼくのところに、必ず会いに来てくれ!」
そして、消え去る瞬間、答が、あった。
『約束しよう──』
それが、世界記との別れとなった。
それから。
「黒童子は全員かたづいたんですね。よかった」
グランは旧アサシナの政庁で、タンドからの報告を受けていた。
世界は完全に疲れ切っていて、国同士が争うということができる状態ではなかった。というより、もはやアサシナも、ガラマニアも、マナミガルも、ジュザリアも、国としての力が残っていなかった。
レジスタンスがそのまま四カ国を統合する形で、統一国家を作ることに誰も異存はなかった。特にガラマニアのドネア姫が強力に推進したため、それが実現することとなった。
その初代国王に選ばれたのが──
「どうして父さんが国王じゃないんだよ」
疲れたように言う若干十三歳のグラン国王だった。
ウィルザは国王に就くことを敢然と拒否した。それより、自分の子供であるグランが国王になるのがふさわしいと、ドネアやカーリアたちを説得した。
結局、国王グランのもと、宰相タンド、騎士隊長カーリア、親衛隊長バーキュレア、大神官リザーラという、レジスタンスの中核にいたメンバーがそのまま政治を執り行うことになったのだ。
「まあ、実際にレジスタンスを率いられたのは国王陛下ですから」
カーリアがなだめるように言う。彼女にしてもグランを自分の子供のようにかわいがっている。グランのためならば何でもしてやりたいという気持ちもある。
「あんな薄情者たちのことなんか、忘れてやるんだね」
バーキュレアも足を机の上に投げ出したまま言う。その姿を見てまたタンドが苛々したような雰囲気を醸す。
「星の船につきましては早急に封印されるのがよろしいかと」
「うん。ただ、綿密に調査をして、完全にエネルギーが暴走することがないことを確認してからだよ。それについてはタンドに任せていいんだよね?」
グランはウィルザとサマンの息子。そしてセリア姫の恋人だ。
タンドとしては複雑な気持ちであったが、グランの後見役として推薦したドネア姫の手前もある。
「分かりました。精一杯努めさせていただきます」
「ありがとう。タンドがいてくれるから、僕でも国王が務まる。頼りにしているよ」
グランがそう言って微笑む。タンドはため息をついた。
結局自分も、この可愛い子供が大好きなのだ。
全く、この王宮はグランという可愛い子供のファンクラブか何かだろうか。時折、強さで国をまとめていたガイナスターのことを思い出すが、それほど懐かしいとは思わない。
おそらく、今の方がやりがいがあるからなのだろう。
この国王を一人前にして、大陸を平和にしたい。
自分のような人間を、一人でも少なくするために。
「それにしても、アンタもその仮面、脱げばいいのにね」
バーキュレアが相手の心境も考えずぬけぬけと言う。
「……正気の沙汰ではないな。貴様は私の素顔を見ているだろう」
仮面の奥からバーキュレアを睨みつける。
「まあ、最初に見たら誰だってびっくりするだろうけど、見慣れればたいしたことないだろ?」
タンドはため息をついて、国王に言った。
「陛下。この女を懲らしめますので、しばしお時間をいただきます」
言うなり、ただちにゲの魔法を唱え始めた。まずい、とバーキュレアがたって逃げ出す。
「逃がすかっ!」
タンドが意外なスピードでバーキュレアを追いかけていった。突然の展開にグランは呆然として見送った。
「……二人は仲がよくないのかな」
さすがに顔を合わせるたびに喧嘩をするのでは業務に差し支えも出るだろう。心配して言ったグランであったが、カーリアは苦笑した。
「いえ。あれはただのコミュニケーションです。レアはタンド様のことをとても好いておりますよ。また、タンド様もレアのことをそこまで嫌ってはいない様子。もしかしたら、意外なカップルが誕生するかもしれませんね」
「ふうん?」
そうした心の機微というものはグランには分からない。何しろ、自分は大好きなセリアのことをそんな風に言うことはないからだ。
「陛下はまだお若いですから。これからそうしたこともよく分かってきますよ」
「そうかな」
グランは苦笑した。そして、呟く。
「今ごろ、父さんと母さんは、どこで何をしてるんだろうなあ」
カーリアは首をかしげた。
「分かりません。ですが、必ず陛下に会いに来てくださいますよ。それまでは私たちでがんばりましょう」
「うん」
そうして、グランは再び仕事に戻る。
父から託された名前。そして大陸。
グラン。
その名前はまるで、自分がいつかこの大陸の王になることを見越していたかのようでもあって。
(……まさかとは思うけど)
いつかそうなればいいなんて、まさかあの両親が考えていたら、ちょっと、いやかなり驚く。
いずれにしても、この立場に就くことを決めたのは最後は自分だ。自分の意思がなければ両親がたとえ何を考えていたにしても、自分が国王になることはなかったのだ。
(まあいいか。僕と同じ名前の大陸のために働くのは、悪いことじゃない。それにこれからは、仲間が死ぬことを心配しなくてもいいし、それにセリアもいる)
ただ、せっかく会えた両親となかなか会えない。それが少し寂しかった。
リザーラはドネアの部屋にやってきていた。別にドネアに会うことが目的ではない。
この部屋で治療中の彼女、ルウの様子を見に来たのだ。
「経過は順調のようですね」
リザーラは怪我の具合を見てから治癒の魔法をかける。ルウの身体は何故か治癒の魔法のかかりがよくない。そういう体質なのだろうか。
ただ、ルウは以前よりもずっと笑わなくなった。かつて婚約者であるトールを失い、さらには最愛の夫であるガイナスターをも失った彼女は、もはや生きることに意味を見出せないでいるのだ。
今はドネアが毎日献身的に彼女に付き添っている。だが、それもいずれは限界が来る。ドネアもこの大陸では重要な地位の人間だ。これから仕事が山ほど待っている。
「まだ死にたいと、お考えなのですね?」
あれから一ヶ月。彼女はずっとこの部屋にこもっている。
だがそろそろ外の世界に目を向けてもいいはずだ。それに、彼女を個人的に待っている人間が一人いるのだ。
「ガイナスター陛下がいなくなられたことは確かに寂しいでしょう。その気持ちが分かるとは言いません。ですが、ルウ様。ガイナスター陛下との間に、一つも思い出はありませんでしたか?」
「……思い出?」
「そうです。ガイナスター陛下との間に、何も、残されているものはありませんでしたか?」
そうしてルウは思い返していく。
ガイナスターと出会い、ガラマニアに向かい、そして結婚した。
彼は自分にだけは優しく、気遣ってくれた。
そして、自分たちの間に生まれた子供──
「……セリア」
「そうです。セリア姫は、ずっとルウ様が回復されるのを待っておいでです。自分が会うとガイナスター陛下のことを思い出させて余計にルウ様を苦しませることになるからと、この一ヶ月会いたいという気持ちをこらえておいでです」
「私は、セリアの、母です」
ルウは毅然とした表情に戻り、リザーラを見つめた。
「どうして子供に会って悲しむ親がいるでしょうか。そうです。私にはセリアがいました。私は自分の娘を、ずっと放ったらかしにして、自分のことばかり……」
「それだけルウ様が深い傷を負っていたということです。傷を負ったら治療するのは肉体も精神も変わりません」
「娘はどこに」
「この時間であれば、図書館かと」
「行きます」
そしてルウは立ち上がろうとして、ふらつく。
「ルウ様。いえ、今からセリア姫をお呼びしますので」
「いいえ。これは私から行かなければならないのです。母として、娘に会いに行くのは義務なのです」
そうして、たどたどしい足取りで扉に向かう。その様子を見てドネアがリザーラに頭を下げた。
「ありがとうございました」
「いえ。ルウ様がこうして歩くことができているのは、ドネア様の看病のおかげですから」
「それにしても、ルウ義姉様は、あまりにも大きなものをなくされたのですね」
心が病むほど、大きな存在。
愛するということは、それほど大変なことなのだ。
「ドネア様も恋をしてみたいとお思いですか」
「あら、私のようなおばさんを捕まえて、そんなことを言わないでください」
「ドネア様なら今でも十代で通りますよ。知ってますよ、ドネア様にすごい求婚者の数がいるってこと」
「私が今さら子供を産んだとしても、何かの混乱のもとになってもいけませんから」
結局この二人も、既に未来のことは考えている。
グランとセリア。
この二人が結婚し、この大陸を統治する。その夢を見ている。
そのための障害は、少なければ少ないほどいいはずだ。
「まったく、ウィルザさんとサマンとがいれば、こんなことにはならなかったんですけどね」
「お二人にはお二人の事情がありますから」
ドネアは逆にリザーラをなだめる。リザーラとすれば妹夫婦の勝手な行動は目にあまるところがあった。
「行方が分からなくなってから一ヶ月。いったいどこで何をしているのでしょうね」
「ですが、必ずここに帰ってきてくれます。だってこの間も、十年の時を超えて帰ってきてくれたんですから」
ドネアにとって、唯一ともいえる友人、サマン。
そして──今なら認められる。自分にとって、かすかな恋心を抱いていた相手、ウィルザ。
彼らと次はいつ出会うのか、今から楽しみだ。
そんな二人は、廃墟となったドルークにいた。
このドルークにはもはや人は住んでいない。レジスタンスは全員旧アサシナ王都の方へ移り、十年前に滅びた街がそのままそこにあった。
ドルークの復興をする必要はなかった。もはやドルークに住みたいと思う者はいない。みんな、新王都やガラマニア、マナミガルといった裕福な土地を求める。ドルークにはもう誰も寄り付かなくなっている。
だが、ドルークは彼らにとって思い出の土地だ。サマンの故郷でもあり、ウィルザはこのドルークを守るために仲間を率いて戦った。
しばらくの間は、ここで過ごすつもりだった。
ウィルザは長椅子で彼女を抱きしめたまま、ふと呟く。
「グランのことだけどさ」
彼が話し出すと、うん? と彼女が薄く目を開けて反応する。
「最初に会ってから、そして一緒に行動していてもそうなんだけど、どうしてか自分の子供だっていう感じがしなかったんだ。やっぱり、十年っていう期間は長かったのかな」
「ウィルザもそう思う?」
「も、ってことはサマンも?」
「うん。実はあたしもそう」
素直に彼女は答える。
「ああ、グランなんだなって思うんだけど、やっぱり三歳から十二歳までのグランのことを全く知らないわけでしょ。ドネア姫様たちがきちんと育ててくださったから、理想的に育ったけど、でも自分で育てたわけでもないし、十年間見ることすらできなかった。正直、自分の子供がこんなに立派でいいのかなって思ったし、実感はないんだ。ていうか、私のグランはどこにいったんだろうって、不思議な感じ」
「ぼくはさすがにサマンほどは思えないかな。子供を産むときに苦しんだサマンの方が、多分そうした気持ちは強いんだと思う」
「あたしもそうだろうと思う。でも、どうすることもできないんだよね」
どうせ永遠に一緒にいられないのなら、せめて子供くらいは残してほしい。そういう理由で生まれてきた子供。だが、全てが終わってこうして一緒にいることができていて、子供ははるか遠くの地で国王なんかをやっている。人生は本当に分からない。
「だから、さ」
サマンは、ちゅっ、と音を立ててウィルザにキスした。
「もう一回子供作って、今度はちゃんと自分で育てたいと思うんだけど、駄目かな」
「まさか。僕も今、そう言おうと思ってたところ」
「あ、だから突然そんな話をしたんだ」
「うん。子供をたくさん作ろう。そして幸せで仕方がないくらい、幸せになろう。精一杯生きて、喜んで悲しんで、死ぬまで、全力で生きるんだ。二人でさ」
「うん。楽しみ」
サマンがごろんとウィルザに抱きつく。
「……こんなに幸せで、本当にいいのかなあ……」
正直、自分たちはグランたちが政治で苦しんでいるのを知っている。知っていて、それを放り投げてここに来ている。
だが、ウィルザはその点だけは最初から決めていた。国王になってほしいという願いを断ったのも、それを最初から決めていたからだ。
自分がもしこの大陸に残ることができた場合、八二六年以降の政治には絶対に関わらない。
大陸の未来は大陸の人間が決めることなのだ。自分はそうではない。結局のところ異世界の人間だ。グラン大陸の人間がいつまでもよその世界の人間に頼っていていいはずがない。それでは成長がない。
だから自分は身を引いた。そして誰にも気付かれない場所でこうして暮らしている。世界で何が起ころうと知ったことではない。それは、大陸の人間が自分たちで解決しなければならないことなのだ。
だが。
もしも、この前のマ神のように、この世界とは異なるところから侵略を受けた場合は、絶対にそれを阻止する。まあ、そんなことは二度とないだろうけれど。
「ねえ、ウィルザ」
「うん?」
「一緒にいられるって、いいよね」
何でもない一言。何でもない一時。
だが、自分たちが求めていたのは何でもない。ただの、そんな日常。
「そうだね。願わくば、この幸せがいつまでも続きますように」
ウィルザは、愛する妻の額にキスを落とした。
Special Episode
『終曲。そして……』
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