その女性は落ち着くと、ルウ、と名乗った。
「私はイライの村の出身です。本当はトールと結婚する予定でしたが、その結婚式の日の朝、トールは行方不明になりました」
「イライの結婚式?」
 ガイナスターが反応する。もちろんその内容には心当たりがあった。本来、邪道盗賊衆はイライ神殿を襲う予定だった。ちょうどその日は結婚式が行われる予定だったはずだ。
(てことは、この女とウィルザが結婚する予定だったっていうことか)
 ウィルザはガイナスターたちがイライを襲撃することを知っていた。だから結婚式を棒に振ってでも、ガイナスターのところに留まることを了承したということか。
(婚約者に一言も言わないで来たってことか。馬鹿な奴だ)
 もちろん戻るつもりではいたのだろう。だが、それにしては腑に落ちないところが多い。
 まず、どうして名前が違うのか。
「トールっていうのは?」
 サマンが尋ねる。
「この人の名前です」
「でも、アタシたちの前では、ウィルザ、って名乗ってるわよ」
「それは……分かりません。私にとっては、この人はトールでしかありませんから」
「ふうん。じゃ、もう一つ質問。あなたはウィルザをどうするつもり?」
 もちろんそれはここにいる三人の進退にも関わる。もしウィルザを連れて村に戻るというのなら、それぞれこれからの行動が変わってくる。
「分かりません。ただ私は、このグラン大陸に何かが起こっていて、トールがそれに関わっているというのは分かるんです。だから私は、私なりに何かを見つけたかった」
「じゃあ、村に連れ戻すとか」
「イライの村に戻るつもりは、私はありません」
 きっぱりと答えた。
「ですが、しばらくはトールの傍にいたいと思います。もともとは、トールを探すための旅だったのですから。こんなに早く見つかるなんて、思ってもみませんでしたけど」
 だが表情は複雑だ。それもそうだろう。何しろ、自分を捨てていった男が目の前にいて、しかも意識不明でまだ言葉を交わすことができないのだから。
「もう一つ質問」
「はい」
「ウィルザのこと、今はどう思っているの?」
 それは彼女にも答えづらい質問だったのだろう。少し考えてから「分かりません」と答えた。
「愛している……と思います。でも、怖い」
「怖い?」
「どうして私の前からいなくなったのか。今でも私のことを好きでいてくれているのか。それとも初めから私のことなんて何とも思っていなかったのか。私には分かりません」
「きっとこの男はお前のことを好きだったんだろう」
 横から口を挟んだのはガイナスターだ。
「俺はガイナスター。邪道盗賊衆の首領だ」
 突然の自己紹介に、ルウが目を丸くする。
「じゃ、じゃ、邪道盗賊衆!」
「別に危害を加えるつもりはねえよ。それに、仲間のウィルザの婚約者ってんならなおさらだ」
 これが普通一般人の反応というものなのだろう。ローディにせよサマンにせよ、それで平然としていられる辺りが尋常ではないのだ。
「仲間、仲間って、ウィルザが邪道盗賊衆だっていうんですか」
 それでも気丈に尋ねてくるあたり、随分と芯のある女性だと評価する。
「そうだ。結婚式の当日、こいつはイライ神殿の結婚式を襲撃しないでほしいと俺に訴えてきやがった。俺はこいつが仲間になることを条件に結婚式の襲撃を取りやめた。だから、こいつがあんたの婚約者で、結婚式当日に行方をくらましたっていうんだったら、それは俺のせいだ」
「そうですか」
 ルウは再び、苦しそうな表情を浮かべているウィルザを見つめる。
「トールは私たち──うぬぼれてもいいのなら、私を助けるために、姿を消したということなんですね」
 ルウは感慨深げにウィルザの手を取る。その手のぬくもりに何を感じているのかは見ている側には分からない。ただ、愛する男性が、少なくとも自分を含めた村の人々を救うためにその命をかけたのだということが分かって、安心したのだろう。その目にうっすらと涙。
「俺をなじったりはしないのか?」
 盗賊の首領を相手にそんなことをする女もいないだろうが、それでも意地悪でガイナスターが尋ねる。
「もし、トールが私のことを最優先に考えてくれていたのなら、きっと私のところに戻ってくるつもりだったと思います。トールは私のことは何とも言っていなかったのでしょう?」
「ああ。初耳だ」
「だとしたら、トールは私のことよりももっと大きなものを見ているんだと思います。このグラン大陸に何かが起こっている……トールはそれを何とかしようと思っているんです。だったら私のわがままでそれを止めるわけにはいきません」
「ほう」
「だから、私もトールについていくつもりです」
 きっぱりとルウが言う。
「トールが何を考えているのか、そして私のことをどう思ってくれているのか。はっきりさせないことには、私も前に進めませんから」
「強いね、ルウさん」
 感心したようにサマンが頷く。そんなこと、とそこで初めてルウは照れたように顔を背けた。
「アタシ、断っ然ルウさんを応援する。アタシも結構ウィルザのこと気に入ってたんだけど、ルウさんみたいな一途な人を相手にするつもりないし、アタシはまだ会って二週間だから、そんなに入れ込んでるわけでもないしね」
 それは客観的に聞いていると、自分に対して言い聞かせているかのように聞こえる。少なくともこの会話に一切参加していなかったローディにはそう聞こえた。
「ちょうどいい。この男がどういう人間なのかを知りたかったところだ。イライの村にいたころの話を聞かせてもらいたいな」
 ガイナスターが言うと、それはかまいませんが、と前置きしてルウが答える。
「私もこの二年間のことしか存じません」
「二年?」
「はい。トールは旅人でした。トールのお父さんがこの村に来たときに事件があって、お父さんがそれに巻き込まれたんです。亡くなったお父さんのお墓をイライに作って、それからトールは旅に出ることなく、村に留まってくれました」
「二年前のイライってえと、山賊が出てた頃だな。話には聞いてるが」
「はい。トールとトールのお父さんは単なる通りすがりの村のために、言葉通りその命をかけて戦ってくれたんです。それから二年、私たちは結婚を考えるまでになったのですが……」
「村民たちからは反対された、と」
「いえ、そこまでの反対ではありませんでした。もちろん余所者だということで色々と言われましたけど、最終的にはみんな分かってくれました。ただ、ずっと思っていたんです。トールはいったいどうして旅をしていたんだろう、って。生まれた場所はどこで、いつも何を考えて生きているんだろうって。私にとってはトールは不思議な人でした。不思議で、そして、魅力的でした」
「不思議で魅力的だってのは分かるがな。大事なところでダンマリになるってのは昔も今も変わらないってことか」
 無論、実際のところは異なる。トールにはトールの問題があっただろうが、今のウィルザにはそれが分からない。ウィルザにはトールの記憶が残っていないからだ。だから昔のトールと今のウィルザは、同じように自分の素性を明らかにしないという共通点がある、ということになる。だがそれはルウやガイナスターには分かりようもないことだった。
「私の方も、教えてください。トールがいったいみなさんと何を話し、どのようなことをしてきたのか。この二週間、私はトールのことばかり考えていました。今何をしているのかと。それを教えてくだされば」
「この二週間っていったら……」
 サマンとローディとガイナスターが視線を交わす。それはもう、ただひたすらアサシナの追手から逃げに逃げ続けてきたことしかない。
 まずイライの結婚式当日、ガイナスターに襲撃の中止を求めた。その後は鉄道襲撃。そして王都に入り込み、サマンと出会う。牢屋に入れられた後、サマンの手によって脱出。そしてクノン王子の命を助けるため、誘拐された大神官ミジュアを救出にサンザカルへ移動。サンザカルではローディを仲間にし、イブスキを追い払った。
 この筋の通った流れの中で、たった一つだけ、理由が不明な点がある。それは、大神官ミジュア、およびクノン王子を助けに行かなければならなかったという理由だ。
「トールがミジュア様を助けようとしたのはどうしてなのでしょう」
「それは分からないけど、少なくともアタシが会った時、牢屋から脱出するときか。クノン王子が亡くなったら世界が混乱するからって言ってたけど」
「世界……」
 ルウはそう呟くと、ウィルザの手をしっかりと握った。
「やっぱり、あなたは遠くを見ている人だったのね」
 少し諦めたような、そんな呟きだった。







第十一話

風の行方







 翌朝。
 朝の光を浴びると目が覚めるというのは、人間という種が持つ本能なのだろうか。ウィルザは朝の光が顔にあたったとき、その手のぬくもりをようやく感じ取ることができた。
 ゆっくりと目を覚ます。どうやら自分が助かったということが分かる。そして、自分の傍でずっと看病していてくれた『誰か』にも。
「起きたの?」
 彼女は微笑んでいた。驚かないはずがない。彼女がこんなところにいるなどと、誰が思うものか。
「やあ、ルウ。相変わらず綺麗だね」
「馬鹿」
 その目は涙に濡れていた。無事に目を覚ましたことによる安心と、愛する男から優しい言葉をかけてくれたことによる幸福とが、張り詰めていた彼女の心をあっさりと溶かしてしまった。
「大変だったんだから、あの後」
「ああ、ごめん。何の説明もなくいなくなって」
「言い訳はしないの?」
「しないよ。ぼくがルウを捨てたことに変わりはないから」
「話はガイナスターさんから聞いたわ」
 ウィルザは小屋の中を見回す。だが、誰もいない。
「みんなは?」
「ちょっと、小屋の外に出てもらってる。ついでにサマンさんは近くの見回りに」
「そうか。ガイナスターから、何を?」
「いろいろなことを。あなたがこの二週間でしてきたことや、世界のことを考えているということを」
 それを聞いて、彼女は自分を許してくれたということなのだろうか。それとも許さないということなのだろうか。
 だが、どちらにしても自分の為すべきことは決まっているのだ。
「率直に、聞いていい?」
「ああ」
「このグラン大陸に、何が起こっているの?」
「何、って」
「国同士が争うようになって、ゲ神の活動も活発になっている。緑の海では天使が暴走しているっていう話も聞いているわ。たった数年間で、このグラン大陸は全く変わってしまった」
「そうかな」
「そうよ。あなたがイライに来る二年前と今とでは、全然違う。そう。二年前から、世界は少しずつ何か変わってきたような気がする」
 そうは言っても、今のウィルザには二年前の記憶はない。ルウのことだとて、あの結婚式前日の夜と、一度死んでしまった当日、その二日間の記憶しかないのだ。
「そんなに、変わったのかな」
「変わったわ。それに、あなたのお父さん」
「父さん?」
「ええ。あなたのお父さんがイライに来たのは、イライ神殿に理由があった。そうじゃないの?」
 そういわれても、トールですらないウィルザには、トールの父のことなどいっそう分からない。
「そんな素振りがあったかい?」
「あったわ。神官様と何度も何度も話し合っていたのを私は見たもの。お父さんがイライの村を助けてくれたのだって、イライの村を守るんじゃなくて、イライの神殿を守りたかったからじゃないの? 違うの?」
「ま、待って、ルウ。ぼくに分からないことを尋ねられても、困る」
 動揺したウィルザだったが、ルウは構わずに続ける。
「私は知りたい。このグラン大陸に何が起こっているのか。あなたが知っていることも、そうでないことも」
「そうでないこと?」
「ええ」
 ルウは引き締まった表情で頷く。
「真実を。私が知りたいのは真実だけ。そして、トール。あなたはその真実に、一番近いところにいる。そう思うのは、間違いなのかしら?」
 これほどに。
 これほどに、鋭い人物だったのか、ルウという女性は。
 もしかすると、この女性ならば、この世界で活動するにあたってのパートナーにできるのかもしれない。
 世界を守る。そのための協力者。
「ぼくは」
 一度言葉を切ってから、続ける。
「ぼくは、この世界を守りたい」
「私だって」
「でも、真実には危険がつきまとうんだ。ルウ、君はあまり戦うことが得意じゃないだろう。そんな君が真実を手にするのは、命を落とすことにつながりかねない」
「強くなるわ」
 ルウは強く手を握ってきた。
「戦士であるあなたを守れるくらいに。だから、私を連れていって、トール」
 それは心からの願い。気持ちが通じるだけに、断るのは難しい。
「ぼくと一緒にいたいのかい?」
「もちろん、そうよ。だって、婚約者なんですもの。でも、それだけじゃない。この大陸を守るというあなたの言葉の意味を、そして未来を知りたい。だから」
 切実な様子で迫ってくる。
「じゃあ、ルウ。君には一つ。謝らないといけない」
「なに?」
「ぼくは、結婚式前日の夜、墓場から戻ってきたとき。それ以前の記憶はなくしてしまった」
 ルウは何も答えない。その言葉にどこまでの真実があるのかを探っているようでもあった。
「ガイナスターの話を聞いたんだろう?」
「ええ」
「ぼくは、ガイナスターの部下によって、あの墓場で、一度殺された。そして、この大陸を救うために生まれ変わったんだ。だから、それより前の記憶は全く残っていない」
「だから、イライの村を去ったの」
「ああ。だからぼくは、君と会ったのはたったの一回だけなんだ。墓場から戻ってきたとき、今夜はゆっくり休んでねと言ってくれた、あの一言だけ。それ以外の記憶はない」
「そう」
 だからか、とルウは頷く。墓場から戻ってきたときのウィルザは、確かにいつもと違った。知っているはずの神官の家を知らなかった。
「それなのに」
 ウィルザは、もう片方の手を彼女の方に伸ばす。
「綺麗だと、思った」
「……」
「ぼくは君を綺麗だと思った。本当だよ。もしかしたら、記憶を失くす前の好きだという気持ちが、どこかに残っていたのかもしれない。でも、あの結婚式を行うわけにはいかなかった。邪道盗賊衆に殺されるわけにはいかなかったから」
「あなたが、命をかけて止めてくれたことは聞いたわ」
「そんなにかっこいいものじゃないよ。ぼくがあの時考えていたのは、村を──かわいそうな君を、助けたかっただけなんだから」
「充分よ」
 手を取ったルウは優しく微笑む。
「たとえ記憶がなくたって、あなたはあなただわ、トール」
「ぼくはもう、トールじゃない」
 その手をしっかりと握り返す。
「ぼくはウィルザだ。一緒に来るのなら、ぼくをそう呼んでほしい」
「ウィルザ……ええ、分かった」
 ルウが頷く。
「それじゃあ改めて、よろしくね、ウィルザ」
 ルウは微笑みながら、その頬に唇を落とした。







この世界に生じている真実を求めて、二人は旅立つ。
ザ神とゲ神。神々の争いは何故生じるのか。
そして、この世界はどこへ向かおうとしているのか。
その答は、意外にも彼らの近くにいた。

「行こう。真実を知るために」

次回、第十二話。

『神々の宴』







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