「逃がすな、追え!」
 森の中。男──いや、まだ十五にもならない少年は後ろを振り返ることなく、ただ前へと走る。
 突然のことだった。発砲の音。そして、自分を捕まえようとする兵士達の群れ。
 何が起こったのかわからない。ただ、この場にいていいことは何一つなさそうだった。
 ならば逃げるだけ。もちろん、単なる追いかけっこをするのなら自分に逃げ切れないはずはない。それだけ自分の強さはよく分かっている。
 だが、その行く手にも兵士たちがいた。何故だろう。自分は追いかけまわされている。
 自分は、そんなにも悪いことをしたのだろうか?
 抵抗するか、しないか。
 前後を完全に挟まれた格好になった少年は一瞬、抵抗することを考えた。だが、
「武器を捨てろ! 抵抗するな! 歯向かえば、殺す!」
 と言われたので、捨てれば殺されることはないだろう、と判断した。
 いろいろと痛そうなことをされそうだが、この際命がある方がいい。
 武器を落とすと、ただちに兵士達によって地面に組みふされた。やれやれ。そんなことをしなくても抵抗などしないのに。
「ガイナスターをどこへ逃がした!」
 何のことを言われているのか分からない。だが、彼らにとって追いかけているのがその名前の男であるということは分かった。
 だが、知らないものは答えようがない。もっとも、今の自分が答えられることなどたかが知れている。せいぜい自分の名前くらいのものだ。
「言うつもりがないか」
 敵の大将らしい人物が自分の前に剣を突きつける。全く、相手が知っているかいないか、それすらも見分けることができない無能者。こんな男が大将ではついていく部下も大変だろう。
「知らないものは、答えようがない」
「何?」
「誰のことかは知らないが、俺とは無関係だ」
 だが、この状況でそんなことを言ったところで通用しないのは分かっている。相手は自分にその男の居場所を知っていてほしいのであって、知らないという選択肢は最初から許されていないのだ。
「知らないはずがないだろう。お前はあの一味の仲間であろう」
「どの一味だか知らないが、俺はただの旅人にすぎない。聞くだけ無駄だ」
「どこまでもシラを切るか」
 だから言っても無駄なのだ。やれやれ。自分の命も下手するとここまでか。
「隣国の王の地位にありながら、他国まで盗賊をしに来おって! 貴様らガラマニア人はどこまで非道の連中だ!」
 知るか。この男にどう思われようと、自分はガイナスターとかいう人物とは全く関係がない。ならば答えられるはずがない。
「どうしますか、隊長」
「連れて帰る。尋問はその後だ!」
「分かりました」
 やれやれ。どうやらすぐに殺されることはないようだ。だが、兵士たちによる尋問ということは、よほど運がよくない限り、面白くないことになりそうなのは間違いない。
(まあ、拘束されたとしても、この人数ならまだ逃げるのも大丈夫かな)
 その前に逃げられないように足の腱を切られるとか、そういうことさえなければ大丈夫だ。後は、この兵士たちには必ず仕返しをしてやらなければならない。一度受けた屈辱は必ず返す。
 指揮官の顔は覚えた。残りの兵士たちもだいたいは覚えた。ただ、他の兵士たちは無能な指揮官に使われているだけのように見える。指揮官を殺すのは確定だが、兵士たちについてまで全員殺すのは面倒だ。
(ある程度人数が少なくなったら実行するか)
 とりあえずは状況がよくなるのを待とう、と考えてそのまま拘束される。そのまま馬に乗せられる。荷物扱いだ。だが、荷物の方はといえばしっかり固定されているわけではないので、落とされないように力を使わなければならない。
 やれやれ、と思いながらしばらく進んでいくと、やがて野営キャンプにたどりつく。
 馬から下ろされ、後ろ手のまま歩かされる。
 そこへ、一人の上級指揮官がやってきた。何しろ自分を捕らえた指揮官が敬礼しているのだ。よほど位が高いのだろう。
「どうした」
「はっ。ガイナスター一味と思われるものを捕らえましたので、これより尋問を」
「ガイナスター一味?」
 その上級指揮官は自分の方をちらりと見てからため息をついた。そして表情が変わる。
「馬鹿者が! ガイナスター一味にこのような少年が加わっていることなど報告に上がっておらん!」
「で、ですが、森の中にいたので」
「ならば森の木こりまでもがガイナスターの一味と言えるのか!」
「そ、それは」
「早く縄を解け! 怪我の手当ても忘れるな!」
「は、はっ!」
 ただちに縄が解かれる。ほう、どうやら物事がよく見える者もいるようだ。
「すまない、少年。部下の不手際は深く陳謝する」
「大変申し訳ありませんでした」
「なに?」
「大変申し訳ありませんでした。謝るときには誠意を見せるのが普通じゃないのか?」
 自分よりも大柄な男に向かって言う。するとその上級指揮官よりも周りの兵士たちの方がいろめきたつ。
「こ、この痴れ者! この方をどなたと!」
「知るか。貴様等の手違いを詫びることもできない指揮官ならやめた方がいい。上に立つ者の一番の仕事は、部下の不手際をどう始末するかだろう」
「な、な、な」
「いや、もっともだ。少年の言うことは正しい」
 すると、その男はその場に膝をついて頭を下げる。
「部下の不手際、心からお詫びいたします。大変申し訳ありませんでした」
 ふむ、と少年は頷く。
「いいだろう。自由になったときはそこの指揮官を殺すつもりでいたが、お前に免じて許す」
「かたじけない」
「もう終わったことだ。お前の人柄は俺の心を打った。お前は良い指揮官だな」
「そうおっしゃっていただけるとありがたい」
 終わったこと、という言葉がどういう意味をはらんでいるのか、この指揮官も分かったのだろう。つまり、そのことを今後蒸し返すつもりは一切ない、ということだ。賢い指揮官だ。
「名乗るのが遅れたな。私はミケーネ。アサシナ騎士隊の隊長をしている」
「そうか」
「少年の名は?」
「俺は──」
 少し考える。どうするべきか。ただ、悩んでいても仕方がない。素直に答えるだけだ。
「今は、レオン、と呼ばれている」
「今は?」
「ああ。この間立ち寄ったイライのザ神殿で、ザ神からそう名乗るように言われた」
「ザ神から?」
「ああ。俺は、記憶喪失だからな。ここ一年くらいのことしか覚えていない」







第十五話

その名はレオン







 ミケーネに連れられ、王都まで来ることとなった。
 とはいえ、自分はアサシナ王都に来るつもりはなかった。ただミケーネが「行くところないのなら一緒に来ないか」と誘ってくれたので、そうしただけだ。
 初めて来る王都だった。何かしら記憶に触れるところがあるかとも思ったのだが、まるでそんな様子もない。
 記憶を失う前にいったい自分がどこで何をしていたのか。考えれば不安にもなるが、考え続けても仕方のないことだとしばらく前に割り切ることにしていた。
「どうだ、レオン。この辺りに来たことはあるのか?」
「さあ。覚えていないし、よく分からない」
「まあ、記憶のことは後々思い出せばいい。まずは王宮にでも行くか」
「いや、せっかくだが遠慮させてもらう」
 と、道の途中で立ち止まる。
「何故だ?」
「尋問されるのはごめんだ」
「まだ疑っているのか。私は君をそのように扱ったりしない」
「お前は信用できる。だが、王宮にいる奴全員がそうとは限らない」
 年若い少年のくせに、と思われるだろうか。だが、自分が生き残るためには誰かに頼ったり、誰かを信頼してはいけない。とにかく自分の力だけを頼りにしなければならない。
「なるほど。それはもっともだ」
「認めるのか? お前のいる組織だろう」
「組織の長だからこそ分かることもある。確かに今こちらに来ると、君にとってはよくないことになりそうだ」
 その辺りの状況判断もよくできる。なかなか秀でた男だ。
「まあ、しばらくはこの街にいるつもりだ。他に行くところもないと言ったのはお前の方だが、腰を落ち着けたら王宮に連絡する」
「ありがたい。君の名前を言えば、いつでも私のところに連絡が入るようにしておく」
「連絡しなくても恨むなよ」
「そのときは君を探し出してみせるよ」
 随分とほれられたものだ、と肩をすくめる。
「お前、どうして俺にこだわる?」
「さあ。自分でもよく分からない。ただ、君が少年の割にすごい強さを秘めていることも分かるし、只者ではないオーラを出しているのも分かる。そして君は一度信頼した相手に必ず尽くす性格だ。君のような人物が私の同僚であってくれたならと思う」
「買いかぶりだ。だが、評価してくれたことには感謝しよう」
 そう言ってから軽く頭を下げてその場を立ち去る。
 さて。
(とはいえ、やることがあるわけでもないんだがな)
 どこへ行くということもない。イライのザ神殿で名前を得て、北へ向かえと言われたのでそうしただけのことだった。
 一応記憶を取り戻すために動いているとはいえ、自分が何を目指しているのかよく分かっていない。本当に記憶を取り戻したいのか。それともこの気楽なままで生きていく方がいいのか。
 そうして街を適当に散策していると、やがて少し大きめな館の前に出た。そこから一組の男女が出てきて、嬉しそうに話している。
(なんだ?)
 微妙な違和感。何がおかしいのかは分からないが、どうも今の二人はこの家の住人というわけではないように見えた。しばらくその館を見ていると、今度は一人の若者が入っていく。
(この家、妙だな)
 店や宿屋のようには見えない。本当にただの館という様子だ。それなのに、人が入り、そしてまた出ていく。その繰り返しが起こっている。
「すまない」
 その館から出てきた人間に話しかける。
「この家は?」
「ああ、旅人さんですか。若いのに大変ですね」
 答になってないが、すぐに話してくれるだろうと次の言葉を待つ。
「ここは天使、アルルーナ様の館ですよ。アルルーナ様は迷っている人間に道を示してくれるのです」
「道?」
「ええ。どちらの道を進めばよいのか。また、道が見えないときにどうすればいいのか。そうしたことをアルルーナ様は教えてくれるのです」
「ほう」
 それはなかなか面白そうだ。自分がそのアルルーナとやらに会ったらどういうことになるのだろうか。とても興味深い。
「誰でも入れるのか?」
「もちろん。旅人さんも全然大丈夫ですよ」
「ありがとう」
 情報量として小銭を渡す。男は嬉しそうに受け取って立ち去っていった。
 ちょうど道が見えなくなっていたところだ。せっかくだからそのアルルーナとやらに会ってみるのも一興だ。
 彼はその館の中に入る。
(変わった家だな)
 壁中、床中にパイプがひしめき、機械の音が絶え間ない。この変わった空間の中に、その天使がいるというのだろうか。
 そのまま館の奥に入っていくと、その天使はいた。金色の鎧のようなものを身にまとい、石のような灰色の肌をした天使が壁にくくりつけられている。
「これが、天使アルルーナ」
 感慨とも何とも言いがたい気持ちになるが、しばらく見ていると、そのアルルーナの目が開いた。
『あなたの成すべきことを示しますか?』
 面白いことを言う。
 自分の成すべきこと。それが何なのかは分からないが、記憶を失う前のことは当然知りたいと思う。
「その前に、聞きたいことがあるがかまわないか」
『かまいませんが、私はあまりあなたの質問には答えられないかもしれません、レオン』
「──聞きたいことがあったが、順番が変わった。どうして俺の名前を知っている」
『それはあなたがザ神に登録されているからです。登録された者は全て検索可能です』
「俺の名前はザ神が勝手につけたものだ。確かに登録はその名前で行われたんだろうが、お前は俺の失われた名前を知っているのか?」
『知りません。それは登録されていませんから』
「なるほど。天使にも限界はあるということか。ならば教えてくれ。俺が成すべきこととやらを」
『分かりました』
 そしてアルルーナは一度目を閉じ、思念を凝らす。
『レオン。あなたの背にはたくさんの人の命がある。決して自分を粗末にされませぬよう──次なる道を拓くのは一人の女性です。強き女性があなたの道を拓くでしょう』
「強い女性?」
 首をかしげる。
「俺より強いのか?」
『あなたと同じ程度に』
「そんな女がいるのか。化け物だな」
 自分の強さがどのくらいのものかはこの一年で十分に分かっている。これまで自分より強い相手には会ったことがない。だが、それほどの女性ならば一度手合わせをしてみたいものだ。
「どこにいる?」
『この街に。焦らずとも、やがてその女性はあなたの前に姿を現すでしょう』
「なるほどな。アルルーナ、もう一つ聞きたい」
『はい』
「またお前に会いにくれば、いろいろと教えてもらえるのか?」
『私は道を示すのが使命。迷ったときは、いつでも来てくださいませ』
 そして、活動を停止した。その後は何度呼びかけても反応しなかった。つまり、現状で示すことができる道は全て示した、ということなのだろう。
「今いち、自分がどうすればいいのかは分からないが、まずはその女とやらに会ってみるとするか」
 そして彼はアルルーナの館を出た。
 まだ過去も未来もよく分からないが、やることがある間は退屈がまぎれていい。
(それにしても、年齢に似合わないことを考えているな、俺は)
 思うと何かおかしくなってくる。苦笑してから歩き始めた。







今まで歴史の影となっていた男がついに表舞台に姿を現す。
彼の正体は何者か。その過去は。そして未来は。
彼の前に立ちふさがる女性が、次の道を指し示す。
行く手に待つのは希望か、それとも──

「せっかくだからね。アサシナ神殿でも見て行くつもりだよ」

次回、第十六話。

『真紅の女傭兵』







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