イライは、地方辺境の村でありながらも『神殿の村』として名が知られている。
 ザの神体があると言われている神殿には参拝客が絶えない。もっとも神体を拝めるのは十年に一度ということで、神殿の最奥まで行くことはできない。
 それでもザ神の恩恵で祝福を与えることはできるので、参拝客と同じく祝福を求める者たちが毎日のように訪れる。
 もっと規模が大きくなっても良さそうなものなのだが、港町である東部自治区、そして首都である王都アサシナの両方から離れていることが発展しない理由なのだろう。
 ただ、この地方で祝福を与えられる場所が他にないため、人々はここへ来る他はない。それがイライを有名にしている由縁である。もっとも神官から来てもらうこともできるのだが、一人しかいない神官を出張させることになるので、その場合は高額の依頼料が発生することになる。結局、生まれたばかりの子供をこのイライまで連れてくるしかない、ということになる。
 そして昨年末、この神殿が開放されることとなった。しかもその神殿では村一番の器量よしと呼ばれていた女性が結婚式を行う予定だった。
 彼が村を訪れたのは、まさにその結婚式が行われる当日だった。






 八〇五年、十二月。
 名前のなかった彼は、この一年間を彷徨い続けていた。
 自分が何者なのかも分からない。ただ、生き延びる知恵だけは多分にあった。
 ゲ神との戦い方。金を稼ぐ方法。どういう状態であれ、生きるのに困ることだけはないと思っていた。
 イライの村にやってきたのは、自分の歩いていた先にたまたま村があるのを見つけたからだ。
 ザの神殿が開放されているというのも到着して初めて知ったくらいなのだから、どれだけの偶然だろうか。
 だが、村は騒然としていて、何が起こっているのやら全く分からなかった。初めてその村に入ったとき、あまりのものものしさに驚いたほどだ。
 何があったのかと尋ねると、村の男が答えた。
「結婚式の新郎が、いなくなったんだよ!」
 それはまた、すごいことが起こったものだと単純に思った。
 結婚式当日にいなくなる。その理由として考えられるのはいくつかあるが、このような小さな村では結婚詐欺などということもないだろう。だとしたら、よほどの事情があったに違いない。
 いずれにしてもそうすると結婚式は中止だ。せっかく十年に一度開かれる神殿で結婚式が挙げられるというのに。もったいないことだと思う。
 まあ、自分には関係のないことだ。憤慨している新婦の両親を尻目に、彼は開放されているイライ神殿へと入っていった。
 神殿の中は結婚式の飾りつけがされているが、それでも質素な感じが拭いきれない。地方の神殿というのはこういうものなのかもしれない。
「失礼」
 彼が尋ね入ると、そこには一人所在なさげにしている神官の姿があった。
「ああ、参拝客の方ですね」
 自分に気付いた神官は奥の祭壇へと案内する。
「何か、大変なことがあったそうだな」
「お聞きになっておりましたか。そうでしょうね」
 ザの神の神体。それを披露することができる唯一の日。十年に一度だけ開かれるザの神殿で行われるはずだった結婚式。
 各地からの参拝客は全員がその結婚式に出席し、神体を拝むことになっていた。
 それが全て、かなわなくなってしまったのだ。
「新郎がいなくなったということだが」
「はい。昨夜、私のところに大事な相談があるようなことを言ってきたのですが、私も浮かれていて……もっと彼の話をしっかりと聞くべきでした」
 その神官の言葉に、一つ違和感を覚えた。
「そのとき突然、新郎が言い出したのか?」
「え? ええ、それまでは何も変わるところはなかったように見えましたが……」
 ということは、昨日の段階で新郎に何か問題が起こったということなのだろう。
(まあ、俺が考えても仕方のないことだ)
 どうにしろ、新郎が帰ってこないのなら結婚式は中止だ。
 俺は導かれるままに結婚式の会場となるはずだった神体のある祭壇へと足を踏み入れる。
「これが、ザの神体」
 巨大な一本の柱。神の御霊がそこにある。
 その神体が目に入った瞬間、彼の意識は暗黒の闇の中に閉ざされた。
「お前がザ神か?」
 その暗闇の中に浮かぶ光。それが何か作り物のカラクリのように見える。
『よく来た』
 ザ神は冷たい声をかけてくる。警戒されている、と感じる。
『ここに来た理由は分かっている。失われた過去を取り戻すためなのだろう』
「さすがだな」
 だからこそザ神なのだろうか。
 自分には一年より前の記憶がない。どこで何をしていたのか。そして自分が何者なのか。そうした自分に関する情報が全くない。
 自分を知っている者がいないかどうか探すために、色々な街や村を巡ってきたが、自分を知っている者はどこにもいなかった。
 あとは残っているのは王都アサシナくらいのものなのだが。
「俺は何者だ。俺が記憶を失ったのは何故なんだ」
『その問に答えることはできない。だが、記憶を取り戻したいのならば、北へ向かえ』
「北に行けば記憶は戻せるのか?」
『現状では無理だ。だが、時を隔てれば可能かもしれん』
「……どういうことだ」
 暗闇の中で尋ねるが、ザ神は答えない。それ以上話すことはない、ということだろうか。
『少年よ。そのままでは不便だろう。レオン、と名乗るがよい』
「レオン?」
『そしてお前に力を与えよう。さしあたっては、それで充分だ。もし歴史の表側を歩む人間が誤った選択をした場合、北の地でお前は自らの歩む道が開けるだろう』
「どういう意味だ」
『いずれ分かる。全ては歴史のみが知る。今の段階ではお前にこれ以上の知識を与えることはできない。北の地で、己が運命を見極めるがよい』
 そして、暗黒が取り払われ、意識が再び神殿に戻ってくる。
 今のは何だったというのだろう。ただ、隣にいた神官が「どうかなさいましたか」と何もなかったかのように尋ねてきたので、今の経験はどうやら自分だけに起こったことで、それもきわめてわずかな時間だったことが分かる。
「いや。それより、このイライから北へ向かうとどこに着くだろうか」
「ここから北ですか? まあ、小さい村ならいくつもありますが、やはり王都アサシナになるでしょう。それより北に行くとガラマニアに着きますが」
「王都か」
 どのみち行くつもりだったので、それならば好都合だ。進路を変える必要がないのは助かる。
 このまま数日、この村に滞在してから北へ向かう。それで問題はないだろう。
「ところで、あなたの名前は何とおっしゃったのですか」
 そこでようやく神官から質問がきた。
「ああ、レオン、というらしい」
 だが、その質問は彼にとってはどうでもいいことでもあった。







第十七話

イライの真実







 そんなことがあったのは今から一ヶ月前のことだった。
 あのときはまだ自分がこの先どうなるかなんて考えようともしなかった。ただ自分の過去を何となく探して、それで満足していた。いや、ただ惰性で生きていた。
 今は少し違ってきている。
 自分が生きることに何か意味がある。それを果たすために生きるという気持ちは自分にはない。そうではなく、自分に何を課せられているのか、それを発見するのが面白そうだという感覚だ。
 せっかく不思議な運命を与えられたのなら、この運命の持ち主、この体の人格、すなわち自分はいったいどういう存在なのかを見つける作業が、今までの退屈な作業よりずっと楽しいのだ。
 ただ、生きていくことについて積極的でないのは今更のことだ。もともと自分は生きることに執着しているわけではない。ただ記憶を失っているようだから見つける、ただ面白そうだから探してみる、その程度でしかない。
 イライに戻ってきたのはさほど大きな理由はない。アサシナでザ神にイライに寄るように言われたからそうしただけのことだ。自分としては早くドルークのザ神殿に行きたい。
 とはいえ、わざわざイライに寄れと言ったからには何か他に理由があるのだろう。ザ神の言いつけに背いてもいいことはなさそうだ。それに、自分に関係することが何かまた分かるかもしれない。
 そのついでに一つ、気になることがあったからそれを解決しておくのもいい。
「けっこう小さな村だね。ザ神殿があるっていうからもっと大きいかと思ってたよ」
 一緒に行動しているバーキュレアが言う。確かに自分も最初に来たときはそう思った。神殿の村という認知度が、村の規模を誇大に思わせたのだろう。
「それに、何か村の様子が変だね」
「ああ。どことなく落ち着きがない。あれから一ヶ月も経っているのにな」
「あれから?」
 そういえばバーキュレアはここで起こった事件を知らないのだ。
「ああ。神殿が開放される日に行う予定だった結婚式が中止になった」
「なんでまた」
「新郎が行方不明になったそうだ」
 それを聞いたバーキュレアが「ふうん」と気のない返事をする。
「確かに一ヶ月前にそんなことがあったっていうんなら、もう落ち着いていてもいいころだね。ただ、この村の慌しさを見ると、何か事件が起こったのもここ数日って感じがするよ」
 結局、誰かに聞いてみた方が早い、ということになった。そうして二人は一番事情が分かっているだろう神殿にやってきた。
「失礼」
 堂々と正面から入ると、あのときの神官が驚いたようにこちらを振り返った。
「あ、ああ、旅の方ですか。ようこそ──おや」
 神官はしばらくレオンを見てからふと思い出したように微笑む。
「確かあなたは、レオンさん、でしたね」
「覚えていたのか」
「まあこの村だと、外から来る人のことはやはりよく覚えているものですから。特にあの結婚式の日のことですからね。よく覚えています」
 大きな事件があった日のことだけに、余計に印象に残ってしまったということなのだろう。まあ、相手が自分を知っててくれた方が話は早い。
「単刀直入に聞くが、村人の様子が慌しい。何かあのあとまたあったのか?」
「ええ、まあ。いろいろとありましたが」
「差し支えなければ聞いてもいいだろうか」
「あまり広めていい話でもないのですが……」
 神官は少し考えてから答えた。
「実は、新婦もいなくなったのです」
「なに?」
 新郎に続いて新婦までが。
「行方不明ということか」
「いえ、どうやら新郎を探しに村を飛び出したようなのです」
「なるほど」
 それなら話は分かる。直情的な娘ならばやりかねないことだ。
「だが、この辺りはゲ神の活動も活発だ。危険が大きいだろう」
「ええ。ですからここ一週間、村人が総出で探したのですが見つからず、結局諦めることになりました」
「それで慌しかったのか」
「はい。そのおかげで私も一つ、罪を犯してしまいました」
 神官がうなだれて言う。
「罪?」
「ええ。今回の結婚式のごたごたで、一人祝福を授けに行かなければならない幼子がいたのですが、半日遅れてしまったのです。結果、幼子は助からず、亡くなってしまいました」
 この世界では、神の祝福なしに生きることはできない。
 だからこそ人々はザ神と共存している。ザ神の祝福を与えることができるのは神官だけ。だから神官はあちこちの村を回るのではなく、神殿のある場所に滞在することになる。そして臨月が近くなると、神殿のある町へ移動して子供を産み、祝福をもらう。それが一般的だ。
 だが、そうすることができない場合はどうするか。お金はかかるが神官に来てもらうこともできる。祝福を与えるための道具などが高価なため、金額は一ヶ月の滞在費をはるかに上回ることになる。
「親はどうしたんだ?」
「母親はなくなりました。父親にはひどくなじられましたが、その後、どうしているかは知りません」
 さすがにそれは神官のできる限界を超えている。この世界ではよくあることだし、神殿がそうしたところまで手を回していてはキリがない。
「その話はわかった。それより、もう一度祭壇に入らせてもらいたいんだが」
「それはできません。今は開放されていませんから」
 顔をしかめる。知りたいことが山ほどある中、ここまで来て引き返すのは非常に馬鹿げたことだ。今すぐザ神と話をしたいのだが。
「この神殿は、なぜ十年に一度しか開かれないんだ?」
 神官は少し言葉に詰まったが、考えてからやがて答えた。
「それは、一つの言い伝えがあるからです」
「言い伝え?」
「はい。『十年の時を経て、この神殿に訪れる者。この世界を救う救世主なり』。この言い伝えに従って、我々は十年の間は神殿を閉じ、再び訪れる人物を探しているのです」
「なるほど。では、俺が十年後にまた来たときは、俺が救世主だという可能性もあるわけか」
 おそらくそういうことなのだろう。ザ神が自分に与えた運命がそれくらい大きなものであっても驚きはしない。
「そうですね。十年後をぜひお待ちしております」
「ちなみに二度訪れたことがある人間は今までいなかったのか?」
「いえ、もちろんいますよ。ただ、救世主と呼べるだけの実績を残した方はおりませんね」
 微笑みながら神官は答えた。
「話はわかった」
 レオンは振り返って言った。
「また、来る」
「はい。お待ちしております」
 そうしてバーキュレアと共に神殿を出る。その相棒は何故か自分を見てにやにやと笑っていた。
「何だ?」
「いや。アンタが本気で救世主ごっこをするつもりなのかどうか知りたくなってね」
「ごっこ?」
「そうだろう? アンタ、また十年後に来るつもりなんだろう? 救世主ごっこじゃないか」
 なるほど、遊びか。自分が確かに救世主などという大それたものであるという自覚は全くない。だが、そうだと信じて『遊んでみる』のは一興だ。
「そうだな。お前の言う通りだ。ではあと十年、救世主になったつもりで遊んでみることにしよう」
「オーケイ。じゃ、次はどうするんだい?」
「決まっている。南だ」
 ここからさらに南。
 そこに、東部自治区が存在する。







イライ事件の裏を見た二人は、さらに東部自治区を訪れる。
東部自治区事変。その歴史を知らない二人は、この事件とどう向き合うのか。
歴史の裏側を渡り歩く二人が、大陸の歴史を塗り替えていく。
彼らを待ち受けている事実とは、いったい──

「つまらないことは、さっさと終わらせておくに限る」

次回、第十八話。

『機械天使』







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