東部自治区はアサシナ王国の一地方である。
八〇三年から八〇四年にかけて三国同盟軍がアサシナに攻め込んできたときも、東部自治区はアサシナの一地方として援軍を送り、ガラマニアを背後からおびやかしていた。
もともとこの地方が自治権を持ったのは七五〇年頃のこと。大河を隔てたこの地方で独立運動が自然展開された。後に初代自治区長となる人物が、本国アサシナと住民たちとのパイプ役となり、自治権を手にするという形で事なきをすませた。
それから五十年。
東部自治区はこれまで大きな戦乱に巻き込まれることもなく、連絡船ユクモを使ったドルークとの交易、そして本国アサシナとの交易によって栄えてきた。
グラン大陸で最も活気ある町。それが、この東部自治区である。
「やれやれ、いつ来てもここはにぎやかだね」
バーキュレアが疲れたように言う。ひっきりなしに馬車や人が往来を過ぎる。確かに王都アサシナですらこれほどの喧騒は見られない。
「来たことがあるのか?」
「行ったことがないのはドルークくらいだね。ま、ここは戦乱とは無縁だから来る必要もないし。これで三回目になるかな」
「何をしに?」
「仕事。東部自治区のゲ神たちは強いからね。護衛とかいろいろ仕事があるのさ。まあ、たいした額にもならないからあんまりこっち方面の仕事は受けないんだけど」
「戦乱と無縁か。確かに治安は良さそうだ」
建物や道路が傷んでいない。それに人々の暮らしぶりが裕福だ。アサシナですら八〇四年の戦争で外壁が傷んでいるのだ。そうした戦争の爪あとが見られないせいもあって、活気が衰えないのだろう。
「ま、ここが戦乱に無縁なのは理由があるのさ」
「理由?」
「ああ──ほら、あれ」
バーキュレアが指した先には、高さ五十センチほどの機械天使が動いていた。
「あの天使たちがこの町の治安を支えている。天使がいる限りこの町は大丈夫。そんなザ天使信仰の強い町なのさ」
「ザの天使か」
瞬間。
彼の目に、別の光景が浮かぶ。
(なん、だ?)
焼ける町。逃げる人。
それを追いかける、天使。
次の瞬間、現実の光景が戻ってくる。
何があったのか分からず、まずは周囲を確認する。
(今のは何だ?)
天使は普通に治安を監視し、人々は笑顔で行きかう。
だが、今の映像は、あまりにリアルだった。ほんの一瞬だったにしても。
「どうした?」
「いや、不思議なものを見た」
「不思議?」
「ああ。あの天使たちが暴走して人々を襲う映像だ」
それを聞いてバーキュレアも顔をしかめる。
「そういうことが起こるのかい?」
「俺が知るか。ただ、見えたものは見えた。事実を言っているだけだ」
「ふうん。気になるなら調べてみるかい」
にやりと笑って彼女が言う。
「何をだ?」
「天使についてさ。だって、本当に天使が暴走するなら、止めないといけないだろ。救世主ごっこをいている立場となれば」
「──ああ」
頷いたように見えた彼の仕草は、決してそうではなかった。
「すっかり忘れていた」
「だと思ったよ」
彼女は笑うと足を領主屋敷の方へと向けた。
「さ、行くよ。あんたの取り越し苦労ならそれに越したことはないからね」
「そうだな」
頷いて少年は彼女のあとについていく。
「つまらないことは、さっさと終わらせておくに限る」
そうして二人が向かった領主屋敷には、ザの天使がたくさんいた。
そして現在の自治区長ザーニャはたった一人でこの領主屋敷を運営していた。何でも雑用は全てザの天使がしてくれるので、人を雇う必要がないのだそうだ。
「あらあらあら」
客が来たということでザーニャが身軽そうな服装で登場した。
「まあまあまあ。領主屋敷へようこそ、傭兵さん」
「久しぶりだね、ザーニャ。ちょっとよらせてもらったよ」
「ええ、ええ。あなたは変わらないのね、バーキュレア」
「一年やそこらで変わるはずがないだろ?」
突然始まった親しげな会話に疎外感を覚える。
「レオン。こいつは今の自治区長のザーニャ。仕事でここに来たことがあるって言ったろ? そのときの雇い主がこいつ」
「こいつ、っていうのは雇い主に対して失礼だと思うけど」
ザーニャが困ったように笑う。なかなかとぼけた人物だ。
「仕事で一回来たときにこいつの依頼を受けて、アサシナまで連れていったんだ。そこでおさらばかと思ったらここまで送り返さなきゃいけなくなったってことで、おかげでアサシナ、東部自治区間を二往復もすることになったのさ」
「ああ、なるほど。だからこの町に来るのは三回目ってことか」
「そういうこと」
人の縁というものは不思議なものだ。この分だとバーキュレアという人物がいったいどの国の誰と交友があるのか。行く先々で助けられそうだ。
「それで、今日はどうしたのかしら」
「あんたにちょっと聞きたいことがあってね」
「聞きたいこと?」
「ああ。こいつ、今のあたしの連れでレオンっていうんだけどさ」
「ふうん」
ザーニャがじっとレオンを見つめてから微笑する。
「あなた、年下趣味だったのね」
「はっ倒すよザーニャ。それはともかく、こいつが白昼夢を見てね」
「白昼夢?」
「ああ。この町の天使たちが暴走する。そうなる可能性ってのはあるかい?」
「ないわね」
一言で切り捨てた。
「どうしてだい?」
「だって、全てのザ天使は私が制御しているもの」
「どうやって?」
「企業秘密」
「誰にも言わないよ。それに、あんたが秘密にすることでもし暴走したらどうするんだい?」
少しザーニャは考えてから「仕方ないわね」と答えた。
「天使を制御するには道具がいるの。天使の鈴っていうんだけど、それを私が持っている限り大丈夫」
「それが盗まれたなら?」
レオンが鋭く尋ねる。するとザーニャは少し困ったような顔をした。
「制御できなくなるわね」
「つまり、暴走すると」
「そう……いうことになるわね」
なるほど、と頷く。それなら分かりやすい。誰かは知らないが、要するに彼女から天使の鈴とやらを奪う人間がいるということなのだ。
第十八話
機械天使
領主屋敷を出た二人は港へ向かった。
連絡船ユクモが次に来るのはいつなのか、それを調べるためだ。
「まだ随分と日があるね。数日は足止めかな」
「急ぐ旅でもない。天使暴走の件もあるし、のんびりいくさ」
少年レオンはその年齢に似つかわしくない堂々とした態度で言う。
「いつ誰がどうやって盗み出すかも分からないものをどうにかするっていうのかい?」
少なくともバーキュレアにしてみれば自分たちにできることは終わった、と思っている。当然といえば当然だ。天使が本当に暴走するかどうかも分からない。そしてザーニャに『盗まれないように』という警告までした。それ以上関われば、この東部自治区から身動きが取れなくなる。
「そんなに長くかかりはしないだろう」
だがレオンは断言した。そこまで言い切れる背景に何があるのかは分からないが「ま、あんたがそう言うならつきあうけどさ」とバーキュレアは肩を竦めた。
そうして宿を求めて移動した、その場所でのことだった。
入った瞬間に、先ほどと同じ現象が起こった。
(なんだ?)
何かが、見える。
この建物がどうかというわけではない。この建物の中にいる、誰かが──
辺りを見回して、食堂で食事をしている男が目に入る。あまり量を食べているようではない。どことなく雰囲気が暗い。
その、男に。
(これは)
見える。
男が、深夜、領主屋敷に忍び込む映像が。
そして天使の鈴を奪い、翌日、天使たちを暴走させる映像が。
「見つけた」
現実に戻ってきたレオンはその男に近づき、目の前の椅子に座った。男が訝しげにレオンを見る。
「一つ聞きたい」
「な、なんだ」
男は明らかに動揺している。見ず知らずの少年が突然このように尋ねてきたら、確かに動揺するだろう。
「天使の鈴を盗もうとしているのは何故だ」
いきなり言い当てられた男は驚いて立ち上がろうとしたが、後ろから「動くんじゃないよ」と鋭く制止される声がかかると、仕方なく座りなおした。
「な、なんなんだ、お前たちは」
小さな声で訴える男。だが、その質問には答えられない。何しろ自分ですら自分のことを知らないのだから。
「質問しているのはこちらだ。答えろ。ザの天使を暴走させてどうしたいんだ?」
この辺りがバーキュレアの言う『救世主ごっこ』なのかもしれない。
この男が犯人だというのなら有無を言わさず捕まえてザーニャに突き出して終了、でかまわないのだ。
ただ、気になった。
何故天使を暴走させようとしているのか。
目の前の男はどこにでもいるような普通の青年だ。それが自分の人生をかけて盗みをはたらき、この町を崩壊させようとしている。
何が彼をそうさせているのか。
「俺をどうするつもりだ」
「話の分からない奴だな。質問をしているのはこっちだ」
相手がきちんと答えないのは、自分が少年の姿だからだろうか。そればかりはどうにもならないことではあるが。
「ザの天使を暴走させてどうしたいんだ?」
「ざ、ザ神は……」
男は度胸が据わったのか、睨みつけるようにして話し始める。
「制御できなければいつ暴走するか分からない危険なものだ。人間はザ神の危険性が分かっていない」
「制御ができれば問題ないわけだろう? そもそもお前にはザ神に対する個人的な恨みがあるように見える」
「何故」
「俺はザの天使と言った。お前はザ神と答えた。天使がどうこういう以前に、お前はザ神に対する特殊な考えがある」
言い当てられて男は口をつぐむ。
「暴走したザ神に恋人でも殺されたのか?」
「恋人じゃない」
男は首を振った。
「妻と、子だ」
「ほう」
「それも天使にじゃない。生まれたばかりの子供が祝福をもらえなかったから、子供が死んだ。妻は出産のときの疲労と、子供を亡くしたショックとで倒れて、死んだ」
それを聞いてレオンはバーキュレアと視線を交わした。どこかで聞いた話だ。それもごく最近。
「イライの神官が助けられなかった母子とは、お前のことか」
「知っているのか!?」
腰を浮かせかける。だが男の後ろにいたバーキュレアがナイフを首筋に当てていたので身動きが取れない。
「神官から話を聞いた。夫の方はその後行方不明ということだったが……こんなところにいたとはな。ザ神に対する復讐計画を立てていたというところか。天使の鈴という目のつけどころは良かったが、そもそも目的も手段も間違っている」
「なに?」
「お前は何に対して復讐をしたいんだ?」
男が詰まる。
「お前はザ神の祝福をもらえなかったことに対して恨みを募らせたのだろう。だからザ神と人々を切り離そうと考えた」
「その通りだ」
「だが、それではお前の復讐は果たせない。何故なら、お前の妻子を殺したのはザ神ではない。イライの神官だからだ」
「……!」
「所詮システムなど人間が効率よく使えるかどうかの問題であって、少し悪いところがあるからこのシステムは駄目だ、などと言っていたらいつまでも効率の良いものは手に入らない。悪いところは改善していかなければな」
「だが、ザ神は危険ではないのか!」
「その根拠がない。ザ神が危険というのは──」
そのとき、今日三度目の『映像』が流れ込んできた。
「──真実かもしれないが、それは制御するしないの問題ではない」
「では、何が!」
「そもそもザの天使が暴走する、しないということがお前の妻子にどう関係する?」
「全てはザ神が問題ではないか!」
「違うな。ザ神のシステムはこの大陸で人が生きていくのを保護するものだ。確かにザ神が駄目ならばゲ神がいる。ゲ神だけで人は生きていけないこともない。祝福という儀式がない分、安全で確実だ」
「ならば!」
「目的がザ神信仰の人離れというなら手段は間違いだ。お前がやっているのは剣で人を殺して、剣は危ない道具だと主張するようなものだ。ザ神システムにのっかって生きている人間にその理屈は通用しない」
「だが!」
「そして目的が間違っている。ザ神かゲ神か、という二者択一で考えているから視野がせまくなる。ザ神もゲ神も、と選択肢を増やすことの方が大切だ」
「……!」
男が完全に沈黙する。
「ザ神の祝福システムだけで全ての人をカバーしきれないのは分かりきっていることだ。ならばザ神とゲ神の両方が等しく存在する世界であればいい。その方が混乱もないだろう」
「ゲ神信者が迫害されているこの状況下でもか」
「この状況下だからこそ、だ。この大陸はこれから混乱が増していく。そのときにザ神だのゲ神だの、くだらない争いで人々を死なせてどうする!」
男は目を見開く。そして、ゆっくりとため息をついた。
「……確かに、お前さんの言う通りかもな」
男は乾いた喉を潤そうと、コップの水を飲む。
直後。
「ぐっ!?」
男が血を吐く。
「どうした?」
「う、うぅっ……」
そのまま、テーブルに倒れた。
「……死んだね。即効性の毒だ」
バーキュレアが呟く。
「どうして」
「余計なことを話されると困るからですよ」
言葉はレオンの背後から聞こえた。振り返るとそこには黒いローブの男が立っている。
「何者だ?」
「私はケイン。その男に天使の鈴のことを教えてやったのは私だ」
物騒な発言に二人とも警戒を見せる。
「やれやれ。あの男だけでも厄介なものを、このような『イレギュラー』までいるとは」
「俺を知っているのか」
「知っている。そして未来において、いつか戦いあうこともな」
「今すぐにというわけではないのか」
「十年後。八一六年まで、私は戦うことを禁じられている。だからそれまでは歴史の裏で暗躍させてもらうとするよ」
「歴史の裏側」
レオンが顔をしかめる。
「そうか。お前が歴史の裏にいる存在か。つまり、俺の敵」
「私は遠慮したいが」
ケインは鼻で笑った。
「私はこの世界にいくつもの計略をばらまいた。どれが芽吹くかは分からぬが、お前がそれを止められると思うのなら、止めてみるがいい」
言い残すと、ケインは入口から出ていく。
「なんだったんだい、今のは」
「さあな。『救世主』に敵対する悪い奴の『宣戦布告』ってところか。それにしても八一六年。随分と先の話をする」
十年後。自分はイライの神殿に再び向かう。そして今の男ともう一度戦う。
(誰が用意したシナリオか知らないが、やれるだけのことはやらせてもらう)
レオンはそう言ってから、もはや動かない男の頭を一つ撫でた。
「ザーニャに連絡しよう。カタがついた、と」
二人は連絡船ユクモに乗り、陸の孤島を目指す。
ドルークの神殿で出会う女性は彼にさらなる未来を提示した。
ザ神の三つ目の力。そして、ザ神の神託。
彼の目に、未来はどう映っているのか。
「世界の危機、見過ごすわけにはいきません」
次回、第十九話。
『裏にある危機』
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