ドルークは陸の孤島である。アサシナから確かに陸続きなのだが、その間にはびこる『緑の海』が行く手を阻む。その大森林の中には暴走した機械、すなわち堕天使たちが活動している。
東部自治区方面からは生の海で遮られているため、船を使わなければ移動することはできない。この生の海を行き来する船が連絡船ユクモである。この生の海を移動する船はユクモただ一つである。
ドルークのような辺境に人がいるのは銀が取れるせいである。西のマナミガルとの間にそびえる山脈は銀の産出地である。人々はそこで銀を掘り、本国のアサシナに売る。
もちろんその仲介をしているのが東部自治区であり、その自治区長であるザーニャだ。
「ユクモがなくなったら自治区は運営できるのかね」
ユクモに乗った二人は船室でそんなことを話し合う。
「繁栄しなくてもいいんなら問題はないだろう。天使たちが東部自治区を守る。アサシナ本国が自治区を制圧するのは難しい」
「それだけの力があるっていうのかい?」
「ザーニャの自信は天使の力を知っていることの裏返しだ。自治区長としてはそれでいいのだろうが、本国からは睨まれる立場だろうな」
「だろうね。護衛で彼女をアサシナに連れていったときも、どちらかといえば旅の途中より王都に入ってからの方がピリピリしてたよ」
「まあ、俺には関係ない話だがな」
本当にどうでもいいというようにレオンが言う。
「まったく、だからアンタって奴は面白いね」
「そうか」
その軽口を受け止めるでも受け流すでもない。レオンは単に頷いて立ち上がる。
「どこに行くんだい?」
「船の中を見て回る。お前も来るか?」
「年下に指図されるのはつまらないけどね。つきあってやるよ」
バーキュレアも立ち上がって彼の後をついてきた。
特別何かということはない。ただ、この船がどういう構造になっているのかを少し知っておきたかっただけだ。
(もし沈むとしたら、救命ボートとかはどこにある?)
ユクモは約千人乗り込むことができる大型船だ。それと同じだけの救命ボートがなければならない。だが、甲板にはそれらしきものが存在しない。
(外側か)
船の外側にくくりつけられるようにして木製のボートがある。生の海はそれほど大きな海ではない。ボートでも長く漂流するようなことはない。数日分の食料と水、釣具、救命胴衣などが詰まれていればそれで十分だ。
ただ、乗客分のボートがあるのかどうかは気になるところだ。
「おい」
近くの船員を呼び止める。
「なんすか」
「救命ボートはこれで足りるのか」
「そうっすね、もし満員の状態でむとしたら足りないっす」
平気でそんなことを言う。
「何人を収容できるんだ?」
「ボートは一隻二十名までっす。全部で三十隻なんで、六百人までが収容可能っす」
「乗客は何人いるんだ?」
「一応千人は乗れるんすけど、いつもはだいたい四〜五百人ってとこっす。だからこれで十分足りるっすよ」
「そうか」
その瞬間だった。
(──またか)
見える。
倒れている女性。
機関部の爆発。
海に沈む船。
逃げていくボート。
そして、海の上に投げ出された多くの人間たち。
(いったい、俺の体はどうしたっていうんだ?)
それはユクモが沈没する映像。何故そんな映像が浮かぶのかは分からない。だが、今の映像では明らかにボートの数が足りないという結果が表れている。
(これが始まったのは、イライ神殿にもう一回行ったときからか)
東部自治区の混乱。そしてユクモの沈没。
自分はどうして、そんな不吉な映像ばかりを思い浮かべるのだろう。
「どうした、レオン?」
バーキュレアが心配になって尋ねてくる。
「いや」
だが、前回の東部自治区のことを考えれば、今の映像は今日、明日の話というわけではない。原因を突き止めてしまえば事件すらおきずに終わるのだろう。
(何故、ユクモは沈む?)
今の映像の最初。確かに誰かの、女性の姿があった。
(ユクモごと、その女性を殺そうとしたということか?)
水色の髪が赤い血で濡れていた。いや、あれは赤いヘアバンドか。ただ、確かに血は流れていた。それも大量にだ。
「水色の髪の女性を探す」
「は?」
「狙われているらしい。乗客リストを確認しにいく」
「ちょっとレオン」
やれやれ、とバーキュレアがため息をつく。
「説明しな。もしかしてアンタ、また、見えたのかい?」
勘が鋭い。いや、自分と一緒にいればそれくらいは予想がつくのか。
「そんなところだ」
「それにしても水色の髪か。ドルークのリザーラも確かそんな色だったはずだけど」
「リザーラ?」
「ああ。ドルークの神殿の神官さ。赤いヘアバンドをしてる、若い女って話だけど」
「赤いヘアバンド?」
その単語に、自分の映像を思い浮かべる。
「何、まさかして的中かい?」
「おそらくはな。神官だというのなら狙われるのも分かる。ゲ神信者からしてみれば格好のテロの対象だろう」
「でも、この船にリザーラは乗っていないよ。ドルークにいるはずだからね」
なるほど。だとしたら今の映像はこの航海のものではない、ということか。
「リザーラか。会ってみる必要があるな」
なんとなく神殿に行かなければならないと思っていたのだが、明確な目標ができた。
(もしもリザーラが狙われた結果ユクモが沈没するというのなら、リザーラをユクモに乗せなければいい)
考えが決まれば、あとは行動あるのみだ。
第十九話
裏にある危機
無事にドルークへ着いた二人は早速神殿へと向かった。
神殿そのものにも用事はあるのだが、リザーラという人物が気にかかる。何しろ『破滅の映像』に現れる人物そのものなのだから。
ドルークの神殿は村の一番奥に存在した。二人は何も言わずその神殿に入る。
「ようこそ、神殿へ」
神殿の奥で祈りを捧げていた女性が立ち上がり、二人の下へ近づいてくる。
この女性こそがリザーラ。ドルークの神殿を預かる副神官。
「今日はどのような用事ですか?」
「お前に会いに来た、リザーラ」
「私ですか?」
リザーラは目を瞬かせる。
「そうだ。ドルークの神官。お前の知識が欲しい」
「知識と申しますと、どのような」
「このドルークの神殿にザの天使がいると聞いた。そいつに会いたい」
リザーラの目が驚愕で見開かれる。
「ザの天使……ですか。それは機械天使ということでしょうか」
「俺が知るか。ザの神に言われてきただけだ。それ以上のことは知らん」
「ザの神に? あなたはいったい……」
リザーラはどうしていいか分からないという様子だったが、それでも少し悩んでから神殿のさらに奥へと案内した。
「こちらへどうぞ」
「ザの神体があるのか?」
「はい。私には判断ができません。直接神体にお伺いするのがよろしいかと」
「そうだな。どのみち神体には用事があった」
ドルークで三つ目の力を手に入れる。既にイライ、アサシナと手に入れてきた。ドルークが三つ目だ。
そしてイライの神殿とほとんど変わらない祭壇に着く。その神体に近づいて右手で触れた。
「着いたぞ、ザ神。さあ、いろいろと教えてもらおうか」
神体が光り輝く。
「こ、これは」
リザーラが目を疑う。バーキュレアはこれが二度目なのでただ黙って見ていた。
「ザ神。約束どおり来た。俺に力を寄越せ」
『不躾に言うのですね。少々驚きました。はじめまして、レオン』
(はじめまして?)
レオンは不思議に思ってさらに尋ねた。
「お前、イライやアサシナで会った奴とは別物か」
『はい。というより、イライもアサシナも、全て別ですよ。我々ザ神はもともと五柱の神。あなたがイライで会ったものも、アサシナで会ったものも、全て違う存在です』
「俺からしてみれば神なんかどれも変わらん」
『我々からしてみると、人間もさほど変わりがあるようには見えません』
「なるほど、道理だ」
なかなか面白いことを言う神だ。レオンは不遜に笑う。
「それで、お前たちが俺にさせようとしていることはいったい何なんだ」
『アサシナのザ神が言ったでしょう。歴史の裏側を見てもらう、と。さしあたっては八〇九年。そのときあなたは、今まで誰も知りえなかった真実を、歴史の裏側を見なければなりません』
「どうすればいい?」
『八〇九年。王都の移転が終わります。西域へ赴き、そこで真実を見てください』
「それまでは?」
『あなたのお好きなように。マナミガルでもジュザリアでも、好きなようになさってかまいません。ただ、あなたが動きやすいように三つ目の力を今のうちに授けておきます』
するとザ神の神体の輝きが増し、あの二つ目の力を手に入れたときのように『何か』が自分の中に入り込んできた。
「ザ神」
『はい』
「最近、俺はおかしな映像を見る。破滅につながる映像だ。あれはいったい何だ?」
『それは、歴史のもう一つの可能性です』
「可能性?」
『はい。未来は変えられます。あなたが見た映像は、本来起こるはずの映像です。ただ、あなたのおかげでその未来は変化しています。東部自治区事変はもう起こりません。ユクモの沈没も防ぐことができるでしょう』
「何故、そんな力を俺に?」
『歴史の表を進む者には協力者がいますが、裏を進むあなたには未来を見ることができません。我々があなたに見せる映像は防いでほしい未来だけ。あなたはその未来を防ぐために行動してくれればいいのです』
「ということは、最終的には『あの』映像を食い止めればいいということか」
『そうです』
そう。自分が見た映像の中で、最大最悪のもの。
東部自治区で見た『三つ目』の映像だ。
アサシナ地下に蓄えられたエネルギーの暴走が、地上の都市を破壊し、そのまま大陸を引き裂く。そして、全てが崩壊し、大陸は海の底へと沈む。そんな、破滅の未来。
『八二五年。それが破滅の年です』
「破滅の年か。それまでに俺がしなければならないことは?」
『未来を変えるのはあなたと、そして歴史の表を歩む者。二人が協力することによって成し遂げられるでしょう。あなたはただ、歴史の裏側を見てください。その歴史の積み重ねが必ずや、全ての物語に終止符を打つでしょう』
「八〇九年の西域か」
どうやらザ神はこれ以上を答えてくれるつもりはないようだ。ならば、自分ができることをするだけだ。
「最後の神殿とやらはどこにある?」
『それは我々にもわかりません。彼は私たちとの交信を完全に断っていますから』
「分かった。ではこちらで探してみる」
『よろしくお願いします、レオン。あなただけが頼りです』
そして、光が消える。
全ての事象が分かったわけではないが、八二五年までの間に全ての謎は解けるのだろう。
ザ神が言っていた通り、このグラン大陸の謎は旅の中で全て解けるようになっている。それを信じて進むだけだ。
「待たせたな、レア」
「たいしたことないさ。それよりこれからどうするんだい?」
どうしようかと考えていると、神官リザーラが近づいてくる。
「ザ神は、あなたに全てを託したのですね」
「何を託されたのかは知らんが、ザ神の言う通りに動いているのは確かだ」
「グラン大陸の滅亡を、救ってくださるのですね?」
「知らん。俺の記憶を取り戻す中で、救えるものなら救うつもりではいるが」
「そうですか」
嬉しそうにリザーラが頷いた。
「私があなたの探していた、ザの天使です」
「……何?」
「私は機械天使です。アサシナのアルルーナと同じ、人型の天使なんです」
「人型天使か。アルルーナよりもずっと人間らしいな」
「はい。彼女は私の友人ですが、彼女は機械と接続されていますから」
「それで、お前は俺に何をしてくれるんだ?」
「協力を」
「協力?」
「はい。世界の危機、見過ごすわけにはいきません。ちょうど今、ドルークには本国から祝福を授けることのできる神官が来ていて、私がこのドルークを離れても大丈夫です。世界を救うために、是非ご同行を認めてください」
「俺はかまわんが」
少し考えてからバーキュレアを振り返る。
「ユクモの件、考えなければな」
「ああ、アンタにしてはよく覚えてたね」
バーキュレアは楽しそうに笑っている。
「何か考えがあるのか?」
「もちろんさ。アタシとアンタ、それに神官リザーラ。これだけいれば、緑の海を越えるのは無理じゃないだろ?」
緑の海。壊れた天使たちのいる別名『天使の墓場』。
「なるほどな。よし、それでいこう」
そうしてレオンは、ザ神の三つの力を手に入れた。
表と裏は連動する。
ウィルザの行動が、レオンに。
レオンの行動が、ウィルザに。
そして時は、八〇八年末を迎える。
八〇八年。アサシナ王弟パラドックからの遣いがガラマニアを混乱に落とす。
結婚の申し入れ。アサシナ王の外交戦術の一つとみていいだろう。
アサシナに向かうことを承諾するドネアと、反対する仲間たち。
八〇九年に向かう道は、どのように分岐するのか。
「何故世界記の記録が変わったのか、調べる必要がある」
次回、第二十話。
『婚約』
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