二年間でウィルザは大陸各地を訪ねてまわった。
 ジュザリアの王リボルガン。マナミガルの騎士団長カーリア。この二人と交友関係を築き、さらにはガラマニア国内でも気付けば『王国宰相』の地位に就いていたりする。そのせいで毎日の政務から逃れられない状態だ。
 そう思っているとガイナスターは勝手に国内外を飛び回っているし、思ったように行動が取れない。もっとも、必要があるときは自分から動くようにしているが。
 国内のことはタンドがいればなんとかなる。それにドネア姫もいる。自分やガイナスターがいなくても国そのものは動いていくのだ。
「大丈夫、ウィルザ?」
 疲れて目をこすっていたところにルウが入ってきて温かいタオルを渡してくる。
「ああ、ありがとう」
 ウィルザは受け取って顔を拭いた。北国ではこうした温かさは本当にありがたい。
「最近また、働きすぎなんじゃないの?」
「そうかもね。あまりルウを心配させないうちに切り上げておかないと」
 ルウは微笑んで、自分の頬に唇を落とす。
「そうね。あまり心配をかけさせないで」
「努力するよ」
 そして二人はいつの頃からか、普通の恋人同士のように振舞うことができるようになっていた。
 ウィルザとしてもルウと共にいるときは気分が安らいだし、ルウにとっては誰よりも大切な相手だ。お互いが傍にいることが何よりも幸せな時間だった。
 もっとも、今抱えている問題はそう簡単に結論を出せるものではない。ただでさえ一方の当事者であるガイナスターが現在王宮にいないのだ。
(こんなときばっかり押し付けやがって、ガイナスターの奴)

 時は既に、八〇八年の十月になっていた。






「では、どうしても行かれるとおっしゃるのですか」
 ガラマニアの政庁。大きな長いテーブルの上座に座るドネアに対し、左にウィルザ、右にタンドとローディが着席している。男たちは雁首そろえて反対である旨を伝える。だが、一度決めたことに対しては梃子でも動かないドネア姫は完全に男たちの意見を拒否した。
「はい。私はパラドック様に嫁ぎます」
「ですが、この婚儀には姫も乗り気ではないはずです」
「もちろんです。ですが、アサシナとの友好を考えれば私一人の犠牲ですむのです。これは国を率いる者の運命です」
 さすがはガイナスターの妹というべきだろうか。彼女の強さは直接話した者にはよく分かる。決して曲げない意志と行動力は兄譲りだ。そして他人の上に立つ度量も威厳も同じだ。本当にガラマニアス家の血というのはものすごいとしか言いようがない。
 そもそも、アサシナから両国の婚儀の話が出たのは今年の春先のことだ。
 八〇八年春。アサシネア六世からアサシナ王弟パラドックとガラマニア王妹ドネアの婚儀の申し入れが書簡にてなされた。このため王家は大混乱を来たした。その混乱の大元は、兄と妹の盛大な喧嘩にあった。
「お前を嫁になんて絶対にやらん!」
「私は自分のことは自分で決めます!」
 お互い一歩も譲らず半年。兄は絶対に認めないと宣言した後、国内の視察で王都から飛び出し、妹の反論を聞かないようにした。そうすると妹は兄の言いつけなど聞いていられないと、今にもアサシナに飛び出していきそうだ。
 本当に、こういうところばかりよく似た兄妹である。
「ですが、私も反対です」
 神官ローディはガラマニアにおいてザ神の神官として仕えている。だが、ザ神の布教や神の奇跡を使うことはなく、ウィルザの参謀という形で収まっている。事実上の副宰相だ。
「パラドック殿下は……その、私が言うのも何ですが、あまり女性関係の噂がよくありません。そうした方のところに嫁がれても、ドネア姫は幸せになれません。どうぞ、ご再考を」
「私の幸せは問題ではないのです。国としてどうこの縁談に答えるかが問題なのです。私はアサシナと戦争をしようと考える兄上には反対します。私は必ずアサシナとの間に和平の道を築いてみせます」
 そう。一番の問題は、この兄妹は外交における考え方が正反対だということ。ガイナスターは相変わらずアサシナと戦争をするつもりだが、ドネア姫はアサシナとの平和外交を考えているのだ。
 国のトップがこんな様子だから臣下であるところのウィルザやタンド、ローディはほとほと困ったものなのだが、それでも国が分かれたりしないのは、兄は妹を、妹は兄を本当に慕っているからだ。そうでなければとっくに内乱だ。
(全く、ガイナスターも説得するなら自分ですればいいのに)
 全て自分に押し付けて逃げ去ったガイナスターに反論する権利などないはずだが、それでもウィルザはドネアをアサシナに行かせるわけにはいかない。
 何故ならば、行けばドネアには死が待っているからだ。

809年 ドネア暗殺
ガラマニアの姫ドネアが、パラドックとの結婚式を目前にしてゼノビアにより暗殺される。


(犯人はゼノビア。そのゼノビアも新王都で処刑されることになる。そうした事態を防ぐには、ドネア姫の婚約を防ぐのが一番だ)
 そこまでは決定していたことだった。だがこのドネアの意思の強固さたるや、全く誰に似たのやら。
「ウィルザ様も、私が嫁ぐのに反対ですか」
 少しタレ目のドネアは気丈にしていてもそれほど威圧的には感じない。それなのに逆らえない雰囲気があるのはどうしてなのだろう。
「はい。反対です」
「何故ですか。納得のいく理由をお聞かせ願えますか」
「ドネア姫は戦争を起こしたくないとお考えですが、姫が嫁げば逆に戦争が起きます」
「どうしてですか」
「ドネア姫を快く思っていない者がアサシナにいます。そうしたものが必ずドネア姫のお命を狙ってきます。もし姫が殺されたならば、必ず戦争になります。ガイナスターが許すはずがありませんから」
 もっともな話だ。ただ、何の理由もなく『殺される』ではドネアも納得はしないだろう。
「では護衛をつけさせましょう。それで問題はないでしょう?」
「あります。護衛がいる、いないの問題ではないのです。平和外交をしようという姫の考えは間違っておりません。ただ、それは婚約という方法をとって強引に行うものではありません。強引な改革は軋轢を生み、さらなる不和をもたらします。アサシナとの平和外交はもっとゆるやかに行うべきです」
「ウィルザ様はどうしてそこまで、兄上の味方をするのですか」
 ドネアはついに怒ってウィルザに詰め寄った。
「確かにウィルザ様は兄上に忠誠を誓っているのかもしれません。ですが、そこまで兄上に従わなければいけない理由はないでしょう?」
「姫は勘違いされています。ぼくはガイナスターに忠誠を誓ったことは一度もありません。協力するとは言いましたけど、それはこの大陸から戦争や混乱を起こさせないためです。もしガイナスターが戦争を起こそうとするのならぼくはそれを全力で食い止めます」
「ではどうして今回、私に賛成してくださらないのですか」
「姫が嫁げば戦争になることが分かっているからです。一年三六五日二四時間、姫を完全にお守りできると本当にお考えですか。油断なんかしなくても、アサシナの暗殺者は確実に姫を殺害できるのです。何しろ、姫はアサシナの中にいる。その気になればどこかの家に閉じ込めて周りを囲んで火を放つだけでいい。確実に殺せます」
「それほど、アサシナはガラマニアを嫌っているというのですか」
「一部の人間が、です。おそらくアサシナ王アサシネア六世は心の底から平和を願っているのでしょう。ですが、アサシナの全ての人間がそういうわけではない、ということです。むしろぼくは、姫の味方です。ぼくの考えているグラン大陸の平和と、姫がお考えになっている平和は限りなく近い。ただ、姫が婚約をされるということは大陸の平和を損なうことです」
「ですが、この縁談を破棄してはアサシナとガラマニアの仲が悪くなるだけではないですか」
「もともと悪いものがこれ以上悪くなりようがありません。アサシネア六世はこの縁談を破棄されたからといって攻め込んでくるような王ではありません。むしろ性急すぎる平和外交を見直すいい機会ととらえてくれるでしょう」
 正直、アサシネア六世の治世はウィルザの考える大陸の平和と合致するところがある。
 たとえば今年から始まったアサシナの王都移転。現王都に国民が残っていれば、八二五年の崩壊のときに巻き込まれて、結局誰も生き残ることはできないだろう。西域に新王都を移転するというのならば、災害の発生地点である旧王都からあまりにも離れすぎている。だからこそ崩壊に巻き込まれる可能性は低い。
 もっとも、六世がそこまで考えているはずがない。何しろ世界が滅亡することを知っているはずがないのだから。ただ、今回の王都移転はウィルザにとってはありがたいことだった。
「ぼくは姫にこそお伺いしたい。そこまでパラドックとの縁談にこだわる理由は何ですか。パラドックのことが好きなのですか」
「まさか、何をそのような」
「であるなら姫のお考えとしては、自分はこの国の王族なのだから国民のために犠牲になるのは当たり前だ、という陶酔なのでしょう。そのような自己犠牲精神は偽善です。国民のためと考えて自分を苦しめることに酔っているだけです」
「──!」
 ドネアが顔をしかめて俯く。その考えがなかったとはいえない様子だ。まあ、責任感の強いドネアだからそれくらいのことを考えているだろうとは思ったが。
「何度も言いますが、姫が嫁がれることでガラマニアにとって有益になることは一つもありません。戦争が起こり、民が苦しむ。そのために姫は嫁がれるというのですか」
「……いえ、確かに私が浅はかだったようです」
 そこまで言うとドネアもようやく折れた。ウィルザはほうと一息つく。
 そのときだった。
「だがどのみち、誰かが新王都には行かなければならない。というよりもウィルザ、お前がな」
 気安く声をかけてきたのは、政庁に入ってきたオクヤラムだった。







第二十話

婚約







「珍しいな、オクヤラム。君が政庁に来るなんて」
 オクヤラムはウィルザと同様、このガラマニア王宮の中に一室を与えられて暮らしている。食客の身分でほとんど仕事をしていないように見えるのだが、時折適切な助言をくれるのでガイナスターもウィルザも彼にはとても頼っている。ありがたい人材だった。
「なに、姫の暗殺ともなれば捨て置ける話ではない。この大陸を守るには一人でも多くの人間が必要で、多くの人間を生かすには戦争を起こすべきではない」
「それは分かってる。それでオクヤラムは何を言いたいんだ?」
 蒼い肌の男はウィルザの隣に座ってフードを脱いだ。どう見ても普通の人間とは違うその血色が他人に見られるのを防ぐため、彼は常にフードを深く被っている。ただ、このメンバーは全員そのことが分かっているので、気にする様子はなかった。
「私も未来のことはよく分からない。ただ分かるのは、アサシナ新王都、旧王都、共によくない『気』が集まっているということだけだ。ドネア姫の暗殺だけではない。もっと大きな何かがそこには眠っている」
「それは?」
「私に分かるのはそれだけだ。だが、ドネア姫の婚約の成否に関わらず、大陸の崩壊に近づく事件はおきる。現場にいなければそれを回避させることはできない。違うか」
「いや、その通りだと思う」
「だとしたらお前がアサシナに行くための口実、つまりドネア姫の婚約を成立させてアサシナへ向かうという手もある」
「それは反対だ。姫の命を危険にさらす理由はない」
「では、これから起こるアサシナ動乱を、お前はどう鎮めるつもりだ」
 確かに姫がいればすんなりとアサシナ王宮に入ることができる。逆にいなければ難しい。確かにそれは分かる。
「だが、誰かが犠牲になった上での平和なら、そんなものに意味はない」
「お前の方が、姫よりよほど強情だな」
 オクヤラムがやれやれと吐き捨てる。
「それで、どうするつもりだ?」
「ドネア姫の暗殺を防ぐことができれば戦争は起こらない。それで十分かと思っている」
「甘いな。ケインは必ず戦争を起こそうとしてくるはずだ。姫の暗殺がなければ別の手段をとるだけのことだろう」
「どうするっていうんだ?」
「簡単なことだ。アサシナは現在二派に分かれている。国王派と王弟派だ。これをかみ合わせるだけでいい。アサシナは内乱に陥る」
 アサシナ内乱。なるほど、混乱させることができなければ、内乱という手もあるのか。
「アサシナで内乱が起これば、当然ガラマニアもマナミガルも動くよな」
「そういうことだ。さて、腕前を見せてもらおうか。このアサシナの不穏な動きをどう止める?」
 ウィルザは考える。止めるも何も、現在の状況が分からないのであれば、動きようがない。だとすれば、いつもの通りにするだけだ。
「アサシナの王都に行ってみる。直接六世と話してみるよ」
 その発言に、今度はローディから反発を受けた。
「何をおっしゃるのですか! あなたがアサシナに入れば真っ先に狙われますよ!」
 たった二年でガラマニアの宰相に上り詰めたウィルザのことを警戒する動きはどの国にもある。
「大丈夫だよ。外交使節として向かえばいいだけのことさ。そのまま西域まで行って新王都移転おめでとうございますと伝えて、ドネア姫との婚約ができなくなったことを伝えてくることもできるしね」
 それに、確かめたいことがある。ガラマニアにいるだけでは分からないこと。この二年でマナミガルやジュザリアには行くことができたが、アサシナに行くことだけはできなかった。
 アサシナに行けば、きっと分かる。
(どうして、八〇七年の混乱は消えてなくなったのか)
 自分の知らないところで歴史が動いている。いったい誰が、何のために東部自治区事件とユクモ沈没の事件を未然に防いでくれたのか。
(何故世界記の記録が変わったのか、調べる必要がある)
 そのためにもまずは王都。あそこにはアルルーナもいる。いろいろと話が聞けるだろう。






 その頃、アサシナ王都。
 アルルーナの館に毎日訪れる一人の男がいる。この日もやってきてはアルルーナに語りかける。
「おはよう、アルルーナ」
 そうすると彼女は目を開いて答える。
「おはようございます、レオン」
 友人に会えた彼女はどこか嬉しそうな雰囲気だった。
「あなたの道を示しますか?」
「何度も言わせるな。お前の寿命が縮むだけならそんなものはいらない。どうせ定まっている未来ならそのまま受け入れる。許せない未来なら変えてみせるしな」
「あなたは強いですね、レオン」
「わがままなだけだ。自分の思い通りにならないと苛々する」
 アルルーナは少し笑ったようだ。そんな仕草を見せるようになったのはいつからだったか。

 レオンたちは王都アサシナに戻ってきていた。
 バーキュレアとリザーラを連れて戻ってきた三人だったが、しばらくは何も動きようがないということで、それぞれ自由に毎日を過ごしていた。
 リザーラはザ神の神殿に行き、ミジュアの補佐をしている。バーキュレアは毎日あちこち出かけてトラブルに巻き込まれている。
 そしてレオンといえば、何もせず、ただこうして毎日アルルーナと会話を繰り返すだけだ。

「明日は来られないかもしれないがな」
「そうですか。何かご用事が?」
「ああ。ミケーネに呼ばれた。何があるのかは知らないが、あまりいい話じゃなさそうだ。話の内容によってはしばらく会えなくなるかもしれないな」
「どこかへ行かれるのですか」
「まだ分からん。俺の記憶が戻る手がかりになるのなら、どこへでも行くつもりだが」
 八〇九年の西域。自分が目指す時間は、もうすぐ近くまで来ている。
(歴史の裏側か。何があるのやら)







ウィルザとレオン。二人の運命が大きく動き出す。
ドネアの暗殺と、アサシナの動乱。
一連の事件の裏側に、いったい何が起こっていたのか。
今まで見ることがなかった歴史の真実が暴かれるときが来る。

「未来が変えられるなら、それは決まってないのと同じだ」

次回、第二十一話。

『王都移転』







もどる