レオンの言葉にケインは喉の奥で笑う。
 所詮は人間風情、と思っているのかもしれない。確かにレオンも根拠のある言葉ではない。歴史の表側を守る人間にはまだ会ったこともなければ、そもそも名前すら知らない。ただ、ザ神の口ぶりからそうした存在があるということを推測しているだけだ。
「歴史の『表』を守る男か。本当に彼が歴史を守ることができると思っているのか」
「なに?」
「彼は最大の失敗を犯していることにまだ気付いていない。たとえどうあろうとも、最終的に目的を達するのは我々だ」
「お前たちの目的が何であろうが俺には関係ない。俺の目的はただ一つ。俺の記憶を取り戻すことだけだ」
 レオンがそう言って剣を抜き、ケインを切り裂く。だが剣はその体をすり抜ける。見かけ上の姿。だがそれはレオンも分かっていたらしく、動揺する様子もない。
「いいだろう。ならば受け取るがいい。私がこの地に準備したもう一つの『混乱』を。お前の力でそれを回避できるかどうか、見せてもらおう」
 ケインの姿が消えると、硬直していたミケーネがゆっくりと動き始めた。
「今のは何だったんだ」
「さあ。この大陸を混乱させたくて活動している男らしいが、あまり成功はしていないようだな」
 それよりもケインが最後に言い残したことが気にかかる。この地に準備したもう一つの『混乱』。当然大陸を安定に導こうとしている自分たちにとっていいことであるはずがない。
(単独行動にしたのは失敗だったか。いや、今はミケーネもいる)
 彼ならば誰よりも信頼できる。あとはここで何が起ころうとしているのかを見定めればいい。
「行くぞ、ミケーネ」
 少年が騎士団長に命令を下す。
「何が起ころうとしているのかを見定める。おそらくは政庁だろう」
「政庁? パラドックはそこにいるのか?」
「いや。パラドックはいない。いるのはパラドックから後事を任された男だ」
 誰、とは聞かれない。それも行けば分かるということか。それともミケーネにはそれが誰だか想像がついているということか。
 そうして二人がパラドックの部屋から出たときだった。
「動くな!」
 左右から三人ずつの兵士が槍を構えて近づいてくる。どうやら先に動かれたようだった。
「クーデターか」
「クーデター?」
「ああ。パラドック不在のこの期を狙って、アサシナを我が物にしようとしている奴がいるということだ」
「誰が」
「行けば分かる」
 抜き身の剣を構えてレオンが動く。やれやれ、と思いながらミケーネは反対側へ動いた。
 既にザ神の力を三つ目まで手に入れたレオンと、騎士団長の地位にあるミケーネ。たとえ相手が六人だとしても相手になるはずがなかった。
 瞬く間に戦闘を終えると二人は駆け出す。政庁はそれほど遠くない。ほんの数部屋先だ。
(雑兵の動きをみていると、ここにいたのが自分だというのは分かっているようだったな)
 つまり、パラドックが不在であるということが分かっている人物。それはもう、多くない。
(お前が首謀者か)
 扉の前にいる二人の守衛を片付け、政庁に入る。
「やはりお前か。カイザー」
 パラドックを仲介とし、彼とは既に何度も顔を合わせている。
 パラドックのいないこの新王都を事実上動かしているのはこのカイザーだ。彼の政治力をもってすればクーデターを起こすのは難しいことではない。
「ふん、ここまで来たか。だが、私を捕らえられるなどと思うなよ」
 部屋の中にいた兵士たちが一斉に銃を構える。
「先に聞いておこう。何が目的だ」
「決まっている。この国を我が手に入れるのだ。兄弟同士で争うデニケス家になど任せてなどおけん。私がこの国──ガランドアサシナを動かすのだ!」
「くだらん」
 ため息をつく。この男は自分の権力欲しか頭にない。国を手に入れて何をしたいというのか。少なくとも六世やパラドックほど国や大陸のことを考えたことはないだろう。ただその華やかさにだけ目を奪われている。
(そういう男にケインは目をつけたわけか。まあ、クーデターを起こすには適任だがな)
 撃鉄が上がる。もはや話をする時間は終わった。
「やるぞ、ミケーネ!」
「分かった!」
 こういうときに怯まない相棒は本当に頼もしい。バーキュレアと一緒にいるときのような安心感がある。そして、自分にふさわしい実力を兼ね備えている。
「ラニングブレッド!」
 いきなり魔法を放つ。ザ神の力を手に入れるたびに魔法も使えるようになっていったのだが、ここまではほとんど使うことがなかった。ただ、さすがに銃器を持つ相手が多数ではそうも言っていられない。
 魔法で怯ませておいて一気に戦いを仕掛ける。混乱の中に飛び込んで接近戦を行う。
 一人目を斬る。銃撃が来るのでその男を盾とし、身を翻して別の敵を倒す。
 そんなことを繰り返して一分の後には床に敵兵が十名、倒れていた。
「さて、ここまでだなカイザー」
 もはやカイザーを守る兵士はいない。全て二人で撃退してしまった。
「な、何故だ。何故貴様は私の邪魔をする」
「別に邪魔をしているつもりはない。俺は、俺の目的を果たそうとしているだけだ」
 カイザーに剣を突きつけると、彼はがくりと崩れ落ちた。
「捕らえて牢屋にでも入れておくんだな。いっそ、殺してもよかったのだが」
「さすがに戦意のない相手を倒すのはためらわれるな」
 ミケーネも頷いてカイザーを縄にかけた。
(これがケインの罠だとしたら随分とお粗末だな)
 こんなに簡単な罠を用意するだろうか。だがレオンには他に思い浮かぶものはない。
「ミケーネ。この新王都はしばらく統治者が不在になる。旧王都がどうなるかは分からないが、しばらくはお前が運営するのがいいだろう」
「だが、お前はどうするつもりだ?」
「そうだな」
 レオンは少し考えてから答えた。
「俺も旧王都にでも行ってみる」







第二十五話

兄弟







 時が凍る。

 近衛の振り下ろした剣は、国王の左半身を深く切り裂いていた。
 誰が見ても間違いない、致命傷。
「国王陛下」
 ウィルザは一度うわ言のように呟いて、それから。
「陛下ーっ!」
 叫んだ。叫んで、ゼノビアのことも忘れてその近衛兵士に切りかかった。
 無論、もはや人間の域を超えているウィルザに敵う者がいるはずもない。一瞬で剣を弾き飛ばされた近衛は、地面に叩き伏せられ、すぐに近くにいたサマンに拘束される。
「陛下!」
 無駄とは分かっていてもその体を抱き起こす。
 そのときだ。
「わ、わ、わた、し、は──」
 もはや声にすらならない風のような音。だが、何かを訴えようとしているのは間違いない。
「え、える──」
 そこまで聞いて、ウィルザの顔色が変わった。失礼とは思いながらも、その顔に手をかける。
 その皮が、はがれる。
 顔を覆っていた一枚の皮。その下には国王の懐刀、エルダスの顔があった。
「影武者?」
 エルダスは自分のことを分かってもらえて多少は安堵したのか、それ以上何も言うことなく力尽きる。
 彼には申し訳ないが、まだ国王は死んでいない。暗殺は失敗したのだ。
 だが。
(では、アサシネア六世陛下はいったいどこへ)
 この王宮のどこかに隠れたということか。それとも。
「国王が影武者だった、だと?」
 立ち上がったゼノビアが銃を構えながら言う。だが、彼女はまだ腕が痛むのか、微かに銃口が揺れている。
「そうみたいだ。残念だけどゼノビア。君の暗殺は失敗したみたいだね」
「暗殺?」
 だがゼノビアは顔をしかめた。
「我々は暗殺などするつもりはなかった」
「だが、現にこうして国王の影武者だったエルダスは死んでいるじゃないか!」
「その男は我々の仲間ではない」
 ゼノビアが床に組み伏せられた近衛を指さして言う。
「なんだって」
「我々がパラドック殿下から指示されたことは、国王陛下、クノン殿下、レムヌ妃殿下を捕らえることのみ。暗殺などというおそれおおいことをするはずがない」
 ゼノビアも戸惑っていた。この段階で両勢力は完全に戦いを中断していた。国王暗殺ということもあるが、明らかに両者の考えが違っている。
「パラドックは何を考えて行動している?」
「決まっている。大陸の平和のためだ」
「大陸の? 自分が王位に就こうとしているだけじゃないのか?」
「それは違う」
 ゼノビアは断固として反対した。
「アサシネア六世が、大陸の平和にならないことをしようとしているから止めようとしただけだ」
「大陸の平和にならないこと、だって?」
 ウィルザが尋ね返す。
 自分の頭の中で警告音が繰り返し響いている。
 彼女の言葉には、真実が含まれている。
「そうだ。アサシネア六世は地下のザ神のエネルギーを全て解放するつもりだ。もしそんなことをしたら──」
「星の船に集まったエネルギーは暴走して、この大陸ごと消滅してしまう。まさか、そんなことを陛下がなさるとは」
「でも事実だ。六世は寿命が残り少ないことを悟って、最後にエネルギーの解放を企んでいる」
「何のために」
「そこまでは分からない。だが、パラドック様はそうおっしゃっている」
 ということは、まだそれが真実とは限らないということだ。だが、パラドックは、少なくともパラドックの部下たちはそう信じて動いている。
(もし、ゼノビアの──パラドックの言葉が真実だとするならば)
 この、クーデターが起こった直後、アサシネア六世が行動するとすれば、たった一つしかない。
「地下だ。もし今の話が本当だとしたら、陛下はこのアサシナ地下に向かったに違いない」
「ご案内します」
 傍で控えていたリザーラが言う。
「確かにザ神のエネルギーを全て解放するのは危険が大きい。私も副神官という立場上、地下への入口の場所はわきまえています」
「ありがとう、リザーラ。兵士のみんなはこの場所に待機。地下にはぼくとサマン、ルウ、それにゼノビアで地下に向かおう」
 ルウとサマンは頷くが、ゼノビアは顔をしかめてから「やむをえないな」とだけ答える。
「どうやらお前はエネルギーの解放には反対みたいだからな」
「当たり前だ。ぼくの考えはたった一つ。この大陸の平和だけだ」
「その言葉、今は信じよう」
 ゼノビアも一度銃をおさめる。
「別命あるまで待機!」
 ゼノビアの号令で兵士たちが一律動きを正す。
「ならば急ごう。六世が暴挙に及ばないうちに」
 そして五人はリザーラを先頭に駆け出す。
 地下への入口を下りる。そこは制御されない堕天使たちの巣窟だった。
「一気に突破するぞ!」
 リザーラとウィルザが突進し、それを後ろからゼノビアが対天使専用武器『駆動殺し』で援護する。正面の何体かの『天使の心』が確実に射抜かれ、それによって動きが制限された他の天使たちを次々に行動不能にする。
「急げ!」
 そして後ろからついてくるルウとサマンを呼ぶ。さらに前に進んで堕天使を打ち倒す。その繰り返し。
「リザーラ、最下層は!」
「もう少しです──あの梯子を降りれば、目の前です!」
 天使を打ち倒したリザーラが叫び、ゼノビアが一斉射撃を行って天使たちの行動を止める。
「リザーラ、サマン、ルウ、先に!」
 三人を先に降ろし、ゼノビア、そしてウィルザも無事に最下層に降りる。
 そこで、見たものは。
「兄上」
 パラドックと、その傍らには大神官ミジュア、さらには大きな女傭兵の姿。
(あれは──バーキュレア、という人物か?)
 世界記の中に記録がある。だがまさか、彼女がパラドックに協力しているとは思っていなかった。
 一方、奥の方にはアサシネア六世が貫禄のある姿で堂々と立ちはだかっている。
「パラドックか。よもやこの場所をかぎつけられるとはな」
「兄上。あなたの凶行は、私が止める」
「凶行? 凶行とは何を言うのだ、パラドック、我が弟よ」
「決まっている。その、ただ破壊するだけしか能がないエネルギーに手をつけようとすることだ」
「破壊か」
 アサシネア六世は完全に追い詰められている。だがそれでも自分が優位であるという姿勢を崩すことはしていない。
「確かにこのエネルギーであれば、多くの命が亡くなることだろう。それについては余も考えることが多い。だからこそ王都を移転し、一人でも多くの命を救おうとした」
「ならば分かっているはずだ、兄上。この場でそのエネルギーを起動させれば、このアサシナにいる者の命はあるまい。あなたの愛する妻や子ですらも。だが、問題はそれだけではない。おそらくここに溜め込まれたエネルギーは、大陸を滅ぼしてもまだあまりがある。兄上、あなたがやろうとしていることは、大陸と人類を巻き込んだ自殺だ。この上なく迷惑な」
「自殺? それは違う」
 アサシネア六世は背後の壁に手を触れる。
「余はこのエネルギーを我が物とする。そして、不老長寿、死なない体を手に入れるのだ!」







アサシナの闇が取り払われる日がやってくる。
だが、一つの混乱の終わりは次の混乱の始まりでもある。
兄弟の争いと、ザ神のエネルギーをめぐる最後の戦い。
そして、埋め込まれた『種』が芽吹くときが来る。

「この大陸はもう、神に支配されるべきじゃない」

次回、第二十六話。

『神々』







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