その日、ウィルザは朝の時間帯をルウと一緒に過ごしていた。
この後忙しくなるのは目に見えている。だが、たまにはこの愛する女性とゆっくりとした時間を楽しみたいという気持ちもある。
彼女のいれてくれた紅茶を飲む。おいしい。ガラマニアではこうした嗜好品は貴重でなかなか手に入らないのだが、ルウは普通にどこからか手に入れてくる。
「こうしてゆっくりと話すのも、あまりなかったよな」
ゆっくりと暖かい紅茶を飲みながら二人で話す。
「そうね。あなたっていつも前に進むしかなかったから。でも、また忙しくなるんでしょう？」
「多分ね」
そう、まだ何も終わっていない。この一年間もマ神を倒す方法についてオクヤラムと話してきた。だが結局いい方法は何も見つかっていないというのが実情だ。
「大陸はひとまず救われている。でもマ神が生き残っている以上は安心できない。今度はどういう手を打ってくるか分からないからね」
「そのためにも、戦乱を起こすわけにはいかないのね」
ルウが悲しそうな顔をする。
「ああ。ガイナスターを止めないといけないな」
ガラマニアに戻ってきて一年。
ウィルザにはまだ今回の争乱でやり残したことがあった。というより、今回のアサシナ動乱に全く関わっていなかったもう一人のキーパーソン、この人物をどうするかが問題であった。
年が明けてからガイナスターはただちに戦争の準備に取り掛かろうとした。国力の落ちているアサシナを襲撃する機会だと考えているのだろう。宰相としても、この世界を守る者としてもウィルザはそれを止める立場にある。
「お前はつくづく俺の邪魔をする男だな、ウィルザ」
正面から話して止める。それがウィルザのやり方だ。そしてガイナスターに意見することができるのは現状で自分以外にいない。タンドは基本的にガイナスターのやり方を実行に移す人間でしかない。
「とにかく戦争は駄目だ、ガイナスター。この大陸を混乱に陥れてどうするつもりだ」
「決まってる。ガラマニアがアサシナを滅ぼし、この大陸を統一するのだ。今のアサシナなら簡単に潰せる」
ガイナスターの言葉に嘘はない。実際このまま戦争になればアサシナの滅亡は目に見えている。そして後にできあがるのはカイザーのガランドアサシナということだ。
「君にだって分かっているだろう、ガイナスター。ぼくたちの本当の敵はアサシナなんかじゃない。マ神だってことを。君も一緒にニクラに行ったのだから」
「それはそれだ。俺の目的はこの大陸の統一。それを譲る気はない」
「わからずやめ」
「お前に言われるとはな」
にらみ合う二人。それを見ているドネアはおろおろとするばかりだ。気丈な姫ではあるが、自分たちの意見が合わないときの彼女はいつもこのような様子だ。
「陛下」
それまでずっと口を閉ざしていたタンドが話に入ってくる。
「おう、タンド。お前からもウィルザを説得してくれ」
「いえ、陛下。今回ばかりは私もウィルザの味方です」
「なに？」
「今回の遠征、非常に悪い卦が出ております。陛下や姫様のみならず、このガラマニア全土を揺るがすような、非常に禍々しい気に満ち満ちています」
「遠征に失敗するというのか？」
苛立ったようなガイナスターの声に、タンドは首を振って答えた。
「いいえ、陛下。時期をずらすのです」
「なに？」
「アサシナはこれから動乱の時代を迎えます。クノン王は若く、摂政として政権を握るのはジュザリアのレムヌ王太后。文官はおらず、武官が顔をきかせる王宮です。これから先、起こるのは混乱しかありません」
「だからどうしろというのだ」
「機を見るのです。慌てる乞食は儲けが少ない、という言葉もあります。混乱がさらに増せばアサシナの併合はもっと容易くなりましょう」
「なるほど。だが、レムヌが国内をまとめあげたならばどうする」
ガイナスターにとってレムヌ王太后は決して手の抜ける相手ではない。温厚外交をもってなるアサシネア六世より、ずっと謀略に長けている人物だという評価をしている。
「それでもよいではありませんか」
「なに」
「レムヌがアサシナをまとめあげたとしても、アサシナの国力が今以上に上がることはありますまい。全てが片付いた後に、全てを手に入れに行けばいいのです」
「なるほどな」
タンドの言いたいことがガイナスターには完全に理解できた。そういうことならば今は待つこともいいだろう。
「よし、ならば諜報部隊を作って西域に派遣しろ。現状のアサシナがどうなっているのかをもっと正確に調べ上げるのだ」
「かしこまりました」
ガイナスターはそうして政庁を出ていく。ふう、と息をついたのはドネアだった。
「ありがとう、タンド」
ウィルザが言うとタンドは、ふん、と鼻を鳴らす。
「別に貴様のためではない。ガラマニアの国益を考えれば当然のことだ。貴様だとてガラマニアのこともある程度は考えているのだろう」
「まあね。今のアサシナを取っていいことは何もない。ただ、ぼくは本当に戦争なんていうものを起こしたくはないんだ。タンドはどう思っているんだい？」
「国益になることならばな。それより貴様に聞いておきたい。西域で何が起ころうとしているのか、貴様は分かっているのか？」
「何が、だって？」
「そうだ。このような禍々しい卦はそうそうあるものではない。クーデターでも起こりそうな雰囲気だぞ。未来を知る貴様ならば分かるのではないか？」
ずばり尋ねられると答えるのが難しい。だが、確かに世界記にしっかりと書かれている。
８１０年 第一次アサシナ戦争
混乱したアサシナに対し、ガラマニアが侵攻を開始する。
８１０年 アサシナ敗戦
急激なガラマニアの侵攻の前に、アサシナはあえなく敗れる。
８１０年 ガランドアサシナ建国
ガラマニア支配によるガランドアサシナ国が建国される。新国王はガラマニア王によりアサシナの元補佐官カイザーが任命される。
（だが、アサシナ戦争さえ起こさなければアサシナ王国が滅びることも、ガランドアサシナができることもない。だからガイナスターさえ押さえれば大丈夫だと思っていたんだけど）
タンドのおかげでアサシナ戦争は起こらないだろう。ならば世界記の記述は変更されていいはずだ。それなのに一向に変わる気配を見せない。
（西域で何かが起ころうとしているのか？）
だが、今の自分はここから動くことはできない。万が一のときは体をはってガイナスターを止めなければならないのだ。
第二十七話
重ねた時間
西域。
無論、歴史の裏側を守る男はこの西域へとやってきていた。ここに来た理由はたいしたことではない。まだ自分の記憶は戻っていない。ならば世界の混乱を防ぐための活動を続けなければならないというだけのことだ。
そして彼がこの西域を選んだ理由はたった一つ。また、視えたからだ。
バーキュレアはいつものように何も言わずに自分についてくる。この女性がいるからこそ自分は安心して行動できる。何も説明していないのに何の質問すらない。自分と共に行動するのを楽しんでいるのだろう。
二人は西域に着くなり、言葉もないまま騎士団の控室へ向かった。そこには彼の知り合いがいる。騎士団長ミケーネ。彼らに会ってこの西域で何が起ころうとしているのかを見極めなければならない。
結局、自分のできることは多くない。何かが起ころうとしているのを止めるだけ。それがいったいザ神にとってどんないいことがあるというのか。
「久しぶりだな、レオン。一年見ないうちに随分と大きくなった」
成長期というだけではない。この一年でレオンは本当に成長した。体つきは一回り大きくなった。身長はもうバーキュレアを追い越しそうだ。
「ミケーネ。単刀直入に聞く。この西域で何が起ころうとしているか、分かるか？」
さすがに単刀直入すぎたか、ミケーネも何を言われているのか全く分かっていないようだった。ということは、この西域で起ころうとしていることは、水面下で進行中だということだ。
「また何か見えているのか？」
「そんなところだ。だが、お前に聞いても分からないようなら、この国で誰に聞いても仕方がなさそうだな」
最初からレオンはミケーネたちが何かを知っているとは思っていなかった。これはいわば確認のようなもの。もし情報がつかめるのなら運がいい、という程度のものだ。
「ここで何かが起きようとしているのか？」
「そんなところだな。ミケーネ、お前はクノンの傍にいる方がいい」
「国王陛下の？」
「ああ。万が一のことがあった場合、守れるのはお前だけだろう」
レオンは何が起こるのかを言わなかったが、ミケーネもあえて追及しなかった。分かった、と答えると控室を出ていく。
「さて、どうするつもりだい？」
バーキュレアが尋ねると、レオンは少し考えてから答えた。
「牢屋だ」
「牢屋？」
「ああ、張本人に直談判した方が早そうだ」
もちろんレオンは分かっている。この国の牢屋に捕らえられている重要人物。元国王補佐官のカイザーがそこにいる。
とはいえ、何も知らされていないバーキュレアにとっては「ふうん」と呟くだけで何の質問もない。説明する手間は省けるが、大丈夫なのだろうかとも思う。
「お前は俺のすることに疑問を持たないのか？」
「疑問？ そんなのは最初からずっとだよ。アタシはただアンタが面白いから一緒にいるだけさ」
尋ねるとバーキュレアがさも当然といったように答える。そしてすごく嬉しそうな顔をした。
「なんだ？」
「いや。少なくともアンタにとってアタシがどういう存在なのか確認できて喜んでるだけさ」
「どういう存在？」
「ああ。アンタにとってアタシが無関係な存在ならそんな質問はしないだろう？」
なるほど、と頷く。
「お前がいてくれないと困る」
心からそう伝えると「ああ、分かってるよ」と答えた。だがやはり、どこか嬉しそうだった。
「そういや、アンタと初めて会ってから、もうすぐ五年になるんだね」
言われてみればそうだ。最初に会ったのが八〇六年初頭。年を越せば出会ってから五年が経過することになる。
（その間ずっと一緒にいてくれたということは、多少俺のことを気にしてくれているということか）
バーキュレアのような女性からそう思われるのは光栄なことだ。ザ神の力を得た自分は既にバーキュレアの力を上回っているが、それでも人生経験という意味においてははるかにかなわない。今でもバーキュレアに教わることは山ほどある。
「ま、アンタはアンタの思う通りにやるのが一番いいさ。周りの人間がアンタについていけるかどうは、そいつら次第なんだからさ」
「言葉に甘えてそうさせてもらう」
答えるとレオンはもう迷わずにまっすぐ地下牢へ向かう。
じめじめとした薄暗い地下牢に、二人の歩く音だけが反響する。他に収容されている者はいないのか、どの牢屋も誰も入れられていない。
その一番奥、そこだけ鉄格子が太く、隙間がせまくなっている。
「カイザーか？」
その牢屋の中にいる人物に向かって話しかける。機械の体をした男が簡易ベッドに座ったままこっちを見る。せまい隙間。その向こうにいる男は捕われて一年が経とうとしているのに、いまだに毅然としている。
「何者だ」
「忘れたとは言わせん。レオンだ」
「貴様か。いまさら何の用だ」
「何の用、だと。お前のことを訪ねる理由などお前が一番よく分かっているだろうに」
レオンはさらに近づいてその隙間に手をねじ入れる。
「何のつもりだ」
「答える必要はない」
レオンはそのまま魔法を唱える。
「お前が生きていると、どうもいいことがなさそうだ。さっさと処分するに限る」
「な、ま、待て」
「待つ理由などない。お前はこの状況にありながら国王を追い落とし、自分がアサシナの王になろうという企てを持っている。そんな奴を相手になどしていられるか。さっさと死ね」
そのままザ神の魔法を発動させようとする。が、さすがに本気だと悟ったか、カイザーは叫んだ。
「何でも話すから、殺さないでくれ！」
「何のことだ？」
「貴様は今、私と取り引きをしている相手が知りたいのだろう？」
「お前がいなくなればすむだけのことだろう。知ったことか」
だがレオンの声は冷たい。それが相手にさらなる絶望を与える。
「言うから殺さないでくれ。私は別に本気で強力しているわけではない。貴様が望むのなら貴様の望みどおりにしよう」
「ならば相手だけ聞いておいてやる。誰だ」
レオンは面倒そうな表情のまま尋ねた。
「マナミガルのエリュース女王だ。マナミガルはこの機にアサシナを制圧するつもりなのだ。だから私が間に立って何とかしようと」
「マナミガルか」
今まであまり行ったことはないが、これもいい機会なのかもしれない。エリュース女王がこの大陸に混乱を呼び込むというのなら、それはザ神の望むところではあるまい。だとしたら処分するしかない。
（自分の記憶か。失ってもう五年ともなれば、あってもなくてもいいような気もしてくたが）
それでもこだわっている辺り、自分にとって過去というものがどれだけ大切か、それは自分が一番よく分かる。
「取り引きの内容は？」
「内外で呼応し、混乱に乗じてマナミガルの軍を呼び込むこと。それだけだ」
「利用されたな、カイザー」
ふ、と鼻で笑う。
「なに？」
「エリュース女王といえば希代の豪傑。お前のような男を相手に、取り引きなどするつもりはないだろうよ。使えるだけ使って捨てられるのが落ちだ」
カイザーは答えない。半ば自覚しているところがあったのか。
「だが、最初にも言った。そんなことは俺にとってはどうでもいい。ただ、お前が生きているとこの大陸にとってよくない。それは確かなことのようだ」
そうして中断していた魔法の詠唱を再開する。
「な、やめろ、やめてくれ。私は知っていることを話したではないか」
「何度も言わせるな。お前は生きているとこの大陸にとってよくない。邪魔だから死んでくれ」
そして。
凍結の魔法、クーロンゼロが牢屋の中に放たれる。
すべてが終わってから、レオンは振り向いて言った。
「行くぞ、レア」
バーキュレアは大きく息をついて頷く。
「やるときはやるもんだね」
「去年あいつを生かしておいたのが失敗だった。失敗は二度繰り返すものではない」
「いや、英断だよ。他の連中がどう思うかは分からないけど、アンタはやるべきことをきっちりとやっている。あまり今回のことを気に病む必要はない」
するとレオンは顔をしかめた。
「カイザーを殺したことを俺が気にしているとでも言うのか？」
「違うのかい？ あまり顔色がよくないようだけど」
「ふん」
鼻を鳴らすが、それもこの女性には通じていないらしい。つまり、こんな男ではあっても、無抵抗の相手を殺すというのは気もちのいいことではないということだ。
「マナミガルに行くのなら、アタシが協力してやれることも多いだろうね」
「どういうことだ？」
「知り合いがいるのさ」
バーキュレアは楽しそうに言った。
「マナミガルの騎士団長カーリア。アタシの無二の友人さ」
舞台は南方に移る。
マナミガル、そしてジュザリア。この地方で何が起きているのか。
今までにない動きを見せる大陸の歴史。それを守るウィルザとレオン。
そして一つの出会いがマナミガルで生じる。
「どこかで、見た覚えが」
次回、第二十八話。
『揺れる面影』
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