深夜。既に月はのぼり、日付も変わろうという頃。仮眠を取りながら交代で待っていた二人はようやく本命の人物を出迎えることになった。
「レア。まさかあなたがここに来ているなんて」
「リア、久しぶりだったね。元気そうで何よりだよ」
 マナミガル騎士団長カーリアはバーキュレアの胸に飛び込む。まるで恋人のようだ。
「そういう趣味があったとは知らなかった」
「リアは特別さ。アタシにとってもかわいい妹分だからね」
 そうして離れたカーリアがレオンを見る。
「はじめまして。カーリアといいます」
「レオンだ。話があって来た」
 レオンの言葉は簡潔でそっけない。だがカーリアは意にするようでもなく、頷いて椅子に座る。二人も同じテーブルにつき、カーリアを伴ってきたサマンが勝手に四人分の飲み物を用意した。
「それにしても、こんなときにあなたが来るなんてね、バーキュレア」
 レオンとバーキュレアは視線を交わす。そう、今マナミガルで何が起こっているのか、その情報が知りたいのだ。
「マナミガルはアサシナに攻め込もうとしているのか?」
 レオンがぶしつけに尋ねると、カーリアは少し間をおいてから答えた。
「どうしてそれを?」
 だがあわてていないのは、ある程度バーキュレアたちが訪ねてきた理由が分かっていたからなのかもしれない。マナミガルがアサシナに攻め込むまさにそのとき、タイミングよく数年ぶりに親友が帰ってくる。それが偶然であるはずがない。
「どうしても何もないだろ。アンタはアタシが帰ってきたことを聞いて、アタシがマナミガルの傭兵に入るつもりで来たんだって判断したんじゃないのかい?」
 バーキュレアが鋭く尋ねると、まあそうなんだけれど、とカーリアが頷く。
「でも、これは極秘で進めていたことなのよ」
「真実はいつか暴かれる」
 レオンが相手の言葉を封じる。
「早いか遅いかの差はあっても、暴かれることに変わりはない」
「そうかもしれない。でも、今それを暴かれるわけにはいかないのよ」
「アタシらが敵だったら、だろ?」
 バーキュレアが言うとカーリアは肩をすくめた。
「そうね。あなたが私の敵になるとは思っていないわ」
「アンタの敵になるつもりなんかないよ。ただ、うちのリーダーがどう判断するかは知らないけどね」
 黙りこむレオンに、それを値踏みするように見つめるカーリア。
「レアの前だから、単刀直入に聞くけど」
 カーリアは声を抑えて言う。
「何が目的?」
「まだ決めていない」
 だがレオンはその質問をスルーして答える。
「決めていない?」
「ああ。もしもマナミガルがこの大陸の平和を乱す存在になるというのなら実力ででもとめなければならない。だが、そうではないというのなら俺の出る幕ではない」
「平和を乱す、つまり、戦争を起こすかどうか、ということ?」
「そうだ」
 分かりやすい質問だった。それを否定するつもりはないし、実力勝負になってもそれは仕方のないことだ。
「そうね。確かにマナミガルは戦争の準備をしているし、いつでもアサシナに進軍することができるわ」
 カーリアの言葉に緊張が走る。
「アサシナとはいつか戦わなければいけない。アサシネア六世がいない今、倒すのは絶好の機会──」
「カーリア」
 だが、その言葉をレオンは強引にさえぎる。
「お前はアサシナに攻め込むことが正しいと本気で考えているのか?」
 それは、カーリアの人間性を問う発問だ。
 公人としてならば、是、と答えるしかない。だがここは公の場ではないし、部下を連れているわけでもない。この場で何を答えたからといって国際政治に何らかの影響が出るわけではない。
 つまり、本音を答えることができる状況だ。もしそれでも公人としての仮面を脱がないというのであれば、レオンも覚悟を決めなければならない。
「そうですね、騎士団長としてはもちろん、正しいと答えなければならないのでしょうが……」
 言いよどんだ。それは、別の考えを持っているということだ。
「なるほど。騎士団内にも反対派は多いということか。お前を含めて」
「そうですね、否定はしません。私と、特に腹心の部下たちは全員戦争には反対です。ですが我々は女王陛下の命を受けて行動するのみ。道具に思考は必要ありませんから」
「いや、道具は自分の力を理解し、必要ならば相手を傷つけないようにするという思考は必要だ。むしろ道具こそが自分というものを考えなければならない」
 レオンは言ってから腕を組む。彼がこうして思考しているところを動作にするのは珍しい。
「女王に対する忠誠心は高いと自負するか?」
「もちろんです」
「女王に忠誠を誓う理由は何だ?」
「理由──」
 言われてカーリアは少し顔をしかめる。
「昔」
 ぽつり、とつぶやいてからしばらく黙り込む。
 カーリアもサマンも何も言わない。ただ彼女の言葉を待っている。
「女王陛下に助けていただいた……それが一番の理由です」
「なるほど」
「おかしいですか。国民としてではない、一個人として女王陛下のお役に立ちたいということが──」
「おかしいものか。わけのわからん忠誠心なんかよりよっぽど理解できる」
 するとレオンは立ち上がった。どこへ、とカーリアが尋ねる。
「王宮だ。覚悟は決まった」
「どうするつもりだい?」
 バーキュレアが隣に立って言う。
「直接話を聞かなければならないだろう。なぜアサシナに攻め込むのか。理由がはっきりしているのなら解決すればいい。それができるのは部外者の俺だけだ」
「それって、忍び込む、ってこと?」
 きらん、とサマンの目が輝いた。
「そういうことになるだろうな」
「じゃ、私が手伝えるよ。カーリアさんには悪いけど、あの王宮、実はけっこう抜け道ってあるんだよ」
 む、とカーリアの表情が強張る。まあ、この際は大目に見てもらうことにしよう。
「頼む」
「頼まれた」
 ふふん、とサマンは笑顔で答えた。







第二十九話

果つる運命







 そうして二人は王宮に忍び込んでいる。門の内側に入り込み、手近な茂みの中に隠れている。定時の見回りをやり過ごして中に入るのだ。
 バーキュレアはカーリアと共に先に王宮へ行った。アサシナの件で重要な報告がある、と女王とカーリア、バーキュレアだけの状況を作ってもらうためだ。
「これで潜入に失敗したら、二度と出てこられないだろうな」
 堅固なマナミガル城。その地下牢に入れられたとしたら、単独での脱出は絶対に不可能だ。
「大丈夫よ。私、あのアサシナに捕まった人だって助けたことあるんだから」
「ウィルザという男か?」
「そのとおりよ。よく分かったわね」
「なんとなくな」
 それは嘘でも間違いでもない。先ほどウィルザと一緒に行動していたと聞いたからそうではないかと推測しただけのことだ。
「でも最初にあなたを見たときに思ったんだけど、どこかウィルザに似てるね」
「似てる? 俺がか」
「ええ。見た目も性格もぜんぜん違うんだけど、まわりの空気が似てる」
 そう言われても会ったこともない相手のことを想像することはできない。ガラマニアの宰相ウィルザ。やはり会いにいかなければならないだろう。
「この事件が片付いたら会いに行く」
「そうね。大陸の平和を考えるのならその方がいいと思う。ウィルザにとっても、あなたにとっても」
「お前は──」
 ウィルザという男が好きだったのか、と言いかけたがやめた。そんなことは無関係な人間が遠慮なく聞いていいものではない。
「なに?」
「いや、何でもない」
 少し雰囲気が変わったことを察したのか、サマンも何も答えない。
 そのまましばらくして、茂みの前を見張りの女性兵士が通りすぎていく。そして二人は頷きあうと、一気に城の外壁に取り付く。
 城というものは正面からばかり出入りするものではない。用途に応じてさまざまなところに出入り口がある。厨房の勝手口などもその一つ。食材を運び入れるための扉も、人が通れないことはない。
 二人は厨房から侵入し、警備の薄いところをぬって進む。階段を駆け上り、女王の寝室へ突入する。
 タイミングよく扉が開き、その中に滑り込む。中には女王エリュースと、騎士長カーリア。そして扉を開けたのはもちろんバーキュレア。
「これはどういうことだ、カーリア」
 カーリアは女王の傍で膝をついている。
「はい。女王陛下にお話があります」
「この男を、わが王宮に導き入れたのもそなたの仕業か」
「はい。私からより、この男から話した方がいいと考えましたので」
 カーリアは顔を上げずに言うが、それは女王を恐れてのことではない。自分の意思が変わらないことを示してのものだ。
「ならば命ずる。その男を今すぐにここからつまみだせ。そうすればこの件はなかったことにしてやろう」
「女王」
 だがカーリアが答えるより早くレオンが呼びかける。その無礼な物言いにエリュースの顔がひきつる。
「わらわを誰と心得る、下郎!」
「女王。お前は答えなければならない。さもないとこの忠臣の信頼を失うぞ」
「なに?」
「お前は何故アサシナに攻め込むつもりなのか、答えろ」
「ふざけるでない。そのような──」
「答えないというのなら、お前は私欲で戦争を起こす者とみなすが、かまわないか」
「貴様ごときの詮索するところではないわ、ひかえよ!」
 話は平行線で、妥協点はないように見える。だが、その態度を見たレオンは深く頷いた。
「なるほど。やはり会ってみて得心がいった。お前、女王ではないな」
 女王以外の三人が驚いたようにレオンを見る。
「何を馬鹿なことを」
「馬鹿かどうかはすぐに分かる。そうだな、お前がカーリアに初めて会った騎士叙任の日、何と声をかけたか言ってみるがいい」
 だが女王は不敵に笑った。
「痴れ者め。騎士にかける言葉など誰も同じ。カーリアだからとて初めはただの一騎士にすぎん。かける言葉など全員同じ」
「……だそうだ、カーリア」
 そう。
 既にカーリアは立ち上がり、剣を抜いている。
「貴様、何者だ」
「な、血迷ったかカーリア」
「血迷ってなどいない。私は陛下が騎士になれとおっしゃってくださったから騎士になったのだ。騎士叙任など受けていないし、初めてあったのが騎士になってからでもない」
「……」
 女王の顔色から血の気が引く。
「はかったな」
 だがすぐに女王の顔が戦闘モードに変わっていた。
「お前が浅はかなだけだろう。ケイン──いや、ケインの部下か。お前、本物の女王をどうした」
「そんな男のことは知らぬ。わらわは、わらわのために動いただけ。本物の女王は」
 その、女王の体が徐々に変化していく。
「本物の女王は……」
 皮膚は湿り気を帯、体は一回り、二回りと大きくなっていく。そしてところどころにえらができる。これは魚──いや、両生類か。それなのに三本の爪だけがやけに長く、鋭く伸びている。
「ゲ神! ゲ神が女王陛下になりすましていたというのか!」
「女王はもうこの世にはおらぬ」
 巨大な蛙と化した元女王が耳障りな声で言う。
「わらわが喰ってしまったからなぁ、もう五年も前のことだよ」
「き……さまぁっ!」
 激昂したのはカーリア。すぐに剣で斬りつけるが、弾力のある体を切り裂くことができず、跳ね返されてしまう。
「こうなってしまっては、帰すわけにはいかぬ」
「女王が王宮を女性だけにしたのも五年前かららしいな」
 八〇五年。それはいくつかの悲劇のあった年。
「それは、食料を確保するためか」
 サマンの顔から表情が消える。食料、とレオンは言った。つまり、それは。
「そう、若い娘ほどうまいものはない。この王宮ならば食料には事欠かぬ」
「五年もの間、ずっとたばかっていたということか。たいしたものだ。だが」
 レオンが剣を構える。
「俺に見つかったのが運の尽きだったな。これで終わりだ」
「痴れ者め。剣がきかないのは今見たとおりだ」
「痴れ者がどちらかはすぐに分かる」
 そしてレオンが動く。
 その蛙の目前に迫ると、身を翻して高く跳躍する。鋭い爪の生えた手がレオンを捕まえようと動くが、それより早くレオンの体は蛙の頭上にいた。
「力の差を見ろ」
 首筋に鋭く剣をつきたてる。その衝撃で刃は根元から折れてしまったが、喉深く剣は突き刺さっていた。致命傷だ。
「がふっ」
 蛙は緑色の体液を吐き出す。ここまで知性をもったゲ神というのも恐ろしいが、死んでしまえばそれも終わりだ。
「陛下……」
 カーリアが立ち尽くす。今まで仕えてきた相手が偽者で、本物は既にない。この事実をどう受け止めればいいというのか。
「この国はずっと間違った方向に動いていた」
 レオンが左手でカーリアの肩に手を置く。
「この国を立て直すのは、女王に信頼されていたお前だけなのだろう、カーリア」
「……私は」
 だがカーリアは涙をこらえきれずにその場にうずくまる。
「私はただ、女王陛下のお役に立ちたかっただけなのに……!」
 レオンも膝をついて慰める。これ以上の言葉は不要だ。ただ慟哭が少しでもまぎれればいい。
 だが。
 悲劇は、まだ、終わってはいない。
「レオンっ!」
 二人の体がバーキュレアによって突然突き飛ばされる。
 何が起こったのか、レオンには分からなかった。だが、体を反転させたとき、すべてが分かった。
「レア……」
 その左胸が、空いている。
 貫いたのは、先ほど倒したはずのゲ神の爪。
「ただでは死なぬ……貴様を、道連れに」
「黙っていろ」
 レオンの目の色が変わる。
 赤く、血の色に染まっていく。
「お前の出る幕じゃない」
 折れた剣を掲げる。その剣に、光の刀身が生まれた。
「ライトニングソード!」
 そのまま、剣を投げつける。その光の剣は蛙の頭部を貫き、爆発した。
 だが。
 レオンは、そのまま後ろを振り返ることができなかった。
 怖い。
 怖い。
 この後ろで、今、彼女が、どうなっているのかが怖い。
「……レオン」
 だが、彼女の弱弱しい呼び声に、彼はようやく振り返った。
「バーキュレア」
 彼は震えているのが彼女に気づかれないように、ゆっくりと近づいて、倒れた彼女を抱きかかえる。
「助けてくれたんだな。ありがとう」
「アンタの背を守るのが役割だからね」
 ふふっ、と力無く笑う。
 お互い、既に望みがないことは分かっていた。
「来年、お前と会ってから五年になる」
「そういえばそうだったね」
「お前は言ったな。五年後にもう一度言えと。あと半年ある」
「そうだったね」
「俺に、言わせないつもりなのか?」
 それは相手を非難する言葉。
 だが、彼女は笑って答えた。
「約束を守れなくてすまないね」
「許さない。だから、俺も約束を破ろう」
 徐々に彼女の目が薄く閉じられていく。
「俺はお前に惚れている。かなりな」
 彼女は既に答える力がなかったが、かすかに頬を上げて、最後の力を振り絞った。
「アタシも、さ」

 そして。
 彼女の体は、永久にその動きを止めた。







一つの物語の終わりは、新たな物語の始まりである。
マナミガルの混乱は終結した。そして、レオンはウィルザへ会う意思を固めた。
だが、歴史の流れは簡単に決着を見せることを許さない。
ガラマニアへ向かったレオンとサマンが見たものは。

「なんで……こんなことに」

次回、第三十話。

『望まぬ過去』







もどる