どこかで覚えがある。
 突然失った大切なもの。自分の手からこぼれ落ちていった何か。それは失われた記憶の中のもっとも重要な部分。自分の存在の拠所となるもの。自分がこうして生きていることの証。
 何かを得るために動き、何も得られないまま終わった。
 おかしい。
 自分は、何を求めていたのだろう。
 記憶を取り戻すことなのか。
 それよりも。
 大切なものは、目の前になかったのか。
「バーキュレア……」
 頭の中がぐるぐると回る。
 混乱中。思考停止状態。外界からの情報を遮断。防衛機制発動。
 考えるな。
 考えるな。
 この最初の嵐さえ切り抜ければ大丈夫。
 だから。
 自分の心が癒されるまで、考えてはいけない。
「何をぐだぐだやってるのよ」
 だが、そのレオンの胸倉つかみあげたのは、すぐ傍にいたサマンだった。
「バーキュレアさんを失って悲しいのは分かるけど」
 そのサマンも泣いていた。交流がそれほどあったわけではない。だが何度か世話になってその人柄には惹かれていた。カーリアやマナミガルの人たちもきっと同じだろう。
 傍にいて安心ができる存在。主張をせず、常に依頼主のことを考えて行動するプロの傭兵。
「あなたにはまだ、やらなければいけないことがあるんでしょう!?」
 再起動。その通り。自分はやらなければいけないことがある。たとえそれが望みではなかったとしても、自分がそう決めたのだからそれは成し遂げなければならない。
 そうでなければ、自分をかばって死んだ彼女に何を言えばいいのか。
「そうだな」
 修復機能を最大に。感情機能は最低に。思考力は通常の六五%。充分だ。少なくともこれからのことを考えるくらいは。
「ゲ神は既に死んだか」
 となると、マナミガルの問題は解決されたと考えてよい。余計なことを思考する力は今の自分にはない。この問題は別の人間に任せたい。
 だが、カーリアで大丈夫だろうか。女王を失い、バーキュレアを失った。彼女の喪失感はきっと今の自分と同じ。
「マナミガルにはもう王族はおりません」
 カーリアも頭がぼうっとしているかのように答える。
「これからどうしていけばいいのか……」
「それを考えるのはお前たちの仕事だ。ただ、少なくとも偽者の女王に従うよりはずっといいはずだ」
 とはいえ、この状況で考えることなどできるのか。難しいだろう。肝心のカーリアがこの様子では、国がまとまっていくとは思えない。
 だが、自分はもうこの国にかまっている余裕はない。自分の感情的にも、そしてこれからなすべきことをするためにも。
「カーリア。この国を平和に導いていくのはお前の役割だ」
「私の……」
「そうだ。女王からの信頼も篤く、部下から慕われているお前ならばきっとマナミガルを良い方向へ導けるだろう」
 だが感情が麻痺しているかのように彼女はぼんやりとただ頷くだけ。目の前の現実を認めようとせず、ただその場に流されているような感じだ。
「俺はこれからガラマニアへ向かう。サマン、そのウィルザという男に引き合わせてもらえるか」
「もちろん」
 サマンは頷く。そしてカーリアの方を見る。
「私たち、すぐにでも出発した方がいいと思うんです。レオンは男だし、カーリアさんから国のみなさんに説明するのが一番いいかと」
「そう……ですね」
 カーリアは頷いた。
「この国のことはお任せください」
「ああ。それから」
 レオンはその場にもう一度ひざまずく。
 そして、既に息を引き取っている彼女のなきがらに唇を落とす。
 血の味しかしない最初で最後の口吻。
 喪失。自分にとって大切な、かけがえのない、至高の存在。
 もう彼女は自分を守ってくれず、言葉をかわすこともない。
(俺はもう、お前の背を追い越している)
 満足そうな死顔。
(俺はお前に見劣りしない男だったか? お前は俺が成長するまで待っていてくれたが、俺はお前の期待に応えられたのか?)
 返事はない。ただ、最後に一言だけ。
『アタシも、さ』
 その返事が聞けただけでも良かったのかもしれない。
 死に目を看取り、最後の言葉を聞くことができた。それができない──に比べれば今回はまだ救われている。大きな絶望、突然の喪失、その苦しみは経験したことがある人間にしか分からない。
 おかしい。
 何か、自分の、体が。心が。
 体の一番奥の方から忘れてはいけないと主張する何かが競りあがってきて、自分の体を突き抜けていく。足の先から体を通って指の先へ、喉から頭へ。全身が何かを叫びたいと感じている。だが、それは形にならないもの。蘇らせることができる記憶は、自分が生きてきたこの十数年間のものだけだ。それ以外のことは思い出せないし、知らない。
(俺の、この体は)



「バーキュレアを頼む」
 だが、それは考えても仕方のないこと。思い出せないものは思い出せないのだから。
「分かりました。どうかご無事で」
 カーリアはぼんやりとした顔のまま答える。これから彼女がどうしていくかは分からないが、一抹の不安が残る。
「ではサマン、行くぞ」
「ええ」
 そうして二人はマナミガルを出た。







第三十話

望まぬ過去







 マナミガルから西域へ。西域から旧王都へ。そして王都から北のガラマニアへ。
 長い行程を二人は言葉少なく進んだ。
 まだ出会ったばかりということもあるが、バーキュレアの件が響いているのは間違いない。普段から無口なレオンだが、このときは一層何も話さなかった。サマンもその心境を思いやってか、まるで話そうとしない。
 だが、ガラマニアに近づくにつれ、徐々に二人の顔色が変わっていく。
 通り過ぎていく街の様子がおかしい。
 人々の様子がどこか落ち着きなく、何か大変なことが起こっているかのように。
 途中の街でサマンは一度別行動を取り、情報を集めた。わりとすぐにその理由は判明した。
「火事だって」
 サマンが少し鎮痛な面持ちで言う。
「規模は?」
「ガラマニアの王都は完全に炎上したって」
 さすがにその事実にレオンは言葉もない。
 王都炎上。アサシナの現状を考えれば、ガラマニアの国力はおそらくグラン大陸で一番だ。そのガラマニアの王都が完全に崩壊したとなれば、各国の国力は大差ないものに変わってくる。
 今まで力のあったアサシナ、ガラマニア、マナミガルの国力が弱まり、それまでマナミガルの属国にすぎなかったジュザリアが変わりに浮上してくる。東部自治区やドルークもいつまでアサシナの下にいるかは分からない。
(大国の存在が必要ということか)
 今まではアサシナが中央でにらみをきかせていたから大陸の平和は保たれていた。だが、アサシナが地方国家にすぎなくなった今、各国の思惑は複雑に絡み合い、いつ戦争が起こってもおかしくない状態になってしまっている。
(戦争が起きなければ問題はないが)
 ただ、戦争は起きなくても災害が起こっているのでは仕方が無い。自分の使命は大陸の混乱を鎮めることなのだ。
「ガラマニアへ急ぐぞ。そのウィルザという男に早く会わなければ」
「分かった」
 そうして二人は休むのもそこそこにガラマニアへの足を早める。
 ガラマニア入りしたのは既に七月も半ばを過ぎた頃だった。
 そこは確かに炎上した後だった。被災にあっていない建物などない。いたるところが火災の後遺症にあふれている。
「なんで……こんなことに」
 一時期この街で過ごしていたサマンにとってはショックだった。それに、自分の仲間たちはどうしているのだろう。ガイナスター王やドネア姫。神官ローディにニクラ人オクヤラム。
 そして、ウィルザとルウ。
「城のあったところへ案内できるか」
 サマンは白い顔で頷いた。
 炎上し、柱の後ばかりの街を歩いていく。人の影はない。既に避難は終わっているのだろう。ただ、どこへ行ったのかは分からない。
「この街を復興させるのではなく、別の街に拠点を移動させたのだろうな」
 レオンが冷静な口調で言う。
「うん。でも、治安維持やなにかの目的で、誰もいないっていうことはないと思うけど」
 その望みを抱いて二人は政庁までやってくる。
 あの巨大な建物、政庁もまた完全に焼けた後だった。
「誰だ!」
 その政庁にあった人影から声をかけられる。どうやら無人ではなかったらしい。
「私よ、ローディ。無事だったみたいね、よかった」
「──サマン、か。戻ってきたのか」
 いたのは神官ローディだった。無論、レオンは初対面なので相手の様子を観察しながら紹介を待つ。
「ローディ、こちらはレオン。前のアサシナ内乱で手伝ってくれた人。それからレオン、こっちが神官ローディ。元ザ神の副神官で、今はウィルザの協力者」
「はじめまして、ローディといいます。サマンがお世話になったようで」
「いや。それより俺はウィルザという男に会いに来たんだが、会えるのか」
 ウィルザの協力者というのなら話は早い。だがローディは首を振って答える。
「今は無理です。ガラマニアにおりません」
「なるほど」
 レオンは周りの様子を見て頷く。
「この惨状もあわせて、具体的な話が聞きたい。どこか腰を下ろせるところがあればいいのだが」
「それでしたら、少し先に仮設住宅がありますので、そこへ参りましょう」
 ローディも話をするには不向きだと感じたか、すぐに頷くと案内し始めた。道すがら、ローディがサマンに尋ねる。
「サマンはこの惨状を聞いて戻ってきたのか?」
「ううん。知ったのはガラマニアに入ってから私は彼をウィルザに会わせる仲介役だから」
「なるほど。お前が連れてくる相手ということは、マ神に関係することか?」
「そこまでは聞いてないけど」
 と、先を歩いていたサマンがレオンを振り返る。
「ねえ、レオン。あなた、大陸の平和を守るのが目的って言ってたわよね」
「ああ」
「それって、マ神と戦うっていう意味?」
 いったい何を意味しているのか、その言葉の真意はレオンには分からない。この場合は相手に変な期待を持たせない方がいいだろう。
「何のことか分からん。俺はただ、混乱が生じるならそれを止めるだけだ」
「マ神がらみじゃないみたい」
 レオンの言葉をそのままローディに伝える。するとその神官は立ち止まってレオンを見つめてくる。
「では、何のためにあなたは大陸の平和を願うのですか?」
 それが純粋な疑問なのか、それともレオンという人間を見極めようとしているのかは分からない。だが、それに対する答えは一つだけだ。
「なくした過去を取り戻すために」
「なくした?」
「ザ神が、大陸の混乱を防げば記憶は戻るだろう、と俺に言った。だからその通りに行動している」
「ザ神に……そうでしたか」
 少しローディは表情が柔らかくなってまた歩き始めた。
「よかったね」
 サマンが隣に近づいてきて笑顔で言う。
「よかった?」
「ローディがあなたのことを認めてくれたっていうこと」
「別に誰に認められる必要もないが」
「あなたにとってはそうかもしれないけど」
 サマンは一度言葉を区切った。
「でも私はうれしいかな。知ってる人同士が仲良くしてくれるのって、気分いいでしょ?」
 それに対しては肯定も否定もない。自分はただ追い求めていただけだ。
 今となってはもう、望まない過去を。
(バーキュレアが蘇るのなら、過去など必要ない)
 それが彼の素直な気持ちだ。彼が過去を求めているのは、今となっては『死者に殉ずる』というのが最大の理由だ。
 とはいえ、今までずっと会いたかった男。今は会えないとしても、その手掛かりはつかんだ。きっとこの先を進んでいけば、自分の過去に手が届く。
(バーキュレア。お前の死、無駄にはしない)



 仮設住宅は本当に単なる小屋にすぎなかった。ただ、一応暮らしていくには不自由しない程度の設備は備わっている。この街に住んでいた人々は別の場所に移した。ここで暮らしているのは災害調査にあたっているローディたちだけだ。
 ローディの説明によると、ガラマニアで火災が起こったのはちょうど三ヶ月前。ウィルザたちがちょうどマナミガルにいた頃だった。
 火の手がどこから上がったのかは分からない。ただ、その火を待ちわびていたかのように、街中を一気に炎が走り抜けた。それだけ火の勢いが早かった。多くの人が火に巻かれて死んだ。
 三日三晩、火はおさまらず、すべてが終わったときには無事な建物は一つたりともなかった。
 国王はすぐに遷都を決め、王都から近い交通の便の良い場所を選んで、単なる地方都市にすぎなかった場所を、たった二ヶ月で見違えるような王都に変えた。
 ただ、資材ばかりはすぐに集まるわけでもない。また、食料などの問題もある。そのため宰相であるウィルザ自ら、ルウとドネアを伴ってアサシナに援助を求めて行ったのだそうだ。
(すれ違いというわけか)
 まあ宰相というほど地位が高いのなら、必ずしも王都にばかりいるものではないのかもしれないが。
(会いたいときになかなか会えないものだな)
 ウィルザはしばらくアサシナにいて、ガラマニアとのパイプ役に徹するつもりらしい。そういうことなら話は早い。
「西域に向かうぞ」
「了解」
 こうして二人はウィルザを追いかけていくこととなった。







歴史の『表』を歩むウィルザに会うために。
歴史の『裏』を歩むレオンがその足跡を追う。
だが、その影は遠く、触れることもかなわない。
彼の姿はいつになれば見ることができるのか。

「あの件が尾を引くことになるとはな」

次回、第三十一話。

『思わぬ余波』







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