西域は元来ゲ神信仰の強い地域である。
 その地域に強引にザ神信仰を根付かせるようなことをアサシナはしていない。神殿の機能を旧アサシナから移転させ、移住してきた人のためにザ神殿を開放している。もともとこの地域に住んでいた人々に強引にザ信仰を強制するようなことはしていない。もしそうしようものなら内乱になってしまう。
 ただ、アサシナはあくまでザ神を主神とし、ザ神の加護を得て発展した国家である。また、国王の判断よりもザ神の決定の方が優先される。いわば宗教国家としての色合いが強い。となると、この地域におけるゲ神信者への扱いが厳しくなるのは当然のことだといえた。
 特に西域のゲ神は強い。一人旅はまず狙われると思っていい。集団で行動していても襲い掛かる勇敢なゲ神がいるくらいだ。ザ神信者が新王都から外に出ることはまずない。少なくとも騎士団が一定の治安を保つまでは都市にとらわれたままとなる。
 この地域にやってきたレオンとサマンはそうしたゲ神からの襲撃も受けていたが、そのほとんどがレオン一人によって撃退された。ザ神の力を三つ手に入れている彼にしてみれば、今さらどのようなゲ神であろうとも敵ではなかった。
 無表情で淡々と敵を殲滅する彼の姿に、サマンが首をかしげて言う。
「強いのはウィルザと同じなのになあ」
「なんだ?」
「いや、なんでも」
 何か含むところがあるような言い方だったが、それ以上は追及しなかった。だいたいその先にある答が想像つくからだ。

 ──そんなに、バーキュレアのこと。

 もちろん忘れることはできないし、そのつもりもない。自分の感情機能はまだゼロのまま。これが元に戻る日がいつになるのかなど想像もつかない。
(考えるな)
 思考は感情を呼び起こす。今はそのことを考えてはいけない。考えるのはもう少ししてから。自分がもう少し落ち着いたということが判断できてからだ。
 そうして二人が新王都についたのは九月に入ってまもなくだった。
 思えばこの一年はひたすら動き続けている気がする。その中でいろいろな事件もあったが、新王都は今年の初めにも一度来ていた。そのときはこの大陸の害になると思われた男を一人始末したのだったが。
「きさま、指名手配の──レオン!」
 考えてみれば、あの状況でいなくなった自分がカイザー殺害の犯人にされていても当然のことだった。
「あの件が尾を引くことになるとはな」
 もっともカイザー自身が犯罪者だったため、それほど大事にはなっていないだろうと重く考えていなかったこともあったが。
「そのレオンがミケーネとミジュアに用がある。さっさと取り次げ」
「ふざけるな! 貴様を見つけたら即刻連れてこいと、そのミケーネ様のご命令だ!」
「ほう?」
 レオンは感心したように頷く。
「さすがにミケーネだな。状況をよく分かっている。ミケーネは『連れてこい』と命令したんだな?」
「何を」
「だったらお前が俺を捕らえるまでもない。ミケーネのところに俺から出向いてやる」
 言うなりレオンは城に向けて歩き出そうとする。
「な、止まれ!」
「悪いが、俺も気が昂ぶっている。邪魔をするというのなら眠ってもらうぞ」
 レオンは兵士を即座に昏倒させると、堂々と城門破りを行った。
「……これって立派に犯罪じゃないの?」
 サマンが尋ねるが、そんなことを気にしてなどいられない。
「俺の邪魔をする奴が悪い」
「なんて自己中心的」
 はあ、とサマンはため息をついた。
「ま、いいわ。毒食らわば皿までって言うしね。つきあうわよ」
 そして二人は走り出す。
 緊急事態ということが分かったのか、あちこちから兵士たちが出てくるが、そんなものにかまいはしない。風のように走り抜け、城にたどりつく。
「待て、レオン!」
 その城門に控えていた女性が大きな声で制止する。
「ほう、お前が出迎えか。あんなことがあったわりには元気にしているようだな、ゼノビア」
 浅黒の女騎士は顔をしかめる。
「パラドック様の件以来だな。何をしに来た」
「ここにガラマニアからウィルザという男が来ているはずだ。会わせてもらう」
「ウィルザ?」
 彼女は顔をしかめる。
「ガラマニアの宰相に何の用だ」
「お前には関係のないことだ。さっさと案内しろ」
「相変わらず無礼な男だ」
 ゼノビアは明らかに忌まわしいものを見る目つきで言う。
「だが無理だ。ウィルザならばここにはもういない」
「なに?」
「こちらにもいろいろとあってな。詳しいことが知りたいのならミケーネに会っていくといい」
 それならば話は早い。一番状況が分かっている人間から聞くのが一番だ。
 追いかけてきた兵士をゼノビアがおさえ、二人を中に案内する。
「場所を教えてくれれば自分で行くが」
「馬鹿が。お前は指名手配犯も同然だぞ。お前が一人でうろついていたらすぐに兵士の山に取り囲まれるだろう」
「カイザーの件はどうなったんだ?」
「別に。ただ、ミケーネがどうしてそういうことになったのか事情を詳しく聞きたいから連れてくるようにと命令したのだが、気づけばそれが指名手配犯扱いになっていた。上と下とでの意見の相違があったわけだが、その方がお前が見つかる可能性が高いということで放置した」
「ミケーネが?」
「いや私がそうするようにミケーネに言った。お前にはさんざん煮え湯を飲まされたからな。これくらいのことをしなければ気がすまん」
 隣でサマンが苦笑した。仲が悪そうだが、それでもお互いのことをよく分かっているという様子だった。
「煮え湯と言っても、俺はお前にそんなにひどいことをした覚えはないが」
「それは言っても仕方のないことだと思うわよ、レオン。ゼノビアさんがあなたのことを怒っているのは、あなたがゼノビアさんに何かしたからというわけじゃないもの」
 楽しそうなサマンの様子に、ゼノビアが仏頂面で言う。
「サマン。あまり余計なことを言うな」
「はいはい」
 その様子を見て今度はレオンが意外そうな目を向ける。
「知り合いなのか?」
「まあね。バーキュレアさんと同じ、例の件で知り合って何度か話はしたけど、それくらい」
 その名前が出たときに、ずっと能面だった彼の表情が一瞬翳る。だがサマンはそれに気づかない振りをした。
「話を戻すが、カイザーはどのみち極刑だった。だからお前の罪はそれほど重いものではない。お咎めなしということだ」
「だろうな」
「ただ、その状況を知っているものがいないのは困った。だからいまだにその事件は『カイザー暗殺事件』として迷宮入りだ。何しろ犯人がとっくに王都からいないのだからな」
 レオンは肩をすくめた。それは申し訳ない、とでも言っているかのようだった。
「ここだ」
 そうしてゼノビアが連れてきた部屋に入る。
 そこは来客室だった。







第三十一話

思わぬ余波







 中は普通の客室というには少し広かった。いや、大幅に広かった。これはただの客室ではない。貴賓室とでもいうべきものだ。一戸建ての家くらいのスペースはかるく備えている。
 そこにいたのは二人の人物。一人は言わずとしれたミケーネだが、もう一人はまだほんの少女だ。十歳を少し回ったかどうか、というくらいだろう。
「ミケーネ、客だ」
「ゼノビア、こんなところに──」
 ミケーネが振り返ってゼノビアと、その連れを見る。瞬間、彼は飛び上がった。
「レオン!……お前はまったく、いつも突然に現れるな」
「カイザーの件では迷惑をかけたな」
「いや、それについてはいいんだ。詳しいことが聞ければいいのだし、何よりもう終わったことだからな」
「詳しく説明してもいいのだが、こちらにも事情があってな。少々急いでいる」
「そうか」
 ミケーネは隣の少女を見てから立ち上がる。場所を変えようというのだろう。だが、ゼノビアがそれを止めた。
「待て。彼女にも聞いてもらった方がいいだろう。何しろウィルザの件だからな」
 すると二人の動きが変わる。
「ウィルザに?」
「そうだ。その男に会いたかった。もうここにはいない、と言われたのだが」
「そうか。そういうことなら一足遅かったな。ウィルザはジュザリアに向かった」
「ジュザリア?」
 まったく、どうしてこうも追いつかないのだろう。会いたいと思うときになかなか会えない。何かの嫌がらせだろうか。
「それで、この女の子が何か関係しているというのか?」
「まあ、そういうことになるのだが……」
「私のことならお気になさらないでください、ミケーネ様」
 その女の子からしっかりとした声が出る。
「私はファルといいます」
「ファル?」
 その言葉にサマンが反応する。どこかで聞いたことがある、という様子だ。
「はい。実は私には兄がいるのですが、その兄が、ウィルザ様の恋人を誘拐したのです」
「誘拐?」
 突然、なんとも言いようのない事態が舞い込んできた。それはいったい何の冗談だ。
「ルウさんが?」
 サマンが身を乗り出して尋ねる。ファルは小さく頷く。
「兄は自分の目的を達成するために、何がなんでもそうしなければならないと言っていました」
「話が見えないな」
 レオンは首を振った。
「詳しい状況が知りたい。確かウィルザはドネア、ルウと一緒にここに来たということだったな」
「そうだ。ガラマニアの地震により物資の援助を申し出てきた。我々はそれを了承し、資材を既にガラマニアに向けて送らせた。三人ともそれと一緒にガラマニアに帰る予定だった。だが、出発の前日だった。ルウさんがいなくなったのは」
「では、行方不明になったということか? それなのにどうしてその犯人が分かる?」
「それはこのファルさんが説明に来てくれたからだ」
 そこがよく分からない。妹ならば兄の手伝いをするものではないのか。そもそもただの一少女がこれだけ厚遇される理由が分からない。
「お前とお前の兄はどういう人間だ?」
「はい。兄はアサシネア・イブスキ。アサシネア五世陛下の実子にあたります」
「五世というと、六世がクーデターで倒した国王か」
「はい。兄は自分がアサシナの正統な後継者であると信じています。アサシナを取り戻すのは自分に当然備わっている権利であると」
「傍で聞く分には充分にばかばかしいが、それは置いておこう。ということはお前も五世の子供ということか」
「はい。ただ私は後妻の子でしたから、兄とは異母兄妹になります」
「それで兄とは仲がよくない?」
「……私は兄が好きなんですが」
 消極的な答は、自分がそうであっても兄が同じように思っているわけではない、ということだ。
「話は分かった。それでお前が兄の犯行を教えにきたのはどうしてだ?」
「私と兄はしばらくジュザリア王にかくまってもらっていました。ですがある日突然兄が『アサシナに来るガラマニア宰相の恋人を誘拐する』という話を国王陛下となさっていて、次の日にはもういなくなっていたんです。兄は言ったことを実行に移す人だということを私はよく知っています。だから」
「アサシナに伝えに来ようとしたわけか。ジュザリアから一人で来たのか?」
「国王陛下に護衛はつけていただきました。ただ、私が到着したときには既にいなくなった後でした」
「なるほど、事情は分かった」
 レオンは頷いたが、まだ納得がいっていない様子だった。
「何が気になっている?」
「簡単なことだ。それだけの情報で何故ウィルザがジュザリアに行くことにしたのか、そしてルウを誘拐したのがイブスキだと断定したのかが分からん」
「ウィルザはね、そういうことが分かるの」
 答えたのはサマンだった。
「いろいろなことを知っている。それも唐突に分かったりする。それまで知らなかったことが突然知っていたりする。たぶん、その力だと思う」
(なるほど。俺の先見の力のようなものか)
 ザ神はウィルザには協力者がいると言っていた。おそらくはその協力者とやらが情報を流しているのだろう。
「やれやれ。ここまで来てジュザリアか。マナミガルに残っていれば捕まえることができただろうに」
「仕方がないよ。相手の居場所なんて分かるはずないし」
 サマンが慰めるが、これでは単なる時間の無駄使いだ。
「そういうことなら早速だがジュザリアへ向かう。急いで追いかけないと追いつかなさそうだ」
「私も連れていってください」
 ファルが身を乗り出す。
「兄を止めたいんです。微力でも何かできることがあれば」
「お前は──」
 レオンが答えようとしたとき、軽い眩暈を覚える。
 この感覚は、先見の力──






「──ついてきてはいけない」
「どうしてですか?」
「分かりやすく言えば、来たら死ぬ」
 ファルが息をのむ。
「兄が何をしでかしたところでお前のせいではない。お前が来たからこそ事態が判明したことも多い。だとしたら事件が解決するまでここにいることがお前の仕事だろうよ」
「ですが」
「言葉が足りないなら、足手まといだ、と言われたいか?」
 その言葉はさらに堪えたようで、彼女はもう何も言わなくなった。
「以上だ。ミケーネ、悪いがすぐに出る。説明はまた今度でかまわないか」
「まあ、急ぐわけではないけれど」
 そう。確かに急ぐわけではない。何しろ、カイザーが裏で手を組んでいたマナミガルは完全に変わってしまったのだ。もはやアサシナが脅威になるということはない。
「行くぞサマン。ウィルザを追う」
「りょーかい」
 さすがに旅の連続では疲れるだろうに、それでもサマンは嫌な顔一つせず立ち上がった。
 目指すはジュザリア。そこにウィルザがいる。







ジュザリアはマナミガルの属国である。
かつてマナミガルの要求で何度か戦争に参加したことはある。
だが今、マナミガルの政権が変わり、ジュザリアも変化の時を迎えた。
イブスキとリボルガン。彼らの考えるものは──

「これはどういう嫌がらせだ、いったい」

次回、第三十二話。

『変わる宿命』







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