ジュザリアはマナミガルのさらに南方の小国である。
 国としての主権は建前上残されているが、実際のところはマナミガルの属国という扱いだ。マナミガルが兵を出せと言えば出し、協力しろと言えば協力する。それがジュザリアという国。
 だが、ついにジュザリアにも変革の時期が来た。マナミガルのエリュースが『ゲ神に襲われて殺された』という報が大陸各地を駆け抜け、それに伴ってジュザリアの動き方も変わった。
 問題はそれが、どのように変わるか、ということだ。
 無論、旧体制のまま属国扱いをされるのはもうご免だ。
 ならば、新マナミガルと対等の条約、同盟を結ぶのか。
 それともジュザリア出身であるレムヌ王妃がいるアサシナとの関係を強めていくのか。
 もしくは、それ以外の第三の選択肢を取るか。
 すべては国王リボルガンの胸の内にある。
「リボルガン王っていうのはけっこう聡明な人だったよ」
 ジュザリアに到着する直前、サマンが突然そんなことを言い始めた。
「ジュザリアにも行ったことがあるのか?」
「うん。まだあの新旧アサシナ戦争の前、ウィルザが宰相になったばかりの頃に大陸各地を歩き回ったから。ウィルザと一緒にジュザリアまで来て、リボルガン王とも仲良くなってた」
「なら取り次ぎは期待してもいいのか?」
「やっぱりまだ本調子じゃないね、レオン」
 少し困ったような顔をするサマン。
「何がだ?」
「ファルの話を覚えてる? アサシネア・イブスキはリボルガン王がかくまってたんだよ。これがイブスキの単独行動か、それともリボルガン王との共謀か、まだ分からないじゃない」
 確かに、その程度も頭が働いていないのは迂闊だったとしか言いようがない。
「まずはウィルザに会うのが最優先、か」
「そういうこと。間違いなく味方だからね。逆にイブスキは間違いなく敵。後はリボルガン王がどっちなのかはこれから判断すること」
「分かった。まずはウィルザの居場所を確認することから始めよう」
「ええ、任せておいて。久しぶりに私もウィルザに会いたいし、ルウさんのことも心配だから」
 ルウを誘拐してジュザリアまで連れ込んだというイブスキ。そしてそれを追っていったウィルザ。
(ここで会えるのか? それともまだお前は俺の先へ行くのか?)
 会いたいのになかなか会えない。歴史の表を進む人間。
(表と裏)
 レオンはそのふとした疑問に背筋が震える。
(本当に、会うことができるのか?)
 自分は歴史の裏側を見る存在。そして相手は表を歩む存在。
 表と裏が交わることは、ない。
(考えるな)
 大陸は常に危機と共にある。混乱を防ぐのが自分の仕事で、それはウィルザも同じはず。
 ならば混乱の中心へ飛び込めば、必ずそこにウィルザがいるはずだ。
(今、問題は明らかにジュザリアで生じている)
 ウィルザがここにいるのは間違いない。
(逃がさない。今度こそ俺に会ってもらうぞ、ウィルザ)
 暦は既に、十二月に入っていた。






 ジュザリア王都に入り、一日かけてサマンが調べてきたものの、結局イブスキの話もウィルザの話も情報としては手に入らなかった。やはり国王が鍵になる、ということか。
「やっぱり明日にでも王宮に行ってみるしかないわね」
「それでは遅い」
 レオンは断言する。ここで歩みを遅くすれば、その分だけウィルザが遠ざかってしまう。今は近づくことが先決なのだ。
「王宮に行く」
「今から? もう夜遅いから正面からじゃ」
「入る方法などいくらでもあるだろう」
 やる気だ。
 レオンをここで止めようとしたら、間違いなく城門破りか何か、とにかく犯罪に類することをするに違いない。
「分かったから少し落ち着きなさい」
 サマンはぺしっと背の高いレオンの額を叩く。
「いくらか忍び込む方法は持ってるから、一人で意気込まないの。私だって酔狂であんたと行動してるわけじゃないんだから」
「迷惑をかけるな」
「そう思うんだったら今日のところは自重してくれるとありがたいんだけど?」
「すまない」
 まったく、とサマンはため息をつく。
「でも、ま、今はまだ自分から動いているだけマシってところかな」
「何のことだ?」
「こっちの話。それじゃ行きましょうか」
 そうして二人は行動を開始する。向かう先は郊外の空井戸。
「ここから侵入できるわよ」
「詳しいな」
「そりゃ王宮なんだから、非常出口の一つや二つあるでしょ? そうしたのをできるだけたくさん調べておくといろいろ都合がいいから。あ、でもアサシナの新王都だけは駄目。あそこは全くチェック入れてないから。他の王宮ならどこでも入れるよ。特にガラマニアなんか楽勝──」
「火災で新しく作り直したのにか?」
「そうでした」
 がっくりと膝をつくサマン。となるともうサマンが自在に出入りできるのはマナミガル、ジュザリアといった南方に限るということだ。
「じゃ、まずはいきましょうか」
 どうぞ、と空井戸を指す。長く使ってないのでくもの巣だのなんだのが多いから先に行け、ということだろう。まあ、これで王宮に入れるのなら問題はないが。
 空井戸を降りる。当然下は真っ暗で何も見えない。松明をつけて奥へと進む。そもそもこの井戸は井戸に見せかけた単なる通路だ。水など全く入っていない。
 そうして二十分ほども歩いたところで金属製の扉にあたる。
「鍵は?」
「かかってないよ。もし鍵が必要だったらいざというときに使えないでしょ?」
 一理あるが、内側から閂とかくらいはするものではないだろうか、とも思う。まあ、城内の人間にすら気づかれないような扉なら問題はないのかもしれないが。
 扉はさび付いていたが、それでもなんとか動く。これで緊急時に大丈夫なのだろうか。
 中は薄暗い石室。見たところそこからどこにも出入り口がない。ただハシゴが一つ、壁についているだけ。
「これを上れということか」
「はいはい、黙ってないで上る上る」
 外れたりしないだろうか、と一応強度を確かめるが問題はなさそうだ。レオンはそのハシゴを上る。距離にして十メートル以上はあった。
(だいたい……城の二階か三階くらいまでは来たか?)
 上りきったところにもう一つ赤い扉。サマンが到着するのを待ってから静かにその扉を開けようとするが、こちらは鍵が閉まっている。
「任せて」
 サマンが鍵穴に針金を差し込み、待つこと五秒、カチャリと音がして鍵が開く。
「随分と簡単に開くものだ」
「使うのは王様だけだからね。頑丈すぎる鍵はいらないってこと」
 そして扉を開いたそこは。
(やれやれ。こんな簡単に来れるものなんだな。管理体制がなってない)
 ジュザリア国王の寝室であった。







第三十二話

変わる宿命







 寝室には誰もいなかった。夜とはいえまだ仕事が残っているということなのだろう。
 このまま城内に行くよりも、ここで国王の帰着を待つ方が確実に会える。
「どうする?」
 ささやくように尋ねてくるサマン。
「まずは隠れる場所を探す。国王が入ってきたら捕らえて吐かせる」
「うわ、犯罪」
「ここにいることがバレたらどのみち極刑だろう」
「了解。じゃ、私はベッドの影に。レオンは?」
「俺はここでいい」
 レオンは堂々と、内開きの扉の影に入る位置に立つ。
「うわ、勇者」
「見張りの兵に気づかれなければいいだけだ。たいした問題ではない」
 そして耳を澄ませると、誰かが近づいてくる音がする。二人は視線をかわし、素早く場所取りを行う。
 扉が開いて、一人の男が入ってくる。
 扉が閉まると同時に、レオンはその男の背後を取って口を塞いだ。
「むっ!」
「静かに、国王。あまり騒ぐとこのまま二度と目を覚まさないかもしれない。俺も自分の命が惜しいんでね、あんたの命と引き換えに自分の命を守ろうとするかもしれない」
 それで少し力を抜いた国王の口から手を取る。無論拘束は解かない。その間にサマンが近づいてきてその前に立つ。
「お久しぶりです、国王陛下」
「お前は、ウィルザ殿に従っていたサマンではないか。こんなところで何をしておる」
「はい。今、陛下の後ろにいる者が、是非とも陛下にお会いしたいということでしたので、少々手引きをいたしました」
「これが人に会うときの態度というのならば、そなたらは相当礼儀に欠けていると言わざるをえないな」
「礼儀知らずはあんたの方だろう、国王」
 鋭い声が国王の声を遮る。
「マナミガル女王が倒れたとたんに手のひらを返し、かくまっていたアサシネア・イブスキをアサシナに派遣し、ガラマニア宰相ウィルザの恋人を誘拐させる。アサシナとガラマニアの関係をこじらせ、あわよくば戦争に持ち込ませ、両国疲弊したところをジュザリアがすべて統治する。なかなかよく考えられたシナリオだな」
「お前たちはどこの者だ?」
 だがリボルガンは答えない。逆に質問してきた。
「質問をするのは俺だ。アサシネア・イブスキはどこにいる。ルウをどこへ隠した。ウィルザは今どこにいる。答えろ」
「それは答えることができん。何故なら、ワシも知らん」
「ふざけるな」
「ふざけてなどおらんよ。そもそもその馬鹿げたシナリオはなんだ。ワシは確かにイブスキの後見人となったが、アサシナに送り込んだことはない。あれはイブスキの単独行動だ」
「単独?」
「そうだ。ある日突然あいつめが取り付かれたように、ウィルザ殿の恋人を誘拐すると相談を持ちかけてきた。ウィルザ殿にはいくばくかの恩もあるし、それはならんと止めた次の日にはもういなくなっておった」
 次の日。ということはファルの言葉とほぼ一致する。
「それでファルに護衛をつけてアサシナへ送ったということか」
「ファル」
 拘束されたまま、なんとか後ろを振り返ろうとする。
「ファルは無事か」
「アサシナで保護されている。ミケーネの管轄だから悪いことにはなるまい」
「そうか、よかった」
 ふう、と一息つく。どうやらリボルガンが敵ということはなさそうだ。背中ごしにサマンと視線を交わす。頷きあい、拘束を解いた。
「失礼した。国王が敵か味方か分からなかったので、こういう手段をとらせてもらった。非礼は幾重にも詫びる」
「その口ぶりも多少改めてくれるとありがたいが」
 リボルガンはつまらなさそうな口調で言うとベッドに腰を下ろした。
「ならばワシの質問にも答えてもらおうか。お主たちはどこの者だ? ウィルザ殿に関係しているのか?」
「関係はない。だが、ウィルザを探している者だ。アサシナまで追いかけていったらジュザリアに来ていると言われたのでな。追いかけてきた」
「ルウ殿が捕らわれたからか」
「そうだ。ウィルザはここに来たのか?」
「来た。三日前だ」
「今どこに」
「分からん。昨日、突如いなくなった」
「いなくなった?」
「うむ。国から出たという話も聞いてはおらん。いったいどこへ行ったのやら」
「心当たりは?」
 少し考えてから首を振る。
「国王、正直に言え。今、何を考えた」
「いや、昨日の出来事から、馬鹿げた噂が宮中に流れただけじゃよ」
「昨日?」
「うむ。昨日、この街の上空に『空を行く人々の船』が現れたのだ」
 レオンは顔をしかめた。
「なんだ、それは?」
「知らぬか。この大陸の上空には一隻の船が飛んでいる。その船に住んでいる人々を『空を行く人々』と呼ぶのだ」
「初耳だな。サマンは聞いたことが?」
「あ、うん。そういえば私がウィルザと初めて会った日にも飛んでたよ」
 嫌な予感がする。
「まさか、噂というのは」
「うむ、まさにその通り。空を行く人々の船に乗っていったのではないか、というものだ。全く馬鹿な話だ」

 全く馬鹿な話だ。ここまでウィルザを追い詰めておいて、最後に逃げられた。

「一日。たった一日」
 強く手を握り締める。どこかで一日早くここまでたどりつくことはできなかっただろうか。いや、今回は最初から最後まで余計なことは一切していなかった。これ以上の行軍は不可能だった。
 やれるだけのことをやったのだ。
「これはどういう嫌がらせだ、いったい」
「まさか」
「間違いない。ウィルザはその船とやらに乗った。そうでなければ説明がつかない」
 だが、いったい何故。
 彼はルウの足跡を追っていたはずだ。それが船に乗ることとどう関係がある。
「お主たちはいったい──」
「待て、国王」
 と、国王を手で制する。ただちにサマンが動いて、扉に耳をあてる。
「人がくる。たくさん」
「まずいな。バレたか」
「お主たちはいったんそこへ隠れるがよい」
 国王が隠し通路を示す。一旦かくまってくれるということか。
「分かった。感謝する」
「うむ。続きはすぐに」
 そしてレオンとサマンがすぐに隠し通路の扉の向こうに入る。
 その瞬間だった。

 頭が、痛む。
 先見の力が、発動する。
 その、映像は。

「国王!」
 閉めたばかりの扉を蹴破る。
 その向こうでは、剣を抜いた兵士たちが今にも国王を殺害せんとしていた。
「させるか!」
 レオンは剣を抜き、その兵士たちを斬り伏せる。
「大丈夫か、国王」
「なんとかな」
 レオンが一瞬で倒した兵士の数は五。このままだとまだ次が来ると考えなければならないだろう。
「国王に妻子は?」
「おらぬが、どうした」
「城を抜け出す。今、お前は狙われている」
「そういうことなのだろうな。まあ、誰の差し金かはわかっているが」
 三人の頭に、同じ名前が思い浮かんだ。
「アサシネア・イブスキ。この国を根城にするつもりか」







アサシネア・イブスキが狙ったのは自分をかくまった国だった。
何故彼がそのような行動に出たのか。そして消えたウィルザの行方は。
表を歩むものと、裏を歩むもの。
二人の行動はこれから、大きな変化を見せる。

「俺に何をしろと言うのだ」

次回、第三十三話。

『荒ぶる神々』







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