三人はすぐに隠し通路へと入る。扉を閉めると通路のありかは部屋からは分からなくなる。抜け道があると気づいたとしても、見つけるまでにはかなりの時間を必要とするだろう。
 梯子を降りて、地下道を抜け、ようやくもとの郊外の場所まで戻ってくると、城の方がやけに騒がしいことになっている。
「どうやら国王を探しているようだな」
「人気者ね」
 サマンが軽口で答える。だが無論、ここは冗談を言うような場面ではない。
「マナミガルといい、ジュザリアといい、やはり俺はこの大陸の騒乱に巻き込まれる運命にあるようだな」
 その独白の中には失われた女性への気持ちが多分に含まれている。
「どうする、これから?」
「ウィルザを追いかけるのが現実的に無理ならば、まずはやれることをするべきだろうな」
 つまりこのジュザリアの問題を解決する、ということだ。
「割り切りが早いのね」
「悩むだけ無駄だ。それに、この問題を解決すればウィルザを追いかける方法を探すこともできるだろう」
「うーん」
 さすがに空を行く船を追いかける方法までは思いつかないが、それでも前進することはできる。
「解決の方法は?」
「アサシネア・イブスキを殺す。それが一番早いだろう」
 分かりやすい解決策にサマンも「じゃあそれでいこう」と頷く。
「国王。イブスキが本拠地にしそうな場所はどこか分かるか?」
「あの男ならば、自分が制圧した城をそのまま根城とするのではないかな」
「道理だな。ということは、少し時間を置いてここから逆に戻ればいいんだろうが」
「もちろん、そんなつもりはないんでしょ?」
 ほう、とレオンが感心する。
「何故そう思う?」
「その手段をとるなら、少なくとも数日の期間をおかないといけない。あなたは早期決着でいくつもりよね?」
「その通りだ。さて、国王。まずはお前の身柄を安全なところに移さなければならない。まずは、そうだな」
 レオンは国王の姿を上から下までじっくりと見る。
「その邪魔な服を脱いでもらおうか」






 そうして三人はジュザリアの街の宿屋に入った。
 王宮での揉め事が飛び火してくるのを恐れたか、既に市内は静まり返っている。おかげで回りに見られなくてすんだ。ありがたいことだ。
 リボルガンも案外堂々としていて、自分が追われている立場だというのが本当に分かっているのかという様子だったが、そこは『下手にこそこそしているのはおかしい』という考えに立っているらしい。まあ、市井の人間の何人が国王の顔を知っているかなど分かったものではないが。
 国王は王衣を脱ぎ捨て、普通の麻布の服に着替えていた。髭も剃ってしまった方がいいだろうと考えたのだが、なんとつけ髭だったらしい。あまりむさくるしいのは好きではないが、王の威厳を見せるためにつけていたのだという。つけ髭を取ったリボルガンはどこから見ても普通の親父だった。
「王の威厳も何もかもあったものではないな」
 リボルガンが楽しそうに言う。この状況でも全く動じることがない。屈辱的だとは思わないのだろうか。
「それにしても、王。お前、本当に俺たちについてきてよかったと考えているのか?」
「お前たちはワシの命を助けてくれただろう」
「それも、俺とイブスキの狂言だとしたらどうする?」
「まあ、ありえないことではないが、そこまで深く考える必要もないことだな。ウィルザ殿の姿が見えなくなってからサマン殿が現れた。ウィルザ殿は信頼できる相手、となれば今回の選択はきっと間違いではなかろうよ」
「信頼されているな、ウィルザは」
「ま、ね。ガラマニアの宰相になってから、マナミガルもジュザリアも何度も行ったからね。もうすっかり顔なじみ」
 ここにいればおそらく一日、二日は問題ないはずだ。リボルガンが行方不明となって、イブスキが次にどういう手を打ってくるかが問題だ。
「国王はしばらくここにいてくれればいい」
「どうするつもりかね」
「イブスキが邪魔なら排除する。それだけのことだ」
 事も無げに言うが、それがどれほど大変かということはよく分かっている。イブスキが掌握している人間がどれだけいることか。それが一番難問だ。
「じゃあ、正面突破する?」
 サマンが言う。まあ、それが一番手っ取り早いが、できれば楽な方法を取りたい。
「もちろんいい手があるんだろうな」
「そりゃもう。あの手この手、山ほどあるけど今回は『一番楽な手』でいきたいんだけどいいかな?」
「任せる」
「任された。ふっふっふ、見てなさいよ〜」
 何を企んでいるのやら。ふう、とレオンは息をつく。
(これが終われば空を行く船か。追いつくことはできるのか?)
 それに関する映像はまるで流れてこない。
 ウィルザという男。その男に会うためだけに、今の自分はある。
 それだけが今の自分のあり方なのだ。







第三十三話

荒ぶる神々







 二人は小走りでジュザリア王宮へとやってくる。
 深夜。王宮はまだ動いている。イブスキ配下となったジュザリア兵が動き回っている。国王派の兵士たちは戦闘になる前に全て捕らえられていた。
(マナミガルという枷がなくなった途端の動き。それはイブスキ一人の問題ではない。ジュザリアのマナミガルに対する反感情がイブスキの動きを後押ししたのだ)
 他国と協調していこうと考える者と、マナミガルと戦ってでも独立路線を歩もうとする者。ジュザリアは今、大きく二つに分かれている。
「止まれ! 何者だ!」
 門を守っていたジュザリア兵たちが剣を構えて職務質問してくる。
「大変なのよ! イブスキ様はどこ!?」
「なに?」
「我々はイブスキ様から各地の動きを見張るように命じられていた者だ。緊急事態だ。すぐに取り次いでくれ」
「な、何があったんだ」
「マナミガルがジュザリアに向けて兵を挙げた。総大将はカーリア。兵数およそ八千。マナミガル軍のほぼ総数」
「な……なんだって!?」
 兵たちの間に動揺が走る。当然だ。マナミガルはもう攻めてこない。だからこそ彼らはイブスキに協力したのだ。
「ただちに詳細をお伝えせねばならない。イブスキ様はどちらに!」
「あ、ああ。政庁だ。案内する!」
 一人の兵士が先に立って急ぐ。二人もその後に続いた。
(全く、馬鹿ばかりだな)
 だからジュザリアのレベルは低いのだ。目先のことしか考えていないからイブスキに騙され、こうして自分たちにも騙される。それでいて自分たちは賢いのだと考えているのだろう。自分たちだけは特別なのだと。ただ境遇が自分たちの優秀性を認めてくれなかったのだと。
 違う。
 戦争で負けるのはその国のレベルが低いからだ。ひいてはそこに住む国民のレベルが低いからだ。国民のレベルが低いところは総じて戦争に勝つことができない。
「イブスキ様! 緊急事態です!」
 政庁に入る。すぐに中の状況を確認する。人数は六人。やれる。
「どうした」
 答えた男がイブスキなのだろう。いかにもふてぶてしい、悪人顔をしている。
「この者たちがマナミガルより戻りまして、マナミガルが兵を挙げたと!」
「なんだと? それは本当か」
 二人は近づいて膝をつく。
 その体勢のままサマンが答える。
「はっ。我ら、マナミガルの動向を調査しておりましたが、兵八千、確かにジュザリアに向けて出陣するのを確認しました」
「八千だと!」
 それにしても、とレオンは魔法を詠唱しながら苦笑する。イブスキは自分がどういう立場につくことになるかを考えてやっているのだろうか。この男も出たとこまかせで、およそ大局的な見方をすることができない男だ。全く、馬鹿ばかりだ、この国は。
「クーロンゼロ!」
 だが、答えるより早く、レオンとサマンを中心として凍える吹雪が部屋中に吹き荒れる。それだけで兵士たちは軒並み吹き飛ばされた。
「き、きさま」
 イブスキはそれでも腕の立つところを見せた。渾身の魔法だったがそれを耐え切り、睨みつけてくる。
「騙したか」
「国王を騙し討ちにしようとした男も、自分が騙されることには慣れていないようだな」
「国王の手の者か」
「国王の味方ではない。お前の敵だ」
 一気に距離を詰める。イブスキもなんとか抵抗しようとするが、既に魔法でダメージを受けているイブスキがレオンの敵になるはずもなかった。
「悪いが、イブスキ」
 相手を背中から床に這いつくばらせて、剣を逆手に持ち変えた。
「禍根は断つことに決めているんでな。もし死にたくないのであれば、俺の質問に答えろ」
 もはや勝負はついている。最初の奇襲で全てが終わった。もはやイブスキに勝ち目などない。そして周りを見ても、完全にダメージを受けて起き上がれないでいる。それでもサマンが全員の様子を注意深く見張っているのだ。逆転の目はない。
「何を知りたい」
「一つ。お前をそそのかしたのは誰だ。二つ。ルウをどこへやった。三つ。ウィルザはどこへ消えた」
 するとイブスキは顔をゆがめて答える。
「俺に協力したのはケインという男だ」
 それは予想済みだ。やはり動いていた。
「ルウはどうした」
「あの女ならニクラだ」
「ニクラ。最果ての地か。だが、何故」
「ウィルザの手の届かぬところへ送ったまでのこと」
「ならばウィルザが向かったのは」
「おそらくはニクラへ向かったのだろうな。だが実際に行ったかどうか俺は知らん」
 なるほど、これで全てが分かった。だとすればあとは自分がニクラへ行く方法を調べるだけだ。
「助かった、イブスキ。お前のおかげでウィルザをまだ追いかけることができそうだ」
 もっともその方法は分からない。だが、行き先が分かるのならまだ追いかけることはできる。
「ならば俺を助けてくれるのだろうな」
「そうだな」
 レオンは頷いてから手に力を込めた。
 そして、一気にその体を貫く。
「がはっ……な、なぜ」
「死にたくなければ答えろと言ったが」
 さらにその剣が深くねじ込まれる。
「答えれば殺さない、とは言っていない。さっきも言ったが、俺は禍根を断つことに決めている」
「ふ……ざけやがっ……!」
 心臓を貫かれたイブスキはやがて目を白黒させてからがくりと崩れた。
「終わったね」
 それを見届けたサマンが言う。
「ああ。これでジュザリアの問題は解決だ」
 ジュザリアの問題は解決した。
 だが、問題が残る。
「ニクラか。さすがに、行く方法が見当たらんな」
 その言葉を呟いた直後だった。

 ──ニクラへ行く必要はありません──

 突如、頭の中に流れ込んでくる『意識』。
 いったい何が起こったのかわからない。だが、この感覚は似ている。
 いつも見ている、未来の映像──






 なんだ、これは?
 自分がいる。王宮? 見たことのない場所だ。そして、その王宮の中で自分が他の人間と激しく議論している。
 また別の映像に切り替わる。ミケーネ、ガイナスター、サマン、様々な人間が自分の周りにいて、黒い服を着た隠密と戦っている。
(これはなんだ。ザ神、お前の仕業か)
 その映像を見ながら尋ねると、返事がかえってきた。
『そうです。私があなたに見せている映像です』
(お前は『どの』ザ神だ?)
『あなたのまだ見たことのない、最後のザ神』
(ほう、ようやく現れたか。今まで未来の映像を見せていたのはお前か? それとも他の奴か?)
『私の独断です。ただ、他の者たちはそれを知っているようですね』
(俺に何をさせたい?)
 直球で確認する。神との会話に余計な言葉はいらない。ただ事実だけがあればいい。
『この世界を守ってほしいのです。マ神から。それはあなたにしかできません』
(俺の記憶がないのも、お前のせいか?)
『詳しく言うことはできませんが、それはこの世界があなたに科した制約です』
(世界が?)
『はい。もしあなたが記憶を取り戻したいのなら、この世界を混沌から守ってください。その道の途中で必ず、記憶は戻るでしょう』
(何故そう言える? 俺はそれを信じてずっと戦ってきた。だがその先にあったのは、バーキュレアを失ったことだけだ!)
『急いではなりません。約束の時、約束の場所で、あなたの記憶は必ず蘇る。ですが、それは今ではありません。今、記憶を取り戻してはなりません』
(お前たちの話はいつも要領を得ない)
『とにかく今は、映像の導くままに。これからこの世界は未曾有の危機に見舞われることになります。それこそ過去、いかなる戦いにおいても世界だけは存続を許された。ですが、今回はウィルザの失敗により、世界の存続そのものが問われているのです』
(俺に何をしろと言うのだ)
『私に会いに来てください。そして、四つ目の力を手に入れるのです。ウィルザがゲの力を四つ、あなたがザの力を四つ手に入れたとき、マ神を完全に滅ぼすことができるでしょう』
 聞いていて、だんだんと怒りがこみ上げてくる。勝手なことばかり言う。
(俺の望みはもう、過去なんかじゃない)
『分かっています』
(バーキュレア。あいつさえいてくれたなら、俺は)
『ですが、もうその方は失われているのです』
 それは、冷酷な託宣。
『彼女のいない世界で、あなたは何を望みますか? 何も望まないのだとすれば、話はここまでです。世界は滅び、すべては終焉に向かうでしょう。ですが、私はこの世界を守りたい。そのためにはあなたの協力が必要なのです』
(断る)
 はっきりと言ってから、さらに付け加えた。
(──と、言ったらどうするつもりだ?)
『我々にはどうすることもできません。だから我々はあなたにお願いするだけです。この大陸を混乱から守ってください、と』
(そんな使命がなければバーキュレアは死ななかったのに?)
『あとは、あなたにお任せします』
 すう、と自分の中から神の意識が消えていく。
『どうか、会いに来てください』






 そして彼は意識を取り戻す。時間にしてほんの数秒。だが、その間に神との間にかわされた言葉の数は膨大だった。
「大丈夫、レオン?」
 サマンが尋ねてくる。さきほどの未来の映像にいたのはこの少女だった。それに、ミケーネと、ガイナスター──
(待て)
 あの映像を見た瞬間は気付かなかったが、何かがおかしい。
(俺はガイナスターという男に会ったことがないはずだ。それなのに何故知っている?)
 未来の映像でかつて出てきたことがあったか。否。だが、それなら何故。
(失われた過去の記憶に関係があるのか、それとも何か別の理由か)
 分からないのは仕方のないことだ。だが、もはやそんなことはどうでもいい。
 なくした記憶。はじめから記憶などどうでもよかった。それなのに追い求めていたのは、他に何もなかったからだ。
 その旅の途中でバーキュレアを手に入れた。一番大切なもの。彼女さえいれば、自分はそれでもう充分だったのに。
(俺は何故、ウィルザを追いかけていたんだろうな)
 最初は過去を取り戻すためだった。その次はただバーキュレアと一緒にいられれば何でもよかった。最後はほとんど死者に殉じるためだった。
 だが、もう、どんな理由も存在しない。
(だったら、俺は俺がやりたいようにやる)






 八一〇年、末。

 歴史が、動き始める。







追いかけても、会いたかった人物に会うことがかなわなかったレオン。
果たしてウィルザはどのように行動し、何を成そうとしたのか。
ウィルザの選択。そして、約束の時に向けて歴史が動き出す。
八一〇年。この年、歴史は大きな変動の時を迎えていた。

「君はここで待っていてくれ」

次回、第三十四話。

『希望、未来。』







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