八月。ウィルザたちは西域の新王都へとやってきていた。
 無論、食糧援助を求めることがここに来た最大の理由だが、西域は今年の初めにカイザーが暗殺された場所でもある。いったい何故そのようないきさつになったのかも詳しく知りたかった。
 ドネアとルウを連れて、ウィルザは久しぶりにクノン王に出会った。
 かつてウィルザがクノンを助けるためにミジュア救出に向かった話はきちんと伝わっている。クノンにしてみれば実感はなくとも相手は命の恩人ということになる。さらに聞けば、そのとき同行していたのがガラマニアの国王ガイナスターだというのだから、クノンが食糧援助を断るというのは体面的に難しい。
 あとはガラマニアが始終、アサシナに攻め込むというポーズを見せなければ問題ないのだが。
「お久しぶりです、陛下」
 ウィルザは四歳の子供にうやうやしく頭を下げる。
「はい。僕は覚えていませんが、あなたが僕を助けてくれたということは聞いています」
 まだ小さな子供だというのに、クノンは立派に務めを果たそうとしている。けなげで真面目な少年。それが第一印象だった。
「レムヌ王太后もお変わりなく」
「ウィルザ殿も。前の戦いでは世話になりました」
 王家としてのプライドが高いレムヌ王太后。このアサシナを動かしているのはこの女性だ。
 無論、クノンの意思を尊重するのには違いないのだろうが、さすがに四歳で政治のことを考えさせるのは無理だろう。クノンが一人前になるまでは、アサシナの命運はこの女性が握っている。
(同時に、世界の平和もレムヌ王太后によって左右されるわけだ)
 当然、ウィルザとしては慎重にならざるをえない。ガイナスターですらこの女性は一目置いていた。故アサシネア六世を支えた王太后。その能力も人望も、今の世界政治では一、二を争う。
(特に、あんなことがあったばかりだからな)
 そう。
 この八一〇年になってからというもの、自分の知らないところで事件ばかりが起きる。
 今度はマナミガルだった。

810年 エリュース死亡
マナミガル女王エリュースがゲ神の襲撃にあい殺害される。ゲ神は親衛隊長のカーリアによって討ち取られる。カーリアに協力した傭兵のバーキュレアが死亡。


(カイザーに続けてエリュース女王まで。マ神はそこまで混乱を引き起こそうとしているのか?)
 正確にはマ神に命令されてケインがやっていること、ということになるだろうか。もっとも、現状でのウィルザには『真実』を知る術はない。
「最近はあちこち物騒なことが続いていますね。ガラマニアもマナミガルも」
「そしてアサシナも、ですね。カイザー補佐官、暗殺されたとのことですが」
「ええ。まあ、極刑を待つだけの状態でしたから、体制に問題が出たわけではありません」
 そう、むしろカイザー暗殺はアサシナにとっては良い方向に出るだろう。あの男が生きていれば必ずアサシナにとって災いとなっていたのは間違いない。
「いったい誰がカイザーを」
「私も詳しくは存じません。ミケーネの既知の者とのことでしたが。一応手配はしていますが、別に重い刑が科せられることはないでしょう」
 上に立つものはそういうものか。それならミケーネに直接聞いた方がいいのだろう。
 そうした世間話から、いよいよ本題の話に移る。
 食糧援助の件はレムヌは応じた。ただし、ガラマニアは野心家の王がおり、信用はならない。
「では、私が人質になりましょう」
 穏やかにドネアが言う。
「ですが、姫」
「いいのです。兄が私をここへ寄越したのは、それを目論んでのことでしょうから。私も自分の役割はきちんと果たします」
 まただ。この姫は、本当に自分がそうと決めたら全く動かない。
「あなたがそうなさる必要はありません」
 だがレムヌがそれを止めた。
「むしろあなたにはガラマニアにとどまっていてくれた方がありがたい」
「どうしてですか」
「決まっています。ガラマニア王が戦争をしようとしたとき、彼を止めるのはあなた方でしょうから」
 それでレムヌの言いたいことが伝わった。
「なるほど、そういうことですか。つまり、王太后殿下。あなたはぼくたちに、ガイナスターに戦争をさせないようにしてほしい、ということをおっしゃりたいのですね」
 得たり、という様子でレムヌが頷く。
「そうです。ガラマニアはここ数年、全く戦争をしていない。それは、あなたがうまく彼をコントロールしたからでしょう」
「買いかぶりです、殿下」
「いずれにしても、ウィルザ殿、それにドネア姫。あなた方は国元で確実にガイナスター陛下を戦争から遠ざけてほしいのです。あなた方がそれを守ってくださるのでしたら、食料の件はどうにかいたしましょう」
「ですが、ガイナスターはぼくらの意見を聞かずに戦争に突入するかもしれません」
「そうなったとしたら、たとえドネア姫を人質としようとも、ガイナスター陛下は躊躇なさる方ではないでしょう」
 そうだろうか。あの王様は厳しそうにみえて、意外に身内には優しい。いつもガイナスターの傍にいればそれがよく分かる。彼にとってもっとも大切なのは国ではない。妹が幸せなことの方が彼にとっては大切なことだ。
 その彼がドネアを人質にしてでも食糧を求めている。だからこそ何があっても自分たちはそれを達成しなければならないのだ。
「結論から言いましょう。私はたとえガイナスター陛下が何を言い、何をなさろうとも信用はいたしません。ですが、ウィルザ殿。あなたは別です。たとえこの先、ガラマニアとアサシナが戦争になったとしても、あなただけは戦争を回避するために動いてくれたのだと信じることができます。だからこそ、あなたが戦争回避のために尽力すると約束してくださるのなら、私はそれを信じて食糧を援助しましょう」
「もちろん、約束します」
 ウィルザは力強く答える。
「ぼくはガラマニアに仕えてはいますが、目指すところはガラマニアの繁栄ではありません。このグラン大陸が平和であること。それがぼくの目的ですから」
「分かりました。それではただちに準備に移りましょう。既に第一陣は以前に送りましたが、それと同程度でよろしいでしょうか」
「はい。最初にいただいた分で当座はしのぎましたが、今冬をしのげるほどではありませんでしたから」
「分かりました。では、準備もありますので私はこれで。クノン、行きますよ」
「はい、母上」
 それまで全く何も話さなかったクノンだったが、話は真剣に聞いているようだった。
(まさか、今の話を理解していたというのか?)
 たった四歳で、政治の世界の話を理解しようとするなど。
(たいしたものだな。将来、とんでもない国王に化けるかもしれないな)
 もっともその頃には自分はいない。残念なめぐり合わせというほかはない。







第三十五話

焦燥、困惑。







 そうして二日後。準備が整い、ようやく明日には出発となった。
 ウィルザは出発の前にミケーネに会うことになっていた。アサシナで起こった事件について詳しく聞くためだ。
「それじゃ、ちょっと行ってくるよ」
 ミケーネとは二人きりで会うことになっていたため、ルウを連れていくことはしない。
「あまり遅くならないでね」
 ルウが心細げに言う。
「うん。まあ、話を聞くだけだからそんなに時間はかからないよ」
「うん。じゃあ待ってるね」
「先に寝てていいよ。明日は大変だし」
「ありがとう」
 そうして、ルウに見送られて兵舎に向かう。
 ミケーネは既にウィルザを待っていて、到着するなり近くの小部屋に案内される。
「申し訳ない。いろいろとうかがいたいことがあって、時間を取らせました」
「いえ。宰相閣下にはいろいろとお世話になったこともありましたので。初めてお会いしたときも、国王陛下のことを教えてくださったり」
 この段階において、ウィルザとミケーネが過去に会ったことはまだ一度だけだ。八〇五年の鉄道襲撃。それ以後、この二人はすれ違うばかりで実際に会ってはいなかった。
 だが話を聞くだけでも分かる。ミケーネがいかに実直で真面目な人物か。そして彼がいるからこそ、今のアサシナが何とか成り立っているのだということ。
「早速ですが、例のカイザー暗殺の件です」
「ええ。その件で話があると聞いて、私としても戸惑ったのですが、要するに閣下がお知りになりたいのは、誰が、というところなのですね」
「ええ。申し上げにくいことですが、カイザー暗殺は明らかにアサシナにとってプラスに運んだはず。それも犯人は捕まっていない。アサシナにとっては都合が良すぎる」
「そうですね、そう見られても仕方がありません。後で分かったことですが、カイザーはマナミガルと通じていました。あのまま放置しておけば、必ずマナミガルの主導でクーデターを起こされていたでしょう」
「マナミガルと。ですが、あの国は」
「そうです。エリュース女王はゲ神に殺害されました。これもアサシナにとっては都合がいい、ということになるのでしょうね」
 つまり、ミケーネの不安は『アサシナが都合の悪い人間を片端から始末している』と思われないか、ということなのだろう。
「結論として、カイザーを暗殺したのは?」
「レオンという男です」
 やはり、とウィルザは頷く。もしかするととは思っていたが、やはり歴史の裏を歩む男が関わっていた。
「先の戦いではパラドックに協力していましたが、それも理由があってのことでした。閣下はご存知でしたか」
「ええ。最後、先王陛下がみまかられるときにその場にいましたから」
「そうでしたね。私はそのとき西域だったので、詳しくは知らないのですが。とにかくレオンはカイザーに会いに西域にやってきました。そして殺害後、すぐにこのアサシナを発った。彼が殺害したところを見たわけではありませんが、ほぼ間違いないでしょう」
「ということは、レオンはカイザーとマナミガルが組んでいたのを知っていて、それを倒しに来たということか」
「かもしれません。ですが、はっきりとは分かっていなかったようです。私にこのアサシナの状況を尋ねて、その後で牢屋に向かったようでしたから」
「状況を正確に理解していたわけではないと?」
「そのようです。ただおそらく、カイザーが元凶となって、何か災いをもたらすことだけは分かっていた。それを調べに来たのだと思います」
「その結果、マナミガルと通じていることが分かったから殺したということか。分かりやすいな」
 このレオンという人物は随分とやり方が荒っぽい。自分ならばきちんと裁判を行って、しかるべき手続きを踏んだ後で処刑する。
 だが、暗殺がいかに手段として有効かというのは分かる。目的を達成するには一番迅速で、有効だ。ただ、暗殺は自分が暗殺される危険を伴うことを忘れてはならない。
(一度会ってみたいとは思っていたが)
 レオンという人物が何のために大陸の危機を救っているのか、それを直接話せるのならそうしたい。ただ、居場所が分からないのではどうしようもない。
「ありがとう、ミケーネ。参考になった」
「いえ。閣下のお力になれれば幸いです」
 挨拶をかわして兵舎を後にする。
 あまり時間はかからなかった。きっとルウはまだ起きているだろう。
 部屋の扉を開けて「ただいま」と声をかける。だが、返事はない。
 もう寝たんだろうか、とベッドの方を見るが誰もいない。
「ルウ?」
 声をかける。だが、返事がない。
 一応部屋を隅々確認するが、どこにも彼女がいない。
(外出中かな)
 こんな遅い時間に。
 もし行くとしたら、ドネア姫のところだろうか。
 夜分に申し訳ないと思いながら、ウィルザはその足でドネア姫の部屋に向かう。
 ノックをして「どうぞ」と声がかかるのを待ってから入る。
「失礼します、姫」
「あら、ウィルザ様。どうなさいましたか」
「こちらにルウが来ていないかと思いまして」
「いえ? 今日は昼に会ったきり、ルウさんにはお会いしていませんが」
「では、こちらにも来ていないということですか」
 だとするとどこへ行ったのだろう。
 夜も遅い。城から出たということは考えにくい。
 だが、ルウが直接誰かに会うとしても、他に誰か会う相手がいるとは思えない。
 変だ。
 何か、おかしい。
「ちょっと、探してみます」
「はい。私も何人かあたってみます」
 二人は部屋を出ると、手分けしてあちこち見回った。
 もちろん部屋にも戻っていなければ、兵舎、政庁、どこにもいない。
(城の外に出たのか? でも、ルウが書置きも何も残さないでそんなことをするか?)
 話を聞きつけたミケーネとゼノビアも協力してルウを探してくれた。
 だが、一時間経っても、二時間経ってもまだ見つからない。
 既に時間は、日をまたいでいた。
「ルウ」
 彼女の名を呼ぶ。だが、それに応える者はいない。
「どこだ、ルウ」
 当直の騎士団が動き、街中の探索が始まる。

 そして、夜が明けた。
 だが、ルウの姿はとうとう見つからなかった。






「どういうことだ」
 もちろんウィルザもドネアも、そしてミケーネたちも誰も一睡もしていない。ガラマニアからの賓客が行方不明になったのだ。この状況で寝られる者はいない。
「ルウ。ルウに何かあったら、ぼくは」
「落ち着いてください、ウィルザ様」
 ドネアが優しい目でなだめる。
「まだ、何かあったと決まったわけではありません」
「でも、ルウがいなくなるなんて、今までに一度だってなかったんだ」
「そうですね。きっと、結婚式のときにルウさんも同じことを思ったでしょう」
 鋭いところをつかれる。現状でこの状態なら、結婚式の日に自分がいなくなったときは大混乱だっただろう。
(ルウは真実を知りたいといつも言っていた。だとすると、彼女は何か発見したというのだろうか)
 だからいなくなった、と。
(いや、それはない。もしそうだったとしても、ぼくに相談くらいするはずだ。今まではずっとそうしてきたんだ。これからだって)
 これから。
 彼女がいないというのに、これから、という言葉が使えるのだろうか。
「失礼します!」
 政庁に一人の兵士が駆け込んでくる。
「見つかったか!」
「いえ、そうではありませんが、有力な情報を持っている少女をお連れしました」
 有力な情報。
 ルウに関する情報。それはもしかして街から出ていくところを見かけたとか、そういうものだろうか。
 そうして待っていると、そこに連れてこられたのは本当に小さな女の子だった。
(彼女は)
 知っている。
 あれは、まさか。

 ファル。アサシネア・イブスキの妹。

「ウィルザ様、ですか」
 まだ十歳を少し超えたくらいだろうか。小さな女の子が申し訳なさそうに尋ねる。
「そうだけど」
「申し訳ありません。ルウさんを誘拐したのは、私の兄なのです」

 誘拐。

 ハンマーで殴られたように、その言葉はウィルザの頭に響いた。
「すべては、兄の仕組んだことなのです」







ルウ誘拐。その事実がウィルザに大きな衝撃を与える。
ウィルザは単身、イブスキを追跡する。
世界か、彼女か。かつて彼に尋ねた彼女の顔が脳裏をちらつく。
そして、ジュザリアで彼が目にする事実とは。

「ぼくはルウのいない世界を守りたいわけじゃない」

次回、第三十六話。

『慟哭、追跡。』







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