もともと西域や南方では文化の発達が遅れていたため、そこに住む人々はザ神よりもゲ神の加護を受けることが多い。
 何しろ小さな村に住んでいる者がザ神の加護を受けようものならば、長い行程を旅して首都まで行き、そこで加護を受けなければならないのだ。そんなことをするくらいならゲ神の加護で充分だ、と考える者は多い。
 それに村ぐるみでゲ神の恩恵にあずかっているのだから、ザ神の加護をわざわざもらう必要などどこにもなかったのだ。
 ケミヌはまさにその典型例で、村全体がゲ神の信者によって構成されている。そこに住む人々は外を歩くときは仮面をつけ、素顔をさらそうとしない。言葉も訛りがひどくて通じないことが多い。
(イブスキが隠れる場所には確かにうってつけだな)
 現地に来ても村人と会話できないのなら、情報収集をすることができない。近くの民家に隠れていても全く気づかないということになる。
 結局村長に聞くのが一番無難ということでウィルザは村長の家らしき最も大きな家を訪ねた。
「どなたかな」
 思ったとおり、村長は共通語がきちんと話せた。情報収集する相手はこの人物しかいないだろう。
「この村に女の子が連れてこられなかったかと思い、訪ねてきたものです」
「女の子……ほうほう、あの青い髪の子かね」
 ルウだ。間違いない。
「ご存知ですか」
「知っておる。あのならずものたちが山へ連れ込んだ。ならずものたちは戻ってきたが、女の子が一緒に来たという様子はなかったのう」
 ならずものというのがおそらくはイブスキたちだろう。それが引き上げてきたということは、どこかに監禁しておいて、再びジュザリアに向かったということだろうか。
「じゃあ、ルウはまだ山に」
「だと思うがのう。ここの裏山はゲ神に祝福された者の地。あの娘はザ神の加護を受けておろう。ゲ神に襲われていなければ無事のはずじゃろうが」
「ルウが連れてこられたのは?」
「二日前じゃ」
 二日。その間、無事でいられるだろうか。
「山のどの辺りとかは推測できますか」
「ふむ」
 長老はウィルザをじっと見つめて聞く。
「その子、お主の」
「一番大切な人です。そのならずものたちに誘拐されたのです」
「なるほど。待っていなされ」
 長老は一枚の羊皮紙を持ってくると、そのうえに墨で簡単に図を描いていく。
「おそらくはこの辺り。掘っ立て小屋があるはずじゃ」
「ありがとうございます」
「早く行きなされ。ゲ神に食べられてからでは遅いからのう」
「感謝します」
 重ねて頭を下げてから、ウィルザは裏山に向かって駆け出す。
 ようやく、ようやくルウに会える。
 いったいどれだけ長く離れていたのか。自分でももうよく分からない。ただ彼女のいない毎日がこれほど色あせたものだなどとは思いもよらなかった。
 ルウに会いたい。その優しさに包まれていたい。
(世界記)
 走りながら彼は世界記に尋ねる。
(ぼくが世界のことにかまわずルウを追いかけているのは、やはりいけないことなのかい?)
『私に記載されていないことは、本来取るに足らぬ瑣末な事。止めるのが普通だ』
 世界記の返答は冷たい。
『だが、この世界における戦いでは、私に記載されていないことがあまりに多い。君に任せてみるというのも必要なことだろう』
(ルウを助けることが世界を救うことにつながる?)
『それは言いすぎだが、彼女を誘拐したのがイブスキだというのなら、彼の企みを止めるのは有意義なことだ』
(なら、安心して救出にいけるな)
 百万の味方を得た気持ちでウィルザは裏山に突入する。
 山の中腹にある掘っ立て小屋。その場所を確認して、一気に突入する。
「ルウ!」
 だが、その小屋の中には誰もいなかった。
「ルウ」
 人の気配がない。ただ、つい最近まで誰かがいたのは間違いないらしく、火を焚いた跡が残っている。さらには柱の近くの縄。誰かがそこにしばられていた証拠。
(間違いなくここにいたんだ)
 縄が落ちているということは、縄を解いて逃げ出したということだろうか。
 だが、逃げ出したというのなら、この山はゲ神たちの巣窟。もし本当にルウが小屋の外に飛び出したなら。
 そこは。
「ルウ!」
 彼はまた叫んで飛び出す。
(落ち着け)
 目が覚めて誰もいない状態。うまく縄を解いて逃げ出せたとして、この小屋を出てまずどちらに進むか。
 当然、山にいることが分かれば降りる方へと向かうはず。山の頂上と反対側。その道をめがけて行くはず。
 だが、今来た道にルウがいたような形跡はない。だとしたら、
(反対側に向かって、山を登っていったというのか?)
 もしそうだとしたら理由は一つ。
 既にゲ神に追われていたということだ。
(くそっ)
 ウィルザは山を登り始める。
 いつ逃げ出したのかは分からないが、もう随分時間が経っているのだとしたら、ルウがこの先に無事でいる可能性は少ない。
「ルウ!」
 叫んで、山を登っていく。
「ルウ!」
 大声で呼ぶ。ルウが生きていれば、声に気づいて来てくれるかもしれない。
「ぼくだ! ウィルザだ! ルウ!」
 どこにいる。
 だが、この山のどこかにはいるはずなのだ。
「ルウ!」
 力を振り絞って叫ぶ。そのとき、突風が吹いた。
 強い風と共に、この山の上を大きな雲が覆う。
 いや、違う。
「あれは……?」
 雲ではない。雲のように見えたそれは、巨大な船。
「空を行く人々の船……?」
 次の瞬間、ウィルザの体はその山から消えた。







第三十七話

対峙、転移。







 目を開くと、そこは空の上。はるかな高みに自分がいた。
(ここは、空を行く人々の船の中か?)
 何故自分がここにいるのかは分からないが、おそらくはそうなのだろう。
 壁も天井も透明で、外側がよく見える。自分の目の高さに、遠くに雲が見える。太陽がまぶしい。
「遅くなってすまなかったな、ウィルザ」
 と、その彼に語りかけてきたのは、
「オクヤラム! 来てくれたのか!」
 青い肌をしたニクラ人、オクヤラムであった。
「ああ。もう少し早く駆けつけるつもりだったのだが、この船の進行をそう簡単に変えることはできなくてな。状況は把握している。ルウさんが攫われたのだろう」
「そうなんだ。この下の山の中にルウが──」
「いや、もう彼女はそこにはいない」
 オクヤラムが断言する。
「何故、そうと分かる」
「彼女が現れたとついさっき報告が入った」
「現れた? どこに」
「ニクラだ」
 ニクラ。そんな離れたところに、何故。
「ごめん、ちょっと混乱してる」
「そうだろうな。いろいろと説明したいことはあるが、まずは長老に会おう。長老なら俺でも知らないことをきっとご存知のはずだ」
 そうしてオクヤラムに案内されながら説明を受ける。
「この船はニクラのものだったのか?」
「どちらもマ神の末裔のものだという意味では同じだ。ただ、ニクラはマ神そのものを封じるために存在し、この空を行く船はマ神とグラン大陸を切り離すために存在している」
「切り離す?」
「ああ。この空を行く船はこのグラン大陸に結界を張り続けている。マ神がこのグラン大陸に入り込めないようにするためにな」
「だがマ神はニクラに幽閉されているんだろう?」
「そうだ。殺すこともできない子供がそこにいる。その子供は毎日成長している。食事も水も与えていないのにだ」
「つまり、このまま成長すればニクラでは封じておけなくなる?」
「可能性は高い」
「もし復活したら?」
「完全な復活のためにはザ神とゲ神、全ての崩壊が必要だ。ザ神の王とゲ神の王、全てを滅ぼしたときにマ神は復活する」
「ザ神とゲ神の王?」
「ああ。それを破壊されない限りは問題ないのだが……」
 この世界に来たばかりのときに、イライの村が襲われそうになったのはそれが理由だ。ガイナスターはまだそのことを知らず、裏でガイナスターを操っていたのは、黒いフードの男、ケイン。
「ニクラにルウが来たのは?」
「昨夜。突然ニクラの街中に倒れていた。どうやってそこに来たのかは分からん。ただ、何があるか分からないので今は監視つきで部屋の中にいてもらっている」
「それでぼくのところへ?」
「彼女のことならお前に一任するのが一番だろう」
「確かにね。というよりずっと探していたのがようやく見つかってよかったよ」
 ひとまず安堵する。ニクラの中なら不自由はあっても安全であることに間違いはない。
「ただ、様子がおかしい」
「様子?」
「ああ。目が覚めてからというもの、ひどく何かに怯えている様子だった。いったい何故かは分からないが」
 そうして話しているうちに長老のところへやってきた。
「随分早い到着だったな」
 長老の肌もまた青かった。それがマ神の末裔たる証なのだろう。
「こちらがウィルザです」
「はじめまして。ウィルザといいます」
「うむ。もう存じておろうが、この船は結界を張り続けている。そなたをニクラへ連れていくことはできん」
「はい」
「ミヅチになれるのならそれが一番早かろう。オクヤラムとともにニクラへ向かうがいい」
「分かりました」
「聞きたいことがあるのならば、今のうちに聞いておくとよいだろう。なかなか会うこともできぬだろうからな」
「では、お言葉に甘えて」
 いろいろと聞きたいことはある。だが、問題の中心だけを正確に押さえなければならない。
「ルウを誘拐したのはイブスキですが、それを裏で操っているのはケインですか」
 核心をつく。長老は小さく、だがはっきりと頷く。
「証拠はない。だがおそらく間違いはあるまい」
「やはり。ではそれは、ジュザリアやアサシナ、さらにはガラマニアとの間に不和をもたらすために──」
「わからん」
 だが次の推測はあっさりと否定された。
「長老もお分かりではありませんか」
「マ神の考えていることは分からんよ。ただ一つだけ言えるとすれば、我々が簡単に考えつくようなことで今回動いているとは思えんということだ」
「他に理由があると」
「おそらくはな。それも今年の初めにニクラが襲撃されたというのもきいておろう」
「ええ、オクヤラムから」
「今年に入ってからケインの活動がずいぶん盛んだ。おそらく全てが裏でいろいろとつながっているだろう。分かるのはそれくらいだ」
 ウィルザにとっての問題はたった一つだ。
 何故、ルウなのか。
 ルウを誘拐したからといって、確かに宰相の恋人を誘拐したとなればいろいろと問題になるかもしれない。だが、だからといって大陸全土を巻き込むような問題になるとは考えにくい。
 これがドネアだというのなら分かる。ガイナスターを怒らせれば戦争などすぐに勃発させることができるだろう。
 それなのにルウを誘拐した。そこに何の理由があるのか。
「マ神に会って確かめた方がいいのでしょうか」
 だがそれには長老もオクヤラムも顔をしかめた。
「あまり歓迎はできぬな。それに必ずしも正しいことを言うかどうかは分からん」
「私もそう思う。マ神は人間の心の闇に付け込んでくる。お前が操られでもしたら対処のしようがない」
 さすがに二人の意見が重なるのであれば無茶をすることはできない。
「分かりました。では、もう一つだけ」
「何かな」
「マ神を殺す方法は、お分かりになりますか」
「不可能だ」
 だがあっさりと長老は答えた。
「不可能ですか」
「うむ。少なくとも我らの知識でマ神を殺すことはできぬ。伝説の通りなら、剣も魔法も効かぬはず。かといって寿命があるわけでもない。これでは手の出しようはあるまいて。今だってニクラでは水も食糧も全て絶っておるというのに全く衰える気配を見せぬ」
「ですが、マ神が生きている限り、グラン大陸の崩壊は避けられないのではありませんか」
「うむ……アサシナ地下のエネルギーは全て通常に戻っている。もはやエネルギーの暴走でグランを破壊することは不可能だとは思う。ならばマ神にはおそらく別の手段があるのだろう」
「別の?」
「ケインやマ神が何故今年になってから動き始めたか。それは去年アサシナ地下のエネルギーを利用することができなくなったと悟ったからではないかな。利用できないなら別の手段を見つけるしかない。マ神は今そのために活動していると考えれば、理由は成り立つ」
「そういうことでしたか」
 だが結局、何を企んでいるのかも、どうすればそれを潰せるのかも分からないのでは話にならない。
「とにかくまずはルウを取り戻してからですね」
「そうだな。では急ぐがいい。オクヤラム、お前もニクラへ同行せよ」
「もちろんです」







ウィルザはミヅチへと変化し、オクヤラムを乗せてニクラへ向かう。
ルウとマ神のいるニクラ。
そこでウィルザは真実を知る。
避けられない運命に、ウィルザの取った選択は。

「待ってたわ、ウィルザ」

次回、第三十八話。

『真実、選択。』







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