マ神のヨリシロとして生まれた存在。
 もし彼女が言っていることが正しいとするならば、彼女がイライの村でトールと結婚式を挙げるというときも、さらにその昔に彼女が誕生したときまで遡って、ずっとその宿命を帯びてきたということか。
「嘘だ」
「嘘じゃないわ。ウィルザ、あなたは私がマ神に操られているか何かだと思っているのかもしれないけど、違うのよ、本当に」
 ルウは以前のどこか憂いを帯びた目をして見つめる。
「私も信じられなかった。いえ、信じられなかった。自分がマ神のヨリシロ。あなたがいつか倒さなければいけないマ神そのものだということ。ケインが私を連れ去ってここに来て、それを知らされた。八〇六年、マ神は私を見つけて、そのときに分かったみたい。この体が、失われたマ神そのものなのだということ。いつかマ神が入り込むための器なのだということ」
「じゃあ、今までのルウはどうしたんだよ。というより、今の君にはルウの意識が残っているじゃないか」
「そう、そこが不思議なところ。マ神は自分がこの器に入り込むことによってマ神の完全な支配が可能だと思い込んでいたのだけれど、現実は違った」
「違った?」
「そう。私の体に入ってきたマ神の意識と、この器にもともとあったルウの魂とが複雑に融合した」
 融合。
 それはつまり、ルウの意識の中にマ神の意識が入り込んできたということか。
「どちらが主で従か、それはもう私たちにも分からない。私はこうして以前のままあなたを愛しているけれど、同時にこの世界を破壊せんという意思に満ち満ちている。でも、勘違いしないでね。私は少しもためらっていない。あなたを手に入れ、さらには世界をも破壊する。そうね、世界を滅ぼしてアサシナの地下に眠る星船を復活させ、私と一緒に宇宙へ旅立ちましょう、ウィルザ。それが一番」
 違う。
 こんなことを考えるのがルウであるはずがない。
 これは完全にマ神だ。マ神がルウの体を操っているのだ。
「証明、してあげましょうか」
「証明?」
「ええ。私が間違いなくルウだという証拠」
 ルウはそう言って笑顔を見せると、指先を光らせる。
「何を」
「私はね、ウィルザ。世界を破壊するためのエネルギーをこれから何年にも渡って吸収しなければならない。でも、人間一人、町一つ、それくらいを滅ぼすことはそれほど大変というわけじゃないのよ」
 その指が、ウィルザを──いや。
「避けろ!」
 ウィルザが隣にいた者を突き飛ばそうとする。
 が、遅い。
 既に指差された相手──オクヤラムの左胸には風穴が空いていた。
「オクヤラム!」
 がはっ、と空気を吐き出したオクヤラムはその勢いで後ろに飛ばされる。
「オクヤラム!」
 オクヤラムを抱き上げるが、致命傷であるのは一目瞭然だ。
「うぃる、ざ」
「喋るな、オクヤラム」
「おまえの、おもう、とおりに──」
 酸素が供給されなくなった脳がすぐに活動を停止する。
 すぐにがくりと力が抜けた。一つの命があっさりと奪われた。
「これが、ルウだと」
「そうよ」
「これがルウなはずがないだろう! ルウは簡単に人を殺したりなんかしない!」
「そうね。オクヤラムさんを殺したのは私の意思というよりも、マ神の意思。でも、それならどうしてあなたを殺さないか分かる?」
「な」
「私は今この場で、あなたを、一瞬で殺すことができるわ。それだけの力があるのが分かる。どれだけあなたが抵抗しても無理。でもあなたは殺さない。それは私が、あなたを愛しているから」
「こんな、こんなものが愛だっていうのか!」
「ええ。私の望みはあなただけ。もしもオクヤラムさんやサマンさん、ガイナスター陛下、ドネア殿下が私にとって大切な存在だったとしたら殺さなかったかもしれない。でも私の意識の中にあったのはあなた一人だけ。だから、あなたが私を唯一止められる存在だと分かっていても、私は絶対にあなただけは殺さない。殺されないだけの力があるのも分かっているし……ね?」
 穏やかに笑う。いつもの、ルウの笑顔。
「やめろ、マ神。そんな顔をぼくに向けるな」
「いいえ。あなたがどれだけ私を拒否しても、私はあなたを手に入れる。そう決めたの」
「ルウを返せ。ぼくの愛していたルウを返せ!」
 そして剣を抜く。だが、それすらもルウは笑顔で返す。
「いいのかしら? この体は間違いなくルウのもの。私の意識がマ神であろうとそうでなかろうと。あなたはこの体を傷つけることができるの?」
「きさま」
「そう。私はマ神になって初めて分かった。あなたは世界を救うという。でも私はそんなのどうでもよかった。マ神の生まれ変わりがこのニクラに生れ落ちたとき、私は確かにその存在を感じ取ったのよ。それからだわ、グランが変わり始めたのは。私は誰よりも早く、マ神がいずれこうして力を手にすることを知っていた。知っていたのに気づかない振りをしていた。でも、こうしてマ神の力を手にしたら、今まで考えていたことが馬鹿らしくなった」
「何を」
「トール」
 ルウの目が細くなる。今までにない迫力に、ウィルザが気圧される。
「あなたの左肩にいるのは、世界記、というのかしら」
「何故」
「マ神もその存在についてはよく分かっていない。でもそれは逆に、世界記もマ神のことをよく知らないということ。世界記にはマ神に関係することは一切記録されていないから。もともと世界記を記した者がわざとその部分を削除したから」
「なんだって?」
「だからなのよ。私が、ルウが、世界記に記されていないのは」
 目が大きく見開かれる。
「サマンやローディでも世界記に記されているのに、どうして私の名前がなかったのか、あなたは不思議に思ったことはなかったの?」
 確かに不思議ではあった。ウィルザに協力する人物という意味では、サマンもローディも、そしてオクヤラムもルウも同じだ。だが、実際に記録されていたのはサマンとローディで、オクヤラムとルウは記録されていない。
 オクヤラムは単にニクラ人が省かれているという考え方もできる。だが、ルウは。
「マ神のヨリシロである私のことを、世界記には記されていなかったのよ」
 その通りだ。
 ルウだけが世界の趨勢に関わっていないのはおかしい。
「でも、その運命に従う必要はない」
「そうね。もしあのままイライの村にいられたらそうだったのかもしれない。いえ、ニクラにさえ来なければ、私がマ神に会いさえしなければ」
 そうか。
 ようやく分かった。

 自分の、何が間違っていたか。

「あなたの間違いは、私を連れていったこと。私とマ神を会わせたことなのよ」







第三十九話

決意、別離。







「それにね、トール。覚えているかしら。いえ、無理ね。あなたはあの結婚式の日の前のことはもう全て忘れてしまっているのだから。あなたと、あなたのお父さんがここにやってきたときのこと」
 無論ウィルザには分からない。それは既に亡くなったトールが持っていた記憶であって、自分の記憶ではない。
「イライ神殿にやって来たお父さんは、一も二もなくこのイライに留まって盗賊退治をかって出てくれたわ。それに対してあなたは最初、そうしなきゃいけない理由がないって反対してた」
「そうなのか」
「でも神官様が私とあなたを会わせて、あなたのお父さんも私を気に入ってくれて。しばらくしてから、いつか息子と結婚してほしいとまで言ってくださって」
「それがいったい──」
「あなたたちは、いえ、あなたのお父さんは、イライ神殿を守り、さらには私がマ神の元に行くことがないよう監視するために、イライに留まってくれたのではないの?」
 知らない。
 そんな、事実は、ウィルザは知らない。
「そんな、まさか」
「いえ、そうでないと納得のいかないことが多すぎるわ。あなたは結婚には反対だったけど、お父さんが亡くなったとき、父の仇を討つために村に残ると言ってくれた。でもそれは違ったのでしょう」
「何」
「あなたはお父さんが亡くなる寸前、お父さんから真実を聞かされた。私がマ神のヨリシロだと。だからイライの村から決して出さないようにしろと。幸い私もあなたのことが好きだった。だから『たとえ偽りでも一生ルウを愛して生きろ』と。そう言われた」
「まさか」
「覚えていないのが幸せね、トール。いえ、トールというのももうおしまい」
 ふふ、とルウは笑う。
「あなたは、この世界の人間じゃないんだものね」
 そこまで分かっているのか。
 愕然とするが、その心の動揺を見透かしたかのように微笑む。
「大丈夫。私はあなたがこの世界の人間じゃなくたって構わない。そしてトールが私にくれた偽りの愛より、ウィルザ、あなたはずっと私を愛してくれた。だから私は今ではもうトールとあなたを完全に区別できている。私を本当に愛してくれたのはウィルザ、あなたなのね」
「ルウ」
「でも、私はマ神なの。そしてもうマ神ではない頃のルウには戻れない。あなたが私を望むなら、私と共にこの世界の破壊を願うしかないわ。そしてそれが嫌なら、私と戦うしかない」
 全ての説明は終わった。
 そして、選択するべきときが来る。
「もう私から話さなければならないことはないわ」
 ルウは真剣な表情で言う。
「私か、世界か。選んで、ウィルザ」
「ぼくは」
「お願い、ウィルザ」
 ルウは蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れない。
「私を選んで」
 それがどこまでルウ本人の意思なのだろうか。
 今までの会話全てがマ神の演技で、ルウの意識が既に消えている可能性はないのか。
(ぼくは、どうしたら)
 目を閉じてウィルザは思い悩む。
 もちろん、自分のするべきことは決まっている。
 この世界を救うということ。そのためにはマ神は倒さなければならないということ。
 マ神を倒すには、このルウごと殺さなければならないこと。
(世界を守るために)
 心が痛む。
(ぼくは、一番大切なものを失わなければならないのか?)
 それが罰だというのなら、自分はいったいどれほどの罪を犯したのだろう。
 これほど苦しむのならば、いっそのこと自分を殺してくれた方が楽だというのに。
(ぼくは)
 ルウと初めて会ってからのことが、一瞬で思い起こされる。
 全てが大切な思い出で、そして自分にとって代え難い思い出。
『ウィルザ』
 世界記が、ゆっくりと話しかけてきた。
『この選択は、君が自分の思うとおりに行うといい』
(世界記)
『君が何を望むのか、自分で考えてみたまえ』
 自分が望むこと。
 そんなのは決まっている。世界が平和で、自分の傍にルウがいること。それが全て。
 それなのに、もうルウは取り戻せないのか。
 いや、違う。
(きっと方法はある)
 そう、どんなときでも手詰まりになることはない。
 自分が信じたとおりに進むこと、それが全てなのだから。


















(よし)
 ゆっくりと考えてから、ウィルザは目を開けた。
「決めたよ、ルウ」
 決めたからには後悔しない。自分の意思を貫くのみ。
 だからもう怖れない。
「ぼくは君と戦う。そして、マ神から君を取り戻す!」
 だが、そう宣言したウィルザを、ルウは冷たい目で見た。
「そう」
 そして、その周りに凍える空気が巻き起こる。
「それなら、仕方ないわね」
 ウィルザは剣を構えた。もはや戦いは避けられない。
「でも、残念だったわね」
 ルウの顔にはもう表情はない。
「今のあなたが、私にかなうと思っているの?」
 その空気が凝縮して、ウィルザの周囲で結晶する。
「なっ」
「さよなら、ウィルザ。あなたはそこで、世界の終わりを見届けて」
 ウィルザの体は、完全に氷で覆われた。そこにあったのは氷の柱。柱の中に、驚愕の表情のまま、ウィルザが閉じ込められている。
「その氷はマ神の力の結晶。決して融けることはないわ」
 そしてルウは、その氷の表面に触れた。
 そのまま、彼女は氷に頬ずりする。
「愛しい人。世界が滅びたら、一緒に宇宙に行きましょう」







ウィルザは舞台を降りた。そしてマ神が表舞台に立つ。
マ神と戦うのは、かつてマ神と行動を共にした者たち。
そして、裏側から表側へと舞台の場を変えた者。
彼は、最後の力を手にするために動き始める。

「何故それを先に言わない!」

次回、第四十話。

『滅亡の鐘がなった日』







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