レオンとサマンは緑の海の中をひたすら進む。
 ここを徘徊するゲ神たちは強く、一緒についてきているサマンにとっては一体ずつが命がけだ。もっとも、レオンの強さによって今は何とか持ちこたえている。というより、レオンがいればさしたる問題もなく進んでいける。
 ザ神の力を三つ手に入れているレオンにとっては、もはやただのゲ神は問題にならない。問題になるのはもっと強いものが出てきたときだ。
「ここが神殿か」
 樹海の奥深くに小さな建物がある。それがザ神の神殿。なるほど、わざわざ探しに来なければ絶対に見つかるはずもないようなところにある。
「どうやらマ神より先に来ることができたみたいだね」
 サマンがほっとしたように言う。
「ああ。だがもう近くまで来ているはずだ。急ぐぞ」
 二人は神殿に入っていく。その先に祭壇がある。
 ザ神の柱。マ神によって封じ込められたゲ神の魂を縛る楔。
「長かった」
 そのザ神に向かってレオンが言う。
「今までよくもまあ、長い旅をさせたものだ。だが、ようやくたどりついたぞ、ザ神」
 レオンは睨みつけながら言う。
「さあ、俺の前に出てこい、レネ!」
 ザ神の名を呼ぶと、いきなり周囲が暗闇に覆われる。
「わ、また」
「落ち着け、サマン。二回目だろう」
 レオンがサマンの肩に手を置く。
「レネか?」
『はい。ようやく私のところへ来ていただけたのですね、レオン。ありがとうございます』
「最初から場所を言えば、いつでも来てやったものを」
『私がそれをあなたに教えることはできなかったのです』
「神にもルールがあるとでもいうのか?」
『そうです。というより、ザ神が力を与えることができるのは、自らの意思で、自ら手に入れた情報の中でザ神の下にたどりついた者だけです。私が強制的に呼び出したり、場所を教えたりしては私があなたに力を与えることができなくなります』
「だから常に願っていたわけか。どいつもこいつも」
 来てほしい、と。世界を救ってほしい、と。
 ザ神たちはいつも自分に頼んでばかりだった。だがそれは、ザ神の力を託すためだというのだ。
「お前たちも完全に自由ではないのだな」
『もしそうだったら、もっとやりようがあると思いませんか?』
「その通りだ。さあ、約束通り俺はお前の下へやってきた。最後の力を寄越せ」
『よろしいのですね?』
 念を押される。そのためにやってきたというのに、この慎重さは何だ。
「何がだ?」
『この力を受け入れれば、あなたは完全なザ神となる。それもマ神に操られたりすることのない、心を持ったザ神。年老いることもなく、永劫の時を生きる機械天使。あなたはこの世界で三番目の人型天使となる。それを受け入れるかどうか、確認しているのです』
「今さら」
 レオンは苦笑する。
「くだらないことで俺を惑わすな。これは俺が望んでやっていることだ」
『それでしたら』
 レネは満足したように言う。
『これで、私たちの役目は終わります』
 最後の力がレオンの体内に入る。そして体が発光し、はじける。
『あなたはザ神となりました。我々のようにマ神によって捕らえられた者とは違う、完全な自由意志を持ちながらザ神の力を使うことができる存在。人としての自由意志を持つ機械天使はあなたが三番目になります』
「残りのふたりは?」
『あなたのよく知る者たちです』
「リザーラとアルルーナか」
『はい。あの者たちも自分の意思で動いている。もっとも、アルルーナは動きを封じられている存在ではありましたが』
「マ神がアサシナを制圧したという話だったが、アルルーナは無事なのか?」
『無事なことには違いないのでしょうが、現在は消息不明です』
「なに?」
『アルルーナの拘束が解けているのです。何故そうなったのかは分かりませんが』
「拘束が解けた?」
『そうです。こんなことは今まで一度もありませんでした。いったいアルルーナに何があったのか』
 自分の支配下にあるはずの機械天使の動向が分からない状態。そういえばドルークのルーンもルウのことを知らないというし、ザ神というのは実はそれほど万能ではないようだ。
「後は俺の記憶だな。どうすれば戻る」
『約束のとき、約束の場所へ行くことです。そこであなたは──』
 そのとき、轟音と振動が神殿を襲った。
「何だ」
 動じる風もなく、レオンは周囲を確認する。
『どうやらもう来たようですね』
「何がだ?」
『想像はついているのではないですか?』
 レネはどうも自分の言葉で説明するのを嫌う癖があるようだ。ルーンとは大きな違いだ。ルーンはちゃんと一から十まで説明してくれたものだが。
「想像はできるが、説明してくれると助かる」
『なるほど、人間は都合の悪いことは考えたくないといいますが、こういうものですか』
「余計なことは言わなくていい。マ神か?」
『はい』
 そして空間が戻る。
 暗闇の空間から戻った場所には既にマ神の姿があった。
 ニクラでエネルギー体として存在していたマ神が、今は受肉し、人の体の中でうごめいている。
「お前がマ神が。案外可愛い顔をしているので驚いたな」
 蒼色の髪。小柄な体。優しげな笑み。どこかはかなげな瞳。どう見ても普通の少女にしか見えない。
 が、その姿は隣に立っていたサマンを愕然とさせた。
「る、ルウさん」
「なに?」
 そう呼ばれた少女はその笑みから優しさを消していく。酷薄な笑みだけがそこに残る。
「サマン。久しぶりね」
「どうして」
「もう分かっているのでしょう?」
 ルウの言葉には全く親しみというものを感じない。ただ事実だけをつきつける冷たさがある。
「私が、マ神なの」
「嘘よ」
「本当よ。ウィルザも私を殺そうとした」
「嘘よ!」
「本当よ。だから私はウィルザを封じ込めたわ。あの人は殺さない。私の愛する人だから。誰だって愛する人の傍にはいたいものでしょう?」
 感情のこもらない言葉と顔だった。







第四十一話

風の音が消えた日







「いろいろと聞きたいことがある」
 別に相手の戯言を聞いていても仕方がない。いや、そうしたところからいろいろと分かることもあるが、現状では情報が足りなすぎて何も理解ができない。
「お前は見た目はルウということだが、中身はマ神のようだ。お前はいったいどういう存在なのか、詳しく説明してくれると助かる」
「神に向かって、随分と偉そうな態度ね」
 事実なので否定しない。挑発に乗る必要もない。
「どこから話せばいいのかしらね。そもそもルウという少女が生まれてきた理由から話した方がいいでしょうね。ルウはマ神のヨリシロになるために生まれてきた。ただ、そのことをマ神は察知できなかった。だから八〇六年、ルウが初めてニクラに行ったとき、マ神はそれに気づいた。そして去年、この体にマ神が入り込んだというわけ」
「ではルウの魂はどこにある?」
「ここに」
 マ神は自らの心臓を手でおさえる。
「本来マ神がこの体に入り込んだとき、表面的な精神であったルウの魂は失われるはずだった。でも、マ神にも予期せぬことが起こったのよ。要するに、ルウの魂が意外な抵抗を見せた。消えるはずの魂が消えず、あろうことかマ神に抗った結果──」
 くす、と彼女は一度笑う。
「マ神とルウの魂が複雑に融合してしまう結果になった。ウィルザもショックを受けていたみたいだったけれど、けれどもうマ神とルウを切り離すことは不可能なのよ」
「マ神とルウが融合した、別の性格になったと考えればいいということか」
「それが一番適当かもしれないわね。どちらがベースなのかはもう分からない。それに私はもう、ウィルザ以外の人間には執着を持てなくなってしまっているし」
 瞬時に、レオンはサマンを突き飛ばした。その直後、サマンのいた場所を一筋の閃光が貫く。
「あら」
 少し驚いたように彼女が言う。
「ウィルザのときは簡単に殺せたのに、やっぱり油断していないとこうなのかしらね」
「ルウさん、どうして」
 サマンが殺されそうになっていたことを理解し、彼女を見つめる。
「言ったでしょう? 私はもう誰を殺しても心が痛まない。それを理解してもらうには誰かを殺すのが一番」
「ウィルザのときは、と言ったな。では誰かを既に殺しているということか」
「ええ。ニクラ人の、何といったかしら。まあいいわね、ウィルザじゃない人はどうだっていいもの」
 サマンが顔をしかめる。サマンにとってももちろん盟友ともいえる人物だ。
 オクヤラム。
「ルウさん、間違ってるよ」
「あら、いいのよ別に。好きなだけなじっても。私はもう以前の私じゃないのだから」
「間違ってる。本当にウィルザのことが好きなら、ウィルザのためになることを考えるべきなのに」
「違うわ」
 だがそこはきっぱりと彼女も答える。
「私はウィルザが好き。それはルウとしての意識。でも同時にこの世界を壊したいの。これはマ神としての意識ね。どちらかを優先することはできないわ。だから同時に行うためには、ウィルザは封印するしかなかった」
「封印?」
「そう。ニクラに、決して融けない氷の中に凍結させて眠らせてあるわ。そして世界が崩壊したら、アサシナの地下にある星船に乗ってウィルザと一緒に宇宙へ行く。手遅れになってしまえば、ウィルザももう何も言わないでしょう?」
「それでウィルザが喜ぶはずがないじゃない!」
「分からない子ね」
 妖艶に笑う彼女は、もう人間ではない。
「私はウィルザの幸せなんて考えていないわ。私が幸せになることしか考えてないもの」
「そんなの、ひどいよ! ウィルザはルウさんが幸せになることをずっと考えてたのに!」
「──本当に、そう思うの?」
 今度は彼女の顔から表情が失われる。
「ウィルザがもし、私のことを考えていてくれたなら、きっとこんなふうにはなっていなかったでしょうね。世界の運命とか、そんなくだらないことよりも私を愛していてくれたら、私がケインに捕まることも、マ神と融合することもなかった。その意味ではウィルザは罪を犯した。私を愛しておきながら、中途半端にしておいた。なら私の気持ちはどうすればいいの? 報われないと知りながら永遠に彼を愛すればいいの? それは彼にとって都合がいいのでしょうけど、それは私にとっての幸せではないわ。私はただ彼と一緒にいられればそれでよかったのだから」
「でも、ウィルザだってルウさんと一緒にいられるようにずっと考えてた! それがかなうかどうかなんて分からない。でも、ルウさんみたいに相手の意思を強引に束縛するなんてこと、しなかったよ!」
「そうね。でも、私はむしろ束縛してほしかった」
 迫力が増していく。彼女の力が増幅される。
「ウィルザが私を束縛して他のことを考えないようにしてくれればまだ良かったのかもしれないわ。でもあの人は何もかもが中途半端。私の気持ちは進むことも引くこともできなくなった。だからマ神につけこまれたんだわ。だとしたらほら、こうなったのはウィルザの自業自得ね」
「勝手に決め付けないでよ!」
「いいえ、これは事実よ。ルウもマ神も、どちらも同じ意見なのだから」
 そしてルウは自分の手をかざした。
「おしゃべりが過ぎたわね。そろそろ目的を果たさせてもらうわ」
「ザ神を解放するつもりか? だが遅かったな。俺はもう全ての力を引き継いだ」
「だからどうだというの?」
 そして、光がザ神の柱に向かって放たれる。
 それは、解放とか、そんな生易しいものではない。
 そこにはもう、巨大な柱のかけらも存在しなかった。
「お前……まさか、ザ神を消滅させたのか」
「そう。ザ神が全て消えてなくなれば、この世界はさらなる混沌に陥る。イライを消滅させるのは難しいでしょうけど、もう一つ、ドルークさえ破壊すれば力の弱いものから徐々に息絶えていく。人々はゲ神にすがりつくのでしょうけど、それも時間の問題。ゲ神の王を私が見つけて消滅させれば、もうこの世界で人は生きていくことができない」
「そんなことをさせるものか」
 レオンが剣を構える。が、彼女はただ笑うだけだ。
「あなたの力では、私にはかなわないわよ」
「かなうとか、そういう問題ではない」
 レオンはひるむことなく言う。
「お前はこの世界にとって害悪だ。そんなものを野放しにしておく必要はない」
 瞬間。
 彼女の表情に劇的な変化が現れていた。それは衝撃といえばいいだろうか。
「……嘘」
 彼女はじっとレオンを見つめる。
「何がだ」
 だが、彼女は大きく首を振る。
「いいえ、それはただの偶然」
 そして今度は仇を討つかのような憎しみのこもった目で睨みつけてくる。
「その言葉を私に向かって言う人間を、許しておくわけにはいかないわ」
「何を動揺しているのかは知らないが、そんな乱れた心で俺を殺せると思うな。お前を殺して、全てを終わりにしてやろう」
 さらに彼女の目が大きく見開かれる。
「全てを、終わりに……」
 がくがくと彼女が震え始める。いったい何を動揺しているのかは分からないが、明らかに今までの勝気な彼女ではない。
「……いやよ」
 彼女の顔は、どこか泣いているようにも見えた。
「いやよ!」
 そして彼女の姿が消える。どうやら、完全に立ち去ったらしい。
「見逃してくれたようだな」
 レオンは大きく息をついた。大口は叩いたものの、さすがに勝てる気は全くしていなかった。ただ引くわけにはいかなかったからそう言ったまでだ。
「大丈夫か」
 レオンがサマンを立たせるが、彼女は彼女でショックを隠しきれないでいた。
「信じられない」
「ルウがマ神だということか」
「ええ。それもあるけど、ウィルザが捕らわれたっていうことも」
「ああ、そうだったな。ニクラで封じられているといわれても、行く手段がない」
「うん。とにかくウィルザを助ける方法を考えないといけない」
 その通りだ。自分ひとりではマ神にはかなわない。ならば力のある人間の力を借りなければならない。
 ウィルザを取り戻す。どうやら次の目的はそれになりそうだった。







時は流れる。
マ神の手下たちがグラン全土に侵攻する。
人々は結集し、マ神との決戦に備える。
そして、そのリーダーとして立つのは無論。

「ここに四カ国の総意に基づき、対マ神大同盟を結成する」

次回、第四十二話。

『対マ神大同盟』







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