ガイナスター、ミケーネ、ドネア、ローディの四人はアルルーナの導きによりニクラへとやってきていた。ミケーネとドネアにしてみれば初めての地になるが、ガイナスターとローディはこれが二度目の来訪となる。
「前に来たときと雰囲気が違うな」
ガイナスターが周囲を見回して言う。
「おそらくマ神が復活し、ここに住んでいた人々を虐殺したからでしょう」
ローディが破壊された町並みを見て言う。
「マ神か。旧アサシナ王都にこもりきりだが、その力がこれほどまでとは」
当然、一柱の神とはいえ、その力には限界がある。ザ神一体、ゲ神一体で街を完全に破壊することなど不可能だ。
「ウィルザ様はどちらに」
ドネアが尋ねると、彼らをここに連れてきた張本人、黄金の鎧を着込んでいるアルルーナは街の奥を指す。
「急ぎましょう、兄上」
急ぐとはいっても突然走り出すわけではない。そんなことをして、もし敵の黒童子が待ち伏せしていたとなれば、体力の落ちた状態で戦わなければならなくなる。
一行は町の奥へと移動を開始した。風の音以外何も聞こえてこない、物音のない街。それが、この街が完全に滅びたことを示す証拠だった。
「どうやらこの場所は完全に放棄されたようですね」
ローディが言うとミケーネも頷く。
「うむ。だが、ウィルザの体がここにあるのに誰もそれを守る者がいないというのは妙だ」
「それだけマ神は自分の力に自信があるんだろ」
ガイナスターがいまいましそうに言う。
「氷の柱に閉じ込められてるっていう話だったな」
「そうです」
ガイナスターの質問にアルルーナが答える。
「マ神が部下を置いていかなかったとすれば、その氷の柱は砕くことも溶かすことも不可能だということだろう」
「少なくともマ神はそのように考えているようです」
アルルーナがその言葉を認める。
「ならばどうする? その氷の柱を前に俺たちは何もすることができないのでは?」
ミケーネが尋ねるが、ガイナスターはふんと鼻を鳴らす。
「見てみないと何も分からねえよ」
「その通りです」
ドネアが懸命についてきながら言う。さすがに男たちの足は速い。ドネアではついていくのが精一杯だ。
「もしかして長老とかいう奴の館か?」
「そのようですね。あの建物には見覚えがあります。かなり壊れていますが」
二人が見たその先に、巨大な、しかし一角が完全に崩れ落ちてしまっている建物が見える。ミケーネとドネアもそれを視界にいれると、さらに歩く速度を上げる。
相変わらず誰もいない街。黒童子は一人としてこの街に残ってはいないのか。だとすればこれだけの人数で来たのはある意味無駄だったのかもしれない。
「入るぜ」
ガイナスターが扉を蹴破る。やはり中も誰もいない。罠が仕掛けてある風でもない。完全な廃墟。
「どこだと思う?」
「おそらくあそこではないでしょうか。かつてマ神が封じられていた場所」
「ああ、あったな。場所なんか覚えてないが」
「確かこっちのはずです」
ローディが先に立って進む。その後に三人とアルルーナが続く。
牢屋がわりに使っていたその『封印の間』にたどりつく。以前に感じた瘴気はどこにもなく、ただどこか寒々しい空気だけが流れている。
「ここです」
扉を開ける。
その、彼らの目に入ってきたのは、床から天井まで伸びた巨大な円柱。
半径で二メートルはあるだろう氷柱。
その氷柱が接している床や天井まで凍りつかせているようで、部屋の中は完全に冷え切っている。
「こりゃすげえ」
ガイナスターが用心して、瓦礫の一つをその氷にぶつけてみる。だが瓦礫は氷柱をかすかに傷つけただけで床に転がった。
「別に触れたもの全部を氷にするとかいうわけじゃなさそうだな」
「単なる氷の柱だとしたら、数年もあれば融けているはずだが」
だがミケーネがガイナスターに反論する。
「魔法的な力があるのは間違いありません」
ローディが言うと、ドネアがゆっくりと近づいた。
「おい、あまり近づくな」
「大丈夫です、お兄様。ここにウィルザ様がいらっしゃいます」
氷柱に近づいたドネアが素手でその氷に触る。
「ウィルザ、か」
ガイナスターも見た。ミケーネも、ローディもだ。
確かに彼はそこにいる。眠っているように目を閉じている。氷に覆われたことにより、彼は完全な仮死状態に陥っている。この氷が溶けるまで、彼は歳を取ることもなく、死ぬこともない。
「壊したら死ぬか」
「ええ。それは間違いないでしょう」
「だからって、溶かす方法なんかないぞ、これは」
「本当に見たまま、氷の柱ですからね」
ガイナスターとローディが意見を交換するが、打開策は出てこない。
「アルルーナ様」
「アルルーナ、でけっこうです」
ドネアが尋ねるとアルルーナが冷たく答える。
「アルルーナさん。あなたはどうすればウィルザ様が目覚めるか、ご存知ですか?」
「マ神の力には、私では及びません。理解することすらも」
「そうですか」
「ですが、あなたたちならそれが可能です。人間は神にしばられずに行動できる。だからこそ私はあなたたちをここへ連れてきた」
アルルーナが凛とした声で言う。
「私は彼に、伝えなければならないことがあるのです」
今まで旧アサシナで力を使い続けてきたザの機械天使。それが自らウィルザを救おうと、この場所までやってきている。
もちろん彼女にはそれだけの力はないが、そのかわりにウィルザを助けることができるだろう人を連れてきた。
それが彼女の限界。
「なるほど」
ローディが頷く。
「何か方法はあるのか?」
「ええ、まあ」
ローディは苦笑する。
「ウィルザ様は私を必要だとおっしゃった。それは、このときのことを示していたのかもしれません」
「何?」
「この氷を溶かすことはできます。私の命をかければ」
ローディの真剣な目が、全員の口を一瞬塞がせた。
第四十四話
目覚める救世主
「命をかける、とは?」
ドネアの視線が厳しい。もちろん彼女はたとえウィルザを助けるためだからといって、誰かが犠牲になることを容認するつもりなどない。
「私の内にあるザ神のエネルギーを全て使えば、この氷の中からウィルザ様を助け出すことも不可能ではないと思います」
「可能性の問題?」
「ええ。ごらんください」
ローディが氷柱に手を触れる。
「先ほどから見ていて思ったのですが、この氷は自動修復機能が備わっているようです」
「自動修復?」
「はい。ガイナスター陛下が氷柱につけた傷、そしてドネア様が触れたときにかすかに溶けたはずの氷。全てがきれいになくなっています」
ローディはそうして手を離す。触れてかすかに溶けた氷が、次の瞬間みるみるうちに元通りに戻っていく。
「つまり、この氷を溶かし続けなければ、ウィルザ様をこの中から救い出すことはできないのです」
「だが、どうやって」
ミケーネが尋ねる。
「もちろんザの魔法でです」
「炎を出し続けるとでもいうのか?」
「そんなところです」
あいまいにぼかして答える。まあ、ミケーネの言っていることは間違いではない。
「本当に助けられるのか?」
「おそらく。両腕や下半身がきちんと取り出せるかどうか、心配ではありますが」
「命に危険があるというのは?」
「魔法を使い続けるわけですから、自分の体力が持つかどうか微妙です。使い果たせば倒れるだけです」
そうしてローディが準備をしようとする。が、ドネアがそれを止めた。
「ちゃんと無事に帰ってこられるのでなければ許可できません」
「残念ですがドネア姫。私はあなたの許可『など』必要としておりません」
「な」
だがローディは相手の立場を無視して答える。
「私の主はたった一人、ウィルザ様だけです。ウィルザ様が危険ならば私は命を捨てることを惜しまない。もし私が命を落とすかわりに、ウィルザ様が無事に生還されていただけるのならば本望です」
「そんなことはありません。ウィルザ様だって、あなたが死んだら悲しむはずです」
「当然です。ウィルザ様は私を必要だとおっしゃってくださったのですから」
ローディは自信を持ってこたえる。
「ですが、この世界に必要なのは私ではなくウィルザ様なのです。世界が助かるための犠牲は少ない方がいい。私一人なら何も問題はありません。ポーンとクイーンを交換するくらいの価値があります」
「ポーンがいなけりゃチェスは打てないぜ」
「では言い換えましょう。ウィルザ様はキングです。キングを守らずして何のための駒でしょうか」
ローディは言い切ると、迷いもなく氷柱に向き合う。
「ローディ」
「お気になさらず。もともと死んだはずの命。ウィルザ様にご恩返しができるのなら、これに勝る喜びはありません」
そしてローディはザ神の力を限りなく高める。
「ラニングブレッド!」
火の最高魔法。それを周囲に発生させたままローディは氷を溶かす。
「まさか」
ドネアの顔が青ざめる。そのまさかだ。
ローディは、ウィルザを助けるまで、魔法を無尽蔵に放ち続けるつもりだ。
「そんなことしたら、本気で死ぬぞ!」
「それでウィルザ様が助かるのなら本望」
ローディの手が氷柱にのびる。その触れた部分が一気に融解する。
魔法はますます勢いを増し、ローディの体は徐々に氷柱の中に入り込む。
完全にローディの体が氷柱の中に入り込むと、氷柱の外側が徐々に凝結し、ローディが入ってきた入り口がふさがれていく。
「どうするつもりだ」
「分からん。が、考えがあるんだろう」
ミケーネとガイナスターが手に汗を握ってその場を見守る。
氷柱の中に入り込んだローディはゆっくりとウィルザに近づき、ようやくその手がウィルザの体の一部に触れた。
すると、その熱が一気に伝わり、そのウィルザのまわりの氷も次第に溶け出す。
「まだ、目は覚めませんか」
ローディはようやく動かせるようになったウィルザの体を抱きかかえる。
「ですがもう大丈夫ですよ。あなたがこの氷柱から出さえすれば、いくらでもあなたの意識を取り戻すことはできるのですから」
ドネアは回復魔法の使い手。特にゲ神の加護を受けているウィルザにとっては都合のいい相手だ。
「だから──お行きなさい。この世界を守るために」
ローディは、そのままウィルザの体を押していく。少しずつ、少しずつウィルザの体が氷柱の外側へと動き出す。
「そのまま突き抜けるつもりか、なるほど!」
三人はただちに氷柱の裏側へ回り込む。
「ウィルザ様」
ローディが自分の腕の中の主君に向かって言う。
「あなたは我が、最良の主君」
あと少し。
もうあとほんの数センチで、この体を自由にすることができる。
「あなたは、私を、必要とおっしゃった」
そして、ウィルザの体が外気に触れる。
「そして世界は、あなたを必要としているのです」
その体が完全に外に出る。
「あなたに預かった命をお返しいたします。どうか、世界を」
そして──ウィルザの体は、その氷柱の外に投げ出され、ガイナスターとミケーネがその体を支えた。
「ローディ!」
だが。
そのウィルザを救ったローディの体はいまだ、氷柱の中。
最後の力を振り絞ったのか、氷柱の外まであと三十センチほどだが、もはや氷を溶かすだけの魔力は残っていない。
(これでいいのです)
氷の外にいる人たちに向かって、笑顔を見せる。
(私ははじめから、このために生き延びたのですから)
そして、まだ意識を取り戻さないウィルザを見つめる。
(今度こそ私は、自分の主君のために満足して死ぬことができる──これほどの喜びはない)
彼の目が徐々に閉じる。
氷の冷たさが彼の生命を閉ざしていく。
マ神はウィルザを殺すつもりはなかったが、それ以外の者まで生かしておく理由はない。
仮死状態と言わず、このまま体温を奪われて、そして──
(さらば、です)
忠義の士、ローディはその氷柱を自らの墓標とした。
「ろ……でぃ」
そして。
それと入れ替わるように。
まさしく、命を入れ替えたかのように。
「ばか、やろう」
救世主は、目覚めた。
ローディが死に、ウィルザが目覚めた。
既にマ神は世界中へ侵攻し、グランの黄昏が始まっている。
彼がこの地に来て未だ十年。何故、これほどに歴史の流れが早いのか。
そしてウィルザは、アルルーナから隠されていた真実を知る。
『アルルーナ。ぼくの道を示してくれ』
次回、第四十五話。
『ザ神とゲ神』
もどる