それが引き金となった。
「あああああああああああああああああ!」
レオンが悲鳴を上げる。一度に自分の頭の中に甦ってくる過去の記憶。
(トール! トール! トール!)
その名前が何度も何度も頭の中をめぐり、そして自分の為すべきことが次第に浮上してくる。
(そうだ)
ずっと放浪していた自分。だが、放浪していたときの記憶すら曖昧で、自分がどういう存在だったのかまるで分からない。ただ、一、二年ほど放浪していたというだけ。何故なら、そのときはまだトールではなかった。トールの意識が入ってきたときから自分の意識は覚醒を始めた。
覚醒して最初についたのがイライの村。つまり、ここだ。
だがそれはたまたまではない。行き場を失ったトールの魂が、一番手ごろな体を奪った。だからこそ覚醒して、目の前のイライの村に到着したのだ。
トールは帰ってきた。トールではなく、レオンとして。
それも名前など決まっていなかった。レオンという名前もそこで初めてもらった名前。
「リート」
汗だくのレオンの呼びかけに、少年が頷く。
「お前は知っていたのか。俺が何者かということを」
「もちろんだ。お前に名を与えたことも、記憶をよみがえらせないようにしたのも、このときまでウィルザと会わないようにしたのも、全ては我らザ神の考えたこと」
「何故だ!」
「マ神を倒すため。それ以外の行動原理など存在しない」
リートは冷たい声で言い放つ。
「レオン。お前がウィルザを捜し求めたのは当然のことだ。お前の意識はお前の本体に帰りたがっていた。特に、ザ神の力を三つ手に入れた後は、その欲求が時間が経つにつれて増大していたはずだ。ザ神としての力を蓄えていたお前が、ゲ神の力を三つ蓄えているウィルザの体に入れば、その体がもたない。だからこそ、お前は完全なザ神となって、本体から独立する必要があった。同時にウィルザも完全なゲ神となって、レオンの意識を入り込ませないようにする必要があった」
「お互い、完全なザ神、ゲ神となるまで会うことを禁止されていたのか」
ウィルザが顔をしかめる。
「それは教えてくれてもよかったんじゃないか?」
「既にマ神の支配下に入ってしまっていたザ神の立場で、お前たちにそれ以上のヒントを与えることは許されていなかった。我らにも制約があるのだ」
リートは軽く頭を下げる。
「そしてレオンよ。お前にはもう分かっているはずだ。お前の為すべきことが」
「ああ」
ぶんぶんと頭を振って言う。
「俺は父親から言われていた。ルウをイライから出すな、と。ルウと結婚し、村から出さず幸せにして外の世界を見させないようにして、マ神となることを防げ。それが父親が俺に命令したことだ」
「トールの父親は、ルウがマ神のヨリシロになることを知っていたのか?」
ウィルザがレオンに尋ねる。
「知っていた。俺は我慢ならなかった。いくら世界のためとはいえ、好きでもない女と一生を添い遂げなければいけないということが」
「好きでは、なかった?」
ウィルザが動揺する。
「ああ。俺は──トールはルウのことを何とも思っていなかった。だから俺は父親に向かって言った。この世界にとって害悪だと。野放しにしておく必要はない。殺して全てを終わりにした方がいい。そう言った──」
「待って」
そこに割り込んできたのは、サマン。
「その台詞、前にも言ったよね」
「ああ。無意識にな」
サマンの言葉にレオンが頷く。
「ルウに会ったときだ。マ神となったルウがその言葉を聞いて動揺し、俺たちの前から姿を消した。ルウは、俺がトールだということに気づいたのかもしれない」
もしそうだとすると──ルウは今、ウィルザとレオンをどう考えているのか。
かつて愛した男性であるレオン。そして現在愛している男性であるウィルザ。
「聞きたいことがある」
ウィルザはレオンを睨むようにして尋ねる。
「トールとは何者だ? トールの父親はどうしてそんなことを知っていたんだ?」
「俺は──トールはただの普通の人間だ。俺と父さんの間に血のつながりはない。父さんが世界を守るために、辺境の盗賊団を壊滅させたことがあった。その盗賊団に浚われて、身寄りがなかった子供が俺だ」
「じゃあ、お前がルウと結婚しようとしたのは」
「父さんへの恩返しだ。父さんはこの世界を救うために活動していた。マ神の復活を知り、マ神のヨリシロとなるべき少女の身柄を見つけ、それを保護しながら監視する。それが父さんが決めた生き方だ」
「では、やはりお前の父親とは」
「そうだ」
レオンは強く頷く。
「ニクラの民。正確にはニクラの民の血を引くもの。もう混血が進んでニクラの蒼い肌はなくしてしまったが、その魂はニクラの民そのものだったと思う」
「それが真実だというのか」
そうなると、ますます世界記にレオンのことが書かれない理由がよく分かる。レオンという人間はもともと存在していない。トールという人間の魂が、ただの人造生命体に乗り移っただけなのだから。
「なら、レオン。君はルウをどうするつもりだ」
対決の姿勢。ここに集まった他のメンバーが口を挟む余裕などない。
ザ神たるレオンと、ゲ神たるウィルザの、直接対決だ。
「一番いいのは殺すことだろうな。それでこの大陸は救われる」
「君はそれを望んでいるのか?」
「俺は意識を取り戻してからずっと、この大陸を救うことだけを使命として与えられ、それに従うことに多少なりとも喜びを感じてきた。無論、失うものも多かったが、今となってはそれも過ぎたこと。ここまできて大陸に平和をもたらすことができないというのならば、俺が歩んできた十年間は無駄になる」
「ルウを殺す気か」
「そういうお前はどうなんだ、ウィルザ」
「ぼくはルウを殺すつもりなんかない。ぼくはルウを取り戻す。マ神を追い払い、ルウだけを取り戻す」
「それは無理だな」
レオンがあっさりと答える。
「やってみなければわからないだろう!」
「分かる。ヨリシロというのは、その体も心も全てマ神と同化するものだ。一度融合したものを元に戻すことはできない。既にあの体の中にはルウもマ神もない。二つの意識が溶け合い、完全に別の存在となった。もうこの世界にルウという少女は存在しない。存在するのはその外見だけだ」
「方法はないのか」
「ない。もしあるとしても、もう手遅れだ」
「手遅れ?」
「もしもお前が、今のマ神と融合したルウと共に歩み、この世界の敵となるのだとしたら、可能性はあったかもしれない。だが、この段階にいたってはもう遅い。世界の滅亡まであと三日。お前が望むと望まないとに関わらず、既に助けることができる段階は過ぎた。ルウを止める方法はただ一つ。殺すことだけだ」
それが現実。
ウィルザにはまだ信じられない。あのルウが、自分のところにもう戻ってこないのだ、などということが。
だが。
『ウィルザ。世界の命運は君が握っている』
(ああ、分かってるよ、世界記)
自分は、間違えたのだ。
どこで、何を間違えたのかは分からない。だが、間違えたことだけは分かる。
だが、選択を間違えなければ、きっと自分は今でも彼女と一緒にいることができたのだ。
その最後の糸は、既に切られていた。
「分かった」
すべてを受け入れる。
そして、自分の為すべきことを為す。
「ルウを倒す。それしかないんだな」
第四十八話
最後の戦い
「決心がついたか」
レオンが尋ねると、ウィルザが頷く。
「ザ神とゲ神が協力すればマ神を倒せる。ぼくら二人が協力することが必要なんだな」
「そうだ。それにここには本物のザ神もいる」
そうしてようやく話がザ神リートに振られた。
「それは好都合だな。こちらにもゲ神がいるよ」
そしてゲ神カイルも紹介される。
「久しいな、カイル。まさかこの身で会えるとは」
「他の兄姉たちは死んだのだな」
「ああ。後を私に託してな」
「薄情者め。だが、リート兄が協力してくれるのなら心強い」
リートとカイルが軽く手を合わせる。
「他の者たちはここで待つがいい」
リートが厳かに宣言する。
「もはや人の身で、これ以上の戦いに関与することはできん。この度の戦いは尋常にあらず。ここでふたりの勇者の帰りを待つがよい」
「冗談じゃねえ。俺はついていくぜ。邪魔になろうが、こいつらは俺の仲間で、貸しも借りもあるからな」
もちろん、反論したのはガイナスターだ。
「私もです。この世界の者として、ふたりだけに任せることはしません」
ミケーネも力強く言う。
「私もご一緒します。せめてルウさんのかわりに、ウィルザ様のお傍にいさせてください」
ドネアも神に懇願する。
「私だって譲るつもりはないわよ。レオンについてくって決めてるんだから」
サマンも強気の表現だった。
「これも、縁、なのでしょう」
リザーラが最後に神々に尋ねる。
「神々にはご存知のはずです。この場につどった者が、どれだけふたりの力になってきたかということを。この、最後の戦いにいたるまで、彼らの協力がなければ来られなかったことを。これがマ神との最終決戦ならば、どうか神々には我々の願いを聞き届けていただきたい」
リザーラの言葉に、カイルは肩をすくめ、リートはふたりを見る。
「どうする、レオン、ウィルザ」
「どうするも何もない。お前は俺と同じ意見だろう、ウィルザ」
「だろうね。君と意見が合うのは嬉しいかな」
二人の意見が一致する。ならば、迷うことはない。
「行こう、最後の戦いへ」
そして彼らは、旧アサシナ王都へと向かう。
十二月三十一日。
イライの村を出た一行は、ついに八一五年最後の日を迎えて、この旧アサシナについた。
これが最後の戦い。これが終われば、全てが終わる。
誰もが覚悟を決めている。この戦いで死ぬことなどいとわない。そのかわり、絶対にこの大陸を救ってみせるのだ。
「アサシナにはバリアが張られているのではないか?」
「関係ない。二人の力があれば問題ない」
ガイナスターの疑問にザ神リートが軽く答える。
もはやザ神とゲ神、両方の力を手にした二人にとって、そのようなものは障壁にすらならない。二人の力を合わせればマ神を倒せるほどなのだから。
障壁を破った一行は、ついにアサシナに入る。
そこは完全な廃墟だった。既に長年放置されていた建物はほとんどが崩れ落ちている。大陸の中心とかつて呼ばれた都だが、もはやその面影はない。
「来たな」
足を止めたのは先頭を行くレオンとサマン。
そして、彼らの前に立ちふさがったのは、無論。
「右腕は回復していないようだな、ケイン」
レオンが挑発する。挑発されたケインは、左手に剣を持っている。
「今さらお前が出てきても、俺たちにはかなわないだろう」
「馬鹿め」
ケインは苦笑する。
「倒す、倒さないは問題ではないのだ。お前たちを一人でも多く殺しておくことが私の役目」
「その手に乗るな、レオン」
ウィルザがレオンの隣に立つ。
「あいつの狙いは時間稼ぎだ。ぼくらがここで釘付けにされればされるほど、この大陸の崩壊に近づく」
「なるほど」
ウィルザの言葉にレオンも頷く。
「なら、攻撃をしかけるまでだ!」
レオンが突進する。それこそ、先日ケインと戦ったときよりも、速く、鋭い。
「貴様ごときの腕で、私を倒せると思うな」
ケインはその剣を受け流し、さらに魔法を連発する。
「俺はもう、自分の背中は気にしない。守ってくれる者がいるからな」
サマンやリート。さらには共に戦ってくれる仲間たち。
そして、ウィルザ。
(気にくわない奴だが、実力は本物だな)
今まで自分は力をセーブしなければならなかった。だが、ウィルザがいればその必要はない。ウィルザは自分のスピードで、自分のタイミングで共に行動してくれる。
「ウィルザ!」
レオンが声をかける。既にウィルザは魔法を唱え終わっている。
「雷神撃!」
極大の雷がケインに落ちる。その隙をついてレオンが突進し、ケインが左手に持っていた剣を弾き飛ばす。
「とどめだ、ケイン!」
そして、鋭く剣を振り下ろす──
「言ったはずだ、レオンよ。貴様ごときの腕で、私を倒せると思うな、と」
レオンの体が、止まった。
その体に。
「馬鹿な」
深く刺さった、剣。
その剣は、ケインの『右手』が握っていて。
「何故、右腕が──」
「ザ神の技術はもともとマ神が教えたもの。義手の知識などそう難しいものではない」
そして、さらに魔法を唱える。
「ラニングブレッド!」
激しい音と光と共に、レオンの体が、爆発に飲み込まれた。
レオンの体に突き刺さる剣。
最後の戦いは、予測もできない幕開けとなった。
ケインとの最終決戦。そして、現れるマ神。
ウィルザは、そしてレオンは、何を思うのか。
『私の愛した二人に、永久の眠りを』
次回、第四十九話。
『マ神』
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