マ神となってもルウの体そのものは変わっていない。いや、精神すら完全な変化を遂げたわけではない。確かにルウから変わったことには違いないのだが、マ神の意識とルウの意識が複雑に融合した状態になっている。つまり、今までのルウの意識がなくなったわけではないし、記憶も感情も全て残った状態だ。
「一つだけ聞きたい、ルウ。いや、マ神」
 冷たく妖艶な空気をまとったマ神に、ウィルザが尋ねる。
「今さら、何を話すというの?」
「確認を。マ神が何故、このグラン大陸を襲ったのか、ということを聞いておきたかった」
「聞いてどうするの?」
「どうもしない。ただ、気になっただけだよ」
「そうね」
 ルウは微笑をたたえながら逆に尋ねる。
「あなたは林檎を買うときに、手にとったものが『それ』である理由が必要なの?」
「なに?」
「手に取られた林檎は食べられてしまうけれど、その林檎が食べられなければいけない理由は何だったのかしらね。そうなる運命なんていうものがあったのかしら」
 たとえているのはよく分かっている。林檎はグラン大陸の比喩。つまり──
「理由なんて、ないのか?」
「ないわよ。ここにおいしそうな林檎を見つけた。お腹がすいていたら食べたくなるでしょう? それだけのこと。それを定義するのなら運命、でもこれはそんな崇高なものじゃないは。言ってしまえば、単なる偶然。それだけ」
 ルウは言ってから苦笑する。
「でも、その偶然に感謝しないといけないわね。この私が、生まれて初めて何かに愛し、焦がれるなどという感情を手にすることができたのだから」
「そうか」
 ウィルザは表情を変えた。
「でも、この星にはたくさんの命があるんだ。それをむざむざと殺させるわけにはいかない」
「そうね。あなた方が勝てばこの大陸が崩壊することはないわ。何しろ、この大陸が崩壊するかどうかは、私が最後にスイッチを一つ、入れるかどうかで決まるのだから」
「スイッチ?」
「そう。ここにある星船に流れ込んできていたエネルギーの流れは通常に戻っている。つまり、ゲ神とザ神という二つの神と、その神に属する僕たちがこの世界に住むことを許されている。でも、その二柱の神がいなくなったらどうなると思う?」
「いなくなったら?」
「そう。ザ神とゲ神が消滅すれば、もはや人間を守る者はない。それまであがめていたザの天使は暴走し、ゲの怪物たちは見境なくすべての動物に襲いかかる。もうこの大陸で生きていくことは誰もできない。生きるためのエネルギーも受けられず、力のない者から弱り、亡くなっていく。そしてすべての生命が絶え、私、マ神だけがこの大陸に残る」
「そうはさせない」
「あら、でも、もうほとんどその状況は完成されているのよ。まだ分からないの、ウィルザ」
 言っている意味が分からないウィルザだったが、隣で冷静に話を聞いていたレオンの方がすぐに理解した。
「なるほど。もはやこの世界に残っているザ神とゲ神は、俺とウィルザだけということか」
「そう。五柱の神は全て滅び、新しくあなたたち二人が神として選ばれた。でも、その神がいなくなればこの世界はどうなるの? 神のいないこの大陸で、あらゆる生物は生きていけないのに」
「ふざけるな」
 ウィルザが憤る。
「神だろうと何だろうと、あらゆる生物に対してもてあそぶ権利なんかない」
「もてあそんでなんかいないわ。最初に言ったでしょう。これは遊びじゃない」
 そして、いよいよルウのまとっていた気が、攻撃モードに変わっていく。
「これは遊びじゃない。これは食事。マ神が生きていくためのエネルギーを吸収しているだけなのよ。分かる? 私は生きるためにあなたたちのエネルギーを吸収する。あなたたちは生き延びるために私を倒す。これは生存競争なのよ。私か、あなたたちか。勝った方だけが生き残ればいい!」
 エネルギーが暴発する。巻き起こる突風がふたりの体を押し流そうとするが、足を踏ん張ってこらえる。
「なんてパワーだ」
「さすが、完全版のマ神は一味違う」
 ウィルザとレオンがそれぞれに感想を言うが、ふたりとしても完全に動きを封じ込まれているわけではない。これは前哨戦。この程度でひるんでいては勝ち目などない。
「行くぞ、マ神!」
 ふたりは同時に動く。マ神を挟むように左右に分かれ、マ神の隙をうかがう。
「本気なのね、ウィルザ」
 ゆらり、とマ神はその手にした影の剣を動かす。
「今度はあなたを閉じ込めるなんていうことはしないわ」
 襲い掛かるふたりに宣言する。
「今度は確実に殺す。あなたの体を、永久に私のものにする」
 その影の剣を振るうと衝撃波が発生し、ふたりの突進を阻む。阻むだけではない。その影がふたりの体に裂傷を生み出していく。
「これは」
「かまいたち、とは違うのだろうが」
 影が硬質化してふたりの体を傷つけている。一撃、二撃はそれほどでもないにせよ、これが何回も続くようでは次第に力が奪われていくのは目に見えている。
「ちっ」
 レオンが飛び上がってマ神に踊りかかる。が、マ神は空いている左手を向けると、ラニングブレッドの魔法でレオンを焼く。
「この程度で!」
 だが、レオンはその炎をものともせず、持っていた剣でマ神を傷つける。マ神の体から赤い血が飛ぶ。
「なかなかやるわね、トール」
 だがマ神は目の前に着地したレオンに、その影の剣を向ける。
 その影が放たれた。咄嗟に身をかわすが、硬質化した影が、レオンの左肩を貫く。
「ぐっ」
 だがそれを歯を食いしばって耐える。右腕でさらにもう一度剣を振ると、マ神の胸に今度は裂傷を与える。
 互いにダメージを与え合い、少し距離が開いた。そこにもう一人の勇者、ウィルザが突進していく。
「ルウ!」
 まだマ神は影の剣を取り戻しても生み出してもいない。丸腰。
「武器がなければ戦えないとでも?」
 ラニングブレッドの魔法。だが、それももう予想済み。
 ウィルザは爆炎を回避してマ神の後ろに回りこむ。
「くらえ!」
 ウィルザの剣が、今度はマ神の背中を切り裂く。また、赤い血が流れる。確実にマ神にはダメージを与えている。
「これほどの戦いになるとはな」
 傍で見ていたガイナスターが呻く。
「ああ。俺たちではとても、ついていけない」
 ミケーネが悔しそうに顔をゆがめる。既に神同士の戦いは、人間の手には負えないところまできていた。
 マ神を倒そうとするザ神とゲ神。そこにはただ、三柱の神だけがあった。
「でも、私たちは二人を見ていないと駄目」
 サマンが血を流すふたりの姿から目を離さずに言う。
「ええ。お二人は私たちの仲間ですもの」
 ドネアも目を逸らさない。この二人はまったく、度胸が据わっている。
「大丈夫よ」
 リザーラは胸の前で手を組む。
「あの二人には、アルルーナの加護があるのだから」
 いよいよ、戦いは佳境を迎えた。







第五十話

過ちの果てに







 ふたりが追い詰めるも、マ神は簡単には倒れない。逆に攻撃を仕掛けてきてふたりにダメージを与えていく。まさに一進一退の攻防だった。
(ザ神とゲ神だけがマ神を倒せるっていうのはこういうことだったんだな)
 ふたりとも既に自分たちが人間の領域に留まっていないことはよく分かっていた。マ神の放つ衝撃波は、おそらくガイナスターですら一撃で即死にいたるほどの力がある。自分たちふたりはマ神の衝撃波を受けても耐性があるから耐えられる。
 だが、決め手がない。
 マ神を倒すために、決定的な隙を見つけなければ倒すことはできないだろう。それなのにマ神はまるで隙を見せない。それどころか、傷を受ければ受けるほど力を増していくようにすら見える。
「騙されるなよ、ウィルザ」
 レオンが声をかけてくる。
「敵も必死だ。お互い、ぎりぎりのところで戦っている」
「分かっている。そうでなければぼくらはとっくにマ神に殺されている」
 そう。お互いにお互いのことが分かっている。自分たちはマ神を追い詰めているし、逆に追い詰められてもいる。全くの五分。
「ウィルザ」
 戦いの中で、マ神が声をかけてくる。
「あなたは何のために戦うの?」
 レオンが「聞くな」と忠告してくるが、ウィルザはあえて敵の誘いに乗った。
「それがぼくの使命だからだ」
「使命のために、好きな相手でも殺すのね」
「ぼくから離れていったのは君の方だよ、ルウ」
 剣を繰り出しながらウィルザは答える。
「君が、世界を崩壊させようとさえしなければ!」
「何故、私が世界を崩壊させようとしているか、わからない?」
 ルウの動きが、ぴたりと止まる。
「何?」
「私は、マ神と融合する前から、決めていたのよ。あなたを、世界から解放する、と」
 戦いが一度止まる。正面から睨み合うウィルザとマ神。それ以外の存在が、二人の間に割って入るのを拒否しているかのようだった。
「何を言っている」
「覚えている? あなたとふたり、ガラマニアを出る直前。そう、あの大火事の直前に、私があなたに尋ねたことを」
「ああ、もちろん」
「世界か、私か。あなたは選べなかった。再会したときにはもう、あなたは世界を選ぶことを決めていたけど、でもそれはあなたの意思とは違う。あなたは運命にしばられているにすぎない。あなたはあなたの意思で行動することを許されていない」
「そうだとしても、ぼくが世界を救いたいと思っている気持ちは真実だ」
「では私は、あなたの中では世界よりも価値がないということね」
 ウィルザの背筋が凍る。
「それは、違う」
「違わないわ。あなたは自分の使命という言葉に逃げて、私という存在に対して結論を出すことをためらった。もしもあなたが世界に縛られていなかったら、私を選ぶこともできたはず。だからあなたを世界から解放する。そして、ずっと私と一緒にいてもらう。そう決めた。だからマ神を受け入れたのよ」
「ルウ!」
「でも、分かってる。もう何もかも遅いなんていうことは」
 そして再び、時間が動き出す。
「あなたを殺して、あなたのすべてをもらう。もう、それしか私には残されていないもの!」
 影の剣が無数に生まれ、ウィルザに向かって降り注いでくる。
「なっ!」
 必死に回避しつづけるが、次から次へと降り注ぐ影にいつまでも回避しつづけられるはずがない。
「そこまでだ!」
 レオンが隙をついてマ神に攻撃する。だが、彼女の衝撃波がレオンを弾き飛ばしてしまう。
「とどめよ!」
 そして、マ神がウィルザとの距離を縮める。
(これで、決まる)
 自分と、ルウとの決着がつく。
(負けられない)
 ルウを捨ててまで選んだ道が、そのルウによって閉ざされるなどということがあってはならない。
 この身にかえても。そしてルウの身にかえても。
 世界は、守る。

 ルウの剣が、ウィルザの腹部に刺さる。
 だが、その程度の攻撃でウィルザは止まらない。逆に剣でルウの左手を斬り飛ばす。
 衝撃で見開かれる眼。
 それでもなお、ルウは爆炎の魔法を放ち、ウィルザにダメージを与えていく。だが、それも最後のあがきにすぎない。ウィルザは既に必勝の体勢に入っている。
 鋭く薙ぐ。ルウの腹部から大量の出血。
 そして剣を、大きく振りかぶった。

「やめて」
 彼女の目が、恐怖と涙であふれていた。
「助けて、ウィルザ!」

 振り下ろそうとした手が、止まった。
 決してためらわないと誓っていたはずの手が、止まった。

 瞬時に、ルウの顔は凶悪なまでの笑みを浮かべ、同時に二人の間に巨大な闇が生まれる。

 それは、ウィルザのすべてを破壊するだけに相応しい、まさにマ神の力の集大成。
 それが、放たれる──はずだった。
 彼女の背中から、胸にかけて突き出ている一本の剣。
 それを刺したのは、大陸の裏を見てきた男、レオン。

「だから言っただろう、決してためらうな、と」

 弾き飛ばされたレオンは、ふたりの戦いが最終局面に入ると同時に、ルウの背後まで移動していた。
 そして、最後の最後で、彼女の命を奪うことに成功したのだ。
「……ふふ、トール。あなたは、本当に、私を何とも思っていないのね」
 生み出したはずの闇は、空気に溶けてなくなっていく。
「世界の害となるものはすべて消滅する。それが俺の生きる意味だからな」
「それでもね、私はあの頃、あなたのことが好きだったのよ。あなたが私のことなんて、何とも思ってないって、知ってたのにね」
 ふふ、と笑う。
 そして、最後にウィルザに向き直った。
「終わり、ね」
 ルウの声は既に力がない。
 そして、彼女を見つめる彼もまた、動揺して何も言葉が出なかった。
「私を完全に切り捨てて、あなたはこれから未来永劫、この世界の神として生きる。そんな使命を帯びて、本当に幸せでいられるの? あなたはこれから先、何のために生きていくの?」
 こふっ、と赤い血を吐く。
「あなたはゲ神となって、この世界を永劫生きることになる。そうしないと、この世界の生命は全て死に絶えてしまうから。でも、そんなあなたのことを覚えている人はどんどんいなくなっていく。そしていつかは、この星から命は途絶える。そのときもあなたはひとりで、この世界に居続ける。そんな、そんな使命から、あなたを解き放ってあげたかった」
「ルウ」
「でも、それもあなたの選択の結果よ。すべての選択を誤った人。その果てに、あなたはすべてを失うのよ。もちろん、私も」
 そして。
 彼女の体に、闇の炎がともった。
「ルウ!」
「あなたがいつか、正しい選択をしてくれることを祈っているわ」
 そして、彼女は微笑んだ。
 昔の、彼女のままに。

「さよなら」

 そして。
 彼女の肉体と精神は、闇の炎に溶けて消えた。







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