ルウの体が、消える。消えて、なくなる。
それをただ、何も言えずに黙ってウィルザは見送るしかなかった。
彼女と訣別し、この世界を救うと決めたウィルザにとって、彼女に何も言う資格などなかった。
そして、全てが消え去ってから、ようやく彼はゆっくりと息を吐く。
(ルウは、ぼくのことを考えていてくれたのか)
たとえやり方が間違っていたとしても、彼女が自分を想っていてくれていたことには違いない。氷の柱に閉じ込めたのも、全ては自分を戦いから遠ざけたかったという気持ちから。
「一つだけ、謝ることがある」
放心していたウィルザに、レオンが声をかけた。
「本来なら、お前が殺すべき相手を、俺が横から奪ってしまった。すまない」
ウィルザは歯を食いしばる。だが、それは自分で決めたこと。ルウを殺すことにためらってしまった自分の罪。
「悪いのはぼくだ。ためらうなと何度も君に言われていたのに、ためらってしまった。だから、助けてくれてありがとう」
「お前を助けないと、この世界のゲ神信者は生きていけなくなるからな」
レオンは肩をすくめた。
「いずれにしても、俺たちはもはやこの世界の柱となった。もう逃げることはできない。それは分かっているだろうな」
「ああ。でもぼくはもう、この世界に居続けることはできないはず。世界記?」
ウィルザは肩に止まっている世界記に尋ねる。だが、世界記の返答は意外なものだった。
『君はもう、この世界から出る必要はない。君はすべての罪を償った。そしてこの世界で神としての地位を手に入れた。君はこれからこの世界の神として、この世界が消滅するそのときまで、この世界を導いていかなければならない』
「神、か」
ゲ神として、この世界の人々を守る。それもまた、自分には相応しいのかもしれない。
ルウを倒した自分が、ルウのいなくなったこの世界を見守る。
「厄介なことだ」
レオンが言うと、世界記はそのレオンにも声をかける。
『お前もだ、レオン。お前は既にザ神となった。お前もこの世界を見守る柱となるのだ』
「とうに覚悟はできている。この体が不老となった時点でな」
『ならば良い。お前たちにこの世界を、私が生まれたこの世界を託す』
そして世界記は徐々に浮き上がる。ウィルザを残して。
「世界記」
『さらばだ、ウィルザ。お前は私にとって、最高のパートナーだった。この世界を頼む』
「ああ。お前の頼みとあっては仕方がないよな」
ウィルザは肩をすくめた。
「ただ、一つ教えてくれ」
『何だ』
「俺が犯した罪というのは、いったい何だったんだ?」
自分が縛られる理由となったのはいったい、何なのか。
『君は愛する人を失い、その結果、すべての世界を滅ぼそうとした。この世界も含めて』
「愛する人──ルウの前世、という人か」
『そうだ。だが君は、自分の罪を、自らルウを殺すという選択をしたことにより、完全な許しを得た。本来、この世界を救えば君の罪は許されるはずだったが、君はそれ以上に、自分の罪を犯す原因となった存在と戦い、これを倒すことによって完全な許しを得たのだ』
「ぼくは、それを望んでいたわけじゃないんだよ」
『分かっている。君にとっては辛い決断だったことは。だが、君はこれで自由となった。今までの君はたとえ望まなくとも、この戦いから逃げるわけにはいかなかった。だが、罪を許された今、神となることを拒否する権利が君に生まれた。君は自由に生きることができる』
「ぼくが拒否すれば、この世界で人は生きていくことができないんだろう? それは強制だ」
『そうだな。でも君は、人々のために戦うことを厭わないと信じている。そしてこの世界と共にあり続けることを願っている』
世界記はそういい残すと、徐々に光が薄くなっていく。
「でも、世界記」
ウィルザは、その消え行く光に向かって言った。
「自由になれたのなら、ぼくは、ルウのためにこの世界を壊してもいいと思っている」
世界記はそれを聞いて、少し残念そうに答えた。
『どうすることも、君の自由だ。もう君を止めるものは何もない。私はただ、君を信じている』
そして、この世界から完全に蒼い珠──世界記は消えた。
そう、今の言葉は真実。
自分は、ルウのためなら、この世界を捨ててもいいと思った。
決断したのは、選択したのは自分。ルウと戦い、倒すことを決めたのは自分。
だが同時に、捨てきれない想いがここにある。
世界と戦ってでも、彼女と共にいたかったという気持ちがここにある。
「世界を滅ぼす、などと言わないでくれ」
レオンが近づいてきて、ウィルザの肩をたたく。
「俺はお前と戦うのはごめんだ」
「ぼくもだよ。この世界をふたりで見守り続けなければいけないんだろう? お互い気に入らないところが多かったとしても、せめて歩み寄りたいとは思っているよ」
「そうだな」
レオンは言うと、駆け寄ってくる仲間たちを振り返った。
「やりやがったな、ウィルザ!」
ガイナスターがウィルザを思い切りどつく。
「よくやった、レオン。ありがとう」
ミケーネがレオンを抱きしめる。
「なんだよ、この差は」
ウィルザがぼやく。それは人徳の差ではないだろう。ガイナスターとミケーネの側の問題だ。
「お疲れ様でした、ウィルザさん。信じていました」
ドネアがそのウィルザに寄り添う。
「レオンもね。よくやったよ」
「まあ、いろいろと死ぬわけにはいかなかったからな」
レオンは駆け寄ってきたサマンを強く抱きしめる。
「ふえ?」
「マ神との戦いが終わって、人間に戻る見込みはなくなったらしい。俺は年を取らず、お前だけが年老いていく。その差があっても俺の傍にいてくれるというのなら、是非、頼む」
「ふええええええええ?」
突然の告白にサマンが動揺している。それを後ろで見ていたリザーラが笑う。
「妹をお願いします、レオン」
「というわけで姉の許可ももらった。あとはお前の気持ち一つだ」
「え、あ、えーと、うーん」
完全に動揺してしまっているサマンを見て、ドネアがくすくすと笑う。
「サマンさんは、ようやく愛する人と結ばれることができたんですね」
「そのようですね」
ウィルザが頷いて答える。
「お兄様」
そのドネアがガイナスターに向かって言う。
「私、決めました」
「何をだ」
「ルウさんのかわりにはなれないかもしれませんが、私はウィルザ様のお傍にいたいと思います」
「ドネア姫」
ウィルザがその言葉を止めようとするが、ドネアは首を振って答える。
「私はルウさんに遠慮して、自分の気持ちを伝えることをしませんでした。でも私、ずっとウィルザ様をお慕いしておりました」
「ですが、ぼくはゲ神として、年も取らないし、一緒の時間を生きていくことはできません」
「かまいません。私は、ウィルザ様がそうして孤独でいるのを少しでも和らげてあげたいのです。私一人で駄目なら、私の子が、孫が、ずっとウィルザ様のお傍におります」
ドネアの言葉にガイナスターが肩をすくめる。
「まあ、この世界で俺の次にいい男だからな。やむをえんか。ウィルザ、妹を泣かせるようなことがあったら、たとえ神となっても許さんぞ」
「ガイナスター!」
ウィルザは言ってからため息をつく。
「ぼくはまだ、ルウを」
「そんなことは分かっている。だが、そうやって思い込みすぎるのはお前の悪い癖だな。お前が一人でいるのは、この世界にとってもいいことではない。神が暴走してこの世界を崩壊させる可能性だってあるわけだしな」
「そんなつもりはないけど」
「永久に一人でいれば、すべてを壊したくもなる。次元は違うが、俺も似たようなものだ」
ガイナスターがゲ神となったウィルザの肩を叩く。
「忘れるな。俺はいつでもお前の味方だ」
「ガイナスターにそう言ってもらえるのは嬉しいよ。でも、ドネア姫は」
「うだうだ言うな。お前、俺の妹に不満があるのか」
強引すぎる。自分はたった今、好きな人を失ったばかりだというのに。
「お前の気持ちは分からないでもない。しばらくはドネアを巫女として傍におけばいい。お前の気が向いたときに夫婦になればいいのだからな」
「その通りです。私は、あなたのお傍にいたいだけなのですから」
ドネアが微笑みながら言う。
「これで、ひとまずは落ち着くことになりますか」
ミケーネが言うと、リザーラが頷いた。
「ええ。ウィルザとレオンのおかげで、この世界は救われました。今度は私たちが二人を救う番なのでしょう」
special episode
グランヒストリア
──それから──
「そうですか。ガイナスター王の行方は依然、分かりませんか」
五年後。グラン大陸は一つの国家となっていた。
アサシナを中心とし、ガラマニア、マナミガル、ジュザリアの各国連合軍はそのまま統一国家を作る。そのときリーダーとして選ばれたのは、若き十歳のクノン王であった。
クノンは西域に他国の民衆を招きいれ、国籍に関係なく平等な政治を行っている。アサシナにもともといた国民の方が優遇してほしいと苦情が出るくらい、完全な平等を目指している善王だ。
「はい。今頃はどこでどうしているやら。ザ神、ゲ神の下にいないのは分かっているのですが」
カーリアが答える。この国の騎士団長となったのはこのカーリアで、ゼノビアが副長として働いている。
「また盗賊などということをしていなければよいのですが」
そのゼノビアが答える。いまやこの国はクノンを中心として、カーリアとゼノビア、ここが最高決議機関となっている。
「ですがまあ、ガイナスター王がいらしたら、それはそれで国内に問題が起こりそうですけどね」
カーリアの軽口はガイナスター王の人となりを示している。確かにガイナスターは力のある人物だが、クノン体制ができあがった今、ガイナスターの存在はクノン体制を逆におびやかす可能性がある。もしかするとガイナスターはそれを知ってこの新国家から出ていったのかもしれない。
「いつかこのグラン国に反旗を翻すかもしれませんけどね」
「かまいません。それこそ僕は、ガイナスター王の方がこの国を導けると思っていましたから」
「ですが、現体制がうまくいっている以上、ガイナスター王の居場所はありませんから」
レオンの言葉もカーリアの言葉も正しい。混乱の時代はガイナスターのような存在が必要だが、平和な時代には不向きな男だ。ましてや国が一つしかないのであれば。
「ガイナスター王はともかく、クノン王の結婚式をそろそろ決めていただかなければなりません」
ゼノビアが言うと、クノンが苦笑する。
「それはゼノビアが先ですよ。ミケーネ様との結婚式、いつになさるおつもりですか」
「ですから、私は結婚などしないと何度申し上げればいいのですか」
ふう、とゼノビアが息を吐く。
「だいたい、国にほとんどいないあんな男と結婚しようとしまいと、生活など何も変わりません。まったく、たまにはここに落ち着いていればいいのに」
ぶつぶつ、とゼノビアが愚痴る。だがそういう愚痴もミケーネのことが気になってのことだ。
「ミケーネ様はゼノビア様のことを本当に思っていらっしゃいますよ」
カーリアがなだめるように言う。
「その私よりも神のところにいる方が多いのはどうかと思うけどね」
ふう、とゼノビアが息を吐く。
「まったく、あの神は、人間の頃からいまいましかったんだから」
クノンとカーリアが苦笑した。
その三人から話題の的にされていたミケーネはザ神の下に来ていた。
ザ神は今、イライの神殿に居を構えている。イライはマ神戦後に自治権を手にしていて『神の住む町』として名を馳せるようになった。
ザ神の神殿に入るには許可が必要で、簡単に会えるようにはできていない。その神殿にいるのはザ神と、ザの機械天使、そしてザ神の巫女。この三人と、取り次ぎ役となっている神官が一人。住人といえども簡単には会えない。
「やれやれ、神殿の中に閉じ込められることになるとは思わなかったよ、ミケーネ」
レオンは肩をすくめて訪ねてきたミケーネを見る。
「だがそれは、テロを怖れてのことだろう。お前がいなくなったら、ザ神の信者は誰ひとり、この地上で生きていくことはできないからな」
「それは分かっているが、そう簡単に倒されるとは思っていないんだがな」
レオンはため息をつく。
「こうなると、自由に行動できるウィルザがうらやましい。まったくあいつは、近くにいてもいなくてもいまいましい男だな」
「そう言うな。本当は嫌っていないのにそんなことを言っても意味がないだろう」
「ふん」
さすがに長年親友をやっていると、相手の考えていることなど筒抜けのようだ。
「それで、お祝いを述べたかったんだが、サマンはいないのか?」
「まだ寝てるんだろう。最近は睡眠が不定期なんだ。身ごもるとそういうものなんだろうか」
「お前もついに父親か」
「お前たちの方が先だと思っていたんだがな」
ミケーネは苦笑してごまかす。
「私はまだそんなつもりにはなれないよ」
「いや、俺の希望としては早く子供を生んでほしいものだな」
レオンが笑って言う。
「はやくお前たちの子供を登録させてくれ。最近、新しい子供を登録していくことに喜びを覚えてな。神という仕事も悪くないと思っていたところだ」
「レオン」
「子供ができるのなら、しばらくここには来なくてもいい。俺なら大丈夫だ。それより、早く成長した子供をここに連れてこい。今からそれが楽しみだ」
そして、ゲ神はそのイライから少し離れたところにいた。
かつて邪道盗賊衆のアジトだった場所。そこにウィルザは誰にも会わず、ドネアとふたりで暮らしている。
ときどきイライにいるリザーラが会いにくる程度で、この時の止まった場所で、ウィルザとドネアはゆっくりと過ごしていた。
もっとも、この時の止まった場所で、ドネアだけは時間が流れていく。だがその恐怖も何も見せず、ドネアはただウィルザの傍に居続けた。決して彼女は彼の負担にはならなかった。少なくとも自分から弱音を吐くことは一度もなかった。
「まさか、君が来てくれるとはね、ガイナスター」
その流れることのないふたりのところにやってきたのは、彼らの兄であるガイナスターだった。
「妹に子供ができたと聞けば、来ないわけにはいかないだろう」
「どこで聞いたのやら」
「決まってる。いまいましいザの機械天使以外にいるか」
二人の会話の隣で、ドネアは自分の子を抱いている。
「それも、双子とはな」
ガイナスターはウィルザが抱いている子を見る。
「男と女か。名は?」
「グランとセリア。いつかはドネアに、二人を連れてここを出ていってもらおうと思っている」
それを聞いたガイナスターが顔をしかめる。だが、ドネアが何も言わないので、ふたりで充分に話し合った結果なのだということが分かった。
「お前はそれでいいのか?」
「それでいいって、何が」
「お前はひとりでここに残る。それでいいのかと言っている」
「ここに子供がいるのはよくないし、それにぼくとドネアの年の差は広がるばかりだからね。今はお互い愛していても、いつかはすれ違う。その前に、一番別れると辛いときに別れるのが逆にいいんだと、何回もふたりで話し合ったよ」
そうか、とガイナスターが言うとドネアを見る。頷いたドネアは立ち上がると距離を置く。
「一つだけ最後に聞いておきたい」
「何だい?」
「もう、ルウのことはいいのか?」
だがウィルザは首を振った。
「駄目だよ、ぼくは」
だが、ウィルザはあっさりと答えた。
「ドネアは本当にぼくによくしてくれてる。ぼくもドネアが大切だし、こうして子供も生まれて、愛していると本当に思っている。でも、失ったものは返ってこない」
「ドネアでは駄目だったのか」
「まさか。むしろ、こんなぼくに尽くしてくれて本当にありがたいと思ってるし、ドネアのおかげで立ち直れたんだ。彼女を本当に愛しているよ。でも、それで片付けられる問題じゃないんだ」
ウィルザの言葉には重みがある。どれだけウィルザが他の女性を愛したとしても、ルウという存在を消すことはできないし、また消えてはいけないものなのだろう。
「分かった。それについてはいい。だが、ドネアと別れてお前はどうするつもりだ?」
「ぼくは大丈夫。ひとりでもやっていけると思っているよ」
ウィルザは微笑んで言った。
「たとえひとりになったとしても、ぼくはもうひとりじゃない。ドネアにはぼくの子を産んでもらったし、ぼくを信じているゲ神信者のみんなの思いが伝わってくるからね」
「ちっ」
ガイナスターは舌打ちすると、ゲンコツでウィルザを殴った。
「何を」
「何度も言わせるなよ。俺はいつでもお前の味方だ」
「分かってる。ガイナスターの気持ちは嬉しいよ。君ははじめてあったときから、ぼくのことを信頼してくれていた。君がいなければぼくはどうなっていたか分からない」
「分かった。まあ、せっかく来たんだ。重苦しい話はこの変にしておこう。祝いの酒を持ってきた。後でゆっくりと酌み交わそう」
「いいね。ドネアがまだ酒を飲めないから申し訳ないけど」
「あいつはそれくらい気をきかせられるだろ」
「まあね。ドネアは本当に、いい娘だよ。ぼくにはもったいないくらい」
「俺の妹だからな」
「ぼくの嫁だからね」
二人は苦笑して拳を合わせた。
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