八一一年、四月。
マ神の軍は、まず最初の征服地としてガラマニアに侵攻した。火災で首都を移転したガラマニアだったが、その動揺冷めやらぬうちに侵攻を受けることとなり、上から下への大混乱となった。
国王はいても、その国王が頼りにしていた宰相ウィルザが一年も不在にしている。いったいどこで何をしているのか、こういうときのために味方にしておいたというのに。
「敵軍から矢文が届いております」
「見せろ」
政庁でその矢文を受け取ったガイナスターは、そこにある名前に驚愕した。
『長らくガラマニアを任せていたが、今後は我らマ神が支配することにした。
命が惜しくば三日以内に国から出ていくがいい。
ケイン』
「あの黒ずくめか」
ぎり、と歯軋りする。もちろんその相手のことは傍に控えているタンドもよく分かっている。
「タンド。敵主力を撃つぜ」
「は。ですが、敵軍の勢力が分からないままでは」
「そりゃ簡単じゃねえだろうがな。それでも一度協力を持ちかけてきた奴相手に、のんびりしてるわけにはいかねえんだよ」
どうやら、かつての仲間から挑戦を受けたことが何より彼のプライドに触ったらしい。激情したガイナスターを止めるのはタンドでは不可能だ。
「お待ちください、お兄様」
ドネアが厳しい視線で兄を見つめる。
「ここは篭城して、相手を城内に入れないことが肝要です」
「あいつらは神出鬼没だ。いつの間にか城内に入られているより、大胆に行動した方が間違いねえ。もしかしたら、既にこの城内に入られている可能性だってあるぞ」
「まさか」
「そのまさかだ。それこそあのケインが五年前から活動していたなら、いくらでもチャンスはあったはずだ。それにおそらく──」
去年のガラマニア大火。あまりに良すぎるタイミングで、はかったように炎が燃え広がった。あれはガラマニアに潜伏させていたケインの部下の仕業ではないか。
「とにかく軍をまとめろ。なるべく早く打って出るぜ」
「は」
タンドもそれ以上は止めない。実際、有効な手立てがないのも確かだった。ならば国王と共に行動した方がいい。
「軍は俺が率いる。タンドとドネアはこの城内で指示を出せ」
そうしてついにガラマニアに戦火が上がった。
戦いの火蓋が落とされてから三時間。数では優勢なガラマニアだったが、何しろマ神軍の黒童子たちは一人が十人以上の働きをする。圧倒的劣勢なマ神軍の方が押している状況だった。
ガイナスターはその戦場で先頭に立って行動していたが、徐々に味方の間に疲労がたまってきているのを感じていた。一度引いて、軍を立て直した方がいいのは間違いないところだ。
だが、敵の黒童子がそれを許さない。適度な距離を保ちながら逆撃を加えてくる。
(うまく軍を入れ替えねえとな)
もちろん、全軍を出陣させるようなガイナスターではない。長期戦になることも考えて、兵は二つに分けてある。うまく軍を入れ替えなければならないが、後はタイミングだけだ。
「よし、知らせを出せ」
兵を入れ替える。このままでは相手の黒童子に押し切られるだけ。ならば一度数で優勢を保ってから、半数の兵を引き上げさせる。
戦場がようやく、動き始めていた。
その頃。
城内では、さらに大きな動きが生じていた。
タンドとドネアが政庁で次々に指示を出しながら状況を整理していたところに現れた一人の男。
「やっぱり、ガイナスターは自分から出ていったんだね」
政庁に入ってきた男を見て、ドネアは思わず立ち上がり、そして涙を流した。
「まさか」
ドネアの顔が喜びに染まる。
「お久しぶりです、ドネア姫。それからタンドも」
「ウィルザ様!」
「お前か。遅かったな」
「いろいろあってね」
ウィルザは武装しており、すぐにでも戦える様子だった。
「いろいろと聞きたいことはありますけど、今はマ神の軍からガラマニアを守るのが優先なのです。ウィルザ様、現状は──」
「全部分かってるよ、大丈夫」
ウィルザは微笑んで答える。
「──貴様」
タンドが、そのただならぬ気配に身構える。
「どうしたの、タンド」
「貴様、ここに、何をしに来た」
すると、ウィルザは苦笑した。
「すごいね。まさか何もしてないうちから気づかれるとは思わなかったよ」
ドネアが困惑する。そしてタンドが仮面の奥から唸る。
「貴様、マ神の手先か」
え、とドネアが声を出す。
「なんで分かったんだ?」
「気配が違う。今まで貴様から感じたことのない殺伐とした気配があった」
「すごいな、タンドは」
ウィルザは首をひねる。
「どういうことですか」
ドネアがウィルザに向かって尋ねる。
「今、タンドが言った通りですよ。ぼくはマ神についた。マ神がこの世界を征服するつもりなら、ぼくはそれを実現するために動きます」
ドネアの顔が青ざめる。
「どうしてですか。ウィルザ様は、この世界を混乱から守るために動かれていたのではないのですか」
「守り方も一つじゃないということですよ。ぼくはこの大陸の歴史で、きっと極悪人と称されることになる。でも、それでもぼくにはしなければいけないことがあるんです」
「しなければいけないこと?」
「それ以上はもう、議論をしても無意味でしょう。ぼくはぼくの仕事をする」
そして剣を抜いた。タンドがドネアの前に立ち、ゲ神の魔法を発動する。
「クラック!」
「無駄だよ、タンド」
タンドが呼び起こした炎は、ウィルザに到達するより早く消滅した。
「ただでさえ同じゲ神に連なる者同士、魔法は効きずらくなっている。しかも君の力はゲ神の力を二つ、手に入れただけだったよね。でもぼくはゲ神の力を三つ手に入れている。君よりもずっと強いんだ」
「くっ」
「しかもマ神の力も手に入れた。君くらいの力では、ぼくにはまるで届かないんだよ」
「何が狙いだ」
「君には用はない。用があるのはドネア姫だけだ」
「私?」
「ええ。あなたを人質にとらせていただきます、ドネア姫」
そしてウィルザの顔が、今までにない険しいものに変わる。
「貴様、ドネア姫からどれほどの恩を受けたか忘れたか」
「忘れてないよ。だからこそ人質にしようとしている。この城にいれば最終的に黒童子に殺される。それなら人質になった方が安全だしね」
ウィルザは本気だ。それがドネアにもタンドにも分かった。だが、あまりにも分が悪い。タンドの魔法を身動ぎもせず消滅させたほどの力。
「貴様に姫は渡さん」
「君には無理だよ、タンド」
だが、タンドはありったけの力で魔法を放つ。
「ラニングブレッド!」
先ほどよりも強い炎がウィルザを取り巻く。だが、それも軽く消滅させる。
が、一瞬炎で目を放した隙に、
「こちらです、ドネア姫!」
別の声が聞こえた。
「ローディ様!」
「さあ、早く!」
ドネアとタンドが扉に向かって走る。
「姫を頼む!」
タンドがローディにドネアを託すと、自らは扉を締めてその前に立ちはだかる。
「タンド!」
外からドネアが扉を叩く。だが、タンドは扉を開けない。
「早くお逃げください。ドネア姫」
「あなたも一緒です、タンド!」
「いいえ。私はあなたを守れればそれでいいのです、姫」
タンドはゆっくりと歩みよってくるウィルザを仮面の奥から睨みつける。
「ドネア姫。私の命を無駄にしたくなければ、今すぐそこから立ち去りなさい!」
タンドの叱責。ドネアはわなわなと震え、うつむく。だが、それは一瞬。
「ローディ様、脱出路まで案内してください」
「はっ」
そしてローディがドネアを案内して、その場から立ち去っていく。
「ウィルザよ」
そしてタンドは一つ息をついた。
「やはり貴様がガラマニアに繁栄と混乱をもたらしたか。あのとき殺しておけば、このようなことにはならなかったものを」
それを聞いて、ウィルザは喉の奥で笑った。
「何がおかしい。ドネア姫を逃がして自暴自棄にでもなったか」
「逃がした?」
ウィルザは悪役らしい笑顔で言う。
「そう思ってくれたのなら、わざわざ黙ってた甲斐があるというものだよ」
「なに?」
「おかしい、とは思わなかったのかい? 今の、一連のやり取り、どこかが、何か、おかしいと」
ニヤリ、とウィルザが笑う。
「本当に、分からないのかい?」
第四十話
ガラマニア侵攻
その少し前。
ガラマニアの新都に作られたザ神の教会。祝福を上げるだけの力はなくとも、ローディはここでずっと働き続けてきた。知識だけなら他の誰にも負けない。彼はウィルザのために、このガラマニアを守ることを使命としていた。
そしてマ神が攻め込んできたとき、マ神を敵だと認識していた彼は、躊躇なくザの天使たちに攻撃を命じた。もっとも、ローディが使役できるザの天使はそれほど多くない。この教会に保管されているザの天使はせいぜい五十。それでもガイナスターの役に立つのならかまわないと思っていた。
そうして出撃させた後、教会にいた彼のところに訪れた者。
それは、黒童子だった。
「何者!」
二人の黒童子がローディに襲い掛かる。ザの魔法で攻撃するも、勢いの止まらない黒童子がローディに刀で切りつけてくる。
(なんて速さだ)
この速さはウィルザほどとは言わずとも、それに匹敵する力ではないか。
なんとか回避するも、すぐに追い詰められる。しかも二対一だ。
(ウィルザ様!)
最後に彼が思い描いた人物。彼ならば、この窮地もきっと何とかしてくれるだろうに──
「待て!」
だが、その二人の黒童子は何者かの命令に動きを止めた。
「ザ神の神官は絶対に生かしておけ。そう命令したはずだぞ」
黒童子は動揺している。なにやら口答えしたそうな気配だった。が、その男の迫力に何もできないでいる。
「さっさと行け。王家の者以外の要人を、さっさと殺してこい」
頷いた二人の黒童子がいなくなる。そして、ローディは見た。
「大丈夫だったか、ローディ」
変わらない、優しい笑顔を持った主人を。
「ウィルザ、様……」
「すまない。君を危険な目に合わせるつもりはなかったんだ」
だが、今の言葉のやり取りはおかしい。彼はガラマニアの人間で、正確にはグラン大陸を守るために存在する人間で、マ神の手先がいるなら、それと戦うのが彼ではなかったか。
「何が、あったのですか」
「ぼくはマ神に協力することにした」
そのたった一言が、ローディに大きな衝撃を与えた。
「何故」
「いろいろあってね。とても一言では説明できない。でも、ぼくは間違いなくグラン大陸の敵で、ガラマニアの敵だ」
ウィルザは自信にあふれた声で言う。それを後悔しているような素振りは少しもない。
「マ神はこのグラン大陸を征服し、ザ神信者、ゲ神信者を支配化に置こうとしている。そのため、まずガラマニアを落とすことにしたんだ」
「それに協力しているのですか」
「そうだ」
「何故──は答えてくださらないのですか」
「そんな時間もないっていうのが大きいかな。これからぼくは、ドネア姫を誘拐しにいかないといけないから」
「姫を」
確かにウィルザは変わった。少なくとも立場が違う。
だが、こうして話しているウィルザは、決してマ神に洗脳されたとか、そういう様子は見当たらない。
「ご自分の意思で行動されているのですね」
「ああ。君の期待を裏切ってしまって申し訳ないと思っているよ、ローディ」
「ウィルザ様」
「ドネア姫のところに行く前に君のところに来たのは、君に死んでもらっては困るからだ、ローディ」
「どういうことでしょう」
「マ神はこの世界を征服するけど、ゲ神やザ神、そしてそれを信じる人々や神官がいなくなるのは困るんだ。マ神がこの世界を征服し続けるためにはね。だから君にはザ神信者たちの希望として、生き延びてもらわないといけない」
「死ぬより生きている方が、利用価値があるということですか」
「平たく言えばそういうことかな。でも、君に死んでほしくないというのも本当だ」
「なるほど、分かりました」
ローディは頷いて答える。
「ローディ。君には感謝している。死にたくなかったら、すぐに逃げるんだ」
「ウィルザ様は、何か考え違いをしていらっしゃる」
ローディの態度もはっきりとしていた。動揺している様子はまったく見られない。
「なんだって?」
「考え違いをしていらっしゃる、と申しました。それに、期待を裏切ったとおっしゃいましたが、もし期待というのでしたら、今の言葉が一番の裏切りです」
「ローディ」
「いいですか。私はガラマニアに仕えているわけでも何でもありません。私はあなたの腕となり、足となるために行動しているのです。私の行動の信条はただ一つ。『あなたに必要とされているから』行動しているのです。それとも、私の能力は既にあなたには不要というのですか」
「まさか。君の力はぼくにとってどれほどの力となるか」
「ならば今の言葉は取り消してください。そして私にご命じください。『ローディ、ぼくの片腕として、マ神の世界征服に協力してくれ』と。私はこの世界がどうなろうとかまわない。私はあなたに必要とされているのなら、どの陣営にいようとかまわないのです」
「ローディ……」
その、ウィルザの目から、涙がこぼれた。
「何を、泣いてらっしゃるのですか」
「泣くに決まっている。ぼくはもう、誰にも理解されないことを覚悟していたし、期待もしていなかった。それなのに──」
「私の忠誠を甘く見られては困ります。私はあのアサシネア五世の側近だった人間です。自分の主君がどのような選択をしても、それを実現するために行動するのが私のやり方です。私は自分を必要としてくれる人のために、自分の知識を活かしていきたいと思っているのですから」
すると、ウィルザは目を伏せた。
そしてゆっくりと近づいてきて、両手で、ローディの肩をつかみ、頭を下げる。
「ありがとう、ローディ」
「ウィルザ様」
「そして、すまない。ぼくたちはきっと地獄に落ちる。それに付き合わせるのが、本当に申し訳ない」
「かまいません。私はアサシネア五世陛下に仕えていたときに、既に十回は地獄に落ちるようなことをしています。十回が百回になったところで、何ということはありません」
「分かった。ぼくも覚悟を決めよう」
そして、顔を上げて言った。
「ローディ。マ神の世界征服のために、ぼくに協力してくれ。ぼくには君の力が必要だ」
すると、ローディはウィルザから体を少し離すと、その場に片膝をついた。
「はい、我が主。このローディの力、いかようにもお使いくださいませ」
こうして。
マ神の軍に、新たな力が加わった。
マ神についたウィルザの下へ、彼の最良の部下がついた。
四面楚歌の状態でタンドはウィルザへ命をかけて勝負を挑む。
黒童子によって次々に倒されていくガラマニア兵。
そしてガイナスターは、勇気ある決断をしなければならなくなった。
『ガラマニアは滅びた。だが、俺は負けねえ』
次回、第四十一話。
『ガラマニア滅亡』
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