「そういう、ことか」
タンドは仮面の奥で歯を強くかみしめる。
「今、ローディは来たばかりだというのに、すべての事情を知っている様子だったな。つまり、そういうことか」
「そういうことさ」
ウィルザは笑みを絶やさない。
「ローディはもうぼくに寝返っている。いや、もともと彼はガラマニアの臣下じゃない。ぼくに忠誠を誓っていたから、たまたまガラマニアにいただけだ。残念だったね、タンド。君は自分からドネア姫をぼくの部下に預けたわけだよ」
だが逆にタンドは完全に冷静に戻ったようだった。
ローディに預けたのは確かにタンドのミス。だが、それを嘆いても仕方がない。
この場でウィルザを倒せば、ローディなどどうにでもなる。
「やる気だね」
「貴様を殺さねば、ガラマニアもこの大陸も危険だと判断した」
「その通りだよ。ぼくはガラマニアだけじゃない。この大陸のすべてを支配下に置く。マ神の世界征服を実現するためにぼくはここにいる」
「本気なのだな」
タンドが慎重に魔法を唱え始める。
「ああ。そうするしかないと、ぼくが決めた」
「ならば、倒すまで!」
ゲ神の魔法が放たれる。炎、氷、雷と、タンドの知る限り最強の魔法を次々に放つ。
だが、どれもこれもウィルザには届かない。まるで力の差がありすぎる。
「何度も言うけど、ぼくは君よりゲ神の力を多く受けている。この差を縮めることはできないよ。剣なら万が一もあるかもしれない。でもゲ神の魔法で勝負するなら、それは力の差がそのまま結果になる。万が一もありえない」
「だからどうしたというのだ」
さらに魔法。もちろんウィルザには届かない。
「とすると、君に残された方法はひとつ。魔法以外の方法でぼくを倒すことだ。でも、それこそ不可能。いままでそんな訓練をしたことがない君がぼくに勝つなんてこと、できるはずがない」
「やってみなければわかるまい」
「わかるよ。だから君の最後の手段も分かる」
「なに?」
「逃亡。君が優先するべきは、ぼくにここで殺される前に、とにかく逃げてしまうことだ。そしてぼくとローディがマ神に協力していることをみんなに知らせること。もっとも──」
ウィルザの手に電気が走る。
「逃がしはしないけどね。君の力は邪魔だ」
「……ふん」
タンドは戦慄した。だが、裏を返せば、ずっと嫌悪していたこの相手から、同じように高く評価されていたことにどこか安堵する気持ちもあった。
「貴様にだけは殺されたくなかったがな」
こうなるとタンドに残された戦法は一つしかない。
「特攻かい? それでも君の力はぼくにはとどかないよ」
「やってみなければわかるまい」
タンドはゲの魔法を最大限に高めて突撃する。
だが、その様子を見たウィルザは顔色を変えると、ただちに魔法を発動した。
「雷神撃!」
電撃がタンドを打つ。だが、タンドはその程度では止まらない。そしてありったけの魔力をウィルザの体に注ぎ込む。
「ゲの呪いをその身に刻め!」
その言葉に、ウィルザは剣を振り切る。そのタンドの両腕が、綺麗に床に落ちた。
「ぐおおおおおおおっ!」
その場に崩れ落ちるタンド。そして、ウィルザは──
「くっ!」
ゲの呪いが自分の体の中に入り込んでくる。たとえゲ神信者であろうとも、人間を強引にゲ神に変えてしまうゲの呪い。
ウィルザは、かつてそれを、どこかで見た。見たはずだった。
だが。
「今の、ぼくは」
ゲ神の力とか、マ神の力とか、そんなものはどうでもいい。
「こんな呪いに屈するわけにはいかないんだ!」
その呪いを、独力で振り払う。
そして、全身から汗が噴出した。危ないところだった。最悪、自分は化け物のような姿に変わり、ルウと共に生きることができなくなるところだった。
「残念だったね、タンド」
そして呼吸を整えて、うずくまるタンドに近づく。
「でも、もう終わりだ。君はここで死ぬ」
「もはや、抵抗などせぬ」
タンドの顔から、仮面が落ちる。
そして、そこに大きな火傷の痕のある顔が出てきた。
「殺せ」
「遺言は?」
「もしガイナスター様に会うのなら、『ウィルザを殺してください』と」
「分かった。必ず伝えるよ」
そして。
ウィルザは、ためらうこともなくその剣をタンドの首に落とした。
第四十一話
ガラマニア滅亡
ガイナスターは前線で戦い続けていた。
兵の入れ替えを行い、襲いくる敵を打ち倒し、水や食事などは手持ちのものだけでやり過ごし、休憩もなしに戦場に六時間も居続けるのは正気の沙汰とはいえない。だが、この男はそれを平気でやり遂げる。
鬼神のごとき戦いぶりに、味方は湧き、さしもの黒童子たちもひるむところを見せてきた。
だが。
「ガイナスター陛下!」
部下の言葉に振り向く。その方向から上がる煙。
「やはり侵入されていたか」
王都に上がった炎は拡大する一方で、もはや抑えることはできないだろう。あとはドネアやタンドがうまく逃げてくれているのを願うばかりだ。
「敗残の王が、まだこんなところにいたか」
そして、彼の耳に届いた声は、彼が朝からずっと捜し求めていた男のものだった。
「ようやく現れやがったな、ケイン」
「準備ができたのでね」
黒いローブの男は感情を交えずに言う。
「準備? あれがか」
「そうだ。町に炎が出たということは、こちらの意図したことが完全に達成されたということだ。終わったな、ガイナスター。もはやお前に勝機はない」
「お前らの意図なんざ知ったことか。お前さえ倒せばこの軍を倒すのは不可能じゃねえ」
「本当にそう思っているとしたら、愚かだな」
ケインは鼻で笑う。
「なに?」
「私はこのマ神軍の統率者ではない。指揮しているのは別の男だ」
「ほう。じゃあ、お前を倒してからそいつも倒してやる」
「できるかな?」
ケインはマ神の力を解き放つ。その右手から放たれた『影』がガイナスターを射抜く。
「ぐっ」
「力の差は歴然だ。諦めろ」
さすがに疲労もたまり、がくりとその場に膝をつく。
「なんで殺さねえ」
ガイナスターにはわかっていた。今の攻撃、ケインは急所を突くことができたはずだ。それなのに、わざとそれを避けた。
「指揮官が、お前と話したいというのでな。お前の動きを封じたまでのことだ」
「指揮官?」
「来たようだ」
町の方から、ゆっくりと戦場を歩いてくる男。
それが、マ神軍の指揮官だというのだ。
「まさか」
だが、それはガイナスターには信じられないことだった。
まさか、このガラマニアに侵攻してきた男が。
「一年ぶりだね、ガイナスター」
「ウィルザ、てめえ」
「ずっと戦いっぱなしで疲れてるんだろう? しかもそんなにダメージを受けて。今のガイナスターじゃぼくにはかなわないよ」
ウィルザは少し距離を空けてガイナスターに話しかける。
「ガイナスターなら、きっと突撃してきてくれると思ったんだ」
「なに?」
「ガイナスターが前線にいる間に、タンドを殺し、ドネア姫を手に入れる。他の王侯貴族は全員殺す。無事に終わったよ」
ガイナスターが愕然とする。
「まさか、俺は──」
「気づくのが遅かったね。そう、ガイナスターは本拠地に戻らなかったんじゃない。戻れないようにこちらが仕向けていたんだ。君が戻れば王都の異変に気づくかもしれない。だからずっと戦場にいてもらうことにした。ぼくが王都を攻略するまで」
「タンドをどうした! ドネアは!」
「ほら」
ウィルザは手にしていた物体をガイナスターに向かって放り投げる。
それは、タンドの仮面。
「遺言。『ウィルザを殺してください』……だってさ」
「てめえ!」
ガイナスターは痛みをこらえて立ち上がる。
「ドネアをどうしやがった」
「別に殺してはいないよ。ドネア姫にはやってもらうことがあるからね。人質のつもりもないから安心していいよ。別に人質をとって迫らなければならないほど、ぼくらは追い込まれていないから」
屈辱的な言葉にガイナスターは体を震わせる。
「どういうつもりだ! てめえ、本気でマ神についたっていうのか!」
「そうだよ」
さらりと答える。
「人間やザ神、ゲ神を殺すつもりはない。ただ、すべてを支配し、征服する。今のマ神の望みはそれだけだ」
「お前はマ神と戦うためにここにいるんじゃなかったのか!」
「それは少し違う」
ウィルザは訂正する。
「ぼくはこの大陸を守るためにいるんだ」
「同じじゃねえか!」
「違う。マ神がこの大陸を守るのなら、ぼくはマ神と戦う必要がない」
「大陸を守る? 何言ってやがる、この状況はマ神が引き起こしたもんだろうが!」
「滅びたのはガラマニアだよ。グラン大陸じゃない」
ウィルザの言葉にためらいは全くない。彼が、彼自身の言葉で話している。
「なにを、言ってやがる」
「正論だよ。ぼくは別にこの大陸が滅びさえしなければ、誰が支配してもかまわない。この大陸を守るためには、強大な力でこの大陸を支配してしまうこと。それが一番だって分かったんだ」
「……洗脳されているのか?」
「違うよ。それどころか、マ神にこの大陸を滅ぼさせないように願い出たのはぼくだ」
「なら、何故!」
「人間は醜い。なまじ力を持っていると、その力をもてあます。他人のものを奪い、他人を殺し、そして自ら滅びていく。でも、力がなければ別だ。人間は生きるために協力し、知恵をしぼっていくだろう。ぼくは、人間に力を与えない。いつまでも生き延びるために、絶対に与えない」
「何言ってやがる。そんな豚みたいな生き方をしろっていうのか!」
「そうだよ。ガイナスター、それは君にも責任がある」
「なにぃ?」
「君は何度もアサシナに侵攻しようとした。人間同士で戦うことを一番楽しんでいたのは君だ。ぼくはそうやって、人間同士争って、傷つきあっていくのは嫌なんだ」
「そのかわりお前が苦しめるのはいいっていうのか?」
「人は苦しむ。それはもう、覚悟を決めた。でも、絶対に人を滅ぼさせない。そのために、マ神がこの大陸を支配する」
そしてウィルザの目に光が宿り、その声はすべてのものを威圧する。
「グラン神国の樹立をここに宣言する」
グラン神国。それが、マ神を最高位とする国の名前。
「本気かよ」
「本気だ。ガイナスター、ぼくはもう自分の歩みを止めない。自分が正しいと思った道を進む。だから──」
ウィルザはようやく剣を抜いた。
「お別れだ、ガイナスター。君のカリスマはマ神の大陸支配にとって、少し邪魔だ」
「本気、みてえだな」
ガイナスターはその手にタンドの仮面を握り締める。
「本気じゃなくては言えないよ」
「だろうな。お前は嘘をつかないからな」
だが、ガイナスターはにやりと笑う。
「ドネアはお前の手に落ちたんだな」
「そうだ。部下のローディが身柄を確保した」
「ローディ? ああ、ザの神官か。そうか、お前についたんだな」
「そういうこと。まあ、死んでいくガイナスターには関係のないことだろうけど」
「そうはいかねえぜ」
ガイナスターはその仮面を掲げる。
「ガラマニアは滅びた」
そしてガイナスターはゲの魔法を唱える。
「だが、俺は負けねえ!」
次の瞬間、そのガイナスターの体が忽然と消えていた。
瞬間移動。おそらくは、あのタンドの仮面にそういう効果が備わっていたのだろう。
それをただウィルザは黙って見つめていた。やがて、一つ息を吐く。
「わざと逃がしたのか」
それまでずっと黙っていたケインが尋ねてくる。
「ああ。ガイナスターには利用価値があるからね」
「利用価値?」
「ああ。人間たちの希望という利用価値さ」
「分からんな。何をするつもりだ?」
「各国の王が一同に集まり、マ神を倒そうとする。人々はきっとそれにすがろうとする。でもそのとき、その主要人物たちが一斉に殺されてしまったら? もはや人々はマ神に抵抗することができないだろう」
「人間の希望を叩き潰すのが目的か。だが、その結果、人間に大きな力を与えることになるやもしれんぞ」
「ああ、分かってる。でも大丈夫」
ウィルザは薄く笑った。
「どんなときでも、自分が負けないために手は打っておくものさ」
「何かいい手段が?」
「もちろん。既に手は打ってある。来年はジュザリア、再来年はマナミガルを滅ぼす。その頃には芽吹く頃になっていると思うよ」
「まあ、お前に任せよう」
ケインは感情のこもらない声で言う。
「マ神軍の指揮官はお前だからな」
「ありがとう。頼りにしているよ、ケイン」
ふん、と鼻を鳴らしてケインが立ち去る。
(ガイナスター)
ケインに話したことは嘘ではない。ガイナスターには利用価値がある。
だが、それ以上に。
(どうか、無事で)
自分の恩人くらいはどうか生き延びていてほしい。そう願うのは自分がまだ弱さを捨てきれていない証拠だろうか。
ウィルザは自嘲した。
ガラマニアは滅びた。しかしそれも、一つの歴史でしかなかった。
マ神はグラン神国を樹立し、ウィルザが事実上、国を動かしていく。
そしてグラン神国はジュザリア、マナミガルへの侵攻を宣言する。
一方その頃、もう一人の主人公であるレオンは最後の力を手にするため緑の森にいた。
『そうか。俺は、作られた存在だったのか』
次回、第四十二話。
『緑の海の真実』
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