彼女の気持ちに気づいていないわけではなかった。
ただ、自分はもっと大切な存在があったから、その気持ちに気づかないふりをしていた。
彼女もあえて自分の気持ちを表そうとはしなかった。
友人として、仲間として、何でも相談しあえる相手。
それを失った。
自分から、その手を離してしまった。
「サマン」
もはや倒れて動かないサマンの体の前でウィルザが呆然と立ち尽くす。
どうすればいいのか分からず、頭の中は過去のサマンのことを思い返すだけ。
最初に出会ったときのこと。助けに来てくれたときのこと。
ルウとのことではいろいろと応援してくれたし、アサシナ動乱のときは頼ることもあった。
「ぼくは──」
「死んで後悔するなら、最初から何もしなければ良かったんだろう」
冷たい声がウィルザにかかる。発言したのはレオンだ。
「サマンは貴様のために命をかけた。貴様はサマンの気持ちにどう応えるつもりだ。仲間だと言ったな。仲間なら、サマンのために何をすればいいか、自分で考えてみろ」
無論、レオンは最大に怒っていた。
それが激発していないのは、サマンの気持ちを汲み取ったからだ。彼女が何故最後に自分の気持ちを伝えたのか。それはウィルザをマ神から取り戻すために他ならない。
自分はサマンを仲間だと思っている。ならば、サマンのためにその努力を引き継ぐべきだと判断した。
たとえ、自分がこの男をどれほど殺したいと思っていたとしてもだ。
「ふん」
だが、身動きの取れないレオンのことなど眼中にない様子でケインがウィルザの腕を掴む。
「行くぞ。マ神が待っている」
「マ神──ルウ、が」
動揺が少し醒める。そう。自分はルウと共に生きることを選んだ。だから何があっても──
「……一度、戻る」
「それがいいだろう。ゆっくりと話し合うがいい」
そして二人がその場を後にする。
「ウィルザ」
去っていく二人を止めることはできないだろうと思ったが、それでもレオンは言わざるをえなかった。
「サマンを無駄死にとするつもりなんだな」
その足が止まる。
「最後にサマンは言いたいことが山ほどあっただろう。だが、最後に何故お前に想いを伝えたか。おそらくは永遠に封じておこうとした気持ち。それすらお前は踏みにじるつもりか」
「無駄死にには、させない」
その背中が震えている。
「絶対にさせない」
それだけを言い残して、二人の姿は見えなくなった。
その場に残されたレオンは、ただその結界が外れる時間まで待った。待ち続けた。
冷たくなっていくサマンの体。
彼女が最後に残した言葉は、ただウィルザを止めるためのものだった。
(お前の気持ちは俺に伝わっていた)
ウィルザのことを思い、ウィルザを救おうと考えた。
だが、ウィルザはその思いを踏みにじろうとしている。
「俺は許さない」
サマンの亡骸に向かって言う。
「俺はあの男を許さない。絶対に殺してみせる」
やがて。
誰もいないはずの場所に、二人分の足音が聞こえてくる。
もちろんウィルザたちではない。もっと別のもの。
「サマン」
聞こえた声は女のものだった。
「……こんなことになるなんて」
女性はがっくりと崩れ落ちて、むせび泣く。
そしてもう一人──その顔に表情を全く見せない女性が、自分の近くまでやってきた。
「結界を崩します。レオン、力を合わせて」
彼女の出してくる左手に、自分の右手を合わせる。
瞬時に、その結界が破壊された。
「どうやら間に合わなかったみたいですね」
女性がうなだれる。もう一人の女性はサマンの亡骸にすがりついたままだ。
「どうしてお前がここにいる、アルルーナ。それに──」
レオンはもう一人の女性──リザーラを見る。
「どうして」
「危険を感じたからです。あなたと、サマンの」
「俺たちの?」
「はい。アサシナの旧王都がマ神によって支配されました。私はリザーラから先に救出されて、共に脱出したのです。ガラマニアを滅ぼしたウィルザが次に狙うのはジュザリア。何とか戦いが始まる前に到着したかったのですが」
「なるほど」
もし彼女たちが来るということが事前に分かっていたのなら、戦端を開くのをもう一日我慢すればよかった。まだ余裕はあった。それくらいは可能だったはず。
「アルルーナ」
リザーラが泣きはらした顔で見上げてくる。
「お願い。この子を助けて。私の命が必要ならそうする。だから」
「無理です」
リザーラの懇願を、アルルーナは一言で断じる。
「失われた命が戻ってくることはない。それは世界の理です。何者も覆すことはできません」
「この子がいったい何をしたっていうの」
リザーラは涙を隠そうともしない。
「私にとって、大切な、大切な娘。それを──マ神が、ウィルザが!」
その瞳に炎が灯る。それは、復讐の色。
「私はマ神を許さない。ウィルザがこの事態を招いたというのなら、私はウィルザと戦います!」
「まったく同感だ」
レオンもまた、大切な仲間を奪われたことに憤っていた。
「アルルーナ、お前はどうする」
「私はただ、道を示すだけの存在。戦う力はありません。ですが、レオン。あなたが悲しんでいるのなら、あなたは私にとって数少ない友人、あなたの渇きを癒したいと思います」
「協力してくれるのか?」
「もはや、未来がどうなるかは誰にも予測ができません。可能な限り。私の力のすべてを使って、あなたに協力しましょう、レオン」
「ありがたい。マ神と戦うなら、味方はいくらいても足りないくらいだ」
アルルーナはもう一人の友人、リザーラの肩に手を置いて立ち上がらせる。リザーラも頷く。
「サマンの魂よ」
リザーラは、亡くなったその魂を送る。
「いつかまた、この世界へ戻らんことを。そし、て……」
涙声。もはや、彼女はただ自分の希望だけを言っている。
「また、この世界で、出会えることを……っ!」
第四十五話
命の意味
ウィルザは旧アサシナ王都へと戻ってきた。
ケインは途中からどこへ行ったのか分からない。だが、そのうちここに戻ってくるだろう。
次はマナミガル。順調に一カ国ずつ滅ぼしていく。アサシナは最後。
だが、そんなことは今のウィルザにはどうでもいいことだった。
ただ会いたい。ここに残してきたルウに。そして──
「ごめん、遅くなった」
だが、ルウは笑顔でウィルザを出迎える。
「おかえりなさい、あなた」
そして彼女はとても嬉しそうな様子で、ウィルザの胸に飛び込んできた。
「マ神になったのね。あなたがそう決断することを願っていたわ」
「そうしないと、ぼくの力ではかなわなかったからね」
「レオンという子のこと?」
「ああ。さすがにザ神の力を四つ吸収した相手に三つではかなわない。最後の一つが必要だった」
「じゃあ、私があなたを助けたということね」
「ああ、助かった」
ウィルザもルウを抱きしめる。
その彼に、ルウが耳元でささやく。
「何があったの?」
やはり、敏い娘だ。自分の様子がおかしいことをすぐに見抜いた。
「サマンが死んだ」
「サマンが──そう」
ルウは少しだけかげりを見せる。
「いい子だったのにね。あの子を殺す予定はなかったはずよね」
「ケインが殺した」
「そう。あなたはまだ、私と共に生きる道が本当に正しいか、迷っているのね」
「──ごめん」
「謝る必要はないわ。あなたは私と一緒にいてくれる。それを疑ったことはないもの。それに──」
ルウは離れて、近くにあった小さなベッドのところへウィルザを連れていく。
「さっき、眠ったところよ」
「そうみたいだね。静かだったから」
二人は、そのベッドの中で仲良く眠る二人の赤ん坊を見つめた。
「グランもセリアも、たった三ヶ月見ないうちに随分大きくなった」
「この時期の赤ん坊なんてこんなものよ」
「何か苦労することはなかったかい?」
「なかったわ。ローディにもいろいろ助けてもらったから」
「それならよかった。後でローディに感謝しておかないと」
ローディはマ神の神官として、今はルウの傍で彼女の指示を実行している。今となってはこのアサシナに必要不可欠な存在となった。
「私が育児に専念できたのはローディのおかげ。あの人は、本当にあなたのことが好きなのね」
「ぼくにとって、必要な存在なんだよ」
「今は私にとってもよ。そして、この子たちにとっても。あなたが家を空けてばかりいたら、もしかしたらこの子たち、ローディのことをお父さんって呼んじゃうかも」
「それは勘弁してほしいな、さすがに」
可愛い子供たちと、愛しい妻。
この幸せを手放すつもりは全くない。
だが。
「相談してもいいかな」
「ええ。あなたから相談されるなんて滅多にないことだもの」
「サマンのことを、ルウは知っていたかい?」
「そうね」
ルウは少し考えるふりをしてから答える。
「どこまで本気だったのかは知らないけど、最初から知っていたわ」
「最初から?」
「あなたがイライからいなくなって、その後何週間かで再会したでしょう。あのとき、サマンはあなたのことを少し気にしているって言ってたわ。でも、私が本気なのを知って身を引くって言ってた。でも、それが今さらこうして話にのぼってきたっていうことは」
「ああ。彼女が、最後にぼくにそれだけを伝えた」
「そう。やっぱり、ガラマニアからいなくなったのは、もうあなたと一緒にいることはできないと思ったからなのね」
「そうだったのか。ぼくも、全く気づいていないわけじゃなかったけれど」
ウィルザは改めてルウのことを思い返す。
「ぼくはいつもサマンの優しさに助けられてばかりだった」
「そうね。正直に言うけど、私と一緒にいるときよりも、サマンと一緒にいるときの方があなたはいきいきとしていたように思うわ」
「ぼくにとってもっとも信頼できる仲間だったんだよ。サマンならぼくの考えていること、次に何をしたいか、そういうのが何も言わなくても伝わるときがあった」
「それだけサマンがあなたのことばかり考えていたということね」
「そしてサマンは、ぼくがマ神に協力しないようにと、それだけを願って亡くなった。ぼくはサマンを死なせるつもりなんてなかったし、これから先、ずっと生きていてほしいと思っていたよ。だから──」
「サマンのために、何をしてやれるのか、っていうこと?」
ルウが続ける。もはや二人の間に遠慮という言葉はない。お互いがお互いの感情を正確に理解しあえる。
「君にこんなことを相談するのが筋違いだっていうのは分かる。でも、ぼくはサマンの気持ちに応えたいんだ」
「だからといって、私やこの子たちと戦うつもりなんていうことは」
「もちろんないよ。君だって分かってるだろう、そんなこと」
「ええ、もちろん」
にっこりと笑う。その笑顔にはいささかの曇りもない。
「私はあなたに愛されている。そのくらいのうぬぼれはあるつもりよ」
「ぼくも否定しないよ。君を失うことなんて考えていない。問題は、サマンがぼくのために思ってしてくれたことを、どうすれば無駄にならないかっていうことなんだ」
「そうね」
ルウは考えてから答える。
「サマンはあなたを変えるために命を落とした。だとしたら、あなたが変わることが一番の恩返しでしょうね。それとも罪滅ぼしかしら」
「ぼくが変わる。でも、ぼくは君のことを」
「ええ。別に不可能なことではないでしょう? 私と子供たちを愛したまま、あなたが変わることができればいい。つまりそういうことでしょう」
「変わると言ったって、ぼくはどうすればいいのか分からない。人間を支配するのはぼくが決めたことだ。それが最善だっていう考えは変わらない」
「どうやって支配するか──それを考えれば、少しはいい方法が見つかるんじゃない?」
どう支配するか。
それは力で相手をねじ伏せ、恐怖と畏怖の対象としてマ神がすべての人類を支配する。それしかないと思っていた。
「確かに恐怖は必要でしょう。でも、既にマ神の脅威には残ったマナミガルやアサシナの民は怯えているに違いないわ」
「まあ、そうだろうね」
「だから、次のマナミガルはこうすればいいのよ」
ルウはそっとウィルザに耳打ちする。
「いいのかい?」
「人間を支配するのが目的なら、そういうのもありでしょう?」
それを聞いたウィルザはルウを抱きしめる。
「ありがとう。ぼくのわがままを聞いてくれて」
「いいのよ。私は別に人間を支配できていればそれでかまわない。生き残る人間の数が一万人から十万人に増えたって、何の問題もないわ」
八一三年。マ神の軍はマナミガルへと侵攻する。
待ち受けるレオンたち。カーリア国王代理はマ神と戦うことを決心する。
開戦に先立ち、マ神の軍からマナミガル王都へと多数の矢文が放たれる。
そこに、レオンが全く想像していなかった内容のことが書かれていた。
『マナミガルに告ぐ。降伏してマ神に従うか、争って滅びの道を歩むか』
次回、第四十六話。
『マナミガル降伏』
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