八一三年。五月。

 ついにマ神の軍はマナミガルへと押し寄せた。ガラマニアが滅び、ジュザリアまで壊滅した現状、マ神の軍と戦えるのはマナミガルかアサシナしか残っていない。
 アサシナからはゼノビアが援軍を連れてやってきた。さらにはレオン、リザーラ、アルルーナといったメンバーがマナミガルに救援に来ている。そして、それらを束ねるのは亡きエリュースの跡を継いだカーリアであった。
「ゼノビア殿! この度の援軍、まことにありがとうございます!」
「ここが落ちれば次はアサシナです。私たちもマナミガルまで落とされたくはありません」
 カーリアとゼノビアがしっかりと握手を交わし、それからレオンたちを見つめる。
 カーリアとレオンが会うのはバーキュレアが死んだとき以来となる。もう三年になっていた。
「お久しぶりですね、レオン」
「ああ。バーキュレアのことは」
「もういいのです。過ぎたことは」
 カーリアが硬い表情で頷く。
「今は、マ神の軍をどうにかすることが大切なことでしょう」
「そうだな。ガラマニアもジュザリアも滅びた。マナミガルまで滅ぼさせるわけにはいかない」
 それから現在協力してくれているリザーラとアルルーナを紹介したところで、ついにマ神軍がマナミガルに迫ってきたという報告が入った。
「今回はジュザリアと違って短期決戦できたか」
「打って出ますか?」
「いや、この短期間では姑息な罠をかける暇もなかっただろう。城壁に沿って様子を見た方がいい。ジュザリアと違って国内に充分なたくわえがあって、いくらでも篭城することは可能なはずだ」
 カーリア、ゼノビアも同意見ということで、城壁からマ神軍の動きを見ることとなった。
 カーリアの改革で兵士は女ばかりではなく男も確実に増えていた。男たちのほとんどが重曹歩兵で、頭から足まで全身鎧で覆われていた。
 兵士たちは城壁の上からマ神軍の接近を警戒する。そして、黒童子たちが近づいてきたところで──
「撃て!」
 大量の弓矢が放たれる。
(弓矢だと? 銃ではなく? 何を考えている、ウィルザ)
 レオンがそれを見ながら顔をしかめる。カーリアはそんなことに構わず部下に命令を送った。
「撃ちかえせ!」
 黒童子たちに向けて銃を打ち返す。弓矢と銃。もちろん強いのがどちらかは目に見えている。
 すぐに黒童子たちは引き上げていく。いったい何がしたかったのか。
「矢文です! 奴らが放ってきた矢には、手紙がくくられています!」
「ここに持て!」
 カーリアやレオンたちのもとに矢文が届けられた。
(しまった、その手で来たか)
 何百という矢文。内容は読むまで分からないが、こちらの戦意が削がれる内容だということは想像に難くない。またしてもウィルザに先手を打たれてしまった。
「これは」
 カーリアが読んで顔をしかめる。
「読ませてくれ」
 レオンが言うと、カーリアが手紙を渡してくる。

『マナミガルに告ぐ。降伏してマ神に従うか、争って滅びの道を歩むか、選択せよ。
 抵抗したジュザリアがどうなったかは聞いているだろう。抵抗するならば領民たちの命は保証しない。黒童子たちがすべての国民を殺す。
 だが、マ神はもともと人間を殲滅するつもりはない。生き残った人間がマ神に支配されることを認めるならばかまわない。ザ神でもゲ神でも、好きに信仰することも認めよう。
 降伏の証として、元首であるカーリアの身柄はこちらへ引き渡していただく。殺したりはしないので安心してほしい。
 考える猶予は三日与える。返答がなければマ神に抵抗するものとみなし、総攻撃をかける。
 カーリアよ、よく考えるがいい。自分は、自分の名にかけて約束を違えない。自分にも守りたいものがある。その気持ちはよく分かっているつもりだ。
 そしてマナミガルの国民たちよ、お前たちは何を望む? 今まで通りの平和を求めるのか、それともマ神と戦い、疲弊し、最後には何も残っていない、そんな未来を望むか?
 それでは、返答を待つ。
ウィルザ』

「デタラメだ!」
 ゼノビアが叫ぶ。マナミガル兵士たちも憤慨している。自分たちの上司であり、現在マナミガルの中心人物となっているカーリアを引き渡すなど、屈辱以外の何者でもない。
 だが、そのカーリアは逆に冷めていた。レオンも同様にあまり表情に出さない。
(世界記、どう思う)
 声に出さず、左肩にいる世界記に尋ねる。
『歴史が書き換わった。この矢文は相当の効果を持っている』

813年 マナミガル降伏
カーリアがマ神に投降し、マナミガルは降伏する。抵抗しようとしたゼノビアとアサシナ騎士団はマナミガル騎士団によって討たれる。


 これは、想像以上にひどい内容だ。マナミガルが降伏するというより、マナミガルがマ神の手先となるかのような未来の歴史。いや、実際そうなのだろう。もしカーリアが投降すればもはやマナミガルには何も力は残っていない。マ神に従うしか道は残されていないのだろう。
(となると、カーリア次第か)
 カーリアが本気で抵抗すると考えさせるしかない。
「どう思いますか、レオン」
 カーリアが真剣に尋ねてくる。もう既に頭の中には降伏することを考えているに違いない。
「降伏したらマナミガルは終わりだな。マ神が人間を支配することを考えている点は疑いないだろうが、マナミガル一国を支配するという考えはない。それほど多くの人間を生き残らせる理由がマ神にはないからな。人数が多いほど支配は難しい。この矢文の意図はおそらく──」
 レオンの発言に、いつしか全員が注目している。
「カーリアを先に確保し、指導者がいなくなったところで攻撃を仕掛ける。そういった戦術だろう。実際この国はカーリアのおかげでもっている。もしカーリアがいなくなれば、マナミガルを滅ぼすのは容易だな」
「そう、ですか」
 カーリアはそれから少し考えるようにして目を伏せ、そして開いたときには既に決断していた。
「分かりました。この手紙は無視しましょう。マ神と戦います」
 レオンが頷く。
「このことを国民に発表しなければなりませんね。アムニアム、グナンテ、エルメール、ベーチュアリ。国民たちを城門前広場に集めなさい」
『はっ!』
 カーリアの部下四天王が一斉に動く。さすがにカーリアと共に激動の時代を生き抜いてきた部下たち。動きに無駄が全くない。
「アルルーナ。お前は何か気づいたことがあるか?」
「いえ。ただ──」
 アルルーナはマナミガル兵士たちの動きをじっと見つめる。
「誰かに見張られているような気がします」
「誰かに?」
「はい。もしかしたら、黒童子が紛れ込んでいるとか、あるのかもしれません」
 なるほど、その可能性は高い。三日の猶予を設けたということは、その三日のうちにウィルザが何かを仕掛けてくると考えた方がいい。
 やがて、カーリアが国民の前で演説を行う。国民たちは皆、カーリアの支持者たちだ。この国を良い方向へ改革していくカーリアに従うつもりのある者たちばかりだ。民衆は歓呼の声を上げる。
(世界記)
 未来がどうなっているのかを確認する。だが、

813年 マナミガル降伏
カーリアがマ神に投降し、マナミガルは降伏する。抵抗しようとしたゼノビアとアサシナ騎士団はマナミガル騎士団によって討たれる。


 歴史は全く変わっていない。これだけのお膳立てをしながら、いったい何故カーリアが投降しなければならないのか。
(この三日が勝負か)







第四十六話

マナミガル降伏







 一日が終わり、カーリアは政庁で一人悩んでいた。
 確かにレオンの言っていることは正しいだろう。だが、もしもマ神が真実を語っていたとしたらどうする。自分は領民を救う、唯一の機会を棒に振ったことになる。
 マ神と戦うと決めた以上、悩む必要はない。だが、あの文面が気になった。
『自分にも守りたいものがある』
 マ神の手先となったウィルザ。その彼が守りたいものとは何なのだろう。
「失礼します!」
 一人しかいない政庁に、新しく雇われた男の兵士がやってくる。
「どうしましたか」
「はっ。それが、敵の総大将と名乗る者がここに来ております」
「は?」
 カーリアは目を見開く。ここに、とはどういうことなのか。
「総大将? ウィルザですか? どこに?」
「だから、ここ、ですよ」
 男は兜を脱ぐ。
「はじめまして。ぼくがウィルザです」
「ウィルザ。あなたが。どうやってここに?」
「三ヶ月前から潜入していました。レオンやゼノビアが来てからは、できるだけ目立たないようにしていましたけどね」
「では、あの矢文は──」
「部下に命令しておきました。今日になったら矢文を送るようにと。それにしても、先ほどの演説は見事でしたね。国民も不安が解消されてほっとしていることでしょう」
「何故、このような回りくどいことを?」
「決まっています。マナミガルを滅ぼしたくないからですよ」
 ウィルザがあっさりと言う。
「信じられません。何しろ、あなたはガラマニアもジュザリアも滅ぼした。ガラマニアにいたっては、あなたが今まで仕えていた国ではありませんか」
「必要があれば滅ぼします。が、滅ぼす必要がなければそれでかまいません」
「何故マナミガルは滅ぼさなくても良いと?」
「それは──」
 と、そこに人の近づく気配があった。ウィルザは兜を被りなおす。
「続きはまた明日にしましょう。それでは」
「あ」
 ウィルザが出ていくのとすれ違いに、今度はレオンが入ってきた。
「今の男は?」
 レオンが何とはなしに聞く。
「定時報告です。マ神軍に不穏の動きはない、と」
「そうか」
 そして話をしようとレオンが話しかけようとした。が、
「レオン。一つ聞かせてください」
「何をだ?」
「ジュザリアであなたはウィルザと戦ったと言っていましたね。そのときの状況を、一部始終」






 翌日。定時連絡にやってきたウィルザを待ち構えていたカーリアが尋ねた。
「ジュザリアのことは聞きました。一緒に戦っていたかつての仲間を殺したそうですね。そのような方の約束など信じられません」
 カーリアがきっぱりと答える。だが、それを聞いたウィルザは笑った。
「今のカーリアの心境には矛盾がありますね」
「矛盾?」
「ええ。ぼくを信じられないならば、ここに兵士を配置するなり、レオンに相談すればよかった。それなのにあなたはそうしない。つまり、ぼくの話を聞こうとしているということです」
「そうですね。確かにあなたの話は聞きたい。自分の考えが間違っていないことを確かめるためにも」
「逆でしょう」
 ウィルザはカーリアの心を抉る。
「逆?」
「ええ。あなたは戦わずにすむなら、この国の民衆が傷つかずにすむなら、そうしたいと願っている。だからぼくが信頼できる人間なのかを確かめようとしている。違いますか」
 それは否定できないことだった。戦うと決めた今となっても、自分はまだ迷っている。
「では何故、サマンを殺したのですか」
「殺すつもりは全くなかった。死なせたくなかった。それなのに、ぼくは部下を止められなかった。ぼくの心が弱かったから、彼女を殺してしまった。彼女は最後に言いました。サマンは、ぼくが、好きだと」
 目を逸らさずに話してくる。今、彼がこうして話しているのは真実。
「彼女の気持ちに応える方法は、きっとぼくが変わることだと思います。でも、ぼくはマ神を愛している。ぼくはマ神を守りたい。だとしたら、人間を殺さなくてもいい方法を見つけるしかない。殲滅せず、支配する。それが今のぼくの心境です」
「殲滅ではなく、支配」
「ええ。今日もそろそろ時間ですね。明日が最後です。明日までに、決めておいてください……それでは」
 そしてウィルザは去っていく。
 残されたカーリアは、さらに悩みの種を膨らませることとなった。






 最後の三日目。
 この夜が最後の邂逅。これを逃せば降伏するチャンスはなくなる。
 だが、降伏して本当に助かるのか。領民たちを助けてくれるのか。
「お待たせしました」
 ウィルザは現れるとすぐに言った。
「ぼくはこれから、夜番の担当となっています。ちょうどいいですね。カーリア、あなたが投降するというのなら、そこでお待ちしています」
「待ってください」
「いえ、私もマナミガル兵ですから、行かないと怪しまれます。目立つ行動は取りたくありませんので。あと、こちらへいらっしゃったなら、それがカーリアの意思だと思わせていただきます。それでは」
 最終日は一方的だった。すぐに部屋を出ていくウィルザ。毎日毎日、ウィルザの言葉に気が狂うほど惑わされ、今となってはもう、他に何も考えられなくなっている。
 何故ウィルザは、ここまで自分にこだわるのか。三ヶ月も前から潜入し、この三日間でたたみかけるように自分を説得してきた。自分を殺せばマナミガルなど終わり。殺そうと思えばいつだって殺せたはずなのに。
(──そう、か)
 唐突に、気づいた。
 そう。殺そうと思えばいつでも殺せた。それなのに殺さなかった。つまり。
(あなたは、本気で約束を守ろうとしてくれていたのですね)






 黄昏時。
 そろそろ朝日が昇ろうという時間。
 人気のない城壁の上にやってくる人物がいた。
 ウィルザはそちらをゆっくりと振り返る。
「お待ちしていました。カーリア。覚悟は、決まりましたか」
「はい。すみません、今夜が最後ということで、レオンの監視が厳しかったんです」
「でしょうね。ぼくでも厳しくなる。三日の刻限はもう終わる。終われば戦う他はない。それがレオンの望みでしょうから」
「あなたが私を殺さなかったこと。それが信頼の証だと判断しました。私の身柄を預けます。ですから、マナミガルには寛大な処置を」
「もちろんです。カーリアのように美しい女性の願いを断れるほど、ぼくは非情ではないつもりですよ。それでは、いきましょう」






 こうして、カーリアは投降した。







カーリア投降という激震がマナミガルに走る。
残された部下たちはカーリアの意思を継ぎ、マ神を迎え入れる方向に動く。
止めようとするゼノビア。対立するマナミガルとアサシナ。
事態は最悪の方向へ向かおうとしていた。

『ゼノビア。このままではお前が殺される。とにかくアサシナへ逃げろ』

次回、第四十七話。

『マナミガル占領』







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