「カーリアはどこだ!」
 日の出前、政庁にレオンの怒号が響いた。レオンだけではない。カーリアの部下であるアムニアムたちもうろたえている。冷静にしているのはリザーラとアルルーナくらいだった。
「どう思いますか、リザーラ」
「もう手遅れでしょうね。これだけ探していないのなら彼女はもう」
 レオンに聞こえないように二人は状況を確認し合う。アルルーナも全く同感だった。もはやカーリアはここにはいないだろう。
「レオンは冷静さを失っています。どうしますか、リザーラ」
「そうね。まず落ち着かせるのはいいとして、問題はその後。きっとマナミガルはもうマ神に抵抗できない。だとしたらいかに犠牲を減らせるか、それがポイントね」
 なおも苛立つレオンに、リザーラがぽんと肩を叩く。そして、かすかに非難めいた目を見せた。
「ここまでです。今は、なすべきことをなしましょう」
 これはレオンの油断というわけではなかった。いつも以上にカーリアの身辺には気をつけていた。最後の夜、カーリアに近づく者、全て監視していた。それなのに。
(いや、それも油断か)
 街中で混乱が起きた。黒童子だった。やはり黒童子は潜入していた。それに乗じて何かをするのは分かりきっていた。だからこそ黒童子を追い詰めたというのに。
(そのせいで、カーリアの監視を外してしまった)
 陽動だったのだ。レオンとカーリアを離し、カーリアを連れ去る。それがウィルザの考えたストーリーだったのだろう。
「リザーラ、アルルーナ」
 レオンは自分を見つめる二人の女性を見た。心配している様子が見てとれる。
「すまない」
「いえ、落ち着かれたのならそれでかまいません。それよりも、今後の対応です」
「ああ」
 二人の言いたいことはよく分かっている。もはやマナミガルはマ神の手先になることは避けられまい。だとすると──
(ゼノビアを無事にここから出すことが必要だな。あいつの性格では、簡単に引き下がるとも思えん。もしそうならこんな歴史にはなるまい)
 だが、このまま放置しておけばゼノビアのアサシナ軍とアムニアムたちのマナミガル軍がぶつかる可能性を考慮しなければならない。
「ゼノビアはどこにいる」
「まだ詰め所の方に」
「俺から話して聞いてくれるような奴なら簡単なんだが」
 ふう、と息をつく。
「でも、あなたがやらなければいけない仕事よ」
「分かっている。俺にしかできないってことはな」
 だが、その前にここにはカーリアの部下四天王筆頭、アムニアムがいる。先に彼女と打ち合わせておかなければならない。
「アムニアム」
「はい」
「もし、カーリアが投降し、マナミガルを明け渡すとしたらお前たちはどうする」
「カーリア様のお考えに従います。おそらく、マナミガルの人間は皆、カーリア様の判断に従うと思います」
「慕われているな、カーリアは。だが、それでいい。もしそうなったとしたら、アサシナ軍はマナミガルからアサシナに戻ってもらうことになるな」
「そうなります」
「なるべく事を荒立てたくない。まずはゼノビアを──」
「失礼します!」
 だが、対策を打つ間もなく報告が来る。
「か、カーリア様が、城門前に! 敵の大将と共に!」
(どこまでも打つ手が早い!)
 ウィルザという男はどこまでも合理的だ。こちらに時間を与えず、一気に叩くつもりなのだ。
「すぐに向かう!」
 レオンはリザーラにアルルーナ、そしてアムニアムたちを連れて城壁へと移動する。
 マナミガルの城門の向こうには、既に何百という黒童子、そしてその中心にウィルザとカーリアの姿があった。
「カーリア様!」
 マナミガル国民たちの悲鳴があちこちで巻き起こっている。
「これは、いったいどういうことだ!」
 騒ぎを聞きつけてやってきたゼノビアがレオンに詰め寄る。
「どうやら、カーリアは向こうに投降したようだ」
「なっ。貴様、それを黙って見ていたのか!」
「ウィルザの方が一枚上手だった」
 レオンは城壁の上からウィルザを見下ろす。そのウィルザと目が合った。かすかに唇が吊りあがっている。
(くっ)
 自分ではウィルザにはかなわないのか。サマンを失い、今こうしてカーリアまで敵に投降した。ウィルザはどうしてこうも自分の考える先の手が打てるのか。
(敵の手の内を知っているのは俺の方なのに!)
 それなのにジュザリアは落ち、マナミガルも投降しようとしている。未来の歴史など知っていても何の役にも立っていない。
「マナミガルに告ぐ!」
 ウィルザが前に出てきて大きな声で叫ぶ。
「お前たちの信頼するカーリアは投降した!」
 城壁の上が一斉にどよめく。
「カーリアはマナミガルの国民が守られるのであれば、マ神に投降してもかまわないと言った! だから我らマ神はお前たち、マナミガルの存続を認めよう! マ神を信仰せずともよい。ザ神、ゲ神を信仰することも認めよう。お前たちは今まで通り、この地で暮らしていくがいい!」
 おお、とマナミガルがどよめく。
「カーリアが自らの意思で投降したことを示そう。カーリア!」
 ウィルザに呼ばれて、カーリアが前に出る。
「マナミガル国民の皆さん。三日前に私が自ら言ったことを覆すような真似をして、申し訳ないと思っています」
 カーリアはいつものように静かに、そして決して自分を曲げることのない強い意思をもって言う。
「マ神はもうこれ以上の殺戮を望んでいるわけではありません。私はウィルザと話してそれを実感しました。このウィルザは信頼できる人物です。私は身柄をウィルザに預けます。私はウィルザの下で、マ神と共に行動したいと思います」
 おお、とどよめく。
「できれば、マナミガルが全て私と同じように考えていただければと思います。ウィルザならば、このマナミガルを平和に統治してくださるでしょう」
 マナミガル国民の間にざわめきが広がっていく。
 自分たちが信頼しているカーリアが自らこのように言っているのだ。それも、カーリアの様子はいつも通り。決してウィルザに言わされているわけではない。それが見て分かる。
「カーリアから話は聞いている。今、そこにはアサシナからの援軍が来ているのだろう」
 ウィルザがさらにその後を続けた。
「今、我々はまだアサシナと事を構えるつもりはない。今ならば見逃そう。ゼノビアをはじめとするアサシナ軍を国へと戻し、その後で城門を開くこと。それを満たせば我々はマナミガルに対して一切の破壊活動を行わないことを約束しよう」



 こうして、マナミガル軍とアサシナ軍の間に亀裂が入った。







第四十七話

マナミガル占領







「そんな馬鹿な条件を呑むつもりか! 貴様ら、マナミガルを滅ぼすつもりか!」
 ゼノビアは限りなく正論を言っている。
 確かにこの時点でマ神はマナミガルを滅ぼさないかもしれない。だが、大陸最強の軍事力を誇るアサシナさえいなくなってしまえば、マナミガルなどいつ滅ぼされるか分からない。
(戦闘が最善。だが、カーリアすらいなくなったこのマナミガルでは戦いになるまい)
 ゼノビアはそこを見極めることができない。視野の広さが足りない。
「ですが、カーリア様のお考えは、マナミガルを開城することです」
 アムニアムがゼノビアの勢いに押されながらもはっきりと答える。
「では、我々に出ていけということか」
「……大変、申し訳ありませんが」
「馬鹿な! そうしてお前たちは敵を懐に入れるのか。この国には戦おうという気概のある者はいないのか!」
「カーリア様のご意思を尊重せぬものは、ここにはおりません!」
「待て、お前ら」
 その一触即発の事態となりかけたところでレオンが仲裁に入る。
「ゼノビア。俺たちの負けだ」
「なに?」
「よく考えろ。もしお前がここで我を張ったとしたらどうなる。アサシナ騎士団はマ神だけではない。このままではマナミガルまで相手にすることになるぞ」
「……!」
「ウィルザはアサシナ騎士団を見逃すと言っている。ここはおとなしくアサシナまで引き上げるのが良策だ」
「だが、レオン! このままマナミガルがマ神に滅ぼされてもいいのか!」
 そのゼノビアの決め付けた言い方に、マナミガルの騎士団が反応する。
「ゼノビア。アサシナ騎士団を引き上げろ。俺もアサシナに行く。マ神とは来年決着をつければいい。そのために貴重な戦力を一人も失うな。ゼノビア。このままではお前が殺される。とにかくアサシナへ逃げろ」
「……っ!」
 ゼノビアは完全に孤立したことを悟る。そして顔を上げて頷いた。
「分かった。お前に従おう、レオン」
「すまない、ゼノビア」
 レオンが彼女の肩を叩いてからアムニアムに向き直る。
「俺たちは反対側から出ていく。アサシナ騎士団が全員引き払ったら、マ神とカーリアを引き入れるといい」
「申し訳ありません」
「謝るくらいなら、何故降伏したりする!」
 だが、そのアムニアムの態度がゼノビアの逆鱗に触れる。
「やめろ、ゼノビア。お前の気持ちも分かるが、彼女の立場も分かってやれ。カーリアがいなければマナミガルは国として機能できないのだ」
「分かっている。分かってはいるが、こんな、私の目の前で、こんなにもあっさりと!」
 ゼノビアは泣いていた。
 マナミガルだけでも助けようとしてここまできた。ガラマニアやジュザリアには何もできなかった。アサシナが次の標的であるということを差し引いても、何があってもマナミガルを助けようと思っていた。
 それなのに。
「どうか、お早めにお引き上げくださいませ」
「ああ。世話になったな、アムニアム」
 結局、この国でやってきたことは全てが無駄だった。今回は完全に計略で負けた。次はこんなことがないようにしなければ。
(……?)
 だが、おかしい。
(世界記、歴史は?)
『変わっていない。ゼノビアはこのままでは死ぬ』
 ゼノビアが抗戦しないことを決めたというのに、歴史が変わらない。
「まずいな」
 レオンが呟く。
「リザーラ、アルルーナ、ゼノビア。急ぐぞ。このままでは、俺たちは完全に包囲される」
「なに?」
「いや、もう遅い、か」
 気づけば、自分たちの周りにはマナミガルの国民たちが集まってきていた。
 今までマ神に向けていた武器を、今は自分たちに向けている。
 これはアムニアムたちの命令ではない。民衆たちが、自分たちで考えて起こした行動だ。
 いや。
(……これもお前の仕業か、ウィルザ)
 民衆を煽動して、アサシナ騎士団とマナミガルがぶつかりあうようにしたのか。
「で、出ていけ!」
 民衆たちの一人が言う。
「ここはマナミガルだ。アサシナは出ていけ!」
「そうだ! 俺たちはカーリア様と共に行動する!」
「マナミガルはアサシナの力など借りない!」
 民衆の声が徐々に高まる。本当に打つ手が早い。いったいこの中にどれだけウィルザの手下が紛れ込んでいるのか。これだけの動きにできるのだ。二人や三人ではないだろう。
 だが、確実にマナミガル国民の、アサシナに対する不審を明るみにした。
「安心しろ! アサシナは出ていく! マナミガルに迷惑はかけない!」
 レオンが宣言する。だが、こうなるともはや街の反対側から出ていくということは難しい。もしも強引に街を突っ切ろうものなら、それこそ民衆からなぶり殺しにされる。
 それならば。
「門を開けてくれ、アムニアム。正面から出る」
「な」
 ゼノビアもアムニアムも声を上げる。
「馬鹿な。目前にマ神の軍がいるのですよ」
「マ神はアサシナを見逃すと言った。もしここでマ神が攻めてくるようなら、今度はマナミガルがマ神を信じられなくなる番だ。それが分からないウィルザではあるまい。リザーラ! アルルーナ! ゼノビア! 行くぞ! 我々は堂々と、このマナミガルを出る!」
 レオンは毅然と入口へ向けて歩みだす。攻撃する様子すらない。そして、動きが止まった民衆たちに対して、
「道を開けろ!」
 一喝すると、一斉に人々は道を譲った。その中を、アサシナ騎士団が移動していった。
(俺が矢面に立てば、ゼノビアに危害を加えることはできまい)
 これが精一杯の抵抗。相手の正面に身をさらすことで、逆に自分たちの安全を確保する。
(これで攻撃ができるのならしてみろ、ウィルザ。そのときお前はマナミガルを敵に回すことになるのだからな)






「そう来たか」
 ウィルザは苦笑する。開いた城門。そして、ゆっくりと出てくるアサシナ騎士団。
 民衆を煽動し、あわよくば邪魔者を捕らえるくらいのことはしたかったが、ここまで堂々とされては攻撃ができない。
「見逃してよろしいのですか?」
 カーリアが尋ねる。
「ああ。それに、戦いになるのはお前にとっても本意ではないのだろう、カーリア」
「はい。レオンとは友誼もありますし、ゼノビアも私は嫌いではありません」
「なら、お前が気に病む必要はない。レオンとはいつでも勝負をつけることができる。今はマナミガルをどうするかだけ考える」
「分かりました」
「だが、忘れるな、カーリア。お前は投降した。つまり、お前をどうするかはぼくに決定する権利がある。マナミガルに戻れるなどと思うなよ」
「私をどうするつもりですか」
「別にどうするつもりもない。ただ、ぼくが守りたい人物の傍にいてやってくれるだけでいい」
「あなたの守りたい……?」
「妻と、子供たち。お前はぼくの家族を守る騎士となってほしい。お前が嫌でなければ」
「嫌も何もございません。私は投降の将。命じられるままに動くのみです」
 そして移動していくレオンたちを見る。その、レオンと目が合った。

『カーリアを取り込んだ手腕、たいしたもんだ。だが、次はこうはいかない』
『この状況で、よくもそんな機転をきかせられたものだ。次は決着をつける』

 ウィルザにはレオンの考えていることが確かに伝わった。逆も然りだ。
 今回は完膚なきまでにレオンを叩きのめすつもりだったが、最後の最後で逆転された。たいしたものだ。それでこそ叩き甲斐がある。



 勝負は来年。アサシナ決戦だ。







人類の拠点はついに、アサシナのみとなった。
クノン王のもと、結束を計るアサシナ軍。
レオンは全員の協力を得て、マ神軍に立ち向かう。
だが、一人だけ、レオンと相容れない存在があった。

『すみません。でも、これは理屈ではないんです』

次回、第四十八話。

『揺らぐ結束』







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