その夜。リザーラ、アルルーナと敵軍の動きについて意見を交わしていたレオンの下に急報が届いた。急報の相手は世界記だった。
『歴史が書き換わった』
いつもの台詞を、いつものように言う。だが、聞きとめる相手はいつも通りではない。
814年 ローディ投降
ザの副神官ローディが、マ神軍からアサシナに投降する。
814年 クノン失踪
アサシナ国王クノンが突如姿を消す。
814年 アサシナ崩壊
夜、城門が内側から開かれる。それに伴い、外で呼応したマ神軍がアサシナになだれ込み、新王都は崩壊する。レムヌ妃は殺害される。
「どういうことだ」
いったい何を企んでいるのか、ウィルザは。
「クノン王失踪というのは、投降したローディが偽装で、ローディが誘拐するということか?」
『否。クノン失踪とローディ投降は別件だ』
「ならどうして、この順番に歴史が書き換わる!」
間違いなくローディの投降には何かがある。それとも、城門を内側から開くのがローディの役割か。
「いずれにしても、クノン王から目を離してはいけませんね」
リザーラがその話を聞いて冷静に答える。
「そういうことだな。とにかくクノンを押さえる。それでだいたいは片付く。ただ──」
カーリア投降のときもそうだった。マナミガル城下で騒乱が発生し、それを片付けている間にカーリアはいなくなっていた。
(待てよ、ということはこのローディの投降は……)
こちらを撹乱するための罠か。それ以外には考えられない。
(とにかく俺自身がクノンから離れないことが重要か。クノンには周りから、勝手な行動を慎むように言ってある。俺が間違わなければ問題はない)
問題は、自分の相手がウィルザだということだ。
ウィルザはこちらに世界記があるということを承知の上で罠を仕掛けてくる。ならば──
(ミスリードを誘発しているのか。いやらしい男だな、ウィルザは)
問題は、ウィルザが何を企んでいるかということ。
(考え方を変えよう。俺なら、どうやってこの城を落とす?)
最優先はクノンとレムヌを除くこと。これが一番。そのために何をするのか、それが分からなければ意味がない。
(ウィルザの持ち駒は、ルウ、ローディ、ファル、カーリア、それから捕らわれているはずのドネア、か)
まず、最優先で行わなければいけないのが敵将の排除。アサシナ戦に限って言えば対象者はクノンとレムヌ、他にはミジュア、ミケーネ、ゼノビアといったところか。
クノンを殺すには誰かが死間、すなわち犠牲となることを覚悟の上で寝返った振りをさせるのが一番いい。ウィルザに忠誠を誓っているローディならばそれを確実に実行するだろう。
だが、ウィルザはこちらに世界記があることを知っている。それならローディを送り込んできたとしても罠であるということに気づくことが分かるはず。
「レオン殿!」
考えていると、そこにアサシナの兵がやってきた。
「何事だ」
「それが、マナミガル兵からの投降者がおりまして、至急ミケーネ様が来てほしいとのことです」
(相変わらず打つ手が早いな)
こちらが対応策を考えるより早く事態が変わっていく。
(そうか。ウィルザは俺が情報を掴むことが分かっている。ならば、その情報を精査させないうちに矢継ぎ早に仕掛けてくるということか)
いずれにしてもローディをそのまま召抱えるわけにはいかない。もっとも、ミケーネたちもそんな簡単に騙されるはずがないが。
リザーラとアルルーナを伴って政庁へ行くと、そこにいたのは──
(誰だ?)
マナミガル騎士団の鎧を来た男が一人。もちろんそれ以外は武装解除されて、その場に座らせられている。
「来たか、レオン」
政庁にいたのはミケーネとゼノビア、その部下たちが数名。
「何事だ?」
「マナミガルの投降兵だ。情報を持ってきたと言っている」
「ウィルザの罠だろう」
「いや、それが……」
どうしたものか、とミケーネが困った様子を見せる。するとマナミガル兵は真剣な表情で訴えてきた。
「マナミガル軍がアサシナと事を構えるのは本意ではありません」
男が言うと、レオンが苦笑する。
「何を馬鹿な。お前たちは自分たちでマ神を迎え入れたのだろう」
「それは、我々がカーリア様を信じたからです。ですが、違うのです! マ神は、カーリア様の部下である四天王の家族を、人質にしているのです!」
「ほう」
レオンは一度目を閉じ、世界記に語りかける。
(こいつの言っていることは事実か?)
『確かにマナミガルで、高官の家族は一箇所に集められて監禁されているようだ』
(事実、か。ということはこのマナミガル兵は)
『ウィルザの預かり知らぬところでの行動かもしれぬ』
(だが、カーリアは自分からウィルザに協力しているのではないのか?)
『実際、マナミガル軍が動き始めたのは、カーリアが出兵を申し出たからだ』
目の前のマナミガル兵は自分を騙すかもしれないが、世界記は事実しか報告してこない。実際、マナミガルで高官家族が監禁されているというのなら、何かマナミガルで異変があったのかもしれない。
「詳しい話を聞く前に、お前が何者かを言え」
「はい。自分はマナミガル軍に二年前から入ったアレスといいます。四天王、エルメール様の部下にあたります」
「脱走してここまで来たのか」
「いえ。エルメール様からマナミガル軍の現状をアサシナに伝えるように密命を受けて、本日の戦闘で死んだ振りをしていました。夜になって誰もいなくなったのを見計らってアサシナまでやってきたのです」
「筋は通っているが、納得がいかないことがある。マナミガルの兵士たちの全員が家族を人質にとられているのか?」
「いえ。マナミガル兵のウィルザ人気は異常なほどです。実態を知っているのは、カーリア様と四天王、あとはその側近くらいです。ウィルザは、カーリア様にマナミガル軍の掌握と、マ神への協力を『自発的に』求めました。カーリア様たちは自分たちの家族が苦境に立たされているということを自分の部下に打ち明けることすらできずに、この戦争に参加しているのです」
「確かに、今日の戦闘でマナミガル軍は精彩を欠いていたようだが」
「マナミガル軍とアサシナ軍が相打つことは、マ神に利するばかり。なるべく時間を稼ぐような戦い方をカーリア様は指示されました」
「ウィルザはどこにいる?」
肝心の情報を尋ねる。すると、
「分かりません。戦場に来ていなかったので」
(世界記)
『ウィルザは戦場にいる』
尻尾を掴んだ──いや。
(もしもこれがウィルザの罠だとしたら、こんな簡単にばれるようなことをするか?)
この兵士は何を考えてこんな嘘をついたのか。
「お疑いですか。ですが、ウィルザはマナミガル軍に先鋒を命じて、自らは後から来ると言いました。間違いありません!」
(世界記)
『確認した。確かにウィルザが戦場に到着したのは本日の戦闘後。この兵士がそれを知っていたとしたら、逆に矛盾だ』
(なるほど、戦闘後にウィルザが到着したからこいつはそれをまだ知らないということか)
逆に、ウィルザがいると知っていた方が間違いということになる。この兵士は戦闘が終わってからずっと死んだ振りをして戦場に倒れていたはずなのだから。
(世界記。お前はウィルザ本人の行動は把握できないはずだな)
『然り』
(何故、今回のウィルザの行動が把握できた?)
『戦闘後の軍議にて、カーリアが自ら敗戦の責任を取ると申し出たようだ』
(なるほど。カーリアの行動からの推測か。結果は?)
『謹慎半日。軽い処罰にマナミガル兵が喜んでいる』
ということは、まだマナミガル軍には使い道があると考えているのだろう。
(確かに、ウィルザがカーリアをどう口説き落としたかは全く分かっていない。もしかしたら人質をとっていた可能性がないわけでもないが)
兵士が投降するタイミングにしても、確かに理屈では間違っていない。だが、
「それで、マナミガルの現状を伝えるためだけに投降したのか」
「一つ、重要な情報を持ってきました」
「何だ」
「ウィルザは、マ神参謀のローディ神官に偽装投降させるようです」
第五十話
アサシナ動揺
(世界記。ローディ投降が偽装かどうかは分かるか)
『不明。だが、この二ヶ月、ローディが参謀の任を剥奪され監禁されているのは間違いないようだ』
(ローディが監禁?)
さまざまな事実が明らかになっていく。何故、そんな情報が事前に伝わってこないのか。
『未来の予定はともかく、現在の状況は誰かから明らかにならない限り、伝わってくることはない』
(国として発表するとか、第三者に伝わらない限り、ということか?)
『そうだ。私は未来の予定と現在の結果しか分からない。原因を究明し、解決するのはお前の役割だ』
(ウィルザも大変なパートナーを持ったもんだな)
それは世界記の能力に対しての評価ではない。世界記にいいように使われることになったウィルザに対する評価だった。
「偽装投降とはつまり、何を目的としたものだ?」
「そこまでは分かりません。ただ、ローディ神官をもぐりこませて何かをするつもりなのは間違いありません」
そんなことはレオンにも分かっている。この兵士がやってくる前に、既に世界記から掴んでいた情報だった。
「どう思う、レオン」
「どうもこうもない。ローディは捕らえて牢屋に入れる。それで終わりだ」
「だが、この兵士の言っていることが本当かどうかは」
「この兵士も捕らえる。当然の処置だ」
兵士は答えない。投降したのだから、どのような処分をされても仕方ないことだ。
「お前の言い分は聞いた。だが、お前が真実を言っているのかどうかを確かめる術がないことは理解できるな」
「はい」
「悪い待遇にはしないことは約束しよう。少なくとも、お前がアサシナに牙を向かない限り」
レオンが言うと、部下にマナミガル兵を連れていかせる。
「それで、どうするつもりだ?」
「あの兵士かローディかは分からないが、どちらかが罠なのは違いないだろう。なら両方捕らえておけばいいだけのことだ」
「確かにそうだが」
「もしかすると、両方とも偽装の可能性もある。何しろ、俺にはマ神の行動は分からない。たとえウィルザが何を仕掛けてこようとも、行うことはたった一つだ。クノン王を守ること。それ以外にはない」
「うむ」
「ミケーネ。お前はクノン王に始終ひっついていろ。アサシナ軍はゼノビアに任せても大丈夫だ。今日の戦いを見ればよく分かる。あとは問題があれば俺が動く」
「そうだな。役割をはっきりさせておけば、それぞれ自分の持ち場を死守すればそれでいい」
「そういうことだ。それからリザーラ、お前もミケーネと一緒に国王についてくれるか」
「分かりました」
リザーラも自分の能力的にそれが相応しいと考えたのか、素直に頷く。
「アルルーナは俺と一緒に」
「はい」
「よし、まずはローディを迎え撃つとしようか」
そうして、レオンたちは準備を整えてローディの投降を待つ。
だがそれは、意外な展開になった。
「ローディ……その姿は、どうしたことだ」
政庁に連れてこられたローディを見て、大神官ミジュアが愕然とする。
既にローディが偽装投降してくるという話は聞いていた。だが、偽装としてもここまですることがあるのか。
全身にいくつもの傷を負い、どれだけ監禁されていたのか、頬あたりの肉もげっそりと落ちて、骸骨のようになってしまっている。
「お久しぶりです。といっても、あまり喜べる再会ではありませんが」
かすれた声。だが、毅然とした様子である。さすがに立っていられるだけの体力がないので、椅子に座らせられてのことではあるが。
「マ神軍に何があったのか、聞かせてもらえるのかな」
小さなクノンがローディに尋ねる。そしてローディも小さく頷く。
「無論です。そのために恥を忍んで、ここまで来たのですから」
「だが、お前はウィルザ個人に仕えていたのではないか」
「おっしゃるとおりです、レオン殿。あなたのこともウィルザ様からはよく聞かされていました。私にとってウィルザ様は、今でも誰より忠誠を誓う相手なのです」
「マ神についたウィルザ。それについていったお前が、何故今さらウィルザを見限る必要がある」
「もし、ウィルザ様が望むのでしたら、それが世界征服だろうと、世界滅亡だろうと、私はそのために尽力したでしょう。ですが……ですが!」
ローディが歯を食いしばる。
「今のウィルザ様は、完全にマ神に操られた状態! そこにウィルザ様自身の意思などありはしないのです!」
(馬鹿な)
それだけはありえない。何しろ、世界記と袂を別ち、マ神と共に歩んだのはウィルザ本人ではないか。
「マ神たるルウ様のために、ウィルザ様はすべてを投げ打つ覚悟でした。そしてルウ様もそのウィルザ様を受け入れていました。二人とも仲むつまじく、私も二人が幸せでいられることに喜びと誇りを持っていました。ですが、変わってしまったのです」
「何がだ」
「二人にはお子が生まれました。もう、二歳になっています」
その事実にレオンたちが動揺する。
「マ神の子だと」
「はい。ですが、ルウ様は、その頃から徐々に変わってきました。マ神のために世界征服に行くウィルザ様を、少しでも長く手元に置きたがるようになったのです。昨年のマナミガル戦役の頃にはもう、ウィルザ様の洗脳は徐々に始まっていました」
「徐々に……」
「はい。もはや、ウィルザ様には自分自身の意思はありません。ルウ様ご本人の意識もマ神に吸収されたのか、全く表に出ることがなくなりました。あそこにはもう、ウィルザ様もルウ様もいらっしゃらないのです! 私を必要としてくださったウィルザ様はどこにもいらっしゃらないのです!」
その激白に、一同は誰も答えることができない。
「お願いがあるのです。あつかましいことだというのは承知の上です」
ローディは椅子を降りてその場にひざまずくと、頭を床につけて願い出る。
「ウィルザ様とルウ様の忘れ形見、グラン様とセリア様のお二人を、どうか救出していただきたい! あのお子たちはウィルザ様とルウ様のお子でありながら、本当にただの人間にすぎません。マ神の力など少しも引いていらっしゃらないのです。だからどうか、あのお二人を助けてください。私の命でよければいくらでも差し出します! ウィルザ様の、あの方のお子を、どうか──!」
ウィルザの罠が、どこからどこまで引かれているのか。
絡まった糸を解きほぐすこともできず、アサシナはさらに混乱する。
クノン失踪を狙いとするのなら、二人の投降が何を意味するのか。
レオンは、自らの最大の過ちに、まだ気づいていない。
『我々がアサシナを落とすためには絶対の条件があるのだよ』
次回、第五十一話。
『アサシナ崩壊』
もどる