偽装投降が事実かどうかの確認はできない。それならば、あらゆる状況について対処ができるようにしておくことがベストだ。
すなわち、ウィルザがいったい何を仕掛けてきたのか。それをすべてのパターンで対処しておけばいい。現在、自分たちを悩ませているのは二つ。マナミガル兵の言葉と、ローディの言葉だ。
A。マナミガル兵が罠で、ローディの言葉が事実である場合。
B。ローディが罠で、マナミガル兵の言葉が事実である場合。
C。マナミガル兵もローディも、ウィルザの仕掛けた罠である場合。
D。実はウィルザがマナミガル兵にもローディにも関係していない場合。
考えられるのは当然、この四つ。○か×か、その組み合わせにすぎない。
だが、いずれにしてもローディやマナミガル兵を自由にさせなければそれでいい。どちらも牢屋に入れてしまえばそれですむ。実際、マナミガル兵は『念のため』と称して牢に入れてある。もちろん、不自由はしない程度に。
だが、ローディの場合は状況が違った。既に体力の限界に来ているローディを牢屋につないでは、もしかすると体力が尽きるかもしれない。まずは治療が必要だった。
(殺した方がいいな)
レオンは冷静に考える。ローディが本気だろうが、ウィルザの仕掛けた罠だろうが、何もなかったことにしてしまうのが一番だ。ローディの言葉が事実でもそうでなくても、別にこちら側の戦略が変わるわけではない。だとしたら、ローディにこちら側で何か動かれる前に処分してしまえば、余計なことに頭も労力も割かれずにすむ。
だが、ローディを殺すことはできない。何しろ、たとえ一度ウィルザについたとはいえ、こちらを頼りに降って来たのだ。これを殺せば、アサシナの兵たちが自分をどう見るかが変わってくる。しかも、これほどの衰弱した相手を殺すなど、人道的な問題もある。
(十中八九、ウィルザの罠であるのは分かるが、確かめる方法がない)
もしウィルザが罠を仕掛けたのだとしたら、世界記の限界を知り尽くした上で、ぎりぎりの情報でこちらをコントロールしようとしているということだ。付き合いの長さゆえか、たいしたものだ。
大神官ミジュアの指示で、ローディは治療室へと運ばれた。これはやむをえない処置だった。
もちろん見張りはつける。それに対してミジュアも否定はしなかった。ひとまずはこれで急場を凌ぐしかない。
「どう思う、レオン」
「罠だろうが、何を意図した罠かが分からない」
ミケーネの言葉に歯をかみしめる。
「あんな話を持ち出されて俺たちに何ができる? マ神を倒そうとしているのはローディが来る前も後も変わらない。それでもローディがこちらに入り込んできたということは、ローディにアサシナ城の中で何かをさせるためにもぐりこませたに決まってるんだ」
「何かをさせるといっても、あの体だぞ」
「だから困っている。あの体でもできることがあるのか、それとも──」
「それとも?」
「ローディが目くらましで、他に罠を仕掛けているのかもしれないな」
それがマナミガル兵のことか、それとも他に罠があるのか。
「いずれにしても、罠の最終目的がわかっていればいいのだろう」
「そうだな。クノン陛下が無事なら問題ない。ミケーネ、お前はとにかく陛下の傍を離れるな。リザーラと一緒にな」
「ああ。お前は?」
「ローディやマナミガル兵のことは考えるだけ無駄だろう。ならば身動きが取れない状態にしておいて、マ神に専念する」
「分かった。頼むぞ」
「ああ」
レオンはミケーネと別れる。だが、結局有効な解決策は見つかっていない。
どうすればいいのか。今もまだ、悩みは尽きない。
(クノン失踪。問題はここだ。ウィルザがクノンをどうにかするのは分かっている。ただ、ローディ投降とクノン失踪には関連がないと世界記は言った。断言できる以上、それは未来の現実。いくらウィルザでも、世界記から隠れて活動はできても、世界記を騙すことはできないはず。つまり、ローディの役割は全く別)
ではローディは何をしにここへ来たのか。そしてウィルザはどうやってクノンを失踪させるつもりなのか。
(相手が仕掛けてくるまで待つしかないのか?)
だが、待っていればそれだけ、自分たちの方が不利になっていく。
いっそのこと、こちらから仕掛けるくらいのことが必要かもしれない。リスクは伴うが、相手の動きをつぶすことはできるかもしれない。
(嫌な奴だな、ウィルザは)
いったい誰が、あんな男をこの世界へと連れてきたのか。その人間に唾を吐きかけてやりたくなるレオンだった。
それから三日が経ち、七日が過ぎ、十日が経過した。
ウィルザのマ神軍は全く動きを見せない。アサシナ城を遠くに見て、仕掛けてこようという気配すら見せない。
何を企んでいるのか、ますます分からない。
マナミガル兵には自由を許さず、ローディも治療室から一切の外出を禁止している。
(やはり、二人のうちのどちらかに、城内で何かをさせるつもりだったのだな)
動きがないということは、逆にウィルザも動けないでいるということだ。それは、中に入ったマナミガル兵かローディのどちらかと呼応した動きをするつもりだったのだろう。
十日が経って、ローディの体力も回復してきた。これ以上治療室においておくことはできない。そろそろ牢屋に移ってもらわなければならないだろう。
(何を企んでいるのか、直接聞いてみた方がいいかもしれないな)
レオンはそう考えると、アルルーナと共に治療室へ行こうとした。が、そのアルルーナが怪訝な顔を見せた。
「私は反対します」
アルルーナは予知の力を使わない。それは彼女の寿命を縮める行為であるからだ。レオンもリザーラも、その力を使うことを禁止した。そして彼女はそれを忠実に守っている。
「何故だ?」
「彼の狙いが分からない以上、余計な情報は混乱の元になります」
「確かにな。だが、現状ではもう、何も打つ手がない」
「待てばいいでしょう。ウィルザといえども、このアサシナを簡単に落とすことはできません。それこそ、城門が内側から開かない限り」
「ローディかマナミガル兵がその役割を果たすというのか?」
「可能性は高いでしょう。ローディと接触することで、事態がそう動くことになる可能性があります」
なるほど、とレオンは頷く。確かにここは慎重に慎重を重ねるくらいがちょうどいい。
「分かった。引き続き二人からは絶対に監視の目を離すな」
「もとより」
アルルーナが答えて出ていく。それでもレオンは頭の中で考えをめぐらす。
(戦況が膠着することをウィルザは頭の中にあったのか?)
その場合はどう動くのか。
ウィルザの行動の最終目標はクノンの失踪。すべての罠はそのためにあると言ってもいい。
「それほど、ウィルザが何を考えているか知りたいかね?」
誰もいないはずの部屋の中で、突然声がした。
「誰だ!」
「慌てなくてもいいだろう。私の声を聞き忘れたわけでもないだろうに」
黒のローブ。ケインが、そこにいた。
第五十一話
アサシナ崩壊
「……まさか、お前がここに来るとはな。だが、好都合」
レオンはただちに剣を抜く。
「ここでお前を殺して、マ神の手駒を一つ減らす!」
「話を聞くこともせずにかい。私はまだ戦闘体勢に入っていないというのに」
ケインはローブ姿のまま、近くにあった椅子に腰かける。本当に戦う気はないらしい。
(これも罠か)
マ神が何を企むにせよ、相手の話を聞いてはならない。こちらに都合よく聞こえることは全て罠。
今すぐ、ここにいる男を殺すことこそが、正しい道。
「話を聞く必要はない!」
「私がお前の前に姿を現したということは、マ神がすべての準備を整えたからだとは思わないか」
「それならなおのこと、今すぐに殺さなければ全てが後の祭となる!」
剣を一閃。だが、そこにケインの体はない。ローブだけが剣に絡まる。
「やれやれ、ここまで短気とは思わなかった」
部屋の反対側に移動したケインは丸腰だった。
「お前の言うとおりだ。お前がここに姿を現した以上、マ神は最後の一手をかけるつもりなのだろう。ローディとマナミガル兵を使って何をしようとしていたかは知らないが、お前を殺して、あの二人を閉じ込めておけばマ神は何もできまい」
「本当にそう思っているのならめでたいことだ」
くくく、とケインは笑う。
「我々がアサシナを落とすためには絶対の条件があるのだよ。やはりお前は、そのことに気づいていなかったらしい」
「何?」
「だがもう策は成った。私がお前と接触したこの瞬間にな」
「なんだと」
「私がお前に声をかけた時点で、すべては終わっていたのだよ。だから焦る必要はない。お前はもう、アサシナを救うことはできないのだから」
宣告。
それは、こちらを動揺させようだとか、時間を稼ごうだとかいうものではない。
絶対の事実。
「……どういうことだ」
「やっと話を聞いてくれる気になったかな」
ケインがまた笑う。
「マ神はもともとニクラに幽閉されていた。だが、ニクラを壊滅させた折に、そこにあった技術は残らず吸収した。その技術をローディ神官が利用することを考えた」
「利用?」
「そうだ。転移装置。人間一人を完全に別の場所に移動させる装置だ」
「転移装置……」
レオンの顔が青ざめていく。
「まさか、俺を転移させようというのか!? アサシナから別の場所へ!」
「九割方正解だ」
「九割?」
「ああ。何しろお前は既に、転移された後だからだ」
馬鹿な。
この部屋はいつも使っている自分の部屋。この部屋には何も変わったところがない。
「転移装置というのはいろいろと使い方に制限があってね。詳細は省くが、転移する側とされる側に、同じ装置をセットしなければならない。ローディが考えた作戦でも一番悩んだのがここでね。だから、カーリア率いるマナミガル軍とアサシナ軍を戦わせた。お前たちの注意がそちらへ向くようにな」
「……あの戦争の間に、俺の部屋に忍び込んだというのか?」
「そうだ。それも、大将がじきじきにな」
「ウィルザが!」
「そうだ。我らの最終目的は、クノン王を失踪させ、城門を内側から開くこと。それは既にお前にも情報が伝わっていたはずだ。だからクノン王の身辺はもとより、その使用している部屋の監視、警備体制も尋常ではなかったはず。逆に言えば、それ以外の場所はザルもいいところだ。戦争でお前たちが全員出払っている隙に、ウィルザはお前の部屋に苦もなく侵入。装置を隠し置き、後は時期を待つだけとなった。それがこのアサシナ攻略のための『最後の一手』だ。お前さえいなければアサシナなど赤子をひねるも同然」
「……俺はこの十日間、部屋で一人になったことは何度もある。それなのに十日も時間がかかった理由は」
「ローディの体調が回復するぎりぎりの時間だ。ローディは自分の体調を正確に管理し、二ヶ月で衰弱死寸前のところまで自分を追い込んだ。見事なものだよ。そこまでしてウィルザのために何かをしてやりたいと思うのはな」
「ではやはり、ウィルザがマ神に操られているというのは」
「嘘に決まっているだろう。だが、人は嘘を見抜くのは難しい。ローディが一度でも信頼に足る言動をしたならば、すぐにでもローディの地位は確保される。後はローディが城門を開けばそれで終わる」
なるほど、確かにローディはクノン失踪に何も関係していない。だが、城門を開けるのはローディということか。
「結局、世界記の情報にうまいこと振り回されたわけか」
レオンは頭を押さえる。
「だが、お前はよくやった。ウィルザとローディが何度も行ったシミュレーションの中で、お前の行動はもっとも慎重で、罠にかけづらいものだった。マナミガル兵とローディの両方に、最初の一回以降、一度も会いに行かないとはな。たいしたものだ」
「結局、二人ともウィルザの罠か」
「当然だ……というより、この時期に投降など都合が良すぎると思わないか」
「そうだな。俺もそう思う」
そしてレオンは気を取り直して剣を構える。
「それならば、ここでお前を殺せば少なくともマ神の手先をひとり殺せるわけだな」
「残念だが、それは無理だ」
「俺はザ神の力を四つ、手に入れている。今のお前では勝負にならないだろう」
「確かに力関係では私はもうお前にかなわない。だが、それなら何故ウィルザが私をここに一人ではりつかせたと思う? さらに言えば、何故私は丸腰だと思う?」
ケインはその両手に握っているものを見せる。なにやら、一つの手に一つ、ものが握られている。
「これは転移装置のスイッチだよ。この部屋には装置が二つ、セットされている。片方はウィルザがお前の部屋にセットしたもの、もう一つは今、ウィルザが戦場に持ち込んでいる。つまり、私はここからすぐに戦場に戻ることができるのだよ」
「なに?」
「そして見ての通り、スイッチは二つとも私が持っている。というわけで、さよならだ、レオン。このニクラから、どうやってアサシナまで戻ってくるのか、楽しみにしているよ」
次の瞬間、ケインの姿が消える。
レオンはそれを見送ってからため息をつくと、剣を収めた。
そして部屋を出る。
そこはもう、廃墟だった。
(ウィルザの狙いは他の誰でもない。俺か)
すべてが判明したものの、やけに動揺していない。いや、動揺しすぎて逆に落ち着いているのか。
マ神に関わるものや、自分のようなイレギュラーな存在は世界記に記録されない。それを逆手にとって、ウィルザはまず『自分を戦場から抹消する』という大目標をたてた。そして、それに気づかずに自分はひたすらクノンばかりを守ろうとした。
確かにこれは、自分の完全な失策だ。
(一瞬でアサシナに戻りでもしない限り、守りきることはできないな)
自分をここまで綺麗に騙したウィルザだ。単純なミケーネやミジュアなど、まさに赤子の首をひねるのと同じようなものだろう。
(まいったな)
完全にお手上げだった。もはや自分はどうすることもできない。手の打ちようがない。
いずれにしても、ニクラから炎の海を越えて戻らなければならない。アサシナは間に合わなくても、対マ神大同盟がこの後に組まれるのだ。それを壊させるわけにはいかない。
(だが、どうやって戻る)
自分ではどうすればいいのか分からない。かといって、誰も自分に教えてくれるものもない。
途方にくれるとはこういうことか、と何故かおかしくなった。
「本当に、あんな男をこの世界に送りこんできた奴は、百万回呪われろ」
レオンはその、特定できない誰かに毒づく。
だが。
その声に引かれたのか、それとも人の気配にか。
彼の後ろから、ゆっくりと近づいてくる音がした。
「……何者だ、お前」
荒々しい声が、レオンの耳に届いた。
すべてはウィルザの手の上だった。
本当の狙いはクノンではなく、レオン。それがウィルザの罠。
レオンが消え、混乱するアサシナ。
そしてついに、マ神の軍が、動く。
『敵は、神殿の隠し通路からやってきます! 早く!』
次回、第五十二話。
『クノン失踪』
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