「戻ったぞ、ウィルザ」
本陣にケインが戻ってくる。お疲れ、とウィルザが笑顔を見せて片手を上げる。ふん、と苦笑しながらもケインがその手を合わせる。
「これでレオンの動きは封じた。後はローディがうまく向こうを操作してくれれば何も問題なしだね」
「お前は案外策士だな。まさかこれほどうまくいくとは」
「なに、考えたのは全部ローディだよ。ぼくは本当は嫌だったんだ。いくらアサシナを落とすためとはいえ、ローディをあんなに辛い目に合わせてしまった」
「あいつがやりたいと言っているのだ。問題はあるまい」
ケインはウィルザの隣に腰かけた。その場にいたのは二人の他、カーリアとファルの二人だけ。全ての事情が分かっているくつろげる空間だった。だが、
「ごめん、二人とも。少し席を外してくれるかな」
その二人に珍しく、ウィルザが退席を命じる。二人は頷くとテントから出ていく。
「何だ、まだ私に何か余計な仕事をさせるつもりか」
「まさか。充分だよ、これ以上何もすることはない。あとは予定通りにやるだけでアサシナは落ちる」
「だが、あの二人を下がらせたのは、聞かせたくない話をするためだろう」
「ぼくは聞かれてもかまわないんだけど、ケインの方がね」
するとケインはローブの向こうで顔をしかめる。
「何か聞きたいことでもあるのか」
「むしろ確認かな。君はなかなか自分のことを教えてくれないから」
「好んで話すようなことでもない」
「でもようやく分かったよ。君の正体が」
「なに?」
「さすがにニクラの転送装置をここまでうまく使いこなせるのは、ニクラの民じゃなければ無理だろう?」
ケインは表情を変えずに答える。
「スイッチを押すだけだ。誰でもできる」
「なら、その転送装置がニクラにあることをどうして知っていたんだい? ぼくとローディで、戦争開始直後にレオンを殺害するということで、ぼくがじきじきに戦おうとしていたのに対して、ローディが大反対。そんなぼくたちに転送装置のことを教えてくれたのは君だったよね」
「いちいち説明しなくても分かっている」
「ニクラの民でなければ知らないはずのことが多すぎる。君の知識はいつも不思議なくらい、ソースが分からなかった。でも、今回のことでようやく分かったんだ。君がニクラの民だってことがね」
「だが私は別段、肌が青色ではないぞ?」
「ニクラの民の肌が青いのは、血が青いからだろう? 比較して申し訳ないけど、イカの血と同じで血液を流れる成分によって青や緑に見えたりするのと同じだ」
「では私はニクラの民ではないことになる。生物学的に私はニクラの民と同一ではない」
「一つには、顔や手なんかの目につくところ全てに、上から何か覆いをしている可能性」
「残念だが、どちらも私の地肌だよ」
「じゃああと一つ。普通の人間がニクラに連れてこられた可能性」
ケインは黙った。表情を変えずにじっとウィルザを見つめる。
「だとしたら、私は普通の人間ということになる。それなら私のことは世界記に記録されるのではないかな」
「確かに。だが、一つだけ世界記の探索から免れる方法がある」
「それは?」
「簡単なことだ。マ神の部下になること。ローディだってマ神に仕えるようになってからの正確な情報は世界記に届いていないはずだ。それと同じで、君はマ神に仕えた。だから世界記には反映されなかった。そう考えると辻褄があう」
「何の辻褄があうのかな」
「君がマ神の部下だったということがだよ。マ神はずっとニクラに幽閉されていた。マ神が部下を作ろうとしても、そもそもニクラの民でなければマ神と接触することができなかったはずなんだ。なんでそのことに早く気づかなかったのかな」
するとケインは、くくく、と笑い出す。
「いや、恐れ入った。まさかそこまで考えるとは思わなかった」
「教えてくれるのかい?」
「言う必要もないことだ。今さら私のことなどかまうな」
だが、ケインはそれでも真実を言わない。
「やれやれ、もう少しぼくにも心を開いてくれると嬉しいんだけどな」
「私は別にマ神に心から仕えているわけではない。マ神に仕えていた方が自分の望みがかなうと思ったまでだ」
つまり、答える筋合いではない、と言いたいわけだ。
「オーケイ。それについてはまた今度教えてもらうことにするよ」
ふん、とケインは鼻を鳴らすと本陣を出ていく。
(まだ解決していない謎が、こんなところにあったんだな)
その謎を解くことができるのかどうか、それはケインの気持ち一つということなのだろう。
第五十二話
クノン失踪
「レオンはいったいどこへ行ったのだ!」
一方、アサシナ城内は完全な混乱に陥っていた。これまですべての作戦はレオンを中心に立てていたのだから、いなくなった瞬間に混乱するのは当然のことだ。
しかもその消息は全く分かっていない。リザーラやアルルーナすら残していなくなったのだ。何か不測の事態があったことだけは分かる。
一同は政庁に集まって捜索状況をただ待つばかり。完全に身動きが取れない状態だった。
「ミケーネ。マナミガル兵とローディはまだここにいますか」
クノンが尋ねると、ミケーネは背筋を正して答える。
「はっ。先ほど所在を確認したばかりです」
「ということは、二人の仕業というわけではないのですね」
「おそらくは。尋問してみますか」
「そうですね。話を聞くくらいのことは必要かもしれません」
ただちに人が向けられるが、それもたいした情報が得られるとは考えていない。
「最後にレオンを見たのはアルルーナ、あなたですが、何か変わったことはありませんでしたか」
「いいえ。先ほどお話した通りです。私が部屋を出た直後にどこかへ行ったとしか思えません」
アルルーナとレオンの会話は一言一句たがわず伝わっている。アルルーナが嘘をつくことなど考えられない。ということは完全な八方塞がりだった。
「た、大変です!」
するとそこに、先ほど出ていったばかりの兵士が戻ってくる。
「どうした!」
「捕らえていたはずのマナミガル兵がおりません!」
全員が一斉に身構える。
「見張りはどうした!」
「ふ、二人とも既に──」
殺された、というのか。
「ローディは?」
「それが、ローディ神官は──」
その兵士のすぐ後ろから、神官服の男が現れる。
「失礼します。緊急の事態だと思ったものですから」
ローディはばつが悪いという表情で一同の前に現れた。
「ローディ副神官。あなたには医務室から出ることを禁止したはずですが」
「レオン殿がいなくなったと聞きました。おそらくはマ神の手が回ったと考えるべきでしょう。少しはお役に立てると思います。もっとも、やはり信用いただけないというのでしたら、すぐに戻りますが」
「だが」
「よい、ミケーネ」
クノンが幼いながら、ミケーネを止める。
「ローディ」
「はい」
「君は本当に、マ神の手先ではないんだね?」
「私はマ神に仕えたことなどありません。私の主はただ一人、ウィルザ様のみ」
場が緊張する。
「その言葉の意味するところは?」
「ウィルザ様を助けるために私はここに来ました。ウィルザ様を助けられるならそれでよし、もしそれがうまくいかないのならば、ウィルザ様の御子だけでも助けてあげたい。それ以上の望みは私にはありません」
「つまり、僕たちに協力するということなんだね?」
「無論です。それがウィルザ様のためになることなのですから」
「主君のために敵に回ることも厭わない、か。もしウィルザがマ神の手から離れて、それでもなおアサシナに攻め込んでくるとしたら君はどうするんだい?」
「そのときは──」
ローディは目を伏せる。
「そのときは今度こそ、私はウィルザ様の下で、アサシナ攻略のために全知を傾けることでしょう」
ローディへの視線がいっそう厳しいものになる。だがクノンは「分かった」と頷く。
「君の話を聞こう、ローディ」
「陛下!」
「彼は仲間ではありません。一時的な協力者です。それがはっきりしていればいい。とにかく今は打開策がほしい。違いますか?」
クノンの言葉にミケーネも引き下がる。
(クノン陛下は、少しずつ王者としての威厳を備えつつある)
それはミケーネにとっては嬉しいことだ。敬愛するアサシネア六世の子が、自分の仕える相手に相応しいとは。
「それで、君が提供できる情報はなんだい、ローディ」
「はい。おそらくレオン殿はもう、このアサシナにはおられないでしょう」
まず結論から入る。だがそれは、政庁をさらなる混乱に陥れるものだった。
「何故、そう言い切れる?」
「アサシナ攻略の原案は私が考えたものだからです」
さらに混乱。ならばローディはまさに首謀者の一人ではないか。
「その攻略法とは?」
「まず、最大の障害を取り除くこと」
「最大の障害? ああ、なるほど。それがレオンということか」
「はい。レオン殿がいればマ神の情報はアサシナ側にほぼ筒抜けになります。ですからまず、レオン殿を殺すことが一番の方策でした。ただ問題は、レオン殿を殺すということになれば、それができるのはウィルザ様しかおりません。そこが一番の問題でした」
「だが、レオンは死んだわけではない。いなくなった」
「そうです。ここからは私も関与しているわけではありませんが、おそらくレオン殿を強制的にアサシナから連れ出す方法が見つかった、ということだと思います」
「アサシナから連れ出す……」
「はい。そうすれば後はここを攻略することはそれほど難しくない。ウィルザ様にかなう戦士などいらっしゃらない。力押しでも攻略が可能です」
「なるほどな。では、マナミガル兵のことはどうする」
ローディは顔をしかめた。
「何のことですか?」
「実はローディの投降より前に、マナミガル兵が一人、投降してきた。それも、ローディが偽装投降してくるという情報を持ってだ」
「そのマナミガル兵はどうなさったのですか?」
「捕らえていたのだが、兵士二人を殺して脱走した。どうやらマ神の手先だったらしい。ということは偽装投降の証言自体が偽りだということだが──」
ローディの顔がみるみるうちに変わる。
「大聖堂です!」
ローディが声を荒げる。
「な、何を」
「ミジュア様、まだお気づきにならないのですか!? 神殿には緊急時のための脱出路があります。それも、内側からでなければ開けることができない扉があるのです。それを開けてしまえば──」
「逆に、向こう側からも入ってくることができるようになる」
「そうです。敵は、神殿の隠し通路からやってきます! 早く!」
ミケーネとゼノビア、さらにはミジュア、リザーラ、アルルーナが神殿へ向かう。ローディもそれに同行した。まだ回復しきっていない体で、必死に五人についていく。
神殿に入り、ミジュアが先導する形で地下の隠し通路の入口へ向かう。だが──
「遅かったか」
既に入口は開けられていた。そして、
「やはり、投降したのは擬態だったか」
マナミガル兵が、そこに笑って立っていた。そして、何人かの黒童子も。
「気づくのが遅かったようですね。ご覧の通り、もうこの扉は開けてしまいましたが」
「いや、まだです!」
ローディが相手の言葉を打ち消す。
「この隠し通路を逆にたどってくるのは簡単なことではありません。その証拠に黒童子ですら、これだけの数しか来ることができなかった。彼らの狙いは、ここから逆侵入を果たしてから、城門を内側から開くことです。つまり、ここで防いでしまえばまだ間に合う!」
「……ローディ神官。本当に、裏切るとは」
マナミガル兵が顔をしかめる。
「マ神に従う気はないということか」
「無論。私の主はただ一人、ウィルザ様のみ。マ神などに仕えたつもりは毛頭ない!」
「ならば、この場で死ぬがいい。やれ、黒童子たち!」
一斉に黒童子が動く。だが、
「ザの天使にかなうと思っているのですか?」
リザーラとアルルーナが、全員の前に出る。そして、近づく黒童子の攻撃をかわすと、アルルーナの拳の一撃が黒童子を貫く。また、アルルーナは自らの剣で黒童子を両断する。
「な」
「甘くみたようだね。ウィルザさえいなければ、黒童子と戦うことくらいはできるのさ」
ゼノビアとミケーネも機銃で攻撃し、ミジュアはザの魔法で足止めする。その間にアルルーナとリザーラが次々に黒童子を倒していった。
「馬鹿な」
「さあ、年貢の納め時だ」
最後にミケーネがマナミガル兵の前に立った。
「覚悟してもらおうか」
「ちっ」
マナミガル兵は剣で切りかかってきたが、逆にミケーネが剣で切り倒す。
「?」
だが、その手ごたえに妙なものを感じた。これは、まるで──
「こいつもか」
倒れたマナミガル兵を検分する。
「どうした、ミケーネ」
「このマナミガル兵は、最初から人間じゃない。黒童子が変装していたんだ」
ミジュアとゼノビアも検分する。
「なるほど。確かにこれは人形だな」
「黒童子はもともと生物ではありません。ニクラの力で作られた機械兵士です」
「だが、黒童子がこれほど流暢に喋った例はなかったと思うが」
「私も詳しくは分かりませんが、おそらくその方向に特化して作った特別品ではないかと」
敵の内情を知るローディがいるので、疑問が瞬時に解決していく。
「とにかくまずは、その扉を塞ぎましょう。ミジュア様、お願いします」
「うむ」
ミジュアは扉を閉めると、閂とザの魔法で再び扉を封印する。
「なんとか間に合ったということか。ローディ副神官、感謝する」
だがローディは首を振る。
「この程度では、皆様におかけしたご迷惑を返すことはできません。それに、ウィルザ様の御子たちをなんとしても無事に保護しなければ」
「うむ。ならば次の手を考えることにしよう。政庁へ戻ろう」
黒童子たちの片付けを神殿の者に任せて、六人は政庁へ戻ってくる。
そこで、彼らは見た。
誰もいない、政庁。
そう。
先ほどまでいたはずのクノンが、いない。
「しまった……」
ミケーネは自分の迂闊さを呪った。
あれほど。
あれほど、クノンの傍を離れるなと、レオンに念を押されていたというのに。
「クノン陛下!」
こうして。
クノンは、失踪した。
こうして無事、クノン失踪は成った。
後は城門を開き、アサシナを攻略するのみ。
ウィルザが仕掛けた最後の罠が発動する。
そして、グラン大陸から、すべての国は消滅する。
『それでは伝えます。ウィルザを──いえ、マ神を倒す方法を』
次回、第五十三話。
『グランの黄昏』
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