ミケーネは完全に混乱していた。レオンを失い、さらにはクノンまでさらわれてしまった。これでアサシナをどう守ればいいのか、どう動けばいいのか、全く分からない。
 結局、ミケーネという人物は他人に使われて真価を発揮する人間だということが分かる。アサシネア六世という敬愛する君主の下で働き、その意図を実現することが彼の喜びでもあった。逆に、自分で考えて行動するということは非常に難しいのだ。
「落ち着きなさい、ミケーネ」
 王宮からレムヌ王太后が現れ、場を鎮める。
 政庁ではミケーネの他、ゼノビア、ミジュア、リザーラ、アルルーナが詰めている。そしてまだ監視つきではあるものの、ローディもその場にいる。
「ですが、クノン陛下が」
「クノンは無事です」
 レムヌが断言する。
「もしマ神がクノンを殺そうというのでしたら、何もさらっていく必要はありません。この場で殺害すればいいこと。だからこそクノンは無事です」
 なるほど、レムヌの言うことは正しい。
「では、クノン陛下を取り返さなければ」
「いえ。今は無理でしょう。考えてもみなさい。クノンはどこにいますか。おそらくはマ神の陣営。だとすれば取り返すには城門を開かなければなりません」
 つまり助けに行くことはできないということだ。
「では、どうすれば」
「難しい方法ですが、策がないわけではありません」
 レムヌが全員を見て言う。
「敵、首魁を打つ。それしか方法はないでしょう」
「ウィルザを」
「そうです。それだけが唯一といっていい打開策。レオンもそれをしようとしていたはず」
 唯一の打開策。その通りだ。集団で戦っても勝ち目はない。勝つためにはウィルザを倒さなければならないのだ。
「では、少数精鋭でウィルザに攻撃を仕掛けますか」
「その機会を作らなければなりません。ですが、いざ戦うとなったとき、どのようにして戦うか。どうすればウィルザを倒せるか。それは考えておかなければなりません」
「どうすれば」
 ミケーネの質問に、レムヌはしばし考える。
「ミケーネ以外の者は、席を外しなさい」
 言われて、全員が退出していく。ミケーネは緊張した面持ちでレムヌを見つめた。
「ミケーネ。お前は夫、アサシネア六世がまだ国王である前から夫に仕えてくれていた。言うなれば私よりも古くから夫に仕えてくれました」
「は……」
「だからお前にしか頼むことはできません。どうか、クノンを助けてください。もしマ神によって荒廃したこの世界を再び統治するとしたら、親の贔屓目を抜きにしても、あの子以外には存在しないでしょう」
「私もそう思います。幼い頃から気品にあふれ、才気煥発でいらっしゃいます。また、人を分け隔てしない公平さ。どれをとっても王者の資質ありと存じます」
「正直、クノンは夫以上の器を感じます。ですから、あの子をなんとか助けてほしいのです」
「承知いたしました」
「ありがとう、ミケーネ。それでは伝えます。ウィルザを──いえ、マ神を倒す方法を」
「はい」
「マ神は人間ではかないません。なぜならば、人間を超越した存在だからです。だから、マ神を倒すには方法は一つしかありません。ザ神とゲ神の力を借りるしかないのです」
「ザ神と、ゲ神……」
「そうです。この世界にいる四体のザ神と、一体のゲ神。ザ神の神殿はレオンから聞いていますね」
「はい。四箇所全て」
「そうしましたら、後はゲ神だけですね。ザ神だけではマ神にはかなわないでしょう。もしアサシナが滅びたときは、あなたは各地のザ神殿を回り、その力をお借りするのです。おそらく、それだけがマ神を倒す手段となりうるでしょう」
「分かりました。ですが、このアサシナは──」
「このままでは滅びは免れません。ですから、このアサシナが落ちたときのために、今から市民たちには指示を出そうと思います」
「指示?」
「そうです。このアサシナが落ちたときは、まだマ神に滅ぼされていない場所を目指しなさい、と」
「マ神に滅ぼされていない場所……?」
「ドルークです」
 緑の海の向こう。かつては陸の孤島であったドルーク。確かにまだ、マ神はドルークまで攻め込んではいない。
「おそらくはそこが、人間の最後の希望の場所となります。ミケーネ、あなたはその前に各地のザ神殿を回ってくる必要がありますよ」
「は。ですが、全員がドルークにたどりつくのは」
「無理でしょう。ですが、一人でも多くの者がたどりつけばいいのです。どのみちマ神はドルークすら放置するつもりはないでしょう。東部自治区も然りです。マ神が考えているのは、まず集団として機能している国を全て崩壊、もしくは掌握すること。ドルークはそれからでかまわないと考えているのです。だとしたらドルークに襲い掛かるのはおそらく来年。それまでに何人がドルークにたどりつくことができるか……賭け、ですね」
 レムヌの慧眼には恐れ入る。かつて隣国の為政者たちはアサシネア六世よりも妻のレムヌを怖れたという逸話があるが、それも納得がいく。
「では、信頼のおける者に各地に飛んでもらうのが一番でしょう」
「誰ならば信頼できると?」
「ミジュア大神官とゼノビア。そして私の三人が、イライ、緑の海、旧王都へ向かい、その協力を得てきます。そしてドルークに集まれば手間が省けるでしょう」
「なるほど。さすがにそのあたりはよくお分かりですね、ミケーネ」
 ふふ、とレムヌは笑う。
「いいですか。たとえアサシナが滅びたとしても、あなたはそれを悔やんではいけません。アサシナが滅びるという選択肢を得て、それをこれからどう活かし、マ神を倒すかということに全力を注ぎなさい」
「承知いたしました」
「僭越ではありますが、私がそのために一肌ぬぐこともできるでしょう。あなたたちが脱出するのを援助します」
「それは」
「アサシナが落ちるとき、私はこの町に残り、敵を足止めします。その間に一人でも多く、この都市から脱出させなさい」
「レムヌ殿下!」
「落ち着きなさい、ミケーネ。私がいる限り、おそらくマ神は攻撃をやめようとはしない。クノンはまだしも、マ神にとって私に生き残らせる価値がないでしょうから」
 だからこそ囮となりうる。それを冷静に判断した上での志願だった。
「殿下」
 ミケーネは膝をついて、両手を握り締めた。
「必ず、クノン陛下はお助け申し上げます。そして、ドルークで再起を果たしてみせます」
「頼みましたよ」
 レムヌは微笑んだ。もはや、自分に明日がないということを知っての微笑みだった。







第五十三話

グランの黄昏







 戦いが始まった。
 間断ないマ神の攻撃だが、アサシナはよく持ちこたえた。自分たちの町を守るという意気込みがあった。マナミガルで戦えなかったという後悔もあった。誰もがここに自らの命を賭して戦っていた。
 ミケーネもゼノビアも、その戦闘指揮は目を見張るものがあった。既に今後の動きは誰もが知っているところだった。だが、それでもアサシナを、自分たちの町を、ただで蹂躙されるわけにはいかなかった。
 一人でも多くの黒童子を倒し、さらには援軍で駆けつけてきているマナミガル兵を倒す。
 アサシナはミケーネとレムヌを中心に団結していた。
「ミケーネ将軍」
 そんなミケーネのところにローディが近づく。
「私を城壁へ連れていってほしい。少しお手伝いができると思います」
 ローディの嘆願は慎重な様子であった。自分が信頼されていないというのは理解している。だからこそ控えめに言った。
「分かった。お願いする」
 ミケーネの許可を得ると、兵士二人と共にローディは城壁へ向かう。
 そして城壁に上ってくる黒童子に向かって、容赦なくザの魔法を放つ。
「ノヴァ!」
 ザ神最大魔法が城壁に落ちる。その魔法で、十体近くの黒童子とマナミガル兵を薙ぎ払った。
「この先へは通させん」
 さらにもう一撃。今度はプラズマウェーブ。それが城壁に群がる黒童子たちを貫いていく。
「ローディめ。魔法の腕は全く衰えておらぬか」
 それを別の戦場にいたミジュアが見て微笑む。
「たいしたものだな。あれほどの魔法を使いこなすとは」
 ゼノビアもまた新たに増えた仲間を頼もしく思う。だが、
「どう思いますか、リザーラ」
「油断はできない。あなたもそう思うでしょう」
 アルルーナとリザーラのふたりは、ローディへの警戒を緩めることはしなかった。だが、それくらいの方がいいに決まっている。ローディがウィルザを裏切ったということが真実かどうか確かめる術はないのだから。






 こうして、戦いは膠着したまま、一ヶ月が過ぎた。
 アサシナ軍は善戦していた。強力な黒童子を相手によくここまで戦い続けることができたと感心するばかりだ。
 だが、問題はこれからだ。世界記の記録では『城門が開かれてアサシナが滅亡』となっていた。つまり、アサシナを滅ぼす者は必ず内側から城門を開ける。
 だからこそ城門には常時多くの見張りをつけていた。十人を下回ることなどない。これではそう簡単に城門を開けることなどできないだろう。
「どう思いますか、リザーラ」
 ある夜、ミケーネがリザーラに問いかけた。だがリザーラは当然のことと言うように答えた。
「内側から門を開く方法を、既に向こうは持っているということでしょうね」
「それはどういう」
「それが分かっていれば、ウィルザの好きにはさせていません」
 リザーラが悔しそうに唇を噛む。彼女にとってウィルザは妹の仇。絶対に許すことができない相手だ。
「やはりローディ副神官が?」
「分かりません。確かにローディ様はこのところ、前線で戦って我らに協力してくださっています。今はアルルーナが監視していますが」
「もしローディ副神官がウィルザの手先だとしたら、この時期まで残って、しかも我らに協力する素振りを見せているのは、やはり我らの信頼を得て、何かをしようとしているからですか」
「当然そう考えるのが妥当でしょうが、だからといって何を企んでいるのかは分かりません」
 自分たちの信頼を得ておいて自由に動き回り、城門を開こうとするかもしれない。または要人の暗殺、この場合だとミジュア大神官か、さもなくばレムヌ王太后。
 だが、そんな危険なことをローディが行うだろうか。いや、ウィルザが行わせるだろうか。
「失敗すれば自分の命が危うくなる。そんなことをウィルザが部下に命令するかな」
「分かりません。ですが、ローディ様がやると強行すればウィルザは止めないかもしれません」
 考えていても埒は明かない。とにかく今は、ローディが余計なことをしないように監視するのがせいぜいだ。
「今はどうしているんだ?」
「部屋で休んでいるはずですが」
 アルルーナがその部屋の周りを監視している。出歩こうものならすぐに分かるはずだ。
「ミケーネ様!」
 だが、混乱はそれとは全く関係のないところから生じる。
「どうした!」
「火の手が上がりました。市内です!」
「なんだと」
 いったい、どうして。
 ミケーネとリザーラが目を見合わせる。
「失火か?」
「いえ、全部で五箇所から同時に上がっています。間違いなく示し合わせての行動です!」
「馬鹿な」
 ローディは何もしていないはず。それなのに、何故。
「私が直接指揮をとる。リザーラはローディを」
「分かりました。判明次第報告します」
 そして二人はすぐに動きだす。
 リザーラはただちにローディの部屋に向かった。その途中、アルルーナが近づいてくる。
「何事か起こったようですね」
「ええ。ローディは?」
「部屋に」
「入るわよ」
 ばたん、と音がして扉が開く。中ではローディが神官服を着終わったところだった。
「何か起こったようですね」
 ローディはすぐにでも動けるという姿勢を見せる。
「ローディ様ではないのですね?」
「私は何もしていません。お疑いでしたら、いつでも牢屋へお連れください」
「いえ。失礼いたしました」
「いえ。疑われるのは仕方のないことですから、気にしておりません。それより、何が起こっているのでしょうか」
「放火です。火の手が一斉に上がりました。今はミケーネ様が現場の沈静化に向かわれています」
「マ神の手の者が入り込んでいた、ということですか」
「そう──ですね」
 確かにそういうことになる。ローディがやったのではないとしたら、マ神の手先がもぐりこんでいたことになる。
 だが、どうやって。そして、何のために──
「今は沈静化が先ですね。ですが単独行動をしては疑いが増すばかりだと思いますが、いかがいたしましょうか」
 ローディほどの力のあるものを遊ばせておく理由はない。だが、一人で行動させれば何をしでかすか分からない。
「では、一緒に来てください。各地の沈静化のお手伝いをお願いします」
「了解しました」
 そして三人は政庁から出て市内へ入る。
 町全体が燃え上がっているというよりは、本当に各地で火の手が上がったという様子だった。
「ばらばらですね」
「でも、放っておけば大災害になりかねない」
「手近なところから急ぎましょう。現場は混乱しているはずです」
 そして三人が向かおうとしたときだった。

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』

 鬨の声が、闇夜に響く。
 そして、炎に照らされた城門を、彼らは見た。
 確かに、城門が開いている。その向こうから、たくさんの黒童子たち。
「何故」
 リザーラが呻く。
 何故、城門が開いたのか。
「こうしてはいられません」
 ローディが駆け出す。
「急ぎましょう! このままでは黒童子の侵入を許してしまいます!」
 ローディの言葉に、リザーラとアルルーナも駆け出す。
 いったい、何が。
 混乱するリザーラの思考。
 だが、何かがおかしい。
 自分は何を間違えたのか。いや、そもそも間違っていたのか。
 何故城門が開いた。
 いや、違う。
 誰が開いた。
「待ちなさい!」
 リザーラは叫んでいた。
 その声に従って、ローディが止まる。
「どうしましたか。急がないと」
「ええ。急がないと駄目よね」
 リザーラはその場で戦闘体勢になる。
「どうやったかは分からない……でも、今のあなたの行動は明らかにおかしかった。それだけは分かったわ」
「何がですか?」
「今まであなたは、絶対に自分から動こうとはしなかった。自分から動くときは、自分が疑われていることを承知で、安全を確かめながら動いていた。でも、今は違う。私に指示を仰ぐのではなく、自分から行動しようとした」
「ですが、急がなければ黒童子たちが!」
「もう手遅れよ。見れば分かること。それならこの次のために、一人でも多くの強敵を倒しておくことが必要だわ。アルルーナ!」
 リザーラとアルルーナがローディの前後を挟む。
「リザーラ殿、こんなことをしている場合ではありません!」
「大丈夫。私の考えは間違っていない。あなたは間違いなく、ウィルザの手先。それが今はっきりとした。だから、ここで死になさい」
 ふたりは同時にザの魔法を唱える。ローディは顔をしかめる。
『プラズマウェーブ!』
 前後から挟撃する形で、ローディに向けて魔法が放たれる。
 防御しようと思っても無駄だ。この立ち位置では防ぐことは不可能。
 ローディは死を覚悟した。
「ウィルザ様……っ!」






 爆発。
 そして。
「やった?」
 煙が徐々に引いていく。
 そこに、人の影。
「……やれやれ。間一髪だったね」
 ふたりの耳に、聞き覚えのある声が届く。

「待たせたね、ローディ。助けに来た」

 そこにいたのは。
 マ神、ウィルザ。







罠が発動して、城門は開いた。
いったいウィルザは、そしてローディは何を仕掛けたのか。
アサシナが落城し、世界から国家というものがなくなる。
それは、まさにグランの黄昏だった。

『レオンがいなくて良かった。あいつになら、気づかれていたかもしれないな』

次回、第五十四話。

『アサシナ滅亡』







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