目の前に、高貴なる存在がいる。
自らの身を挺して自分の命を救ってくれた存在。
会いたかった。
絶食してから数ヶ月、一目たりとも会えなかったが──
「ウィルザ様」
「辛い目に合わせたね、ローディ。でも、もう大丈夫。策は成った」
「はい」
「城門が開かれ、既に黒童子は城下へ入り込んだ。ここまで来るのも時間の問題だ。数的にもマナミガル兵たちがいるから、アサシナ軍では持ちこたえることはできないだろう。君のおかげだ、ローディ」
「とんでもありません。すべて、ウィルザ様が決断されたからです」
「この作戦の最大の功労者は誰が見たって君しかいないよ。君が耐えに耐えてくれたからこそ、今日、こうしてぼくがアサシナの城下に入ることができたのだから」
その主従はしっかりと手を握り合う。だが、観客としてはたまったものではない。
やはり、ローディは死間──死を覚悟してアサシナに投降してきた振りをしただけだったのだ。
「マ神、ウィルザ」
リザーラはついに、妹の仇にめぐりあった。
精神が高揚していく。
ここで、ウィルザを倒すことができれば、すべてが終わる。
「サマンの仇!」
リザーラは肉弾戦を選んだ。魔法で攻撃をしたとしても、ウィルザがプラズマウェーブの二重がけを防いだように、決定的なダメージは与えられないだろう。ならば肉弾戦で叩きのめすしかない。
「リザーラか。久しぶりだね。旧王都で、アサシネア六世とパラドックの戦いで協力して以来か」
リザーラの攻撃を回避しながら、少し笑顔を見せるほどの余裕をもって語りかける。
「何を言う。妹を殺したのはあなたでしょう!」
「そうだね。ぼく、ということになるのかな。仲間や部下が勝手にやったことだなんて言い訳はきかないね。戦うことを選んだのはぼくなんだから」
それについては、ウィルザはただ悔やむばかりだ。自分がしっかりしていれば、あの場でケインが余計なことをする必要はなかった。ケインが介入してきたのは、サマンが自分を揺さぶったからに他ならない。すなわち、揺さぶられた自分が悪い。
「だから、リザーラ。ぼくの邪魔をするというのなら、君とも同じように戦わなければいけない」
「私はあなたを許さない」
リザーラの渾身の一撃が、ウィルザの顔を捕らえる。だが、ウィルザはしっかりと大地に踏みとどまり、その攻撃を受け止めた。
「ウィルザ様!」
「大丈夫、ローディ。心配しなくてもいいよ」
リザーラは相手を破壊するつもりで本気の攻撃をした。だが、それを軽くではないにしても、完全に受け止めたウィルザ。これではリザーラがどれだけ戦っても勝負にならないのは明らかだ。
「ぼくはサマンに何度も助けられた。サマンがいてくれたからこそできたことがたくさんある。だから、あんな目にあわせたくはなかった。それだけは本当だよ」
そして。
ウィルザは、リザーラの目に映らぬスピードで動き、相手を弾き飛ばす。それが全力ではないのは彼の雰囲気から明らかだ。だが、その手を抜いた一撃で、リザーラは宙を舞って大地に落ちた。
それほどの力の差。
「く……」
それでも必死に立ち上がろうとする。だがウィルザは追撃をしようとはしない。戦う意思などない、といわんばかりに。
そのとき、城の方から大きな音が聞こえた。銅鑼の音だ。その音が聞こえたとき、戦闘員、非戦闘員を問わず、全ての人間が国を捨ててドルークへ落ち延びる。それが決まりであった。
「ウィルザ様」
ローディがそれを伝えようとしたが、ウィルザは手を上げて止めた。別に相手が何を仕掛けようともかまわない。このアサシナさえ滅ぼしてしまえばいいのだから、問題はレムヌ王妃の身柄を押さえることだけなのだ。
「レムヌについてはカーリアに一任している。ミケーネやゼノビアは放置しても害はない。後は君さえ無事なら何も問題はないんだよ、ローディ」
「ウィルザ、様」
ローディは目頭を熱くする。そこまでこの人に思われているということだけで、ついていくには充分だった。
「まあ、レオンがいなくて良かった。あいつになら、気づかれていたかもしれないな」
「あなたは、何を仕掛けたというのですか」
質問はもうひとり、アルルーナから出たものだった。
「ローディはずっと見張っていました。それなのに、いったいどうやって城門を開いたというのですか。それに、城内にはマ神の部下がたくさん入り込んでいる様子でしたが」
「俺がこの城内に送り込んだのはローディとマナミガル兵のふりをした黒童子だけだ。まあ、うまく神殿地下の通路を占拠できればよかったが、さすがにそこまで都合よくはなかったからな。安全策で行くことにした」
「安全策?」
「マナミガル兵の振りをして潜入した黒童子と、神殿地下にいた黒童子は別人だ」
リザーラとアルルーナが目を見張る。
「黒童子は神殿地下の扉を開放したらすぐに身を隠し、ローディたちと入れ違いにクノン王を誘拐する。そして時が来るまで城下町で潜伏する。城下町ではマ神に協力してくれる者を探して、裏切らせる約束を取り付ける。それにかかった時間が一ヶ月。つまり、ローディは単なる囮で、本命は黒童子だったんだ。『黒童子は倒したから、城内にいるマ神の手先はローディだけだ』と騙しておいて、黒童子は着々と裏切り者を増やしていった。あとは指定した時間に一斉に火の手を上げて、あちこち消火活動をさせておいて、本命の城門を開く。だからローディを見張っていても無駄だったんだよ。ローディは何も知らないという条件の下で、全力でアサシナに協力するように自己暗示をかけていたのだからな」
「自己、暗示」
アルルーナがローディを見る。
「私は、自分にアサシナに協力するように暗示をかけました。そして、ウィルザ様に出会ったときにその暗示が全て解けるようにしておいたのです。だから私は本気でアサシナに協力しようと考えていました。だから、私を見張っていてもボロが出るはずがなかったのです」
ローディが言うと、リザーラがいまいましそうに見る。
「では、ウィルザがマ神に操られているというのは」
「本当にそうだと自分に暗示をかけた結果です。暗示というのは、かけられた人間にとって都合の良いものでなければかかりません。私が心から投降するのだとしたら、それにふさわしい理由付けが必要でした。マ神に操られたウィルザ様をお助けする、その暗示ならば自分を騙すことができるというわけです」
ローディ自身が既に騙されていたのだ。アルルーナやリザーラがどれほどローディを監視したところで無駄だということだ。
「さて、おしゃべりはこの辺りにしておこうか」
ウィルザはアルルーナを見る。
「ぼくは君たちと戦うつもりはない。ザの機械天使。ぼくは君たちを殺すつもりはない。けど、ケインは違う。すべてを破壊するつもりでいる彼に見つかったら、すぐに攻撃されるだろう。早く逃げた方がいい」
「逃げる?」
だが、その言葉がリザーラには侮辱と映った。
「私がここから立ち去るのは、あなたを倒してからです、ウィルザ!」
リザーラがさらに戦おうという姿勢を見せる。だが、
「いけません、リザーラ」
アルルーナがふたりの間に割って入る。
「どうして止めるの、アルルーナ」
「勝てないからです。今のやり取りだけで分かります。私たちでは、ウィルザに勝てない」
それはリザーラにも分かっていた。だが、妹の仇を前に、ここで引き下がるわけにはいかない。
「私たちにはレオンが必要です。ウィルザを倒すにはレオンの力がなければいけません」
「でも! あいつは! サマンを!」
リザーラは納得がいかない。
「私はウィルザを倒す!」
そして、アルルーナをどかして、突撃する。
「サマンの仇!」
だが、その攻撃は当たらない。リザーラの攻撃を、ウィルザは左手で払う。そして、右手を、
「さよなら」
リザーラの左胸に突き刺した。
第五十四話
アサシナ滅亡
彼女の目が見開かれる。
自分の胸に突き刺さるマ神の右手。
そして、その張本人は涼しい顔で自分を見下ろしている。
「サマンだけではなく、私も殺すの」
リザーラが言うと、ウィルザは苦笑する。そして、そのまま手を引き抜いた。
彼女はがくりとその場に崩れ落ちた。
「リザーラ!」
アルルーナが駆け寄る。抱き起こした彼女は、そこに立っているウィルザを睨み上げる。
ウィルザはその手に──
「彼女と一緒に、これを持っていってくれ」
──握られていたものを、ウィルザはアルルーナに放る。
アルルーナが受け止めたそれは、天使の心。機械天使を動かすときに最も必要なパーツだ。
「嫌な言い方になるけど、リザーラは機械だ。だから必要な部品があればきちんと動く。ドルークまで連れていって、もう一度それを組み込んでくれれば、リザーラはまた活動するはずだ」
「……リザーラを助けてくれる、ということですか」
このまま完全にリザーラを破壊しつくせば、もはやリザーラは復活できなくなる。
だが、機械の心が抜き取られただけなのだとしたら、もう一度機械の心を埋め込めば彼女は活動を再開する。
「感謝します、ウィルザ」
「リザーラなら、こうして助けてやることもできるからな」
ウィルザは残念そうに笑う。
「サマンは助けられなかった。せめてあの娘のお姉さんだけでも、助けてあげたい」
「あなたはやはり、優しいひとですね」
「あまりおだてないでくれるかな。ぼくがひどいやつだっていうのは分かっているんだ。それでもやらないといけないことがある。ぼくは絶対に、人間を滅ぼさせはしない」
「その気持ちは、誰に伝わることもないでしょう」
アルルーナが予言じみたことを言う。
「あなたには協力してくれる人もいる。愛してくれる人もいるでしょう。それでもあなたは孤独です。何故なら、あなたは知っているから。知っている者は、常に孤独です」
「ぼくは何も知らないよ。ただ、人間を滅ぼさないためには人間を支配するしかないと思っているだけだ」
「それを知っているというのです」
アルルーナはリザーラの体を抱き上げる。
「私はあなたと戦いたくはありません」
「それはぼくも同じだ。アルルーナ、君はどうしたいの?」
「分かりません。ただ、レオンには協力したいと思います。あのひとは、私の友人だから」
「レオンはきっとぼくと戦うと言うだろうね。というより、実際言ってるんだろう?」
「はい」
「じゃあ、君とはいずれ戦場で出会うわけだ」
「そうなります」
「残念だと思う。心から」
ウィルザは片手を伸ばすと、立ち上がったアルルーナの髪をそっとなでた。
「それでも願ってしまうのはエゴだね。どうか、無事で」
「はい。ウィルザも──」
と言いかけて、アルルーナは言葉を止める。
「失礼します」
そして疾風のごとく立ち去っていく。
「ケインが待ち構えているかもしれませんが、よろしいのですか?」
ローディが尋ねてくる。うん、とウィルザは頷く。
「ケインには今、別の作業を命令してあるからね。こちらで何をしたところでバレないと思うよ」
「そうでしたか。さすがにウィルザ様、打つ手が早いですね」
「それよりもローディは大丈夫かい? ずっと絶食してたし、しばらく状況も分からなかったけど」
「はい。私でしたら何も問題はありません。気遣っていただき、ありがとうございます」
「ぼくには、君が必要なんだ、ローディ」
それは、主従の誓いの言葉。
心からそう言ってくれるからこそ、何があってもついていくことができる。
「そのお言葉だけで充分です、ウィルザ様」
「君にはどれだけ感謝してもしたりない。本当にぼくには過ぎた部下だと思う。少しは君の目にかなうような存在になれるといいのだけど」
「ウィルザ様は今のままで充分です」
ローディはウィルザに不満など何もない。そしてそれは、ウィルザも同じだ。
「ウィルザ様!」
そこへカーリアがやってくる。部下の一人、アムニアムを連れている。
「どうした」
「レムヌ王太后が、自害されました」
それを聞いたウィルザは、少しの間目を閉じた。
「そうか──丁重にとむらってやってほしい」
「了解いたしました。既にそのように取り計らっております」
「ありがとう。気がきくな、カーリア」
「情報が集まってきていますが」
「なら報告をもらおうか」
「はい。まず、ミジュア大神官、ミケーネ、ゼノビアの三名は国民を守りつつ撤退。ウィルザ様の指示の通り、ある程度追撃したら、その後は放置しております」
「それでいい。要するに組織だって抵抗する力をなくせばいいんだ。おそらく彼らの最終目的地は東部自治区、ドルークだろう。あの地域は完全にこの戦いと無関係を決め込んでいる節がある。ある意味、最終舞台としてはちょうどいいのかもしれないな」
うん、と頷いてから次の報告を求める。
「クノン王は無事に保護いたしました」
「ありがとう。衰弱してたりとかはしないかい?」
「少し元気はないようでしたが、命に別状はありません」
「これでドネア姫、クノン王と人質が二人か」
「無理に人質などと言う必要はないと存じます。我らはみな、ウィルザ様の気遣いを分かっております。『クノン王は必ず無事に保護せよ』。それはウィルザ様がクノン王のことを案じておられたからですよね」
するとウィルザは顔をしかめた。
「どうしてぼくの考えてることって、みんなに丸分かりなんだ?」
「それはまあ」
「分かりやすいですからね」
カーリアとローディが目を合わせて言う。アムニアムすらうんうんと頷いている。
「マ神って、もう少し怖れられるものかと思ってたんだけどなあ」
ウィルザの性格からして、そんなことにはならない。かつてはローディもカーリアもマ神を怖れたものだったが、今となっては完全に信頼し、安心できる相手となってしまった。
「私は、ウィルザ様にお仕えすることができて幸せです」
カーリアがはっきりと言う。ローディも当然とばかりに頷く。
「じゃあ、その信頼に応えるよう、もう少しがんばらないとな」
ウィルザは言うと、アサシナ城へと歩み出した。
アサシナは滅びた。だが、それも一つの歴史でしかなかった。
最後の時、八一五年。その前に、全ての準備を整えなければならない。
ウィルザとルウによるマ神の国が築かれるのか。
それとも、人間はウィルザを倒すことができるのか。
『マ神に勝ちたいか。ならば、マ神以上の存在となるがいい』
次回、第五十五話。
『五つ目の力』
もどる