マナミガルへ帰還したルウは、すぐにウィルザを治療した。マ神といえども滅びれば終わり。こんなところで最愛の伴侶を失うわけにはいかない。
自分を孤独と絶望から救ってくれたのは間違いなくウィルザのおかげだ。そのウィルザがいなくなれば、今度こそ自分はこの大陸を崩壊させるだろう。世界など、ルウにとっては何の価値もない。ただウィルザと過ごすことだけが望み。
「死なせはしないわ」
治療は全て終わっている。あとは本人の生命力の問題。戻ってこられるのか、それともこのまま失われるのか。すべてはウィルザ次第だ。
「る、う……」
うっすらと目を明ける。まだ回復したわけではない。ただ、ほんのわずかに意識を取り戻しただけ。
「大丈夫よ、ウィルザ。私がついているから」
「こども……たちを……」
「わかっているわ。だから、安心して休んで、ウィルザ」
少し楽になった様子で、ウィルザがまた意識を失う。こんなことの繰り返し。
(いまいましい)
レオン。
彼の剣が、治癒してもなお彼の肉体を蝕んでいる。
(ザ神とゲ神の力を全て手に入れたレオンには、いくらウィルザでもかなわない)
となると、当然今のままではこちら側の戦力不足。たとえ自分が相手になっても、レオンの本気にはかなわないだろう。
ウィルザもそれがわかっていたからこそ、自分に託したのだ。
「グラン、セリア」
泣きそうだった二人の子供たちが、母に呼ばれた瞬間に三歳児らしからぬきりっとした顔つきに変わる。
「あなたたちの力が必要よ。あなたたちは私やウィルザよりはるかに強い。今度、レオンが攻撃を仕掛けてきたら、あなたたちがレオンを倒さなければ駄目」
「はい」
「はい」
だが、その顔は涙目だ。
「今から、あなたたちを過去へ送ります。そして、十年の間、人から隠れ、その力を磨きなさい。いいですか、その世界の住人、特に私やウィルザとは決して会ってはなりません。そして、必ずここへ帰ってくるのです」
「はい」
「わかりました」
「では、あなたたちを過去へ送ります」
ルウが魔法を唱えると、二人の姿が転送されて、消える。
本当は、自分の手できちんと育てたかった。
だが、これも自分やウィルザ、そして子供たちを守るためには仕方のないこと。
戦いが終われば、家族にローディやカーリア、ファルたちと一緒に暮らすことができる。
レオンさえ、倒してしまえば。
「母上」
呼びかけは早かった。
子供たちの転送を待っていたのか、すぐに扉が開かれて、その部屋に少年と少女が入ってきた。
「グラン、セリア」
「お母様!」
セリアが駆け寄って、ルウに抱きつく。もう自分の肩より背が高い。
「ようやく、戻ってくることができました。もっとも、母上にとってはほんの一、二分前のことかと思いますが」
「ええ。ですが、本当によく十年間、耐えてくれました。がんばりましたね、二人とも」
「お兄様が、ずっと私を守ってくれたんです」
「セリアにも助けられました」
美男美女の兄妹がお互いをたたえあう。この二人は自分がいなくてもしっかりと成長した。いや、むしろ自分がいなかったためにはるかに成長できたのかもしれない。
「二人には、私とウィルザの考えは、よく伝えていましたね」
「はい」
「はい」
「ウィルザの望みは、この大陸の永遠の存続。人間にこの大陸を任せては、必ずいつか滅びを迎えます。そうならないように人間を支配、管理するのが私たちの目的です」
「はい」
「よく分かっています」
「そのためには、障害を排除しなければいけません」
「レオンが何をしてきたのかは、この十年間、よく見てきたつもりです。正直、彼の考えも分からないではありませんが、あれでは滅びを座して待つだけ。僕もこの大陸を滅ぼしたくはありません」
「人間が自由を得られないのは確かにかわいそうなことです。ですが、そうしなければ滅ぶというのなら、それに耐えてもらわなければいけません」
「もともとこの大陸における人間は、ゲ神の加護がなければ生き延びることすらできない、非力な生命体でした。私はもともとこの大陸の人間を滅ぼすつもりでした。いずれにしても人間には生き延びる方法はなかった。それをウィルザの考えで、永遠の存続が可能になったのです」
そう言ってルウはそっとウィルザに触れる。
「それを──」
「わかっています」
「お母様の気持ち、私たちも同じです」
グランとセリアは既に立派な戦士のものだ。力だけならば、既にウィルザやルウを超えているのだろう。その予兆は三歳のころから既に感じていた。
「レオンを倒します」
「はい」
「はい」
「私も、協力させてください」
そこに入ってきたのは、ファルであった。
「ファルお姉さま」
「ファルさん。お久しぶりです」
「大きくなりましたね、二人とも。ついさっきまで、こんなに小さい子だったのに」
ファルはそう言って二人の頭を撫でる。歳が近くなったが、それでもまだファルの方が年上だ。そしてグランもセリアも、この姉を無条件に好んでいた。
そしてルウもこのファルに対しては自分の娘か妹のように思っていた。ウィルザがそういう感覚なので、自然とルウもそういう気持ちに変わっていた。もっとも、ファルがウィルザをどう思っているか、その気持ちにも気づいてはいるのだが。
「はい。侵入者です。ザ神の気配がありました」
「そう。狙いは何だと思う?」
「おそらくは、クノン王、ドネア姫ではないかと」
「でしょうね。そうでなければ『ウィルザ不在』のマナミガルに来る理由がないもの」
「どうなさいますか」
「放っておきなさい。ウィルザは既に二人に必要な教育は終えています。人間の未来を知ってなおレオンに協力するならば、もはや助ける価値もないでしょう。また、残るならばそれは明確に私たちの味方になるという証」
ルウは笑顔になった。
「二人がどういう結論を出すか、見守らせてもらいましょう」
第五十九話
沈黙のマナミガル
アルルーナはまず、ドネア姫の部屋を訪れていた。
夜陰に乗じ、ここまでは見張りに発見されることもなく進んでいる。マナミガル兵、そしてマ神軍のほとんどはドルークに出征している。つまり、グラン神国の本拠地はもぬけの空と言ってもいい。アルルーナが少し、神の力を使えば侵入はたやすい。
アルルーナは完全にレオンの味方だ。だが同時に、ウィルザにも心を許している。正直、どちらの考えが正しいかということは自分には分からない。だが、いまやザ神とマ神は完全に対立した。自分がザの天使である以上、ザ神に味方するのは当然のこと。従って、たとえレオンが正しかろうと間違っていようと、自分はレオンに強力するほかはない。
予言の力さえ使わなければ、拘束を解かれたアルルーナはリザーラ同様の力を出すことができる。私情に流されない彼女だからこそ、単独行動にもっとも相応しいといえた。
ドネアの部屋は明るく、何不自由ない生活ができるように整えられていた。もちろんウィルザの性格からして、牢屋に閉じ込めるというようなことはよもやないだろう。さて、ドネアは今、どのように考えているのだろうか。この数年間でいったい彼女の考え方はどう変わったのか。
「どなたですか」
「私はザの天使、アルルーナ。はじめまして、王女」
「ザの天使アルルーナ。聞いたことがあります。アサシナの旧王都にいた、予言の天使」
「はい」
「その予言の天使が、私に何の用でしょう」
ドネアは疲れたような表情で見つめてくる。
「あなたを助けに来たのです」
「私を助けに?」
「はい」
「それは誰の命令ですか。あなたひとりの考えではないのでしょう」
「はい。レジスタンスを率いているレオンの指示です。ひいてはレオンと行動を共にするあなたの兄、ガイナスターの指示でもあります」
「お兄様──生きていらっしゃったのですね」
ほっとした様子を見せる。やはり兄妹、生死不明の状況が続いていれば、不安も増大していただろう。というより、もはやガイナスターの生存は諦めていたのかもしれない。
「わざわざここまで忍んできていただいて恐縮ですが、私はここを動くつもりはありません」
その言葉は、アルルーナを戸惑わせた。天使の心をして、次にどう尋ねればいいのか、最適解が見つからなかった。
「なぜ」
だから逆に発問するにとどめた。とにかく何を言うにしても、ドネアの情報が足りなさ過ぎる。
「レジスタンスにとって私の存在など足手まとい以外の何者でもないでしょう。ですが、ここでなら私にもできることがあります。ほんのわずかな力でも、ここには私を必要とする人がいるのです」
「足手まといなどということはありません。それより、姫がこの場にいらっしゃると、ガラマニアの兵たちが二の足を踏むことにもなりかねません」
「ですからお兄様にお伝えください。ドネアはもう死んだと。そうしておいてほしい、と」
ドネアがうつむいて言う。いったい、そこまでしてこの場にとどまろうとする理由は何だというのか。
「姫を必要とされる方とは、ウィルザのことですか」
ドネアはしばらく考えてから、
「そう受け取っていただいてもけっこうです」
と答えた。それが本心なのかどうかはアルルーナには分からない。だが、この場で追及しても無駄だということは分かった。
「ですが、クノン陛下はおそらく私とは考えが異なるでしょう」
「分かりました。場所はどちらになりますか」
場所を聞き出すと、アルルーナは一礼してドネアの前を辞す。そしてただちに移動した。
(ウィルザが、姫を懐柔したとすると)
レジスタンスにとって、レオンにとってはまた一人、やっかいな敵が増えたことになる。だが、もしそうでないのだとしたらドネアの考えは分からない。
(今は、陛下を救出することだけを考えましょう)
アルルーナは指示された部屋へと入る。
「クノン陛下でいらっしゃいますか」
そこには十歳ほどの少年が一人。
「はい、確かにクノンは僕ですが、何か」
「レジスタンスより派遣されたザの天使、アルルーナといいます。陛下の救出に参上しました」
「レジスタンス。そうですか、ミケーネたちですね」
クノンが頷いてアルルーナを見つめてくる。だが、それは救出に来てもらってありがたいと思っているような表情ではない。むしろ何か戸惑っているような様子だ。
「アルルーナ。あなたは、人を導く天使でしたね」
「はい」
「そのあなたから見て、ウィルザとレオンの考えはどのように思いますか」
「どう、とは?」
「ウィルザが言うには、レオンのやり方だとすべてを人間に任せた結果、いつしか人間を滅ぼすことになると言っています。ですが、それに対してウィルザのやり方では人間はただ支配されるだけ。自らの意思で行動することもできない、そんな動物と変わらない状態に置かされることになります。ウィルザが言うレオンのやり方というのは、どのようなものなのでしょうか」
この質問に対して、アルルーナはほぼ正確に事態を把握することができた。
ウィルザはドネアやクノンに対して、何度も自分の考えを伝えたに違いない。そして二人はその考えを聞いて、自分なりの考えを持ち始めた。ウィルザに協力するわけではない。かといってレオンも信じられないという状況。
もしかすると、ウィルザにとってはそうした『レオンに協力できない』というスタンスをこの二人にとらせることが最大の目的だったのかもしれない。
「ウィルザはクノン陛下に対して、おそらく何の嘘もつく必要はないと思います。何故なら、ウィルザはクノン陛下の助力を必要としていないからです」
「そうですね、僕もそう思います」
「つまり、ウィルザはクノン陛下やドネア姫の身を案じているからこそ、このマナミガルに隔離し、戦火から守ろうとされているのだと考えます。そして真実を伝えることで、レオンに協力させないようにしているのでしょう」
「真実ですか」
クノンはわずか十歳でありながら、その聡明な頭を働かせる。
「それなのに、レオンの下には人が集まっている。いつか滅びるためにレオンは戦うというのですか」
「たとえその先に滅びが待っていようとも、人としての矜持を保ったままでありたいと思っているのでしょう。支配され、ただ生かされているのではなく、いつか来る終わりを知ってもなお全力であがく。それがレオンの考えです」
「滅びるのは事実なのですか」
「ウィルザとレオンは、それを事実だと判断しています。私もその判断が正しいことを知っています」
「そうですか。ザの天使にそう言われるなら、間違いはないということですね」
クノンはしばし目を伏せて、それから尋ねた。
「一度だけ、あなたの導きが欲しい、アルルーナ」
アルルーナは表情を変えなかったが、心中では動揺した。これはリザーラやレオンたちとの約束だった。決してその力は使わないようにすると。だが、ここしばらくは全く力を使うことがなかったため、一回や二回がただちに自分の滅びにつながるというわけでもない。
そして何より、迷っている人間を導くのが自分の役目だ。
「あなたの道を示します──あなたの道の先に、一人の少女がいます。暗い、暗い場所です」
「少女?」
「はい。その少女の近くには、レオンも、ウィルザもいません。一人であがいています。あなたは少女の力となることはできますが、少女を助けることはできません」
レオンもウィルザもいない。
それを聞いたクノンは少し考えた。考えて、結論を出した。
「分かりました。アルルーナ、あなたは僕をレジスタンスへ連れ戻すつもりですか?」
「私に与えられた任務はそうです」
「ですが、僕はその前に行きたいところがある」
「行きたいところ?」
「そうです」
クノンははっきりと言った。
「旧アサシナ王都。僕をそこまで連れていってください」
アルルーナとクノンはマナミガルを発った。
一方、マ神軍が引き上げた後のドルークに、戦後処理が待っていた。
ウィルザの傷ついた今こそが好機。ドルークはどう動くべきなのか。
だが、一人だけ、その動きと逆行する人物がいた。
『私がここに来たのは、やるべきことがあるからだよ』
次回、第六十話。
『混乱のドルーク』
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