「大陸に下りてくるのも三年ぶりか」
 いまや世界記の言葉は三人にはっきりと聞こえている。かつてはウィルザ、そしてレオンと共に行動していた世界記が、どうしてこの場所にいて、そして自分たちに話しかけてくるのか。
 いや、それよりも。
「三年ぶり?」
 サマンが尋ねた。
「そうだ。お前が時をわたったとき、私はあの時代に残った。それから三年、空を行く人々の船に乗ってグラン大陸を見てきた」
「アタシ、そんなこと何も聞いてなかったよ?」
「レオンが何も言わなかったのだろう。アレはそういう男だ」
 そういえば確かにレオンが世界記と話しているような素振りは八一五年に戻ってからはなかったように思う。
「どうして?」
「目指すところが異なる、としか言いようがないな。ウィルザもレオンもこの大陸を救いたいだけなのに、いずれも結果を見れば人間のためにはならない。全く困った者たちだ」
 本当に困ったように言う世界記に、思わず苦笑してしまう。
「世界記も、人間らしいところがあるんだね」
「我々はもとは人間がベースだ」
 さらりと告げられた内容は、そんなに簡単に言えるようなものではなかった。
「もとは人間?」
「そうだ。後世に知識を伝え残すため、多くの世界の、多くの人間が、自分の知識を『書』に捧げた。私の知識は何千、何万という人間の集合体だ。それら全てが組み合わさって、一つの人格を作り上げている。それが私だ。正確には、そうした集合体の中の一部、だが」
「そうなんだ。じゃあ、その中の誰かが一番強いとかじゃなくて」
「そうだ。人間の思考を学んだ『私』が擬似的に作り上げた人格が、この世界記という人格だ。当然、さまざまな人間の影響は受けているが、そのいずれとも私は別人だ」
「へえー」
 サマンは頷くと、さらに目を輝かせて聞いた。
「じゃあさ、じゃあさ、もっといろいろなこと聞いてもいい?」
「かまわないが、そんなことを聞いてどうする?」
「だって気になるよ。噂の世界記に突撃インタビューって感じで」
「私はこの世界を守るのが使命。私のことなど知ったところで何もいいことはあるまい」
「世界記は、アタシたちと話がしたかったから声をかけてくれたんだよね? アタシだって、世界記のこと気になるもん」
「なぜだ?」
「なぜって言われると難しいけど」
 うーん、とサマンが悩む。
「ウィルザやレオンと一緒にいてずっとこの世界を守っていてくれたのも理由だし、こんな不思議な現象を目の前にしてじっとしていられないっていうのも理由。でも、それより」
 まだ考える。何か適切な言葉が見つからないか、と。
「世界記が優しいからかな」
「優しい? 私が?」
「うん。なんていうんだろう、話を聞いているだけでも優しさが伝わってくるよ。どんな人なんだろうって、自然と知りたくなるくらいに」
「そうか」
 かすかに青い光が揺れた。
「そんな評価は初めてだな」
「分かるよ。そうだよね、ローディ」
 ええ、まあ、とローディは言葉を濁していた。やはりそんなふうに思うのはサマンだけということらしい。
「まあ、私が選んだ相手が、私に興味を抱いてくれているというのは悪いことではない」
「世界記が選んだ?」
「そうだ。ウィルザ、レオンのどちらにもつかず、人間を救う道を歩もうとする者を探していた。お前はまさに適任だ、サマン」
「うわ、何か過大評価」
「決して過大ではない。お前にはそれだけの資質がある」
 世界記が断言し、ますますサマンが萎縮する。
「じゃあ、世界記はウィルザやレオンに協力しないっていうこと?」
 半ば強引に話題を逸らす。が、それはサマンが一番気になることでもあった。
「そうだ。ウィルザは人間を支配する。レオンは人間が滅びるのを傍観する。どちらも私にとっては選べない道だ」
「だからって、アタシは何をすればいいのかすら分かってないよ?」
「道は、歩めばその先に出来上がるもの。最初から道があるのなら、わざわざお前が立つまでもあるまい。誰かがその道を歩んでいるはずだ。道がないからこそ、先頭に立って歩みだす者は貴重なのだ」
「そうなんだ」
 ぼんやりと青い珠を見つめる。
「ありがとう、世界記」
「事実を言ったまでだ」
「それでも。なんだか、世界記とは初めてなのに、あんまり初めてな感じがしないなあ」
 世界記は何も答えない。だが、それは決して悪い沈黙ではないということは感じ取れた。
「じゃあ、世界記。アタシが何をすればいいのか、分かる?」
「分かる。というより、お前がここに来ない限り、私は地上に降りてくることはなかっただろう。お前が選択した道は正しい」
 世界記がそう前置きしてから説明する。
「制御キー、鬼鈷を手にするがいい」
「え、でも、鬼鈷はもう外せないんじゃ」
「外せない。だが、手に取ることはできる」
 意味が分からない。だが、世界記の指示に従って、鬼鈷に触れた。すると、その鬼鈷が鈍く輝く。
「え、え、何これ」
 鬼鈷は吸い付くようにサマンの手の中におさまる。手を離そうとすると、鬼鈷がその手についてきた。
 それなのに、鬼鈷は相変わらず制御装置の中に残っている。
「え、え、え」
「鬼鈷は、役目を果たすためならばいくつにも別れることができる。制御キーとしての役目も果たしつつ、お前が神を討つための力を与える役目も果たせる」
「これは世界記が?」
「そうだ。鬼鈷を分けることができるのは私だけだ」
「これで」
 サマンは鬼鈷をかざす。
「ウィルザとレオンを倒せ、というの?」
「その力を持て、というのだ。倒すかどうかは時と場合による。だが、お前にふたりを倒すだけの力がなければ、ウィルザもレオンもお前の話に耳を傾けることはあるまい」
「なるほど、切り札ってことか」
 そういうことなら、と鬼鈷をもう一度強く握る。それに応えるかのように神聖な音が鳴る。
「サマン」
 その世界記が、サマンの左肩に下りてくる。
「わ」
「これからはお前が私のマスターだ。私の知識をお前に託そう。無論、世界の歴史など見たくないというのなら、それまでだが」
「世界の歴史?」
「そうだ。過去、現在、未来。いったい何が起きているのか、起ころうとしているのか。私の力を使うことが、お前の疑問に答えることでもある」
 疑問。この時点で疑問に思うことなど、そう多くはない。
「それは、もしかして」
 少し間があって、世界記が答えた。
「そうだ。神の加護なしに人間が生き延びる方法。それが知りたいのだろう?」







第六十二話

世界記のシナリオ







「それが分かるの、世界記?」
 無論、サマンにとってはこれほど欲しい情報はない。もし、神の加護なしに人間が生き延びられるのだとしたら、もはやウィルザとレオンが戦う理由などない。
 人間が、人間として生き延びることができる、まさに第三の選択肢が手に入ることになるのだ。
「分かる。というより、その方法ならある。他の、いくつもの世界でそれが実践され、人間は神の下から巣立っていった。無論、全ては自然発生的に行われるものなのだが、この世界は特殊だ。人間が神から巣立つ前に、マ神と呼ばれる寄生型生命体がこの大陸に根付いてしまったせいで、人間が神から巣立つことができなくなった」
「神から、巣立つ」
「そうだ。それが人間の進化だ」
 神が存在しなくてもよい世界。それが自分の目指す世界ならば。
「どうすればいいの?」
「簡単なことだ。神を殺せばいい」
 その答に、サマンは戸惑った。それは当然のことだった。
「殺す? 神を? ザ神も、ゲ神も?」
「そうだ。神の庇護を受けている間は人間は神から巣立つことができない。神を殺すことによって初めて人間は進化することができる。それがどれだけ冒涜だとしても、それだけが人間の進化の道筋だ。人間はもっと早い段階でゲ神から巣立つべきだった。ゲ神よりも安定性の高いザ神の庇護を受けたことにより、人間はさらに生命力が弱まってしまった。ザ神、ゲ神がともにいなくなれば、生命力の弱い者は亡くなっていくだろう。だが、人間が全滅することはない。強い遺伝子を持つ者が必ず生き残り、そしてやがて発展していく。それが、人間が滅びることのない唯一の手段」
「ちょっと待って」
 サマンは世界記の発言を封じる。
 言いたいことは分かった。だが、それを実行するということは、他に問題が生じる。
「ザの天使はそうしたら、どうなるの?」
「神のない世界に天使の存在など不要」
「じゃあ、リザーラお姉ちゃんはどうなるの!」
「死ぬ。お前が目指す『神の庇護を受けない世界』というのはそういうことだ」
 駄目だ。それでは自分の目的は達成できない。
 自分の目標はあくまで、今いる人間が幸せになり、その上で滅びることもないというものだ。
 人間がマ神に支配されず、滅びることもない。だからといって、今ある幸せを放棄するのでは意味がない。そんなものを求めるくらいなら、レオンにでもウィルザにでも協力した方がマシだ。
「それは、アタシの求める世界じゃない」
「だが、それでは神を必要としない世界は作れぬぞ」
「だからって、犠牲を出していいなんて思わない」
「犠牲を作らずに理想を実現させるなど、夢物語だ」
「それでも、アタシはそれを目指してみせる」
 サマンは世界記の発言を拒絶する。
「アタシがウィルザと戦い、レオンから離れたのは、そんな安物の理想を実現するためなんかじゃない。ウィルザやレオンですら作れない、本当の理想を実現するため。そんな提案をするんだったら、世界記とは組めないよ」
「やれやれ」
 世界記はため息をついたように言う。
「ならば、お前の目指す理想とは何か。答えよ」
「まず、マ神には支配されていないのは当然。そして、将来人間が滅びないことも当然」
「マ神はどうする。共存するのか、それとも倒すのか」
「共存ができないなら倒すしかないと思ってる。それはもう覚悟を決めたよ。ウィルザやルウさんと戦うのは仕方ない。ウィルザが、それを望んでいるから。もちろん説得できるに越したことはないけど、最悪の場合は戦う覚悟はある」
 ふむ、と世界記は頷く。
「ザ神とゲ神はどうする。ザ神はもともとマ神がゲ神から作り出したもの」
「滅ぼす必要はないと思ってる。だって、ザ神もゲ神も、人間の味方なんでしょ?」
「つまりそれは、ウィルザやレオンすら生き残ってほしいということだな」
「もちろん、二人が意固地になったら難しいだろうけど、人間が滅びず、支配されなくてもいいのなら、二人が戦う必要はもうないはずだよね」
「つまり、現状のグラン大陸を変えることなく、未来の破滅だけは回避したいということだな」
「そうなるかな」
 しばらく世界記が言葉を止めてから、答えた。
「わがままだな」
「そうだよ。アタシはこの件に関してだけはわがままになる。そうじゃないと、今こうしている理由がないもん」
「分かった」
 すると、世界記が答えた。
「え?」
「分かった、と言った。お前の理想を実現するよう、努力してみよう」
「世界記? ホントに?」
「私は嘘は言わん」
「ありがとう、世界記。やっぱり世界記は優しいね!」
「褒めてもらう必要はない。だが、お前にはやってもらうことがあるぞ」
「何だってやるよ。人間のためなら!」
「ならば、まずはドネアに会え」
 突然、予想外の名前が出てきた。
「ドネア姫?」
「そうだ。私はこの三年間、地上を見下ろしながら『別の世界の記録』を見続けてきた。もしウィルザが選択を誤らなければ、他の道を歩んでいたとしたらどうなっていたのか。いくつもの選択肢と、いくつもの結末とを見届けてきた。その結果、共通点が見つかった」
「共通点?」
「たとえ、どのような選択をしても、お前とドネアだけは絶対に死なない、ということだ」
「アタシと、ドネア姫だけ?」
「何が原因かは分からぬ。だが、お前とドネアが生き延びることは、この世界にとっておそらく強い意味がある。そして何より、今、ドネアは世界の秘密にもっとも近いところにいる」
「世界の秘密? マナミガルが? それはルウさんの近くっていうこと?」
「そうではない。正確には私にも分からぬ。だが、マナミガルでドネアは何かを知った。今、ドネアがマナミガルから動こうとしないのはそれが原因なのだろう」
「それを聞けばいい、ということだね」
「そうだ。だが、敵の中枢に入り込むのだ。生半可なことではいかないぞ」
「大丈夫だよ。マナミガルなら何回だって出入りしてるからね。ルウさんたちには負けないよ」
 そうしてようやく、為すべきことが見えてきた。今度はマナミガル。そこに行けば、次の展望が開ける。ドネアに会うという目的。目的さえあれば、自分は進んでいける。
「世界記、一つだけ聞いてもいい?」
「お前に隠し事はない」
「アタシとドネア姫はともかく、ルウさんは他の世界ではどうなっていたの?」
「きわめて、特徴的だ」
「というと?」
「マ神をその身に降臨させられた場合は必ず死んでいる。だが、そうでない場合は絶対に生き残っている。これほどはっきりとしているのは珍しい」
「マ神になったら、死ぬ」
 ぶるり、とサマンは震えた。
「世界記。ウィルザがマ神になったルウさんと一緒にいるのは、それが理由なのかな」
「おそらく──いや、間違いなく」
「そっか……ウィルザは、世界よりもルウさんを選んだってことなんだ」
 つまり、ウィルザが人間を支配して殺さないようにするというのは、単なる建前。
 目的は、ルウを殺させないこと。そのためには人間を支配するのがいいと判断しただけなのだ。
「もっと早く、そのことに気づいていればよかったのにね。ウィルザの馬鹿」
 ぽつりと呟いた声に、世界記は反応しなかった。







道は開けた。世界記の協力の下、サマンは『理想』を求めて前へ進む。
レオンはウィルザを倒すべく、マナミガルへ向かう。
ウィルザは怪我をした体で、戦いの場に臨む。
そして、ドネアは──

『レオンは強い。でも、勝てないとは思わない』

次回、第六十三話。

『最後の戦い』







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