#2 同級生!

SIDE-B






 次の日、なかなか姿を見せなかった軽音部顧問の山中さわ子が部室に顔を出した。
「あ、ムギちゃん。私も紅茶もらえる?」
 こんな部活なので、部室でお茶をしていることも既に知られているというより、教師が率先してその輪の中に入ってくる。
「新入生ね、よろしく。顧問の山中さわ子です」
「碇シンジです」
「中野梓です。よろしくお願いします」
 するとさわ子は二人をじろじろと見る。
「な、なんですか?」
「そうねえ」
 さわ子はおもむろに持ち歩いていたカバンの中から何やら取り出す。
「梓ちゃんはこれかしらね」
 と、出したのは猫耳。
「は? 何ですか、これ」
「見て分からない? 猫耳よ」
 それは分かる。分かるが、それをどうしろと。
「顧問命令よ、おとなしくつけなさい!」
「ええええええええええ!?」
 梓が必死に逃げる。教師が生徒に猫耳をつけさせようとする構図はなかなか見られるものではない。何なのだろう、このセンセイ。
「抵抗しても無駄だぞ。こういう先生だから」
 律がなれたことのように言う。
「で、でも! 先輩たちだってこんなの恥ずかしいですよね!?」
「平気だよ?」
 すると猫耳を受け取った唯が事も無げに装着する。似合う。
「はい次、ムギちゃん」
「はい」
 ムギも装着。梓がそれを見て呆然としている。
「というわけで梓ちゃんもどうぞ」
「ひいいいっ!」
 というわけで、半ば強引に装着させられる猫耳。似合う。
「軽音部へようこそ!」
「ここで!?」
 猫耳をつけないと歓迎してもらえないのか。なかなかすごい部活だ。
「碇くん見ないで」
 半泣きになっている梓。だからといってどうすればいいのだろう。
「わー、似合う似合う。ねえ、にゃーんって言ってみて」
「にゃ、にゃーん」
 律儀に答える梓。
「あだ名は『あずにゃん』で決まりだね!」
 それを見ていたシンジがため息をつく。
「平和な部活ですね」
 少なくとも自分が経験してきた、命のやり取りをするような世界とは全く別世界だった。
「まあね。この和やかさがうちの特色でもあるから」
 澪がフォローする。
「何言ってるの、シンジくん。シンジくんにも用意してきたんだから」
 嫌な予感しかしない。
「じゃーん、これ、似合うと思わない」
 取り出したのは、猫耳でも犬耳でもなかった。
「ウサミミ!」
 唯が過大に反応する。
「シンジくんみたいに中性的な子だと、きっと似合うのよねえ〜」
 じり、と近づいてくるさわ子。今までにも理不尽なことはあったが、これもかなりのものだった。
(山中先生、ミサトさんに似てるなあ)
 何でも自分の思い通りにしようとするところが。
「装着!」
 シンジは抵抗せず、ウサミミをつけさせられた。
「かーわいいいいっ!」
 唯大興奮。
「おー、似合う似合う」
「かわいらしいです」
「……似合うな」
 律、紬、澪からも絶賛。
「え、と……見ない方がいい?」
 梓がおそるおそる尋ねてくる。
「別に」
 抵抗はしないが不機嫌になる。
「おーい、さわちゃん、生徒が思いっきり不愉快になってるぞー」
「えー、でも可愛いのに」
「そうだよ、こんなに可愛いのにウサミミをつけないなんて犯罪だよ!」
 唯が後ろから抱き着いてくる。だがシンジの表情は変わらない。
「頭に何かついていると」
 シンジはそっとウサミミを外した。
「少し、嫌なことを思い出してしまうので」
 それを後ろにいる唯の頭につける。
「平沢先輩の方がずっと可愛いですよ」
「ふぇ?」
 正面から可愛いと言われ、唯の顔が赤く染まる。
「おー、やるなシンジ。まさか唯を照れさせるとは」
「事実ですよ。実際、似合いますよね、ほら」
 唯を振り向かせる。確かに、と律が頷く。
「すみません、ちょっと僕、出てきます」
 シンジは表情を崩さないようにしながら、部室を出た。
(あれはまずいな)
 頭に何かがついた瞬間、血の香りが周囲から漂うような気がした。
 ヘッドセットを装着。そしてプラグスーツが体を締め付け、エントリープラグに入って、LCLが──
 吐き気がこみ上げる。シンジは早足でトイレに入る。
「くそっ……まだ、忘れられないのか」
 日常の些細なことで、過去にあったあの戦いのことを思い出してしまう。
 たかがウサミミ。それをつけただけで自分はこんなふうになってしまう。
(変なトラウマになっちゃったな)
 帽子なら何ともないのだが、バンドのようなものは駄目なのだ。とにかく昔の戦いを思い出すようなものはまずいということだろう。
(ふう)
 少しずつ気持ちが落ち着いてくる。一度売店の方までいってお茶を買い、そのまま庭に出た。
 空いているベンチに腰かけて、深呼吸。
(僕の守った世界か)
 本当に守れたのだろうか。たくさんの人を犠牲にして、何とかこの世界は存続を許された。
 それでも、自分が最善の選択をしたとは思えない。自分のせいで苦しんだり、悲しんだりした人が大勢いたのは事実なのだ。
「こんなところにいたのね」
 声をかけて隣に座ったのは紬だった。
「琴吹先輩」
「みんな心配してるわよ」
「すみません。別に、ウサミミが不愉快だったとかいうわけじゃありませんから」
「ええ、そうね」
 紬はシンジの言葉に頷く。どこまでわかって頷いているのかは分からないが。
「頭に何かをつけるのが嫌なんです」
「そう」
「なので、本当に何でもありませんから」
「それなら、後でそうやってみんなに言ってあげて。唯ちゃんが泣きそうな顔でうろたえてたから」
「平沢先輩が?」
「嫌なことを強引にやらせて、部活が嫌になっちゃったんじゃないかって心配してる」
「そんなことないですよ」
 シンジは強く言った。
「平沢先輩はいろいろと教えてくれますし、それに──」
 唯といろいろ触れ合ったときのことを思い出す。
「平沢先輩は、あったかいから」
「あったかい、か」
 くす、と紬は笑う。
「唯ちゃんは、私たちの顔なのよ」
「顔?」
「最初、この軽音部はね、澪ちゃんと律ちゃんが始めたの。そこに、本当は合唱部に入ろうと思っていた私が二人の勢いに負けて入部したんだけど、三人だとどこか、しっくりこなかった」
「そうですか?」
「そう。でも、そこに唯ちゃんがやってきて、みんなを和ませて、楽しませて、あたたかい気持ちにさせてくれた。唯ちゃんってまわりのみんなが大好きでしょう? だからみんなも唯ちゃんのことが好きになって、それでうまく歯車が回り始めた」
 たしかに唯のいない軽音部は想像できない。誰とでも仲良く、誰とでも垣根を作らない唯。
「だから、唯ちゃんのことを好きになってくれてありがとう」
「平沢先輩を嫌えるわけないじゃないですか」
「そうよね」
 紬はまったく笑顔を崩すことなく話し続ける。
「だから、シンジくんも笑顔になれば、もっとみんなと仲良くなれるんじゃないかしら」
「笑顔?」
「そう。シンジくん、楽しそうに笑ったところってまだ見てないわ」
 楽しそうに笑うなんていうことが、今までの人生の中であっただろうか。いつも困ってばかりの人生、いつも苦しんでばかりの人生だった。
「琴吹先輩も、いつも笑顔ですよね」
「ええ。だって、毎日楽しいもの。だから二年前、この世界が危険だったっていう話、知ってるわよね。あのとき世界を助けてくれた誰かには、本当に感謝してる」
 突然、何を言い出すのか。
「そうですか」
「そうなのよ」
「その人が聞いたら、喜ぶでしょうね」
「ええ。きっと喜んでくれると思うわ」
 紬は知っているのだろうか。自分がその『誰か』だということを。自分がかつてサードインパクトを防いで、この世界を──大量の犠牲者のかわりに──救ったということを。
「琴吹先輩と話していると、なんだか落ち着きますね」
「そう? ありがとう」
「それじゃ、そろそろ戻りましょうか。平沢先輩をあんまり心配させるわけにもいかないですし」
「そうね」
 そうして二人は並んで歩く。放課後の学校はすでに生徒もまばらだった。
「さっきの話ですけど」
「なに?」
「琴吹先輩がいなくても、たぶん軽音部はうまくいかないと思います。秋山先輩だけで、平沢先輩と田井中先輩を止めるのは難しいでしょうし」
「そうだといいけど」
「軽音部は、四人がうまく連携できているからいいんだと思います。本当に僕がいていいのか」
「大歓迎よ」
 紬は自信を持って言う。
「男の子がいてくれた方が、力仕事で頼りになるし」
「そのあたりはまあ」
「それに、唯ちゃんとか梓ちゃんとか、けっこうシンジくんのことを気にしてるみたいだし」
「琴吹先輩は、そういう恋愛とか好きなんですか」
「大好き」
 楽しそうに応える。
「だから、近くで観察させてね」
「僕を観察しても、たぶんご期待には添えないと思います」
「大丈夫よ」
 何がどう大丈夫なのかは分からないが、まあ聞かなかったことにしておく。
 そもそもシンジは女性というものに対して興味がない。いや、ないわけではないのだが、あまりにも以前の女性のイメージが強すぎて、近づいていけないのだ。それをどう間違って女の子ばかりの部活に入ってしまったのだろう。
「ただいまー」
 紬が先に入っていく。
「あ、シンちゃん!」
(シンちゃん?)
 懐かしい呼ばれ方だった。そして言葉と同時に唯が抱きついてくる。
「どこ行ってたの〜さびしかったよ〜」
 本当に半泣きになってしまっている。
「いえ、別に何でも」
「とりあえずさわちゃんは反省させてるから」
 なぜか部室の隅で正座させられている教師。本当に大丈夫かこの高校。
「不愉快な思いをさせてごめんな」
 澪が申し訳なさそうに言う。
「いえ、別に不愉快とかじゃないんです。ただ、ああいうのを頭につけるのが、ちょっとトラウマというか、嫌なことを思い出してしまうので」
「じゃあたとえば、メイド服とかならOK?」
「それは不愉快になります」
 律の言葉に明らかに不機嫌なオーラを放つ。というか、メイド服を着るような習慣がこの部活にはあるのだろうか。
「でも覚悟しておかないとな。さわちゃん事あるごとに私たちにいろんな服を着せようとしてくるから」
「気をつけます」
 そしてそれまで会話に入ってくることができなかった梓がおずおずと見つめてきた。
「大丈夫?」
「うん。何でもないよ」
「良かった」
 梓がほっと安心したように笑う。
「ところでさ」
 その梓に向かって言う。
「いつまでつけてるの、それ」
 シンジが梓の頭を指さす。完全に忘れていたのか、梓は今でもまだ猫耳をつけたままだった。
「にゃっ!」
(本当に猫みたいだな)
 猫耳を急いではずす梓。よほど恥ずかしかったのか、顔を背けて肩で息をしている。
「もう、とにかく練習を始めましょう!」
 梓の言葉に「そうだな」と律が応える。
「でもその前にケーキ」
「あ、私もー」
 律と唯がテーブルにつく。あらあら、という感じで紬が仕方なさそうにケーキとお茶の準備を始めた。
「やる気あるんですか、この部活」
 うー、と梓がうなる。
「まあ、こういう時間も大切なんだよ。練習するときは練習する、楽しむときは楽しむ、それでいいんじゃないかな」
 澪があきらめたように言う。
「あ、僕はちょっとコードの確認します」
「じゃあ私つきあうよ」
 一年生ペアがギターを構える。お茶の最中なのでアンプにはつながず、単にコードを合わせるだけ。
「あれ、シンジくん、うまくなってる?」
「昨日、ちょっと家で練習してたから」
 昨日、家に帰るなりマヤにギターを弾いてくれと言われ、食後に三時間くらい弾き続けていた。もちろん曲など弾けるはずもないので、コードを押さえるのを繰り返し練習していただけなのだが、マヤはそれをずっといとおしそうに見てくれていた。
「うれしそう」
 梓が何かを感じたのか、ぼそっとつぶやく。
「うん。そうだね、ちょっといいことがあったかも」
 こうして、部活三日目も何事もなく進んでいった。






#3

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