#4 試験!
SIDE-A
部活も学生の領分ではあるが、学生の本分は勉強である。
シンジはギターもチェロも毎日練習してはいるが、決して勉強をおろそかにすることはない。最近は空いた時間はすべてギターに回しているものの、それも勉強がしっかりと終わっているからこそだ。
私立桜ヶ丘高校の学力は高くもなければ低くもない。K大にも毎年何名か出している一方で、就職組も確実にいる。そのくせ進学クラスと総合クラスが分かれていない。高校として何を目的にしているのかがいまひとつ分からないところだ。
「中間試験イマイチだったから、ここでちょっと挽回しておかないといけないんだ」
昼休みの練習中に梓がそんな風に言った。もうすぐ一学期期末試験。シンジのギターも徐々に上達してきて、たどたどしくも一曲を通して弾けるようになったところだった。
「赤点じゃなければ問題ないと思うよ。平沢先輩みたいに」
「唯先輩は、やるときはやるんだけど、そうでないときはそうじゃないからなあ」
梓がくすくすと笑う。
「シンジくんは中間よかったの?」
「けっこう」
「学年何位?」
「二番」
さらっと言ったシンジに、梓が愕然とする。
「うそっ!?」
「本当。平沢さんが一番でしょ?」
順位は成績優秀者だけが掲示に張り出される。全科目総合で一年生の一位が平沢憂、二位が碇シンジだった。
「ゆ、優秀者コンビ……!」
「僕は別に、平沢さんとはあまり接点ないけど」
だが、シンジと部活が一緒で、憂とは親友である梓にとっては、一位と二位に挟まれている形になる。
「中野さんは?」
「……五十三番」
「二桁順位なんだから、問題ないよ」
「涼しい顔で言わないで!」
がっくりと梓が落ち込む。
「大丈夫だよ、あずにゃん!」
そんな昼休みに現れたのは憂の姉、唯。
「私は二百八十番だから!」
「赤点ぎりぎりですよね」
「全科目赤点より一点上! これは狙ってもできないよ! なんて全能感!」
狙えない。というか狙いたくない。
「今回は大丈夫なんですか?」
「もちろん! 何といっても、憂に教えてもらうからね!」
「学年一位ですもんね」
シンジが普通に相槌を打つが、梓が首を傾げる。
「あれ、でも、学年が……」
「というわけで、今日も元気に昼練しようか!」
嫌なことは考えたくないのか、ギー太を持ち出して唯が構える。
「あ、シンちゃんはチェロお願いね」
「はい」
シンジのギターはまだ合わせられるレベルではない。となると必然的にみんなでやる場合はチェロ担当となる。
学祭にはギターで一曲、残りはチェロ、というイメージなのだがこれがなかなか進まない。
「ほらほら、あずにゃんも!」
「はいはい」
だが、以前に比べて唯は練習熱心になったということだった。それもこうして後輩たちががんばって毎日練習しているせいなのかもしれない。
そして何より、
(やっぱり平沢先輩、上手だよな)
梓も上手には違いないのだが、魅せ方というのか、聴かせ方というのか、圧倒的に引き込まれるのは唯の方だった。
「ん〜、やっぱりシンちゃんのチェロ、ぴったりくるよ!」
ギターを置いて、唯がシンジに後ろから抱きつく。
「だから、いつも言ってますよね、唯先輩! 男の子に抱きつかないでって!」
「あずにゃんも上手だよ!」
今度は正面から梓に抱きつく。この抱きつき癖はどうにかした方がいい。
「チェロパートの楽譜も完全に出来上がったんだ」
「はい。一応全曲。後は細かい調整をして終了です」
「私はそういうところ全然分からないけど、ムギちゃんとか澪ちゃんとかたくさん相談してね」
「分かりました」
「シンジくん、編曲できるなら、作詞作曲もしてみればいいのに」
梓が話に割り込んでくる。
「僕が作るとクラシックになっちゃうよ」
「それなら、ムギ先輩とのツインでできるんじゃないかな。キーボードのバイオリンパートとシンジくんのチェロパートで」
確かにできなくはないが、それは──
「チェロはあまり目立つ楽器じゃないから。ベースと同じように支える方のパートだから、そこまでしなくてもいいと思うよ」
「そう! シンちゃんは後ろで私の演奏を見てくれればいいのです!」
唯が自信満々に胸を張る。
「平沢先輩が度胸強いおかげで、僕や秋山先輩が助かってます」
「本当ですよね。澪先輩、あんなに上手なのに絶対前に出られないんだもん」
「歓迎ライブのときはボーカルやったのにね」
澪には弱点が多すぎる。それを克服するのも今後の課題かもしれない。
「テレビの前で演奏してみるとか!」
「秋山先輩、きっと完全に硬直しますよね」
「じゃあ、ステージ上でソロ演奏!」
「澪先輩、まずステージに上がってくれない気がします」
ただでさえベースは意図的にソロを入れなければほとんどそんな場面にめぐり合うことはない。そして澪は絶対に拒否するだろう。
「うーん、どうしようか」
というわけでこの件は棚上げすることになった。
さて、それはそれとして試験である。
家に帰ってきてからのシンジはまず勉強をする。宿題をためるつもりはないし、分からないところをそのまま放置しておくのも嫌だ。やることをしっかりとした上で自分の時間を作る。それがシンジの生活リズムだった。
「シンジくん、お風呂は?」
その日は宿題が多いこともあって、十時近くまでずっと机の前だった。マヤが心配して部屋まで覗きに来る。
「あ、はい。今行きます」
「背中、流してあげようか」
「けっこうです!」
こうしたやり取りもよくあることだったが、いつまでたっても慣れない。マヤは綺麗な大人の女性なので、意識しないようにしてもなかなかうまくはいかない。
「もう期末試験なんだ」
ネルフでは赤木リツコに次ぐ天才であったマヤにとっては、高校の勉強など片手間で足りるようなものだったろう。
「分からないところがあったら教えてあげるからね」
「ありがとうございます」
「でも、学年二位のシンジくんには必要ないかな」
「そんなことないです。いつもありがとうございます」
分からないところはたいがいマヤに聞けば教えてもらえる。それもきわめて分かりやすい。天才は教えるのが苦手とよく言われるが、マヤは教え上手だった。どこで分からなくなるかのポイントをきちんと抑えて説明してくれる。
「マヤさんが教えてくれなかったら、中間試験だって二番は無理でしたよ」
「クラスメートのシンジくんを見る目が上がったかな?」
「多少は」
軽音部で可愛い女の子たちといつも一緒で、なおかつ勉強もできる。
男子生徒からは多少やっかまれたとしても仕方のないことであった。
「それじゃ、お風呂いただきます」
「うん。片付けはやるから、そのままでいいからね」
「すみません」
マヤはシンジが風呂に入るまで、決して先に入らない。シンジの生活に合わせて活動するように自分を律している。こちらが申し訳なくなるくらいに。
「マヤさん」
「なに?」
「あまり、僕のことばかり気にしすぎないでくださいね」
「ええ。こう見えても私、けっこう好き勝手やってるから大丈夫よ。シンジくんが学校行ってる間、どれだけ時間があると思ってるの?」
言われてみれば確かにそうだ。だが、シンジが帰ってくる時間には必ず家にいる。一度たりとも出迎えがなかったことはない。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
マヤは笑顔でシンジに応えた。
そうして一学期期末試験が始まる。
シンジはそこまで順位にこだわる方ではなかったが、それでも憂という目標があることは良いことだった。勉強はやればやるほどしっかり成果が出てくる。だから憂をいつかは超えられるのではないかと思っている。
「どうだった、シンジくん?」
梓が少しかげった表情で尋ねてくる。
「まあまあかな」
「碇くんはいつもがんばってるから、問題ないよ」
梓の隣にいた憂が笑顔で加わってくる。
「平沢さんに言われると、少し複雑だな」
「憂は完璧超人だから」
「そんなことないよー」
どんなときでも笑顔を絶対に絶やさない。いつも本当に嬉しそうにしている。およそマイナスの感情がないのではないかというような性格。
(みんなに頼られるわけだよな)
というか、憂に一番頼っているのは唯であり、実は梓もけっこう憂に頼っているところがある。面倒見のいい憂は気づいているだろうが。
「明日の数学が自信ないんだ」
梓がため息をつく。
「それなら、一緒に勉強しようか」
憂が救いの手を差し伸べる。
「いいの?」
「いいよ。お姉ちゃんも勉強を見ないといけないし。うちに来る?」
梓が少し考えてから「お願いします」と頭を下げた。
「碇くんも来る?」
どういうつもりで憂が誘ってきたのかは分からないが、もし憂と一緒なら勉強がはかどるだろうか、と考えた。
「うん」
「それじゃ、今日の放課後ね」
憂がにこにこと嬉しそうに言う。
(本当に、嫌なことってないのかなあ)
唯や律は澪や紬も不思議な人たちではあるが、憂がこの学校で一番の謎なのかもしれない。
そうして平沢家。唯は既に家に帰ってきていて、茶の間で寝転がっていた。
「ただいま、お姉ちゃん」
「あー、お帰り〜、うい〜」
だらだらとしている唯。まあ、いつもこんな感じなんだろうな、と思う。
「お邪魔します」
「唯先輩、だらしないですよ」
と入っていくと唯の顔が輝いた。
「あずにゃんとシンちゃん! いらっしゃい!」
二人に抱きついてくる唯。
「お姉ちゃん。梓ちゃんはともかく、男の子にまで抱きついたら、めっ、だよ」
「ごめんごめーん」
にはは、と唯が笑ってシンジから離れる。が、梓からは離れない。
「私からも離れてください!」
「だってあずにゃんあったかいから気持ちいいんだもん」
「もー、ほら、お姉ちゃん、勉強始めるよ」
こうして四人による勉強会が始まった。
「律ちゃんも今頃がんばってるのかなあ」
軽音部には赤点ぎりぎりの生徒が二人存在する。唯と律だ。
「今回は一人でがんばるって言ってましたよ」
「そう言いながら澪ちゃんに手伝ってもらってる方にメロンパン一個」
「みんな同じこと思ってるから、賭けの対象にはなりませんよ」
シンジが苦笑しながら言う。面倒見のいい澪のことだ。幼馴染が困っていたらそれでも助けてしまうのだろう。
「秋山先輩って、しっかりしてるし、優しいし、すごくいい人ですよね」
シンジが言うと、三人の視線が集中する。
「え、なんですか」
「もしかしてシンちゃん、澪ちゃんのことが好きなの?」
「は?」
「そうなの、シンジくん」
「私も興味ある」
「いや、そういうつもりで言ったわけじゃないけど。それを言うなら田井中先輩だって元気で僕たちをひっぱってくれますし、琴吹先輩はあの性格で僕たちを和ませてくれますから、基本的にいい人ばかりですよね、軽音部は」
「はいはーい! 私は? 私は?」
「もちろん平沢先輩もです。平沢先輩は多分、人を幸せにする天才だと思います」
「え?」
「平沢先輩の傍にいたら、誰だって楽しくなって、幸せになれるんです。だから妹さんもそうですし、軽音部のみんなが平沢先輩のことを好きなんですよ」
シンジが真剣に唯のことを褒めるので、唯は顔が真っ赤になって小さくなる。
「うわ、お姉ちゃんが照れてる」
「だって、男の子からこんなふうに言われるの初めてだし」
「じゃあ、私は?」
梓が負けじと尋ねてくる。
「中野さんは親切で優しいよね。それに自分を律することができる強い人だと思う──」
かつて。
自分がともに戦った仲間は、そこまで強くなかった。自分の寄る辺がなくなったら、あっけなく精神的に崩壊していくほどの弱い女の子だった。
「だから、僕は軽音部が好きです。いい人がたくさんいて、幸せになれる場所だから」
「シンジくんにそう言ってもらえて嬉しいよ!」
「なんで唯先輩が答えるんですか」
はあ、と梓がため息をつく。
「それよりほら、どんどん勉強しないと終わりませんよ」
シンジが勧めると、うー、と唯がうなる。
「ういー」
「はいはい、どこが分からないの?」
妹に勉強を見てもらう姉。大丈夫だろうか、この姉妹。
「さっきから思ってたんだけど」
「なに?」
「憂ってまだ一年なのに、二年生の勉強教えられるのかな」
「平沢さんなら何ができても不思議じゃないけど。それこそ軽音部に入ったら、ギターでもドラムでもチェロでもできそうだよね」
「まさに完璧超人」
これほど何でもできる妹がいれば、確かに姉でも頼ってしまうのはよく分かる。しかもこの妹は姉にベタボレなのだ。
「いい姉妹だよね」
「まったく同感。さ、僕たちも勉強がんばろうか」
「はーい、先生」
梓がおどけたように答える。シンジも自分の勉強に取り掛かることにした。
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