#4 試験!

SIDE-B






 テストは終了してからほぼ一週間のうちにすべての科目が返却される。全科目の返却が終わってから優秀者掲示が張り出されることになるが、さすがに憂を超えることはできないだろうな、とシンジは自己分析していた。
 一方で、赤点を免れたかどうかという低いレベルの争いをしている人たちもいる。
「じゃーん、今回はばっちり点数が取れたぜ!」
 律が八十点という、普段に見合わぬ点数を見せてきた。
「澪ちゃんもお疲れ様でした」
「ああ、本当に──って、何でバレてる?」
「うふふふ」
 紬は本当にどうやって情報を得ているのか謎だ。やはり乙女電波を受信しているんだろうか。受信機能が備わっているのはあの眉毛だろうか。
「シンジはどうだったんだ?」
 澪が話題をそらそうとして話を振ってくる。
「前と同じくらいだと思います。平沢先輩の妹さんはさすがに越えられません」
「なんだ、憂ちゃんってそんなに頭いいのか?」
 律が話に入ってくる。
「うん。何と中間試験は学年一位だよ!」
「一位かよ! 姉の威厳まるでないな、それは」
「そんなことないよ! 憂は私のこと大好きだもん!」
 それくらいは誰の目にも明らかだ。いつも姉の前でにやにやでれでれしていれば誰でもわかる。
「あれ、でも、てことはシンジは学年……」
「二番です」
 さらっと答える。
「このやろおーっ!」
 涼しい顔をしているシンジに、律がヘッドロックをかける。
「ちょ、痛い、痛いです田井中先輩!」
「ええい、学問の恨み、思い知れ!」
「恨みって、そもそも恨むほど田井中先輩は勉強してないじゃないですか!」
 それこそきちんと勉強しているのに憂を超えられないのだから、自分こそ憂をうらんでいいと思うのだが。
「そんなこというのはこの口か!」
 律が片方の手でシンジの口を広げていく。
「いひゃひゃひゃ!」
「うりうりうり、どうだ、痛いか、やめてほしかったら『すみませんでした律様、どうかお許しください』って言ってみろ」
「律先輩、やりすぎです!」
 すると梓が救援に入った。律のわき腹をこちょこちょとくすぐる。
「うひゃぅっ!」
「シンジくんは一生懸命勉強してるんですよ! 自分のことを棚にあげるのはやめてください!」
「そうだよ、律ちゃん。そういうことは、せめて他人から教えてもらわなくてすむようになってから言うものだよ」
「妹に教えてもらってる唯に言われたくねえなあ」
 このように、部活が再開されてからはいつものようにケーキと紅茶、そして何の意味もない無駄話。だが、こうしたのんびりしたところが軽音部の良いところでもあるのだ。
「こんにちは。律、いる?」
 と、そこに知的な眼鏡美女が現れた。
「あ、和ちゃん!」
 唯が元気よく反応して、和に抱きつく。和はその唯の頭をよしよしと撫でた。
「誰?」
「知らない」
 シンジが尋ねるが、梓が首を振る。
「あら、新入部員ね。よろしく。私、真鍋和。生徒会をやってるの」
「碇シンジです」
「中野梓です」
「可愛い後輩たちね。本当によかったわね、唯。後輩ができて」
「うん! 本当に可愛いんだよ!」
 唯が興奮して和にどこが可愛いのかを説明する。その唯を見ながら、へえ、とか、そう、とかきちんと頷いて返事をかえしていく和。
「それで、何の用なんだ、和?」
 唯の友人ではあるが、澪や律、紬とも当然知らない関係というわけではない。
「何って、今日の部長会議、出なかったでしょ」
「あれ、今日だったっけ?」
「まったく、しっかりしてよね。そんなだから、去年軽音部がなくなるかもしれないっていう話になったんじゃない」
「私か? 私のせいか!?」
「だから、そうだって言ってるわよね」
「自覚しろ、律」
 和と澪の前後から攻撃され、律はがくりとその場に崩れ落ちた。
「くっ、この戦場にはもう味方はおらぬ」
「軍曹!」
 何故かそこに駆け寄るのは唯。
「おお、平沢上等兵。私はここまでだ。あとはお前が」
「何をおっしゃるのです! 田井中軍曹がいなければ、わが軍は全滅です!」
「ああ、せめて、最後に、アイスクリームが食べたかった……」
「軍曹ーっ!」
 そして二人が同時に、ちらっ、と和を見る。
「……で、いったいどういうコントなの、それは」
 どこでどう突っ込みを入れればいいのか分からず、和は頭を押さえる。
「ごめんな、和。それで、部長会議の内容、何だったんだ?」
 澪がかわりに話を聞く。本当に、澪が部長になった方がこの部はうまくいくだろうに。
「今年から部室にもクーラーを置いていいことになったから、ほしければ申請してもらうことになるのよ。まあ、唯がクーラー苦手だからどうかとは思うけど、どうする」
「プリーズ!」
「じゃ、これが申請書ね」
 律の元気のいい答に、和が用意していた申請書を渡す。
「ここまでしてあげてるんだから、出さなかったらクーラーつけてあげないわよ」
「任せとけよ。この私が提出物を忘れていたことがあったか?」
「ありすぎて困るわ」
 はあ、と和がため息をつく。
「シンジくん。申し訳ないけど、律がきちんと書類を提出したかどうか、明日にでもきちんと確認をしてもらえるかしら」
「というより、今この場で書いて提出したらいけないんですか」
「別にかまわないわよ。申請受理は来週からだけど、別に先にもらっても問題があるわけじゃないし」
「それなら今書きますよ。田井中先輩、僕が書いてもいいですよね」
「任せた!」
「本当は部長が出してほしいんだけどね」
 だが、律の性格からしてシンジに書いてもらった方が安全だと和も判断したのだろう。絶対に律に書けとは言わない。
「どう書けばいいですか」
「あ、ここに」
 和の綺麗な指が書類の上をすべる。
(綺麗な指だな)
 シンジもそうだが、唯や梓たち軽音部員の指はギターやらベースやらの練習でかなり鍛えられている。マメらしきものがないのは紬くらいか。そのシンジからすると、和のすらりとした指はやけに美しく見えた。
「どうかした?」
「あ、いえ。綺麗な指だなって思って」
 シンジが思っていたことを素直に口にする。別にやましいことがあったわけではない。本当に、素直にそう思ったから口に出てしまったのだ。だが、言ってから、その言葉がどれだけ恥ずかしいものであるか、後から襲ってきた。
「あっ、いえっ、そのっ、別に変なつもりじゃなくてっ!」
「ああ、うん。大丈夫よ。ちょっと驚いたけど。ありがとう」
 すると和はにっこり笑った。
「唯の言う通り、随分天然みたいね」
「あれ、僕のこと話してたりするんですか」
「ええ。梓ちゃんとシンジくんのことはいっつも聞かされてるわ。唯、相当あなたたちのことを気に入ったみたいね」
「僕の方こそ、平沢先輩にはいつもお世話になっています」
「唯に?」
 和が振り向いて唯を見る。ふん、と唯は胸を張っている。
「シンジくん、別に唯を無理に持ち上げようとしなくてもいいから」
「ひどいよ和ちゃん!」
 仲がいいんだなあ、とシンジは二人の様子を見ていて思う。
「いえ、本当ですよ。平沢先輩がいてくれたから僕はここにいるようなものですし」
「ふうん」
 和がまっすぐにシンジを見つめる。
「真鍋先輩?」
「いいえ。嘘を言っているわけじゃないんだなと思って」
「本当のことですから」
「そう。でも、唯のことを気に入ってくれてありがとう」
 和は親友が褒められていることが嬉しかったのか、心から笑う。
「唯とか律とか、こんな感じだけどよろしく頼むわね」
「って、そこに私まで混ぜんな!」
「まあ、そのあたりはもう慣れました」
「っていうかシンジくん否定しない!?」
 そうして書類を書き上げて和に渡すと「それじゃあ」とクールに立ち去っていった。
「平沢先輩って、軽音部以外にも友人がいたんですね」
「それどういう意味かな?」
 笑顔だ。だがちょっと怒っている。
「いえ、いつも軽音部のメンバーと一緒にいるから、それ以外の友人とか作ってないのかなと思って」
「こう見えても和ちゃんとは幼稚園の頃からの付き合いなんだよ!」
(頼れる人だと本能で悟ったんだろうなあ)
 とはシンジは言わない。それにしても唯の周りにはどうしてこう、頼れる人が寄り付いてくるのだろう。和といい、妹といい。
「それにしてもクーラーか。今年の夏は涼しい環境でできそうだな」
「でも私、クーラーの冷たさ苦手なんだよね」
「冷たくしすぎなければ大丈夫じゃない?」
「そうそう。さすがにうだるくらい熱い中じゃやってられないからな」
 二年生カルテットが会話を始めると一年生コンビには何も口出しする隙間がない。
「ところでさ、シンジくん」
 少し不機嫌そうな梓が尋ねてきた。
「なに?」
「和先輩の手、そんなに綺麗だった?」
 何故、そこに話を戻す。
「そりゃギターやってる手だと固くなってるし可愛くないかもしれないけど」
「いや、そこで中野さんが怒る理由もないよ?」
「でも、シンジくんは私の手を褒めてくれたことないもん」
 ぷくー、と膨れる梓。どうしろと。
「でもね、あずにゃんの手はちっちゃくてかわいいよ!」
 話に入ってきたのは無論、唯。
「唯先輩の手は大きいですね」
 そうでなければ、あの大きなギターを弾くことはできないだろう。
「シンジくんとは?」
 ぴったりと掌を合わせる。大きさはだいたい同じくらい。
「男の子と同じくらいかあ。やっぱり大きいのかなあ」
 律、紬と合わせてみるが、やはり唯の方が大きい。
「澪ちゃんは──あ、澪ちゃんの方が大きいね!」
 その言葉に、澪はがっくりと落ち込む。
「あっ、澪ちゃんの手は細くて長くて綺麗だよ!」
「でも、秋山先輩の手が大きいのは分かる気がします」
 シンジが追い討ちのようなことを言う。
「シンジ、お前なあ」
「だって、手の大きい人は、心の広い人ですよ。秋山先輩を見ていたらそれがよく分かります」
「そ、そうかな?」
 澪、復活。
(シンジ……恐ろしい子!)
 澪の扱い方をマスターしたシンジを恐れる律。
「秋山先輩が優しい人でよかったと思います」
 シンジの笑顔に、澪の顔が真っ赤になる。
「おお〜、照れてるぞ、澪」
「な、何言ってるんだ! れ、練習するぞ、練習!」
 照れ隠しなのは当然、誰の目にも明らかだった。






 さて、いよいよ結果発表日だ。
 大方の予想通り、学年一位は平沢憂。五教科八百点満点で七七三点。軽くK大レベルだ。
 続く学年二位は碇シンジ。こちらは七六九点。追いつかなかったが、点差は縮めた。
「すごいね、平沢さん」
「でも碇くんも部活しながらで、こんなに成績伸ばしてきてすごいね」
「平沢さんは先輩の面倒も見ながらでしょ? その方がすごいと思うけど」
「あはは。お姉ちゃんに頼ってもらえるの、嬉しいから」
 そうなのだろう。姉と一緒にいるときの憂は、いつもの二割増し笑顔が輝く。
「それで、梓ちゃんはどうだったのかな?」
「……五十四番」
 前回より順位が一つ下がっている。
「がんばってるつもりなんだけどなあ」
「まだまだ、これからだよ」
「そうだよ。中野さんはやることやってるんだから、きちんと成績が上がるよ」
「一位と二位に挟まれてる身にもなってよ〜」
 梓が半泣きになったところに、かしまし三人娘最後の一人、鈴木純がやってくる。
「純! 憂とシンジくんがいじめる!」
 いじめていない。ただ単に順位結果が出ただけだ。
「そう、よしよし。かわいそうに」
「純だけだよ、私の気持ちがわかってくれるの」
「ちなみに私は学年八位」
 ぴし、と梓が石化した。
「知らなかったんだ」
 シンジが梓を見て言う。そこに学年十位までは大きな文字で張り出されているから、気づくものかと思っていたが。
「純ちゃん、前は十番取り逃してたから、悔しがってたもんね」
「はーい。次点の十一番でした。今度こそって思ってたからね、リベンジ達成!」
「うわーん、みんな嫌いっ!」
 学年一桁三人に囲まれて、梓はただ泣くしかなかった。






#5

もどる