#6 合宿!

SIDE-A






 夏休みに入るとすぐに合宿だ。合宿をする場所は今年も紬が提供してくれる。去年も海に行ったらしいが、今年も海。海辺で遊ぶのを楽しみにしているらしい。
「まったく、唯先輩と律先輩は、遊ぶことしか考えてないんですかね」
 というわけで、水着を買いにきた軽音部員一同。当然のように不満をもらしているのは梓だ。
「でも、少しは息抜きも必要だからな」
「そうですよね!」
 と、澪が言うと梓はすべて肯定してしまうところがある。これは少しよくない傾向といっていいだろう。
「梓ちゃんが唯ちゃんに厳しいのは、やっぱりシンジくんをめぐっての恋のライバルだからかしら〜」
 うふふふふふ、と紬が目を輝かせる。
「だ・か・ら、そんなんじゃないって何度言わせるんですか!」
「そういうことならいつでも受けて立つよ!」
「だから違いますってー!」
 唯ものってくるのだが、はたして唯はどこまで本気で言っているのか分からない。いつもと同じテンションで言われても信頼できないし、かといって完全に嘘と言い切るにはシンジにやけにかまいすぎている気もする。
「でも二人とも、シンジが来られなくて残念だったなー」
 にやりと笑いながら律が言う。
「しつこいですよ、律先輩!」
「んー、私はやっぱり残念だけどなー」
 唯はまるでひるまない。果たしてシンジに受けるのはどちらのタイプだろうか。
「シンジも苦労するだろうな」
「本当に」
 澪と紬が苦笑する。
「でも、シンジくん大丈夫かしら。熱が三八度五分も出たって」
「ああ……まあ、大丈夫なんじゃないか?」
 紬の心配を澪は軽く受け流す。シンジの発熱理由はおそらく『仮病』だろうと澪はふんでいる。さすがに女の子五人で水着を買いに行くなかで、男の子一人では居心地が悪すぎるだろう。
(ま、どうせ合宿では男一人になるんだけどな)
 水着女子五人に囲まれた男子一人。どれだけハーレムなのかと。
(あ、ちょっとむかついてきた)
 澪にしても碇シンジという後輩はかわいいし、優しくて頼りになると思っている。梓と唯がけっこう本気でシンジのことを気にしているようなので、あえてそれ以上を考えることはしていないが、何もなければ本気でシンジのことを好きになっていたかもしれない。
「四角関係?」
 紬が澪の考えを読み取ったのか、にやにやして覗き込んでくる。
「ななななな、何が?」
「うふふふふ」
 意味ありげに笑う紬。
「そういうムギだって、シンジのことは気に入ってるんだろ?」
「ええ、もちろん」
 ためらうことなく答える紬。
「でも、唯ちゃんと梓ちゃんがかなり本気だから、諦めることにしたわ」
 なるほど、紬もどうやら自分と同じ考えらしい。
「なあ、ムギ」
 律も加えて、唯と梓と三人でぎゃあぎゃあやっている後ろで、澪が小声で尋ねる。
「唯と梓、どっちを応援する?」
「難しい質問ね」
 少しだけ困ったように、右手を頬にあてる。
「私はどちらも応援してあげたいわ。唯ちゃんは友達だし、梓ちゃんは可愛い後輩だもの」
「そうだな」
 澪もまったく同感だ。唯か梓のどちらかが本気でないというのなら話は早いが、正直唯がどこまで本気かは分からない。梓はまず間違いないのだろうが。
「でもさ、私。唯も梓も、泣いてるところを見たくないんだ」
 澪が真剣に言う。
「私もよ。でも、私はちょっと違うかも」
 紬は笑顔で言った。
「私は一番にシンジくんが幸せになってほしいと思うの」






 その話題の主、碇シンジは冗談抜きで三八度五分の熱にうなされていた。
 まるではかったような日取りで発熱した自分を褒めてあげたい。さすがに仮病を使うのはためらわれていたのだが、本当に熱が出たのなら何の気兼ねなく休むことができる。さすがにあの五人の水着姿をたった一人で観賞するほどの勇気はない。
「大丈夫、シンジくん?」
 かいがいしくマヤが世話をしてくれるので、何も不自由はない。
「はい。ちょっと喉が痛いですけど」
「喉、真っ赤ね」
 口の中を見てマヤが言う。
「薬飲める?」
「それは大丈夫です」
「食べ物は食べやすいのにするから」
「ありがとうございます」
 そうして出されたおかゆをシンジは時間をかけて食べきり、薬を飲んでもう一眠り。
 寝たり起きたりを繰り返して、午後三時ごろ、日が傾いたときのことだった。






「おっきい!」
「大きいな」
「でけえ」
「あらあら」
「……シンジくん、こんなところに住んでたんですか」
 そこは市内でも一、二を争う高級マンション。おそらく月額でワンルーム五十万はくだらないほどの、東京都内とタメをはるほどの場所だった。
 軽音部五人はシンジへのお見舞いの品を持って、ついでに仮病ではないかを確かめるために、みんなでシンジの家へとやってきていたのだ。
 マンションの自動ドアはセキュリティロックがかかっている。近くには通話フォンがあり、番号を押せばその部屋に内線が入る。
「押すぞ」
 律が部員たちの確認をとってから、内線呼び出しをかける。
『はい?』
 女の声がした。
「あ、すみません。碇さんのお宅ですか」
 家じゃないし、そもそも分かっていて来ているのだから尋ね方がおかしい。
『そうですけど?』
「あ、私たち、シンジくんの通っている学校で、同じ部活のものなんですけど」
『ええ、本当に!?』
 何故か女性の声はすごく明るくなった。
『シンジくん喜ぶわ。朝から熱を出してて、ずっと寝続けてたから。さっき熱測ったら少し落ち着いたみたいだから、会っても大丈夫よ』
 すると、突然オートロックの自動ドアが開いた。
『どうぞ』
「あ、すみません」
 五人がおそるおそるマンションに入る。
「すごいねー、中庭があるよー」
 もちろんその中庭も、マンションの住人でなければ使うことはできない限られたものだ。
「シンジくんって、お金持ちの息子なんでしょうか」
「これは玉の輿が狙えるかもな」
 きらーん、と律の目が輝く。
「何言ってるんですか、律先輩!」
「冗談冗談。梓のシンジを取ったりしないから安心しろ」
「だーかーらー!」
 ぷんすかと怒る梓をなだめながら、エレベーターで十三階まで上る。
 エレベーターを降りた前に窓があって、そこから市内が一望できた。
「うわあ」
「こんな高いところだと、ただでいい眺めが毎日見られるよな」
「すごい……」
 澪が窓の外を呆然と見つめる。
「あ、ここだよここ!」
 唯がハイテンションで【1301号室】を指差す。
「いらっしゃい」
 そして出てきたのは当然のことながらマヤだった。
「あ、はじめまして! 私、軽音部の部長をしている田井中律といいます!」
「ああ、律ちゃんね。いつもシンジくんから聞いてるわ。元気な部長さんでみんなを引っ張ってくれるって。話通りね。いつもシンジくんがお世話になってます」
「あ、いえ!」
「玄関先で何だから、とりあえず入ってもらえるかしら。お茶くらいしていって」
 そうして五人が案内される。
 中もすごい広かった。リビングは二十畳くらいはあるのではないだろうか。大きなテレビと、テーブルにソファに、とにかく圧倒されっぱなしだ。
「どうぞ」
 既に用意しておいたのか、人数分のお茶を出される。
「あ、おかまいなく」
「今シンジくんを連れてくるけど」
 マヤが話そうとしたところで先に律が手を上げた。
「あ、すみません。シンジくんのお姉さんですか」
「いいえ、違うわ」
「じゃあお母さんですか?」
 一瞬で、部屋の中が絶対零度に下がった。
「……そう見える?」
 怒っている。これはかなり怒っている。
「全然見えません!」
「そうよね。もしもシンジくんくらいの大きい子供がいたら、私、小学生くらいで産んでたことになっちゃうもの」
「すみませんホントすみません」
「いいわよ。私は伊吹マヤ。シンジくんの保護者。シンジくんはお世話になった上司のお子さんで、昔から知ってるから、私にとっては弟みたいなものだけど」
「じゃあ、まったく赤の他人なんですか?」
「ええ」
 なんと。
 シンジは今までずっとこんなに綺麗な女の人と一緒に暮らしていたというのか。
「なるほど。マヤさんくらい綺麗な人がいるから、唯や梓が見向きもされないわけか」
「だ・か・らっ!」
 うーっ、と梓がうなる。
「あ、みんなの名前も教えてもらえるかしら?」
 マヤが律以外の四人を見る。
「じゃあ私から。秋山澪です」
「中野梓です」
「平沢唯ですっ!」
「琴吹紬と申します」
「琴吹?」
 マヤが顔をしかめる。
「もしかして琴吹商事の?」
「はい」
「……そうだったの」
 うかつだった。この間、シンジからその名前を聞いたはずだったのに、どうして気づかなかったのだろう。
 琴吹商事といえばネルフのスポンサーの一つ。それもかなり資金提供をしてもらっていた相手だ。情報管理は徹底していたはずだが、エヴァンゲリオンのこともグループ会長はすべて知っている。もし紬が父親からそのあたりのことを聞いていたとすれば、シンジのことも知られているかもしれないのだ。
「あの、何か?」
「いいえ。そしてあなたが梓ちゃん?」
「はい」
 名指しされて梓が驚く。
「いつも話を聞いています。シンジくんにギターを教えてくれているんですってね」
「はい。シンジくん、飲み込みがいいからどんどん覚えてくれます。もう曲も弾けるんですよ」
「ありがとう。それから、唯ちゃん」
「はいっ!」
「シンジくんがずっと感謝してたわ。唯ちゃんのおかげで軽音部に入ることができたって」
「え、そ、そうですか!?」
「本当よ。でも、私が教えたってシンジくんには内緒ね」
「はい!」
「そして澪ちゃん」
「あ、はい」
「澪ちゃんがいつも取り仕切ってくれるから軽音部が活動できるようになってるってシンジくん褒めてたわ。元気な子ばかりで大変なんでしょうけど、これからもよろしくね」
「あ、いえ。でも、シンジくん、私のことをそんな風に言ってくれてたんですか」
「ええ。心の広い先輩だって褒めてたわよ。五人ともシンジくんはよく話をしてくれるから、もう名前も覚えちゃってたわ」
 そこまで話して「あ、ごめんなさい」とマヤが謝る。
「それじゃ、シンジくん呼んでくるわね」
 マヤが別の部屋へ消えていく。その瞬間五人が、はーっ、と息をついた。
「圧倒されました」
「つかシンジのやつ、こんなところに住んでやがるとは。しかも美人のお姉さんつきとか、どんだけだよ!」
 梓と律が口にする中、澪が少し嬉しそうに、
「シンジ、私のこと褒めてくれてたんだ」
 と、幸せそうにしていた。
「みんな、連れてきたわよ」
 マヤが戻ってくる。シンジは普段着にちゃんちゃんこを着せられていた。顔が少し赤くて目が少し赤かった。
「すみません、わざわざ」
 シンジは小さく頭を下げる。
「なあに、みんなで水着買ってきた帰りだからな。ていうか、本当に風邪だったのかよ」
「熱が出たって、中野さんに伝えたはずですけど」
「いやあ、さすがのシンジも美人五人の水着の競演におそれをなしたのかと思ってさ」
「自分で言うか」
 律の言葉に澪がほとほと感心する。
「あのね、あのね、すっごく可愛い水着あったんだよ! 合宿、楽しみにしててね!」
 唯が興奮して言う。いったい何を楽しみにしろというのだろう。いつもながら返事に困る言葉だ。
「これ、お見舞い」
 そして梓がなにやら差し出す。ケーキのような箱を開けてみると、中身はゼリーだった。
「食べやすいかと思って、みんなで考えて決めたのよ」
 紬がフォローする。
「ありがとうございます」
「よかったわね、シンジくん。いい仲間で」
 マヤが言う。もちろんマヤの言いたいことは分かっている。
 あの戦いのとき、こんなふうに自分たちは周りの人を気遣ったりなどしなかった。だからアスカは壊れたし、レイは三人目になった。そして自分も他人を信じられなくなった。
「はい。本当に」
 シンジは熱いものがこみ上げてきそうになったが、みんなの手前こらえた。
「ありがとうございます」
 心を込めて、シンジは礼をした。






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