#6 合宿!

SIDE-B






 そんなわけで、夏休み前はシンジの思わぬ病気があったりもしたが、八月に入るとすぐに合宿が行われた。澪の夏期講習と、紬のフィンランド旅行。ちょうどこの間の八月上旬が唯一の合宿日程だったのだ。
 だが、その別荘を見て全員が愕然とした。シンジのマンションに行ったときも愕然としたのだが、たかが別荘なのに普通の一戸建て以上に大きな建物が海辺にどんと立っていれば驚きもする。
「これが、去年言ってた、借りられなかった別荘か?」
「いえ。それは今年も駄目だったの。だからちょっと狭いかもしれないけど、これで勘弁してね」
 充分すぎる。一人一部屋ずつもらってもまだあまりが出るほどの部屋数と、さらには少し広めのスタジオがあって防音設備までしっかりとしている。何だこの別荘。
「琴吹商事ってすごいなあ」
 シンジは普通に感心していた。
「何言ってるのよ、シンジくんだってあんな高級マンションに住んでるのに」
「でもあそこは、マヤさんの自宅だから」
 そう。あのマンションは別に借りているわけではない。もともと一部屋購入してあるのだ。それもネルフのごたごたにまぎれてMAGIに強引に購入したことにさせたという、かなりの裏技を使っている。もっとも、金銭的に不正をしたというわけではなく、費用の半分以上をネルフにもってもらったり、他に買い手がいたのを『いろいろな方法で』諦めてもらったりという程度のことだ。
「シンジくん、お父さんとお母さんは?」
「いません。母は子供のとき、父は二年前になくなりました」
 そういえば、マヤもシンジのことを『世話になった上司の子供』と言っていた。そして昔からの知り合いだとも。だからマヤがシンジを引き取ったということか。
 唯は目をうるませて、シンジの頭を抱きしめた。
「もがっ!?」
「悲しかったら、お姉さんの胸でお泣き」
「うぐっ、もごっ!」
 唯の柔らかい胸が顔に当たる。恥ずかしい。というより、
「もごごごごごごっ!!!」
 息ができない!
「ちょっ、唯先輩! それ以上やったらシンジくんが死んじゃいますよ!」
 強引にシンジを唯から引き離す梓。シンジの顔は真っ青だった。
「大丈夫、シンジくん?」
「な、なんとか」
 まさか女の人の胸は人を殺せるとは思っていなかった。気をつけるようにしよう。
「で、も、唯の胸が顔にあたって幸せだっただろ〜?」
 律がからかうように言ってくる。
「死ぬか生きるかのときに、そこまで考えていられませんでした」
 正直に言うと、最初は少し嬉しかったが。
「さて、まずは荷物を運ぶか」
「私自分の荷物だけだから楽勝」
「だったら手伝え!」
 この中では律だけが楽器を持ってきていない。軽音部一同は電車で移動してきたが、楽器類はギターやベースなら移動できても、さすがにドラムセットまでは移動できない。そこでスタジオ設備のある別荘を用意してもらったのだ。そこならドラムセットもアンプも全部そろっている。
「それじゃ、スタジオ一番乗り〜」
「あ、律ちゃんずるいよ〜」
 ギターと自分の荷物を持ちながら、唯が律の後を追いかける。
「シンジくん、大丈夫?」
 シンジは一番荷物が多い。チェロとギターの両方を持って来ているのだから当然なのだが。
「大丈夫」
 体力的には何も問題ない。一時期外出ができなかった頃は体力も落ちていたが、いざ普通に生活ができるようになると、もともとネルフで鍛えたこともあってすぐに体力は元に戻っていった。
 荷物を運び終えてリビングに下りる。
「さあ、遊ぶぞ!」
 既に水着姿になっていた律と唯の姿があった。
(って、平沢先輩!?)
 律はセパレートの、意外に派手ではない(見ていても恥ずかしくない)ものだったのだが、唯は違う。露出大のトライアングルビキニ。背中は紐だけ。これは悩殺される。
「あ、シンちゃーん! どう、似合う?」
 うっふーん、と効果音でもつきそうなポーズをとる。正直まっすぐに唯を見られない。ゆでだこになって回れ右してしまう。
「おーおー、シンジ、おっとこのこ〜」
 唯の水着に反応したシンジをからかう律。
「やれやれ。二人とも早すぎるぞ。まだ練習もしてないだろ」
 澪が二人をたしなめる。
「そうですよ。まずは練習が先です!」
「遊びたーい!」
「泳ぎたーい!」
 意見が二対二。完全に別れる。
「ムギは?」
「遊びたいでーす」
「裏切った!」
 これで三対二。
「というわけで賛成多数!」
「待ってください、シンジくんがまだ意見を出していません!」
 梓が腕をつかんで言う。というか、この状況で意見を言うことがどういう結果になるかは火を見るより明らかだ。
「誤解しないでほしいけど、海の方がいいんじゃないかな」
「ど、どうして!」
「だって、みんな、水着買ってきたんでしょ? 夜になってからじゃ泳ぐことできないし」
 もっともな意見だった。
「シンジくんが、みんなの水着を見たいだけじゃなくて?」
「だから誤解しないでほしいって言ったのに!」
「うーん、でもそう言われると確かにシンジの言ってることも正しいな」
 澪もその点を考えてスケジュールを提案した。
「それじゃ、水着で遊べるのが日が傾くまでだろうから、だいたい三時くらいまで遊んで、それから晩御飯まで練習。これでどうだ?」
「賛成!」
「賛成!」
「賛成です」
 律と唯と紬がこれではどのみち練習にはならないだろう。はあ、と梓はため息をついた。
「もう、シンジくんのせいだからね」
「でも、せっかく海まで来たのに、海で遊ばないのはもったいないよ」
 シンジは梓に笑いかける。
「マヤさんから、ゆっくり楽しんで来いって言われたんだ。だから、チェロもギターも弾きたいけど、こういう時間もたまにはいいのかなって思う」
「ふーん」
 梓はじろじろとシンジを見る。
「なに?」
「ううん。あのマヤさんっていう人、随分信頼しているんだなと思って」
「いろいろあったから。父さんが亡くなったときとか」
「あ……」
 そうだ。いったい何を聞いていたのだろう。父母が両方ともなくなってしまって、引き取ってくれたのがマヤだと話していたではないか。
「ごめんなさい。そんなつもりじゃ」
「わかってる、大丈夫。確かに普通に考えたら変だもんね。保護者が赤の他人だなんて」
 だが、シンジにとっては現在誰よりも強い絆で結ばれている相手だ。信頼などという言葉でかたづけられるものではない。
「マヤさんのこと、好きなんだ」
「もちろん。尊敬してるし、信頼してるよ」
「ふうん」
 少しよそよそしくなる。
「シンジくんって、年上好き?」
「な、何言ってるんだよ!」
「だって、澪先輩のことだって気に入ってるみたいだし、唯先輩のことも好きなんでしょう?」
 律と紬が入っていないのが微妙に可哀相だが。
「軽音部のメンバーは全員大好きだよ。中野さんだって──」
「え」
「あ」
 言いかけたところで、二人の視線が合う。一気に二人の顔がゆであがった。
「あ、わ、私も、水着、着てくるから!」
「あ、う、うん。いってらっしゃい」
 梓が全力疾走で自分の部屋へと向かっていった。はあー、とため息をついたとき、目の前で紬がにやにやと笑っていた。
「って、いたんですが琴吹先輩!?」
「ええ。いいものを見させてもらったわ〜」
 嬉しそうだ。本当に嬉しそうだ。
「ほ、他の先輩たちは……」
「もう先に行ったわよ。澪ちゃんは着替えに行ったわ」
 そして気づけば紬も水着姿になっている。
「シンジくんも早く着替えてね」
「はい」
 そうしてシンジも着替えに戻った。






 泳いで、スイカ割りをして、ビーチバレーをして。
 海を満喫した六人は、日が傾いてきたところで撤収する。まだ唯と律は遊びたがっていたが、さすがに三時間以上も遊んだところなので、これ以上は紬もシンジも二人を擁護しなかった。それにそろそろ約束した時間だ。
 後片付けをして、別荘に戻り、各々シャワーを浴びて、準備ができたメンバーからスタジオに集まる。
 もちろんそうなると一番早いのはシンジだ。一人先にステージ入りしたシンジは、放課後ティータイムの楽譜を最初から全部通しで確認する。
 学校祭ではほとんどがチェロで演奏することになるが、一曲だけギターを入れることになっている。曲は『ふわふわタイム』。明るく元気な曲調にチェロの音は入れない方がいいと、澪や紬と相談した結果だった。基本的に作曲・編曲はこの三人で行うようにしている。たまに梓の意見なども入ったりするが。
「お、さすがにシンジ、早いな」
 座っていたシンジの後ろに回った律が抱きついてくる。
「あ、ちょっ、田井中先輩!」
 シャワーを浴びた後のほてった体が密着して、律の鼓動を直接に感じる。
「なんだ、私が抱きついても反応するのか?」
「しますよ! だから離れてください!」
「嬉しいねえ。私も女の子扱いされてるってことか」
「田井中先輩は元気で明るくて可愛い女の子ですよ!」
 やけになって叫ぶ。が、さすがにそこまではっきり言われるとけしかけた方の律も照れたのか、顔を赤くして離れる。
「いやー、そこまで言われるとさすがの私も照れるぜ」
「お願いですからそういう命がけの冗談はやめてください」
「なんだその、命がけって」
「この間、平沢先輩が飛びついてきたおかげで、中野さんと大喧嘩になったじゃないですか」
「そういやそうだったっけ」
「だからあまり、誤解を招くようなことはしたくないんです」
 また梓に見られたら今度こそ何を言われるか。
「けどまあ、私に言わせるとシンジもよくないぜ」
「どこがですか」
「女の子に無防備なところが」
 ぐ、とつまる。確かにそれは否定できない。
「それに、唯と梓の両方にいい顔しておいて、どちらにも本性見せないとかなー」
「だから、それは」
「どっちが本命なんだ?」
「どちらでもないです」
「そうなのか? じゃあ、もしかして私」
「それはもっとないです」
「てめえ」
 律のこめかみに温泉マークが浮かぶ。
「正直、分からないんです。考えても分からないことは、時間がいつか教えてくれるような気がして」
「ふうん。でも、あまり待たせてると二人から愛想つかされるかもしれないぜ?」
「そのときは田井中先輩にアタックしますよ」
「こいつ」
 スティックでシンジの頭を叩く。
「まったくシンジはそういうところが無防備だっていうんだよな」
「すみません」
「お、早いな二人とも」
 次に現れたのは澪だった。
「澪も早いじゃんか。髪の手入れにもっと時間かかるかと思ったぜ」
「私よりもムギや唯の方が時間かかりそうだな。癖があるから」
「あー、よく愚痴ってるもんな、二人とも」
 ということは次は当然、
「お待たせしました!」
 梓の番だ。
「うわ、すごい設備ですね! こんなアンプ、見たことありません!」
 準備されているドラムもほとんど新品で、律が早く叩きたいと体をうずかせている。
「いや、別に唯とムギが来るまで叩いてていいんじゃないか?」
「そうか? 叩くぞ? 本当に叩くぞ?」
 許可を取るようなことでもない。もともとそのためにあるのだから。
「シンジくん、音あわせしようか」
 梓が笑顔で話しかけてくる。
「そうだね」
 そうして澪も含めて三人ともアンプにつなぎ、音を合わせていく。
「ふわふわタイムのギター、やっぱり難しいな」
 本当は『私の恋はホッチキス』の方がギターは簡単だ。だが、あれはのんびり、ゆったりとした曲。チェロの音にあわせるならそちらの方がいいということになった。
「でも、作曲ができるなんて、澪先輩もムギ先輩もすごいよね」
「うん」
「あ、でもシンジくんも編曲してたんだっけ」
「そうだけど、僕は作曲はできないから」
 いいフレーズを自分で生み出すことはできない。そのかわり、自分のパートを編曲することはいくらでもできる。
「とうちゃーく!」
「すみません、遅れました」
 最後に唯と紬がそろって入ってくる。
「おーう、遅いぞ!」
「ごめーん!」
 そして唯がギターを構え、紬がキーボードの位置に。
「それじゃ、早速一曲合わせてみよっか!」
 唯の声で、全員が頷く。
「それじゃいくよ、ふわふわタイム!」
 こうして、放課後ティータイムの合宿が本格的にスタートした。






#7

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