#7 夏休み!

SIDE-A






 合宿から帰ってきた次の日、梓は憂と約束をしていたがそれまでの疲れか、朝寝坊をしてしまった。
 大急ぎで支度を整え、待ち合わせ場所まで行く。
「ごめん、憂!」
 梓が走って到着すると、憂は一言、
「だれ?」
 と返事された。
「な、何言ってるの憂、遅れたからってそんな」
 一瞬涙ぐむ梓。
「え、ええ、梓ちゃん!?」
 そう。
 彼女の肌は、合宿でこんがりと真っ黒に日焼けしていた。
「本当に誰だか分からなかったよ」
 そう言いながら、まずはマクドナルドへ入っていく。
「合宿で日焼けしたから」
「へえ。でも、お姉ちゃん、そんなに日焼けしてなかったけど」
「私が一番はしゃいでたから」
 先輩たちの前では人一倍真面目に振舞う梓だが、憂の前では普通に戻る。もっとも憂にしてみれば梓がそうして話してくれるのが嬉しくてにこにこ笑っているのだが。
「軽音部のみんなとも仲良くなったみたいだね」
「うん、まあね。一年生は私とシンジくんだけだし、同学年に女の子がいないからちょっと不安だったんだけど、でも合宿でやったふわふわタイムもすごくいい感じに仕上がったし」
「いいな、合宿楽しそう」
「楽しかったよ。みんなで演奏したのももちろんだけど、海でビーチバレーしたりすいか割りしたり。夜はみんなでバーベキューしたりして」
 一気に話す梓を見て、憂がにこにこ笑う。
「本当に軽音部になじんだんだね。よかった」
 憂が言うと、梓は「うー」と唸るが、否定はしなかった。
「確かに最初はみんな真面目なのかなって思ってたけど、でもやるときはきちんとやってくれるし、それに」
 梓はシンジの顔を思い浮かべる。
「シンジくんを鍛えるのもやりがいがあるから」
「梓ちゃんはシンジくんが本当に好きなんだね」
 うー、とまた唸る。だが、否定はしない。どうやらかなり自覚が進んできたようだ。
「告白するとかないの?」
「今のところは。シンジくんにそういうつもりがないの、分かってるし」
 もしシンジにそのつもりがあるなら、もっと反応があるだろう。今はまだそういう関係にはなれないということだ。
「少しずつ距離を縮めて、女の子として見てくれたらなとは思ってるけど」
「じゃあ、ライバルはお姉ちゃんだね」
 憂が笑顔を絶やさずに言う。
「やっぱりそうなのかなあ」
「だって、お姉ちゃんが家で話すことの半分はシンジくんの話だよ。今日はシンジくんがこうした、ああしたって」
 よっぽど気に入っているということなのだろう。
「でも、唯先輩には本当に困ってるんだよね」
「どうして?」
「あんまり練習しないし、すぐにスキンシップって言っては抱きついてくるし」
「うん。お姉ちゃんあったかくて気持ちいいよね」
 憂が自信を持って言う。
「いや、そういう話じゃないんだけど」
「お姉ちゃんって、基本的に誰からも嫌われないタイプでしょ。でも、抱きつくのはちゃんと相手を選んでるんだよ。私の知ってる限りだと、軽音部のメンバーと和さんだけじゃないかなあ」
「その中に私やシンジくんも入ってるんだけど」
「うーん、何のとりえもない人だとお姉ちゃんはあげられないけど、シンジくんなら成績もいいし、優しいし、料理もできるし、問題ないかなあ」
 妹的にはシンジを兄と呼ぶことはOKということか。
「……憂はどっちの味方なの」
 うー、と梓が半泣きになる。
「それは難しいよー。お姉ちゃんも梓ちゃんも大好きだもん。それなら私はただ見守るだけ。ただ──」
 笑顔のまま、あたりに何か冷気が漂う。
「お姉ちゃんをこっぴどく振ったりして泣かせたりしたらシンジくんを許さないけどね?」
「分かった、分かったから落ち着いて憂!」
 するとその冷気も自然と収まっていく。本当に姉のことになると人が変わる。
「その唯先輩は何してるの?」
「昨日かえってきてから、ずっとごろごろしてるよ」
「目に浮かぶわ、その様子」
「ごろごろしてるお姉ちゃん、可愛いよ?」
「ごめん、憂とは可愛さの感性がちょっと合わないみたい」
 幸せそうににやける憂。
「私、お姉ちゃんなら澪先輩みたいな人がいいなあ。それか和先輩か」
「ああ、二人ともきりっとしてるもんね」
「うん。澪先輩、憧れなんだ」
「じゃあ、律さんは?」
「あの人はパス。いいかげんで大雑把だから」
「ほーう」
 すると、いつの間にか憂の後ろに律がいた。
「いい度胸だなあ、梓」
 律は梓の隣に座って首に腕を回す。
「こんにちは、律さん」
「おう、久しぶりだな、憂。元気にしてたか」
「はい。律さんもお元気そうで良かったです」
「私から元気とったら何も残らないからなー」
「分かってるんじゃないですか」
「お、この口か、まだ言うのは」
 うりうり、と律が梓の口を引っ張る。
「澪さんとは一緒じゃないんですか?」
「ああ。あいつ、合宿終わった次の日だっていうのに予備校の夏期講習に行ってるから」
「律先輩は行かなくていいんですか?」
「私が? 何で?」
「そうですね。聞いた私が間違ってました」
 そもそも律は大学とかどう考えているのだろう。律だってやれば点数が取れるのだから、大学も選ばなければ入れるところはあるだろうが。
「そういえば、シンジは何してるんだ?」
「って、何で私に振るんですか」
「だって同級生だし仲いいだろ」
「そうですね。少なくとも律先輩よりは仲がいいと思います」
「こんにゃろめ」
 さらに首を絞める腕に力を入れる。
「それにしてもムギは避暑でフィンランド、澪も夏期講習となると、本当に誰もいないんだよなー」
「それならうちに来ますか? すいかもありますし、お姉ちゃんもいますよ」
「そっかー、唯がいたか。それじゃ、お邪魔しようかな」
 そうして三人がわいわいと移動して、平沢家に到着した。
「ただいまー。お姉ちゃん、律さんと梓ちゃんが来たよ」
 だが、返事がない。
「あれ、お姉ちゃん?」
 ずっと家でごろごろしていると思っていたのだが、家のどこにもいない。
「外出中か?」
「そうみたいです。今日はずっと家にいるって言ってたのに」
「ま、私は梓と憂がいるだけでもかまわないけど、唯もいれば楽しかったのにな」
「じゃあ、お姉ちゃんが帰ってくるまでゲームでもしてますか?」
「おう、するする」
 というわけで、三人でゲーム大会が勃発することになった。






 一方、その頃の平沢唯はどうしていたかというと、何と制服を着て学校へやってきていた。
 ギターを持って階段を上がる。そして部室の扉を開く。
「誰もいない部室到着!」
 と、扉を開けて元気よく入る。
「あれ、平沢先輩?」
 が、誰もいないはずの部室には先客がいた。
「あ、あれ? シンちゃん?」
「どうしたんですか、合宿の次の日なのに」
「シンちゃんこそどうしたの? 何か忘れ物?」
 唯じゃあるまいし、そんなことがあるはずもない。
「いいえ。合宿でたくさん練習したから、忘れないうちにもう少ししておこうと思って。家だとアンプとかないですから、学校の方が良かったんです」
 あれだけ豪華なマンションなら防音設備もしっかりしてそうだが、アンプがなければ意味のないことだ。
「そっかー。えらいねー、わざわざ一人で練習に来るなんて」
「平沢先輩だって、一人で練習に来てるじゃないですか」
「あ、そっか! 私、えらい!」
 今ようやく気づいたように言う。この天然さが唯らしいところだ。
「じゃあ、一緒に音合わせようか」
「いいですよ」
「すぐに準備するから、待っててね」
 ふんふーん、と鼻歌を歌いながらコードをつないでいく唯。
「じゃじゃーん、お待たせ!」
「いつでもいいですよ」
「うん。それじゃ、ふわふわタイムからね!」
 というより、シンジがギターを弾いているのだから曲はそれしかないことになる。
 シンジと唯のツインギターが調和して一つの楽曲を作る。そこに唯の声が重なる。
『君を見てるといつもハートどきどき、揺れる思いはマシュマロみたいにふわふわ』
 唯の声は綺麗だ。普段はちょっと喉にかかった声を出すのだが、歌のときは本当によく通る綺麗な声を出す。喋るときと歌うときとでは発声の仕方が異なるが、唯の場合は歌の方が綺麗に声が出せるということなのだろう。
『いつもがんばる君の横顔、ずっと見てても飽きないよね。夢の中なら二人の距離、縮められるのにな』
 ここからサビだ。シンジもスピードに負けないように必死に弾く。
『あぁ神様、お願い二人だけのドリームタイムください』
 そしてそのままラストに入る。
『……』
 が、その次の歌詞が出てこなかった。それどころか、唯のギターも徐々に止まり、やがて完全に音が途絶える。
「どうしたんですか?」
 シンジが尋ねると、唯がびっくりしたように言った。
「シンちゃん、分かったよ」
「何がですか?」
「この歌詞、今の私の気持ち、ぴったりだ!」
「は?」
「だから、」
 唯は、シンジを正面から見つめた。
「私にとっては、今が本当にドリームタイムだよ!」
「はあ」
「でも、私は夢の中じゃなくたって」
 ギターを置いて、唯が近づいてくる。
「ちょ、平沢先輩──」
 最後の距離を一気に縮めて、唯がシンジの胸に飛び込む。
「いつだって、縮められるもん」
 そのまま、唯はシンジに唇を重ねた。
「!!!!!!」
 触れるだけのキス。温かい、思いのつまったキス。
「シンちゃん、大好き」
 唯が顔をほてらせて言う。
「シンちゃんが心から好きだって言えるよ!」
 目の前で嬉しそうに告白してくる唯。だが、どうすればいいのか分からない。
「……迷惑、だった?」
「とんでもない!」
 シンジはぶんぶんと首を振る。唯のような可愛い女の子から告白されて嬉しくないはずがない。
 ただ、
「僕は、その、まだ、そういうこととか、全然考えたことなくて、どうしたらいいかわからなくて、好きとか嫌いとかいうのもよく分からないし、平沢先輩のこととかそこまで考えたこともなくて、だから何て言えばいいのか全然分からなくて」
 もう完全にパニックになってしまっている。
「それなら、全然気にしなくていいよ」
 唯は嬉しそうににこにこと笑う。
「考えたことがないっていうことは、これから考えることができるってことだよね?」
「え、あ、まあ、はい」
「だったら、これからは私のこと、少し考えてほしいな」
 唯は本当に嬉しそうだ。
 別に思いがかなったとか、付き合うことになったとか、そんなわけではまったくないのに。
「気持ちが分かるようになったら、答を聞かせてほしいな!」
「気持ちが……」
 つまり、自分が唯を好きかどうか、ということ。
「それとも」
 唯は少し、表情をかげらせる。
「やっぱり、あずにゃんの方が好き?」
「……それもよく、分かりません」
 そう、本当に分からない。自分が誰かを好きになるということがこの先あるのかどうかも分からない。
「ただ、僕は」
 今、答えられる精一杯の答を。
「平沢先輩も中野さんも、嫌いじゃありません」
「つまり、まだ私にもチャンスはあるってことだね!」
 むん、と握りこぶし。
「それなら、これからも積極果敢にアタックするよ!」
「もしかして、今までもアタックしていたつもりだったんですか?」
「そうだよ?」
 本当に分からない人だ。
「いつもシンちゃんに抱きついてアピールしてるつもりだったんだけどな」
「誰にでも抱きついてると、その延長にしか見えません」
「でも、男の子で抱きついてるのはシンちゃんだけだよ」
 それはまあ、誰彼かまわず抱きついてたら危ない。少なくとも妹が黙っていまい。
「だから、今はまだ深く考えなくてもいいよ。ゆっくり、少しずつ考えてみてほしいな。部活では今まで通りでもかまわないし」
「はあ」
 告白したというのに、唯は確かにまったく今までと変わらない。本当に今、告白されたのかと思うくらいに。
「というわけでもう一曲行こう! 今度は『カレーのちライス』!」
「それじゃあ、ちょっと待ってください。チェロに変えますから」
 告白した後だというのに、なんでこんなに何もなかったかのようにすぐ次の行動が取れるのだろう。
 だが、そのおかげで自分も動揺していても何もなかったかのように振舞えるのかもしれない。それは唯の思いやりだろうか。
「今日は、おもいっきり演奏しようね、シンちゃん!」
 唯の笑顔は、いつも以上にまぶしかった。






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