#8 二学期!

SIDE-A






「あ、澪先輩!」
 部室に向かう途中、梓が澪の後姿を見て声をかける。
「ああ、梓か。久しぶり」
「はい! ようやく二学期ですね! 私もう、待ち遠しくって!」
「シンジに会えるのがか?」
「もう、からかわないでくださいよ」
 合宿からだろうか、梓もシンジのことをそこまで否定することがなくなってきたようだった。夏休みにほとんど会えなかったこともあって、自分の気持ちを冷静に見つめることができるようになってきたのかもしれない。
「夏休み、どうでしたか?」
「うーん、後半は夏期講習ばかりだったよ。一回、律の宿題見てやりに行ったんだけど、そこにシンジも来てたぞ」
「え、本当ですか!?」
「誘ってほしかったか?」
「はい」
 しゅん、と梓が落ち込む。本当に素直になってきた。
「本当に、シンジのことが好きなんだな」
「そうかもしれないです」
 誰にも聞かれていないことを前提に澪に打ち明けている。
「あ、澪先輩、他の人に言わないでくださいよ?」
「大丈夫。多分みんな分かってる」
「そんな!?」
「ま、唯も本気みたいだし、あまり悠長にもしてられないんじゃないか? がんばらないと」
「う〜」
 そうして二人が部室につくと、先に到着していた唯がギターを鳴らしていた。
「え、嘘っ、唯先輩が練習してる!?」
 梓が驚く。いつもはまったりお茶を飲んでいるだけの唯が。
「ここ、部室であってますよね!?」
「梓もだんだん軽音部に毒されてきたな」
 澪が苦笑しながら中に入る。
「どうしたんですか、先輩。暑さにやられたんですか」
 梓がなおも唯を攻める。
「いや、なんか最近、音が変なんだよね」
「ギターのですか? ちょっと見せてください」
 受け取ると、弦はさびて、ネックもそっている。全然手入れがされていない。
「唯先輩、これ、手入れしてますか?」
「してるよ! いつも一緒に寝てるし、服だって着せてるし!」
「ちがーう!」
 メンテナンスを怠るのは初心者の悪い癖だ。その点、梓は親からきちんとそうした教育を受けているので問題ないが。
「おーう、久しぶりだな、梓。何してんだ?」
「お久しぶりです」
 律と紬もそこに現れ、最後にシンジが「こんにちは」と入ってくる。
「いや、唯先輩がまったくメンテナンスしてないんです」
「あー、なるほどなあ」
「えー、律ちゃんもメンテナンスなんてしてないよね」
「しとるわい、一緒にすんな」
「澪ちゃんは」
「してる」
「ムギちゃんは」
「してます」
「シンちゃんは……してるに決まってるよねえ」
 几帳面なシンジがそうしたところで怠るはずがないし、何より楽器に触れてもう十年にもなるのだ。そのあたりの知識は唯よりはるかに詳しい。
「道具があればメンテできますけど、交換する弦もないですよね」
「うん」
「それじゃあ楽器店に行くしかないですよ。いずれにしてもギターがこの調子だと、今日は練習にならないと思います」
 シンジの的確な言葉に「しゃーねーな」と律が頭の後ろで手を組む。
「平沢先輩は今日、どれくらいお金持ってますか?」
「え? えーと、二千円くらい」
「弦を買って交換すると、多分たりないと思います」
「えうー」
「まったく、普段からメンテナンスしてないから」
 梓がぷんと怒る。
「部費で何とかなりますか?」
「無理だろそりゃ。メンテは基本的に自己責任だからな。生徒会から予算もそんなにもらってるわけじゃないし」
 ほとんど同好会状態の部活なので、当然といえば当然だ。本当に、予算が少し出てるだけでもありがたいものだ。
「でも練習しないわけにもいかないですからね。残りのお金くらいなら僕、出せますよ」
「ええ!? でも」
「遠慮するなんて、平沢先輩らしくないですよ」
「だな」
「ここはありがたく借りておけばいいんじゃないか?」
 律と澪からも言われて、唯が顔を真っ赤にする。
「本当にいいの?」
「はい。お金ができたら返してください」
「シンちゃん大好き!」
 ぎゅうっ、と抱きつく。
「あー、また、唯先輩っ!」
 うー、と梓がうなる。ごめんごめん、と唯がすぐに離れた。
「なんだかんだいって、いいトリオだな」
「ああ」
「見ていてほほえましいわね」
 こうして唯のギターを持って楽器店『10GIA』へと向かうことになった。
 練習初日から練習できないどころか部室にもほとんどいないことになるとは思っていなかった。もっとも、休みの間もそれぞれ個別に練習はしていたらしい。そこまで練習不足ということはないだろう。
「律先輩も個別練習ってするんですね」
「なんか最近の梓は口が達者になってきたなあ、おい」
 ヘッドロックしながら頭を拳でぐりぐりと押す。梓も律とのそういうやり取りを楽しんでいる様子があった。
「私は練習が嫌いなわけじゃないぞ。何しろ好きでドラムやってるんだからな。好きなことをやるのに理由はないだろ?」
 その通りだ。では、何故もっと一生懸命やらないのか。
「そりゃムギのケーキが美味しいからだろ!」
「ムギ、今度からケーキ持ってこなくてもいいぞ」
「すみません真面目にやります!」
 律と澪のいつものやり取りがあって、六人は楽器店に到着する。
「あ、いらっしゃいませ。あ、紬お嬢様!」
「お久しぶりです」
「今日はどういったご用件ですか?」
「こちらのギターを見てほしいんです」
 シンジが唯からギターを受け取って、台の上に置く。
「これ、ビンテージものですか?」
「ここで買ったっていう話でしたよ。まだ買って一年です。メンテナンスがほとんどされてないだけです」
「分かりました。それじゃ、分解してメンテしますので、しばらくお待ちください」
 何故かシンジの方が手馴れている。ほー、と澪と律が見て感心していた。
「シンジ、こういうところで頼むの慣れてるのか?」
「はい。チェロの調弦とかお願いしてましたから、楽器店にはよく来てました」
「ギターも高いやつ即金で買ってたし、意外に正体不明だよな、シンジって」
 律がじろじろと見つめる。
「親の保険金が莫大なので、お金にはあまり不自由してないだけですけど」
「だからあんなに高級マンションに住んでるのか?」
「あそこは僕の家じゃないです」
「あー、そういや美人で血のつながりのないお姉さんが一緒に住んでるんだっけ」
 そう言って律が頭の中で考える。
「もっと正体不明だろそれじゃ!」
 ぽこん、とゲンコツで叩かれた。
「そう言われても、僕にどうしろって言うんですか」
「何かおごれ! 唯ばかりずるいぞ!」
「平沢先輩にはお金を貸しただけで、おごったつもりはないんですけど」
 と言いながらシンジはお目付け役の澪の姿を探す。と、彼女はレフティフェアのベースやギターの前に陣取っている。
「澪なら多分、ずっとあのままだぜ。レフティモデルは数が少ないからな」
「エレキチェロよりはたくさんありそうな気がします」
「まったく同感。オーケストラならチェロ人口も多いんだろうけど、軽音でやるやつは少ないだろうな」
 チェロをやっているシンジですらそういう感覚だったのだから、一般の感覚だともっとそれは激しいだろう。
「そういえば、シンジはどうしてあのギターを買ったんだ?」
「あ、それ私も気になります」
 梓も会話に加わってきた。
「弾きやすかったからですけど」
「そうかあ? それにしては最初に手を取ったのがこれだったよな」
 ギターのケースを叩いて律が尋ねてくる。
「そうですね。紫色がかっこよかったですから」
「そうか?」
「そうかなあ」
 どうやら律と梓には共感がもらえなかったらしい。
「うん、シンちゃんがギター弾いてるの、すっごくかっこいいよ!」
 と、さらに参加してきたのは唯。
「確かにシンジくんに紫は合う気がしますけど」
「シンジくんの大好きな色だもんね〜」
 そして紬も後ろからささやいてくる。
「別にそういうわけじゃ」
「そうなの?」
 梓が興味深そうに尋ねてくる。
「別に好きとかじゃないんだけど」
 二年前の戦いで、自分が乗っていた機体の色。こだわりがあるといえば、そうなのだろう。好きかどうかは別として。
「ちょっと、縁があるというか」
「また正体不明な台詞だな、シンジ!」
 律が今度はシンジをヘッドロック。
「あ、すみませーん。メンテ終わりましたー」
 と、ちょうどいいタイミングでメンテナンスが終了。ぴかぴかになったギターを見て唯が感動のまなざし。
「これにこりて、少しは普段からメンテナンスしてくださいね」
「うん! 今度は一緒にお風呂──」
「「「「「絶対駄目!」」」」」
 綺麗に五人の声がそろう。
「お代の方、五千円になります」
「シンちゃん〜」
「はい」
 費用を半分肩代わり。ありがとうございました、と店員の声がかえってくる。
「さて、それじゃ今日はこれで解散か?」
「あれ、澪先輩は──まだ!?」
 ずっとレフティモデルの前で見たり触ったり自分で弾いたりと、延々レフティモデルと戯れている澪。
「おーい、澪、そろそろ帰るぞー」
「やだ!」
 澪の珍しい子供っぽい言葉づかい。思わずシンジが笑っていた。
「おい澪、シンジに笑われてるぞ」
「え?」
 すると澪が振り向いてシンジと目が合う。瞬間、澪の顔が真っ赤に染まった。
「かかかかか、帰るっ!」
 同性だとそこまで意識しないのだろうが、シンジに見られたのはよほど恥ずかしかったらしい。
「サンキューな、シンジ」
「いえ」
 澪の可愛らしい姿を見ることができたということでよしとしておこう。
「それじゃ、また明日な」
「さようなら」
 そうして帰る方向が同じ梓、唯と一緒に歩き出す。
「あー、でもギー太が綺麗になってくれてよかったよ〜」
「シンジくんにお金、ちゃんと返してくださいね」
「わかってるわかってる」
「全然分かってる風に見えません!」
 二人の少し後ろを歩くシンジが、仲のいい二人を見て微笑む。
「そういえば、平沢先輩はどうしてそのギターにしたんですか?」
 シンジが尋ねると、自身満々で答えた。
「かわいいから!」
 三人の中で一番大きいギターを称して、かわいい。
「私、唯先輩の感性がよく分かりません」
「そういう中野さんはどうしてムスタングなの?」
「私?」
 梓が思い出すようにして話す。
「両親がジャズバンドやってたんだけど、使わなくなったギターを譲ってもらったの。それに、前にも行ったかもしれないけど、憧れの人が使ってるギターだし」
「じゃあ、思いいれのある楽器なんだね」
「うん。私、ギターの音が好き。ギター弾いていると、自分がうまく表現できる気がする」
「僕も中野さんのギターの音、好きだよ」
「え?」
 梓は突然不意打ちを受けて顔を赤らめる。
「軽音部の人たちは、みんな自分の音を持ってるからすごいと思う」
「それを言うならシンジくんもそうでしょ。シンジくんのチェロの音、私大好き」
「ありがとう」
「シンジくんのチェロって、誰かをうまく引き立たせるんだよね。私のギターの音とか、ムギ先輩のキーボードの音とか、うまく目立つようにチェロが使われている。そういうの考えて演奏してるの?」
「まあ、それなりに。チェロってもともとそういう感じの役回りだし」
「だからシンジくんのチェロの音を聞いてると、安心できるんだ」
 その二人の様子を見て、唯が「いやー、お二人さん、やけますなー」とひやかす。
「学祭のライブ、絶対に成功させましょうね、唯先輩」
「もちろん!」
 そんなふうに、二学期最初の一日はすぎていった。






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