#9 準備!

SIDE-B






 そうして軽音部員たちの学校祭へ向けての準備が着々と進む中、問題の事件が勃発した。
「さあみんな、今年は何着る!?」
 去年、全校生徒の前で教え子たちにメイド服を着させた張本人がやってきた。ついでに言うなら唯の声をつぶした張本人でもある。山中さわ子大先生だ。
「でもさあ、さわちゃん。やっぱり普通に学生服でもいいんじゃ」
「何言ってるのよ! こんなときくらいはじけないでいつはじけるっていうのよ!」
「さわちゃんはいっつもはじけてると思うけど」
 というわけでさわ子が持ってきた大量の着せ替え衣装を見る。予想通りすべて女ものだった。シンジの分はどうなるのだろうかと不安になる。
「あらかじめ断っておきますけど、女装はしませんから」
 シンジが誰より先に言う。さわ子の笑顔が凍りついた。
「や、やーねえ、そんなことさせるわけないじゃない。今日はほら、どんな感じにするのかなっていう意味で、試着よ試着。シンジくんに着させたりしないから安心して」
 棒読みだ。間違いなくたくらんでいた。危ない危ない。
「そうかなあ、シンちゃんきっと似合うと思うよ?」
「嬉しくないです。ぜんっぜん嬉しくないです」
 唯をにらみつけて言うシンジ。それ以上言うようなら二度と口きかない。
「じゃあ逆に、シンジくんはどんな服の方がいいか、注文ある?」
 言われてみると困る。別に注文はないが、動きにくいのは困る。
「動きが制限されないものの方がいいです。田井中先輩だって、バスが踏みにくかったり袖がひっかかったりしたら嫌ですよね」
「まあそうだな。だったら水着か?」
「学祭の寒い時期にですか?」
「冗談冗談。でも、動きやすい服ねえ」
「あ、ねえねえ、これなんてどうかな」
 唯が選んだのは浴衣。少し時期はずれだが、あまり問題はないように思える。
「でも足元、大変じゃないですか」
「そうねえ。そうしたらちょっとアレンジして、下はスカートっぽくしたらどうかしら。それなら問題ないんじゃない?」
 さわ子が代案を出す。
「『僕』もいるんですが、先生」
「や、やーねえ忘れてないわよ。シンジくんは下ばきを着てもらって、動きが制限されないような生地にしてあげるわ」
「してあげるって、先生が作るんですか」
「当たり前でしょ。かわいい生徒の晴れ舞台だもの」
 ただ単に自分が楽しんでいるだけだろう。さわ子が余計なことを言わなければ、全員制服で演奏するだけなのだから。
「ねえねえ、試着しようよ試着!」
「それじゃあその間、適当に散歩してきます」
 さすがに女性陣がみんなで着替えるというのにシンジがいるわけにもいかない。
「悪いなあ、シンジ」
「いやらしい顔で見ないでください。二十分くらいしたら戻ってきますから。それじゃ」
 シンジはそうして部室を出る。ふう、と息をついて歩き出すと、前から見慣れた顔がやってきた。
「あら、シンジくん」
 このたびめでたく生徒会長に当選した真鍋和先輩だった。
「こんにちは、真鍋先輩」
「いつも礼儀正しいわね。唯たちと一緒にいるのに」
 ひどい言われようだが、友人だからこそ悪気もなく言える。
「軽音部に何かご用事ですか」
「ええ。学祭のステージ使用届、まだ出てなかったから。どうせ律のことだから忘れてると思って」
「でしょうね。今着替え中ですよ」
「着替え?」
「ステージ衣装の合わせだそうです」
「そうなんだ。別に私が行っても問題ないとは思うけど」
 考えてから和はシンジを見上げた。
「シンジくんは暇?」
「二十分くらいなら」
「律のかわりに使用届、書いてもらってもいいかしら」
「はい」
「ありがとう、助かるわ」
 それじゃあ生徒会室で、と和が振り向くのでその後ろについていく。
「今年はどんな衣装なの?」
 歩きながら尋ねられる。
「浴衣でやるそうです」
「寒くないかしら」
「寒いと思いますよ。でも、皆さんがそれでいいなら、いいんじゃないでしょうか。風邪だけ要注意ですけど、着るのは本番であって事前じゃないですから」
「唯なら気に入ってずっと着続ける可能性もあるわよ」
 否定できなかった。あの平沢唯なのだ。それくらいのことは考えておかなければならない。
「本番以外で着るなって言っておきます」
「そうしてあげて。唯のいないステージは、確かに見られないことはないんでしょうけど、さびしいものね」
「そうですね。軽音部の看板ですから」
「いい表現ね。シンジくんはまだその看板になじんでないようだけど?」
「そんなことないですよ。平沢先輩には本当にお世話になってますし、感謝してます」
「それならよかった。唯をあまり悲しませないでね」
 この人も知っているのか。
 ため息をついた。それでもせかしたり茶化したりしないだけ、律よりずっとマシだろう。
 生徒会室に着いて、シンジは勧められた席につく。そこに「あら」と別の誰かが入ってきた。
「会長」
 やってきたのは生徒会長の曽我部恵だった。シンジですら知っている有名人だ。
「あら、軽音部の子?」
(よく知ってるな)
 感心した。生徒会長はそうやって生徒の一人ひとりをきちんと分かっていなければならないものなのか。もっともシンジのことを知っているのはまた別の理由があるのだろうが。
「はい。ステージ使用届を書いてもらおうと思って」
「また田井中さんは欠席したの?」
「はい」
「そう。何度も続くようだと困るわね」
 恵がそう言ってちらりとシンジを見る。
「一年生?」
「はい」
「名前は確か、碇くんだったっけ」
「よくご存知ですね」
「何度か名簿を見てるから。軽音部の男の子っていうだけの印象でしかなかったけど」
「それでもすごいと思います」
「ありがとう。私、この学校と、この学校に通ってくれるみんなのことが大好きだから」
 立派な人物だ。それを照れることなく言い切れるのがすごい。この人が生徒会長なら安心できると思う。
「曽我部先輩は立派な方よ。この人の後任が私なんかで大丈夫なのかって思ってるのよ」
「真鍋先輩なら絶対に大丈夫です」
 何しろ唯の幼馴染を続けていられるのだ。面倒見の良さは人一倍だ。
「あらあら。真鍋さん、後輩からよく慕われているのね」
「シンジくんは誰にでもこうです。私だけ特別というわけでは」
「そうなの?」
 恵が今度はシンジに尋ねてくる。
「僕はお世辞は言いません」
「だそうよ」
「もう、照れるからそれくらいにしてください」
 和は困ったように顔をくねらせた。
(やっぱりきれいな人だな)
 前はその指のしなやかさに驚いたものだが、こうしてみるととにかく造詣が整っている。無駄がない。ムギもきれいだが、和のきれいさはまた違ったものがある。
「曽我部先輩も大変ですね。生徒会長に、ファンクラブの会長もされてるんですから」
 瞬間、恵の表情が凍りついた。
「ファン……クラブ?」
 和が顔に疑問符を浮かべる。あれ、なんだろうこの反応は。
「ししし、シンジ、くん?」
「はい」
「な、何のことだか先輩全然さっぱり分からないんだけど」
「そうでしたか。すみません、勘違いしていました」
 どうやら生徒会メンバーには知られていないことだったらしい。余計なことを言ってしまった。
「あ、真鍋さん。私、シンジくんとちょっと話があるから、少し席をはずしてくれるかしら」
「はあ」
 何やら腑に落ちないという様子で和が席を立つ。部屋から出ていったところで、小声で尋ねられた。
「どうして知ってるの?」
「一度ファンクラブのメンバーから質問されたんです。そのときに生徒会長が兼任してるって聞いて」
「誰?」
「同じ一年B組の子、三人ですけど」
「あの三人ね……まったく、ファンクラブの会員であることは世に知られてはいけないとあれほど言ったのに!」
 三人と言われてすぐに判断できるあたりもたいしたものだと思う。というか世に知られてはいけない理由はいったい何なのか。
「いったい何人いるんですか」
「それは秘密よ」
「秋山先輩と夏休みに合宿したときの写真が何枚かありますけど」
「いいわよ。何が聞きたいの?」
 なんて変わり身の早い。
「そんなに人数いるんですか」
「二十人くらいかしらね。私と、何人かで秋山さんのこと大ファンになっちゃって、最初は仲間内でファンクラブを作ろうってことになって、気づいたらいつの間にか人数増えてたわ。会員証とか作ったり、みんなで秋山さんの歌った曲の音源聴いたり、正直生徒会長の仕事より面白かったわね」
 それを本人に知られず秘密裏に活動できるのだからたいしたものだ。
「本人に承諾もらえばいいんじゃないですか? 公認ファンクラブだって」
「負担をかけたくないのよ。私たちが好きでやってることだしね」
 そういうところはしっかりしている。趣味に熱中するが、暴走しない。なかなかバランスの取れた人物らしい。
「それで、約束のブツは?」
「さすがに持ち歩いてはいませんから、後日ということで」
「いいわよ。楽しみにしてるわ。あ、お金は払うから、人数分焼き増ししてくれないかしら。きっとファンクラブの子たちも喜ぶだろうから」
「いいですけど、お金を取るんですか?」
「それくらい私が出すわよ。ごく内輪のところにお金のいざこざとか出したくないし」
「分かりました。そのあたりは任せます」
 あまり深入りしない方がいいのだろう、とシンジは悟る。
「碇くんは秋山さんのことが好きなの?」
「もちろんです。頼りになりますけど、軽音部の中で一番女の子らしいですよね。かわいい人だと思います」
「まさか、狙ってるの!?」
「いいえ? もちろん先輩として尊敬してますけど」
「そう」
 すると恵は複雑な表情を見せる。
「何ですか?」
「いえ、それがね」
 恵は考えてから言った。
「目下、ファンクラブの最近一番の議題は、秋山澪と碇シンジは付き合うかどうか、ということなのよ」

 頭が真っ白になった。意味が分からない。

「誰と誰が、ですか?」
「秋山さんと碇くん」
「とりあえずそれは否定しておいてください」
 これ以上話をややこしくされても困る。
「そうなの? だって、秋山さんの近くにいる男の子って、碇くんしかいないっていう話だけど」
「部活が同じだけですよ」
「極端に男性を怖がっている秋山さんが緊張しないだけでも脈ありだと思うんだけどなあ」
「百歩譲って秋山先輩がそうだったとしても、僕はその……秋山先輩をそういう風に見たことはないですし、そんなの失礼ですから」
「失礼、か」
 なるほど、と恵が頷く。
「今日は面白い話が聞けてよかったわ、碇くん」
「いいえ」
「それじゃ、その用紙、提出しておいてくれる? 後で和に渡しておくわ」
「はい。よろしくお願いします」
 用紙を手渡す。それから笑顔で「バイバイ」と言われた。
 生徒会室を出ると、外で和が待っていた。
「何を話してたの?」
「軽音部のことについていろいろ尋ねられました」
「そう」
 じっと和が見つめてくる。何が知りたいのだろう、とその目を見返す。すると和がふふっと笑った。
「本当に純粋なんだね、碇くんは」
 はい、とも、いいえ、とも答えにくい。
「唯たちのこと、よろしく頼むわね」
「はい」
 そうしてシンジが軽音部に戻る。二十分どころか三十分は過ぎていた。
「あ、シンちゃんおそーい!」
 戻ってきてみると、五人とも見事なまでに浴衣姿だった。
「どうどう、似合う?」
「はい。よく似合ってますよ」
 くるくると回って見せてくる唯。子供っぽくはしゃいでいるのがあまりに唯らしくて笑ってしまった。
「これだと動きやすいから問題ないですね」
 梓も普段とまったく違って新鮮だ。
「袖が引っかかるかと思ったんだけど、そんなこともないな」
 ベースを持っているのが澪。こちらは大人びていて綺麗だった。
「私はどんな衣装でも大丈夫です」
 ムギは華やか。お嬢様をそのまま地で行く。
「うん。これいーよ、さわちゃん。これで行こうぜ」
 律もいつもと違って女らしさが出ている。
「喜んでもらえて嬉しいわ。それじゃあ後はシンジくんの奴を作ればいいわね」
「うん! これ、持って帰ってもいいかな? 憂に見せたいんだけど」
「やめておいた方がいいと思います」
 だがシンジがそれを遮る。
「どうして?」
「布地が薄いので、本番前に何回も着ると体調を崩す可能性があります。風邪を引いて出られなくなったら嫌でしょう? さっき真鍋先輩にも会いましたけど、体調に気をつけてほしいと言ってました」
「和ちゃんが?」
 そっかー、と残念そうにうつむく。
「それに、良いものは本番までとっておいた方がありがたみが出ると思います。平沢さんもステージで初めて見る方が新鮮で、感動するんじゃないでしょうか」
「そっか! さすがシンちゃんだね!」
 ぱっと顔が明るくなる。まったく誘導が簡単な先輩だ。
「それと、やっぱり布地が薄いですよね。山中先生、少し厚手の生地にすることってできませんか」
「できなくはないけど、ちょっと時間がかかるわね」
「じゃあ本番までにお願いします。先生が勧めてきたんですから、当然やってくれるんですよね?」
「が、がんばります」
 なぜか生徒に仕切られる女教師さわ子。
「なんだかシンジ、貫禄出てきたな」
 律がそれを見て感心していた。
「そんなことないですよ」
「謙遜すんなよ、うりゃ」
 律がまたいつものようにヘッドロックをかけてくる。
「ちょ、田井中先輩、浴衣なんですから落ち着いて!」
「なんだ? 照れてるのか?」
「照れますよ! 田井中先輩、いつも以上にかわいくなってるんですから、自覚してください!」
「へ?」
 言われて、律の顔が真っ赤に染まった。
「わあ」
「律ちゃん真っ赤」
「あの律をやりこめるとは」
「さすが天然ジゴロ」
 軽音部員たちからありがたくないお褒めの言葉をいただく。
「しーんーじー」
 わなわなと震えている律がシンジをにらむ。
「人をからかうのもいい加減にしろ!」
 明らかな照れ隠しで、シンジは三発殴られた。理不尽だ。






#10

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