#10 学祭!
SIDE-A
いよいよ学校祭を前日にひかえ、校内は一段と活気を帯びる。
それは軽音部も同じことではあるが、軽音部の盛り上がり方は少なくともシンジと梓にとっては空前のことであった。絶後になるかは分からない。だが、学祭ライブに向けて全力でやっているのは間違いないことだった。
「やってるわね」
そこに顔を出したのは学祭後に正式に生徒会長就任が決まっている和であった。
「あ、和ちゃーん」
親友が顔を出してくれたということで、唯が途端に甘えモードに入る。もっとも、相手が誰でも人懐こいのが唯の長所でもあるわけだが。
「来てくれたんだ」
「ええ。校内の見回りついでにね。いつもお茶してるから差し入れも必要ないかと思ったんだけど」
ビニール袋にジュースが六本。
「いやいや! こういうのはいくらあってもいいもんだぜ! ありがたく頂戴いたします!」
「じゃあ、休憩にしましょうか」
ムギが手を合わせて提案する。さんせいー、と唯も手を上げた。
「もう、ちょっとだけですよ。まだ新曲の方、完璧ってわけじゃないんですから」
そう言いながら、梓もギターを下ろす。この状況ではもう練習という雰囲気ではないだろう。
「邪魔しちゃったかな」
「いいえ。真鍋先輩が来てくれたおかげで、和みましたから」
「おおっ! さすがはシンジ、和(のどか)に和(なご)むとはやりますなー!」
「律。字を書かなければ分からないネタはやめておけ」
澪がため息をつく。
「和ちゃんも一緒にどう?」
「悪いけど、見回りがあるから。この時期、いろいろと困ってるところが多いから差し入れたり手伝ったりしてあげないとね」
おおー、と感心した声が上がる。
「それじゃ、明日楽しみにしてる」
そうして去っていくと、ほのぼのとした空気が残った。
「やー、和ってほんといい奴だよなー。生徒会の仕事だってたくさんあるだろうに」
「一生懸命なんですよ。現生徒会長が立派な方ですから」
シンジがフォローすると、律の目がきらりと光った。
「おおおおお? 何だその『僕なんでも知ってまーす』みたいな言い方」
「田井中先輩が出し忘れたステージ使用届を生徒会室まで出しに行ってきましたからね」
「さーて、今日のおやつは何かなー」
立場が悪そうになるとすぐに話をそらしてしまう。本当に分かりやすい人だ。
「すみませーん」
と、また新たな客が入ってくる。
「あっ、憂!」
入ってきたのは憂と純の仲良しコンビ。正確には梓も入れて仲良しトリオだった。
「がんばってるかなと思って、来てみちゃった」
「ちょうど休憩に入るところだったんだよー」
「本当に?」
「ほ、本当だもん!」
「大丈夫よ、憂ちゃん。一時間以上も休みなしで練習してたから」
ムギがフォローに入る。お姉ちゃんすごい、と褒めると唯が得意げになった。
「梓も碇くんもお疲れ様」
仲良しトリオのもう一人、純が声をかけてきた。
「純もジャズ研で忙しいんじゃなかったの?」
「うちは前日休みにしてるんだ。クラスの発表とかが忙しい人が多くて練習にならないからって」
「うちのクラスは何もなかったよね?」
「ええ。そうでなかったら私も憂もこんなにのんびりしてないでしょ?」
その通りだ。だからシンジも梓も全力で練習ができる。
「ま、何人かは自己練習してるだろうから、私も後で行くけど。せっかくだから梓の演奏を見ておこうと思って」
「そうだったんだ。ありがとう」
「どういたしまして。碇くんは? ギターやるの?」
「ギターとチェロ。両方やるんだ」
「すごいね。一つだけでも大変なのに二つなんて」
「そんなことないよ」
謙遜するが純に「そんなことあるって」と反論される。
「私も高校から楽器始めたんだけど、全然指が動かなくってさ。碇くんは何かトレーニングとかしてるの?」
「僕も全然。僕ができるのは昔からずっと続けてただけだから」
「でもシンジくんのチェロは癒されるんだよ」
梓が自分のことのように自慢する。
「ほっほーう。身も、心も、癒してくれるというわけですか。なるほどなるほど」
「純。顔つきがいやらしい」
「でも、軽音部の先輩たちってみんなきれいな人ばっかりだよね。碇くんもよりどりみどりで困るんじゃないの?」
「気が休まらなくて大変だよ」
苦笑しながら答える。優しい先輩たちだが、魅力的な先輩たちでもあるので、いつもどきどきしっぱなしだ。
「梓も負けてられないね」
「だから、そういうことを言わないの」
ぺち、と梓が純の額をたたく。
「じゃ、そろそろ行こうか」
憂の声に純が頷く。
「それじゃ、おじゃましました」
「おじゃましましたー」
そうして二人が出ていく。
「みんな期待してくれてるんだね」
梓が感慨深く言う。
「まあな。こう見えてもうちら軽音部の人気って高いんだぜ。まあ、そのうち半分以上は澪のファンだけどな!」
「そんなわけないだろ」
澪は否定したが、実はそんなわけがあったりする。少なくともシンジはそれを知っている。秋山澪ファンクラブという秘密組織がこの学校の中にあるということを。その大元締めが現生徒会長だということを。
(秋山先輩を慕っている中野さんが入っていないことの方が不思議だけど)
おそらくは生徒会長が軽音部には迷惑をかけないようにとの配慮しているのだろう。
「さて、やっぱり問題は最後の新曲だな」
『Go Go MANIAC』は予想通り難しい曲だった。どのパートも難しいのだが、一番の問題はボーカルだった。
「唯が噛まなければいいんだけど」
「ごめん、超無理!」
「だよなあ。一回も歌いきれたためしがないもんなあ」
メロディを口ずさむのはうまいのだが、いかんせんこの曲はスピードが早い。しかも歌詞をかなり強引につめているので、フレーズごとに歌いきるのが一苦労なのだ。
「バックコーラス、もうちょっと変えた方がいいか?」
「部分的にツインボーカルで行くのもありだと思います。平沢先輩の噛みやすいところだけサポートするみたいな」
「となると澪か?」
ぶるぶるぶる、と首を横に振る。
「琴吹先輩の方がいいと思います。早口言葉上手ですし」
唯ほどではないにしても、ムギもこう見えて万能選手だ。いつもおっとりしている様子ではあるが、スキルはいろいろなものを持っている。
「フォローはどこで必要だ?」
「やっぱりサビのところですよね。全体的に難しい言い回しで口が回りませんし、一サビ一回は噛んでますよね」
「難しいよー、ここ」
「じゃあ、ムギはそれでもいいか?」
「ええ。がんばる」
それから練習を再開。他の三曲はほぼ完璧な仕上がりだが、どうしても新曲だけが難しい。
シンジのチェロは基本的に唯のカバーだ。歌が大変な曲なので、リードギターのところをほぼ同じように追いかける形にしている。もちろん他の楽器のフォローをすることもあるので完全に同じというわけではなかったが。
「あ、シンちゃん今のところもう半音の半分の半分くらいあげれる?」
練習を再開して音を合わせると、唯は的確に音の指示を出してくる。同じメロディを弾くことになるので、音のズレは敏感に気づく。そのあたりはさすがに完璧超人だ。
「こうですか?」
「もうちょっと」
「これくらいで」
「うん、ばっちり!」
そういうところは本当に天才なんだなと感心する。
「じゃ、もう一回流して音合わせてみようか」
そうして六人が最初から演奏を開始した。
だが。
「何回やっても何回やってもマニアックが歌えないよー」
微妙な音程で律が歌った。
「あのフレーズは何回やってもまわらない」
「リズムキープを続けてみるけど英語の部分で乱れる」
「ツインボーカル試してみたけどメインが噛んだら意味がない!」
「だけどこれを歌いきるために、みんな応援だけは最後までやってみるー」
続けてムギ、シンジ、梓、澪とあとを続ける。唯は既に虫の息だ。
「うー、ひどいよー、みんなー」
「だめですよ、律先輩。そうやってからかったりしちゃ」
「お前らみんな同罪だろ」
「ちょっと発想を変えた方がいいかもしれないわね」
ムギがそういって頭をひねる。
「発想?」
「ええ。あまり歌詞通りに歌えなくてもかまわないってこと。アバウトにやってみるといいんじゃないかしら。たとえば、ここの『Girls Go MANIAC!』のところ。『ガーゴマニーア』くらいにしてみたら」
「いいのかそんなので」
「ちゃんと歌っても、新曲の歌詞なんて誰も聞き取れないわよ」
まあ、流行曲なんかでも『今なんて歌ってたんだろう』みたいなことはよくあることだが。
というわけで、唯が噛みやすい場所の語尾を切ったり変えたりしてみながら修正完了。
「今の私は五分前までの私とは一味違うよ!」
「同じだったら困る」
澪の鋭い突っ込み。
「それじゃ、行くぜ!」
律の声で再度開始。そして最後まで歌いきる。
「できたぁ!」
唯が満面の笑みで梓に抱きつく。
「やりましたね、唯先輩!」
「ムギのアドバイスのおかげだな」
「上手でしたわ、唯ちゃん」
「これで何とか本番は大丈夫だな」
「おめでとうございます、平沢先輩」
それからもう一度、四曲連続で練習。最後までノーミスで終了した。
「よぅし、総練習終了!」
『おつかれさまでしたー!』
なんとか形になっての練習終了。とにかくこれで準備は整ったわけだ。
「それじゃ、帰りどこかよってくか?」
「さすがに今日は帰ってゆっくり休んだ方がいいだろう。明日エネルギー切れになったらどうするつもりだ」
澪がため息をつきながら言う。
「澪のいけずー。じゃ、明日のライブが終わったら打ち上げな!」
もちろんそれなら誰も文句はない。
「高校の初ライブかあ」
梓がわくわくした様子で言う。
「がんばろうね、シンジくん」
笑顔で言う梓に、シンジも力強く頷いた。
明けて翌日。
学祭当日はホームルームもなし。午前十時になったら全校放送が流れて一斉に開始。自由もここまで来るとどうかと思うが、クラスや部活の準備に追われている生徒たちにしてみればありがたいことであった。
出欠も基本的には取らない。サボりたければ丸二日、堂々とサボって遊びにいくことだってできる。もっともクラスや部活の当番もあるので、簡単にサボれるわけではないのだが。
軽音部のライブは一日目の午後三時から三十分間。音合わせは午前九時から楽器を搬入してすぐに行う。午前中は合唱部、午後からはジャズ研と軽音部がステージを利用する。
「って、何で唯のやつが来てないんだよっ!」
午前九時ジャスト。集合時間にまだ来ていないのは唯だけだった。
「電話にも出ません」
「ったく、どこをほっつき歩いてるんだか」
「寝てるんじゃないですか」
シンジが一番妥当な答を言う。
「憂ちゃんがいるのにか?」
確かに憂なら姉のタイムスケジュールまできちんと把握して行動していそうだが。
「そうか、憂なら分かるかも」
梓がすぐに電話をかける。
「もしもし、憂?」
『あ、梓ちゃん? おはよう、どうしたの?』
普通の声。
「唯先輩がまだ来てないんだけど、憂、知らない?」
『え? でもお姉ちゃん、七時には家を出てったよ?』
七時?
全員が頭の中で疑問符を浮かべる。唯の家からなら歩いても二十分。開門は八時。
「学校、開いてないですよね」
「どこかに立ち寄ってるってことか?」
「それとも交通事故──」
「それはないと思います。それならとっくに家庭か学校かに連絡が入るはずですから」
顔色が変わった一同に安心した様子が戻る。シンジもほっと心の中で息をついた。正直、シンジも今の発言には自信がなかった。だが、軽音部のメンバーをまずは安心させなければいけなかった。パニックになるのだけは防がなければ。
「でもそうしたらシンジには何か心当たりあるか?」
「……交通事故ほどじゃないですけど、不安な点はあります」
「まさか、誘拐?」
「唯先輩だからありえそうですけど、さすがにこのタイミングで誘拐は非現実的ですよね」
シンジはまじめな顔で言う。
「七時二十分に学校到着。当然まだ校門は閉まっている。とすると仕方なく開門まであちこち動き回る。疲れたのでどこかで休憩。そのままうとうとと眠ってしまう。こんなところじゃないでしょうか。寝てるんだとしたら携帯に出ないのも分かります」
「でも寝るって、どこで」
「そこなんですよね」
シンジが本当に困った様子で言う。
「どこか喫茶店とかならいいんです。でも、これがもしどこか近くの公園のベンチとかだったら──一時間以上寝てたら確実に風邪をひきますね」
そのときだった。
「おあよー」
真っ赤な顔、ガラガラ声の唯到着。
「試みに聞くが、唯」
律がこめかみをひきつらせる。
「お前、今まで、どこで何してた?」
「んー、ごうえんでねでだら、がぜひいぢゃっだ。でへっ」
「「「「「でへっじゃねーよ!」」」」」
というわけで、ライブ直前にしてトラブル発生となった。
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