#10 学祭!
SIDE-B
「去年は練習しすぎ、今年は風邪」
ソファに寝て、濡れタオルを頭に置いたまま荒い呼吸をする唯に向かって律が言う。
「唯は学祭にのろわれてるんじゃないのか?」
「いやあ、ぞんなごどは」
「黙ってろ」
澪が濡れタオルの上から軽くたたく。
「でもどうする? さすがに唯なしでやるのは無理あるぜ」
「平沢先輩はバンドの顔ですからね」
唯の元気な声がなければ、このバンドの良さは半減どころかほとんどなくなってしまう。唯のボーカルと澪のボーカルとでは、基本路線がまったく異なるのだ。ふわふわタイムやGO! GO! MANIACは唯だからこそ映える曲だ。
「でもふわふわタイムなら澪だって去年歌っただろ?」
「やだ!」
去年の惨劇を思い出してか、澪が完全に首を背ける。
「大丈夫よ、澪ちゃん上手だもの」
「やだ!」
「澪先輩ならできますよ」
「やだ!」
「山」
「やだ!」
「川」
「やだ!」
もはや何も聞こえないという状態だ。これでは話にならない。
「平沢先輩」
その、倒れている唯に向かってシンジが尋ねる。
「あの難しい『GO! GO! MANIAC』、すごい練習しましたよね」
こく、と唯が頷く。
「歌いたいですよね。あれだけ練習して、最後にうまく歌えるようになったんだから」
「うん。うだいだい」
既に声がアレだ。
「じゃあ、三時まではひたすら寝て体調を戻してください。のどが炎症してますから、炎症にきく薬をこれから届けてもらいます。ふわふわタイムは秋山先輩に、校歌は中野さんに、ホッチキスは琴吹先輩にそれぞれ歌ってもらいましょう」
「やだ!」
「わ、私!?」
「私もですか?」
澪は当然ながら首を振るが、いきなり指名された梓と紬も驚く。
「それがベストですよね、田井中先輩」
「そうだな。ふわふわは澪が歌ったことあるし、校歌はギターの音強くないしな。ホッチキスはキーボードそんなに大変じゃないからボーカル代役ってことで」
「それから平沢先輩のギターパートについては山中先生にやってもらいましょう」
「さわちゃん?」
「ええ。すごい上手なんですよね。この際、頼れるものは何でも頼りましょう。それで、平沢先輩はギターもボーカルもマニアック一曲だけ。それでどうです?」
「うー」
うなるが、この現状が変わるわけではない。
「うん、分かった」
「いい子ですね。ありがとうございます」
「わだしのほーがどしうえ」
「この状況でどちらが上とか下とかないですよ。とにかく今はゆっくり休んでください」
そうして寝かせるとすぐにシンジは携帯電話をかける。
「もしもし、マヤさんですか? はい、ちょっとお願いがあって。はい。風邪を引いた子がいるんです。のどがすごいはれて声が出なくて。そうなんです、一曲だけっていう条件で。はい。はい、ありがとうございます。到着何時ごろになりそうですか? 分かりました、感謝します」
そうして要件だけ手短に話し終える。
「一時間以内には来てくれるそうです。それまでにできることをやっちゃいましょう」
「できること?」
「平沢先輩がいなくなるので、ステージ進行を変えないといけません。それに三人の歌の練習も」
「あー、そっか。いろいろやることあるんだな」
「まず田井中先輩は山中先生を連れてきてください」
「よしきた」
「琴吹先輩と中野さんはすぐに歌詞のチェック。絶対に間違えないようにしてくださいね」
「分かったわ」
「が、がんばる」
「それから秋山先輩は──」
既に白化している。シンジは少しかがんで、その顔を覗き込む。
「しっかりしてください。秋山先輩、僕たちのステージを、この程度のトラブルで棒に振るつもりですか」
そうすると、徐々に澪の顔に生気が戻ってきた。
「ふわふわタイム一曲です。いけますよね?」
「シンジ」
すると澪が小さく頷いた。
「すげえ」
「シンジくんって、ときどき大胆よね」
「天然ジゴロ」
律、紬、梓からその様子に対する感想が口をつく。
「僕はステージ進行に赤入れしていきます。山中先生が来たらその打ち合わせも。ここまで三十分でいきます。何か質問は」
全員が首を振る。
「では、お願いします!」
シンジの号令で全員がそれぞれの動きに入った。そしてシンジもまたステージ進行のプロットに目を通す。
「それにしてもシンジくん」
梓が校歌の歌詞を見ながら言う。
「すごい仕切ってたね」
「本当なら田井中先輩がするところだよね。ごめん」
「ううん。かっこよかったよ」
その言葉に、シンジの顔が真っ赤になった。
「僕は僕にできることをしただけだから」
「でも、私たち、みんなパニックになっててどうすればいいのか分からなかった。シンジくんがいてくれなかったらまだどうするって悩んでたと思う」
「みんなの役に立てたなら良かったよ」
そうして二人も自分の作業に没入する。問題はMCだ。唯の物怖じしない性格、さらには場を和ませる能力は誰の目にも明らかで、そのかわりができる人間はこの部の中にはいない。澪は引っ込み思案、律は独善的、紬は自分から何かを伝えようとするのが苦手だ。だからといって自分や梓ができるようなものではない。
(MCを最終曲の前にして、平沢先輩にやってもらうのが一番だな)
問題は一曲歌うのも大変なのに、MCまでできるかどうかというところだ。
「シンジ、連れてきたぜ!」
全力で引っ張ってきたのか、さわ子が肩で息をしている。
「な、なんなのよ、理由も何もいわないで連れてきて」
「理由はこれ」
ソファの上で寝込んでいる唯を見て顔をしかめる。
「風邪?」
「そういうこと。だからさわちゃんに何とかしてもらおうと思って」
「何とかって」
突然振られてもさわ子も何が何やら分かるまい。シンジがここまでの状況を説明した。
「それで私にギターをやれっていうの?」
「はい。先生はギターが上手だと聞きましたので」
「でも、私──」
「頼れるのはもう、先生しかいないんです」
「う」
「どうか、よろしくお願いします」
いろいろと頼む方法はあった。だが、この場合は直球で正面からいくのが一番気持ちが伝わると思った。さわ子は少し考えてから「分かったわよ、もう」とため息をついた。
「私、ギターなんて久しぶりだからちょっと練習がいるわよ。唯ちゃんのギターと楽譜、貸してくれる?」
「はい」
既に準備してあったギターを手渡す。楽譜を譜面台に置き、じゃらんと音を鳴らし、すぐに曲を奏でる。
「うわ、先生、上手!」
「そりゃあ、長いことやってたもの。今の唯ちゃんよりは上手に弾けるわよ」
「これならギターは全然大丈夫そうだな」
律が安心したように言う。
「田井中先輩、構成なんですけど」
「よしきた」
そうしてシンジと律とで細部を打ち合わせる。人の配置も変更しなければいけないし、澪や梓が歌いやすいように曲も若干手を加えなければならない。
「あと、ドラムだけは先に搬入しておかないと」
「そうだよなー。あれ大変なんだけど」
「三人の歌詞確認をする分も、がんばって働きましょう」
「鬼! 鬼シンジ!」
嫌がる律を強引に動かす。仕方ないわねえ、とさわ子も一つ持ってくれた。
「ちょっと、軽音部? 機材の搬入まだなの?」
と、そこへ和が顔を出す。
「あ、わりぃ。ちょっとトラブルあって」
「トラブル?」
「平沢先輩が風邪引いたんです」
「え?」
和がソファに倒れている唯を見てため息をつく。
「何してるのよ、まったく」
「朝、ベンチに座ってうとうととしてたそうです」
「唯らしいけど、何もこんな日に限って……」
和が頭を押さえた。
「どうするの? ステージ、やめるの?」
「いや、やるぜ。唯が歌うのは一曲だけ。他のはみんなでカバーすることにした。その打ち合わせでちょっと遅れてたんだ」
「分かったわ、ちょっと待って」
和が携帯をかける。
「あ、佐々木さん? 悪いけど、ちょっと軽音部まで何人か手の空いてるの連れてきてくれないかしら。ええ、ちょっとトラブル発生。荷物の搬入を手伝わないと合唱部のステージ発表に差し支えるから。ええ、よろしく」
と、簡単にやり取りする。おおー、と律が声を上げる。
「すごいな和、生徒会長みたいだ!」
「いや、生徒会長なんだけど」
「これからもよろしくお願いします!」
「それはもういいから」
あくまでクールな和だった。シンジも改めて頭を下げる。
「ありがとうございます」
「いいわよ。シンジくんにはいつも手伝ってもらってるしね」
「そんなにたいしたことは」
「助かってるわよ。生徒会、男手少ないしね」
「んー?」
じろ、と律がシンジをにらむ。
「もしかしてシンジ、こっそりと和のこと手伝ってたりするのか?」
「こっそりではないですけど、真鍋先輩が大変そうだったので、この間荷物を運ぶのを手伝っただけですよ」
「なんだシンジ、すっかり和狙いか!」
「あんまりからかうんじゃないのよ」
ぽん、と和が律をたたく。
「遅くなりました!」
と、そこへ生徒会メンバーが四人ほど到着する。
「助かるわ。早速だけど、ステージまで運ぶの手伝って」
「はい!」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。さ、早く運んじゃいましょう」
そうして手分けして荷物を運ぶ。ステージまでは遠いが、みんなのおかげで一度で済んだ。
「さんきゅーな、和」
誰にも聞こえないように、律がこっそりと和に言う。
「いいわよ。私もあなたたちのステージ見たいんだから、しっかりやってよね」
「まかせとけ」
シンジは聞こえない振りをした。今のは友人同士の会話だ。自分が首を突っ込むところではなかった。
そうしてステージ発表が始まる。
一曲目の『ふわふわタイム』が終わり、そのままシンジがギターを置いてチェロのところへ。
(こんなにたくさんの人の前でチェロを弾くなんて、初めてかも)
それも一年前には存在すら知らなかったエレキチェロ。
(よろしく)
改めて、楽器に心の中で語りかける。そしてゆっくりと弦を引いた。
体育館に流れる校歌の旋律。少しどよめきが起こった。このあたりは紬の予想通り。
そして、一気にテンポが上がる。いつもの校歌なのに、ぜんぜんノリのいい曲。そして、歌うのは元気いっぱいの一年生、梓。
まだワンコーラスも終わっていないというのに、既に何人かの生徒が一緒に歌っていた。そう、自分たちが求めていたのはその一体感。
ワンコーラス終わったところでドラム、ギター、ベースは手を置いて、キーボードとチェロの旋律だけが流れる。梓が「みなさんも一緒に歌ってください!」と声をかけた。
『連なる美峰の懐に 慈愛の精神を育みて』
そしてまたペースを上げる。ここまでみんながノってくれたら、あとはもう一気に歌い上げるだけだ。
『開けゆく未来を担わんと ああ 勉めし友垣が集う校庭 ああ 勉めし友垣が集う校庭 桜ヶ丘高等学校』
歌い終わると大歓声。うまくいった。むしろここまで生徒が盛り上がるとは思わなかった。やはりみんなが知っている歌というのはいい。
そしてゆっくりとしたテンポになって『わたしの恋はホッチキス』。紬の声はこの曲調にしっかりとあって、優しい気持ちが体育館に満ちる。
いよいよ、最後の曲となった。
「おっまたせしましたー! 軽音部ボーカル、平沢唯ですっ!」
三曲終わってMCから唯の登場となった。
「いやー、今日はほんっとうにごめんなさい! 朝、ずっと外にいたら風邪ひいちゃって、今もまだちょっと鼻声なんだよね。熱は薬で下げたんだけど、その分頭がぼーっとしてるから、変なこと言っても勘弁してねー」
だが、にこにこ笑顔で言われると何があっても許してしまう、それが唯の不思議な魅力だった。
「さわちゃん先生もありがとー! 今日は私のかわりに三曲も弾いてくれました。さわちゃん先生は本当にギターが上手です。私もよく教えてもらってます」
そんな場面見たことないけど、とはシンジは言わない。そのさわ子から唯がギターを返してもらう。
「それじゃ、最後の曲の前にメンバー紹介ね! まず一曲目、ふわふわタイムを歌ってくれたベースの秋山澪ちゃん! 人前で歌うの苦手なのに、かわりに歌ってくれてありがとー!」
ベースを鳴らして存在を一応アピール。
「ギターの中野梓ちゃん、通称あずにゃん! 二曲目、桜ヶ丘校歌のメインボーカルをかわってくれました。あずにゃん大好き! ありがとう!」
同じくギターをピッキングで弾いてアピール。
「キーボードの琴吹紬ちゃん! 愛称ムギちゃん! 三曲目、わたしの恋はホッチキスのボーカルを歌ってくれました。ムギちゃんありがとう!」
すると紬はキーボードで『おっとととのおっとっと』とメロディを流す。会場爆笑。
「それからドラムの田井中律ちゃん! 企画、構成、今日のステージについてもメインで動いてくれました。りっちゃん、ありがとうございます!」
律はドラムをたたいて答える。
「最後にギター兼チェロの碇シンジくん! 軽音でチェロって珍しいよね! でもね、シンちゃんのチェロは本当に聞いてて幸せになってくるんだよ! 今日、私が風邪引いてみんなパニックになってたのもシンちゃんが一人でまとめてくれました。本当に感謝してる。ありがとうシンちゃん!」
チェロを二度鳴らして答える。
「それじゃあ最後、いきます! 新曲『GO! GO! MANIAC!』」
そして今日一番激しい曲を演奏する。六人が六人とも、自分の全力を出し切って、みんなと音を合わせて、体育館に自分たちのせいいっぱいを伝える。
『気持ちいいから YEAH! アンコールもっかい!』
#11
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