#12 師走!
SIDE-A
十二月になると一気に寒くなる。学祭が終わったのがつい昨日のことのようにも感じるのだが、そんなこともなく現実の時間は瞬く間に過ぎていく。
「律ちゃん律ちゃん! いいこと思いついた!」
いつもの唯がいつもの元気で言う。
「あー、とりあえず聞いてやるから言ってみろ」
「こうしたら冷たくないよ、ほらっ!」
唯は毛糸の手袋をしていた。律は顔をひきつらせ、ムギはにこにこと笑っていた。梓は白い目で見て、シンジは苦笑した。
「どうかな?」
「ま、弾いてみりゃいいんじゃねーか?」
論より証拠とばかりに、さっさと楽器を弾かせてみる。すると、ピックは持てない、弦は押さえられない、と当然の結果になった。
「失望した!」
唯が手袋を床に叩きつけて、指さして怒鳴る。
「なにやってるんだか」
澪があきれたように言う。考えれば当たり前のことでも実際にやってみるのが唯らしいところだが。
「十二月になって、一気に寒くなりましたね」
シンジが話題をそらすように言う。
「楽器をやる人間にとっては辛い季節だな」
澪がそれに答える。
「そうですね。ギターもチェロも冷たくて大変です」
「シンジは持ち変えるたびに冷たさを感じるわけか」
「昔からやってましたから慣れてるつもりでしたけど、やっぱり毎年大変ですよね」
ひんやりとした楽器に触れるのは大変だが、触らなければ演奏はできない。そして困難がある方が何故かこの部活のメンバーはやる気を増す。普段はだらけているのに。
「いつもこれくらいやる気を出してくれてればいいんですけど」
梓が皮肉たっぷりに言う。
「学祭でみんなに迷惑かけちゃったから、少しでも練習して返さないとね。今年の私は一味違うよ!」
「もう今年終わるんですけど」
梓がジト目で言う。
「それに明日から期末試験前で部活禁止だしな」
「うそっ!?」
「ホント」
するとみるみるうちに唯のやる気がダウンしていく。まあこんなものなのだろう。シンジは笑顔を浮かべながらチェロを奏でる。
「そういえばシンジ、明日は暇か?」
と、そんな練習していたシンジに声をかけたのは澪だった。
「いいえ? 勉強するくらいですけど」
「だったら、ちょっと付き合ってくれないか。手伝ってほしいことがあるんだ」
「おーっ! 澪もシンジ争奪戦に参加か!?」
律が大きな声で言う。が、澪はため息をついて答える。
「軽音部がらみのちょっとした荷物運びだ。律も手伝うか? 部長だしな」
「いや、明日は腹痛の予定」
「そんな予定があるか!」
いつもの二人の会話に梓が加わる。
「大変なら私も手伝いますよ?」
「いや、一人いれば充分なんだ。それに重いしな。男手がいるんだよ」
「そうですか」
少し残念そうに言う。部活で一緒にいられない分、シンジと一緒にいられる機会がある方が梓としても嬉しいのだろうが。
「何を運ぶんですか?」
「学祭のドタバタで体育館に放置してきた機材の残り」
「ああ、そういえばずっと放置してましたね」
もう一ヶ月も前なのに、よくもまあ置いておかせてくれたものだ。
「さすがに体育の先生から苦情が来て、部活動休みの間に運んでくれって」
「分かりました。そういうことなら問題ありません」
「助かるよ。律はこういうとき、本当に頼りにならないからな」
「へーへー」
律がふくれた。まあ律にやる気をもってもらおうと思っても無理なのは分かっているので、別に澪もシンジも何も言わない。
「シンジくん、勉強は大丈夫?」
梓が尋ねてくる。
「うん。平沢さんにはまたかなわないかもしれないけど、ちゃんと勉強はしてるから」
「優等生め!」
律が嘆くが、こればかりは毎日きちんとやっているシンジの方が正しいのは間違いなかった。
いくつかの機材を台車に乗せ、ガラガラと音を立てて荷物を運んでいく。
一番の問題は階段を上ることだ。重い機材だが二人で持つほどの大きさというわけでもない。つまりシンジが一人で持って上るということになる。
もちろんそんな作業を澪にやらせるつもりもないシンジは、三つの機材を全部一人で運んだ。三往復はさすがに大変だった。ネルフ時代の習性で体を鍛えることだけは定期的に行っているシンジだったが、それでも大変だった。
「お疲れさま、シンジ」
「いえ」
口には出さないが、体には疲労が蓄積していた。これ以上重いものを持ったら手が震えそうだ。
「悪かったな。こんな労働させて」
「いえ。誰かが運ばなきゃいけないなら、それは僕の仕事でしょうから」
「そう言ってもらえると助かるよ。部活動は禁止だけど、少しくらい休んでから帰ろうか」
さすがに禁止期間だけのことはあって、唯やムギ、律らはさっさと先に帰っていた。梓もだ。
「お茶を入れるからちょっと待っててくれ」
「僕がやりますよ」
「疲れてるんだからシンジは座ってろ。ムギほど上手じゃないけど、私だって茶くらいは淹れられるぞ」
とはいえ、紅茶はさすがに技術がいる。澪が手にしたのは日本茶だ。
「というか、急須なんてものがあったんですね」
「この部屋は何でもあるな。まったく、ムギの品揃えの良さには驚くよ」
手馴れた様子で茶葉を淹れ、ポットからお湯を入れ、軽くふって湯のみに注ぐ。
「上手ですね」
「家ではいつも自分でいれてるからな。ほら」
いつものテーブルにお茶と、準備してあったのか羊羹が出される。
「疲れるだろうと思って買っておいたんだ」
「ありがたくいただきます」
疲労には糖分がありがたい。遠慮なくいただくことにした。
「静かですね」
部室には澪と二人きり。いつもは賑やかな唯と律がいて、それに梓が絡んだり絡まれたり。
「そうだな。何だか全然別の場所みたいだ」
「秋山先輩がいなかったら、この部活は機能しないんでしょうね」
シンジは羊羹を食べながら言う。
「なんだ、突然」
「僕や中野さんが入部する前は、田井中先輩と平沢先輩をうまくコントロールして練習させるのが秋山先輩の役割ですよね。琴吹先輩は練習もするけど二人と一緒になって騒ぐの大好きですし」
「う。まあ、その意味では梓にもシンジにも感謝してるよ。新入部員の手前、律や唯も練習するようになったしな」
「中野さんは真面目ですから」
「シンジにはかなわないと思うけどな」
「僕は」
シンジは自分を振り返る。確かに真面目は真面目なのだろう。だが、
「そんなに、いい人間じゃありません」
「何だよ、それは」
「嫌なことがあったら逃げ出すのは得意技ですし、考えたくないことは見向きもしない。そんな臆病で、弱虫で、卑怯な人間なんです」
ずっとそうだった。あの戦いのときからずっと。自分は成長したように見えて、まったく成長していなかった。
「人間なんて、みんなそうじゃないのか?」
「え?」
「嫌なことがあったら逃げ出すのは人間の特徴みたいなもんだろ。見ろ、この機材運べって律に言ったら真っ先に逃げ出した」
言われて、思わず吹きだしてしまう。まったくその通りだった。
「秋山先輩の言う通りですね」
「だろ? だからシンジが思い悩むことなんか何もない。私の目から見たら、シンジは立派だよ」
「そんなことありません」
「他人のことを考えて相手の喜ぶような言動をしたり、自分が緩衝材になることで仲を取り持ったり、嫌な作業を率先して行ったり、いざというときには決断力もあってリーダーシップも取ることができる。無敵の高校生じゃないか」
「褒めすぎです、先輩」
「一つ不満があるとしたら、優柔不断で八方美人なところかな。唯と梓の件、本当にどうするつもりなんだ?」
痛いところを突かれた。
「考えたくないことは見向きもしない人間なので、その件についてはスルーさせてください」
「でも唯も梓も気に入ってはいるんだろ?」
「それはもちろん」
「じゃあ後は決めるだけか。どっちの方がより好きとか、そういうのは全くないのか?」
「こういうことを相談するのもどうかと思うんですけど」
シンジは困ってみたものの、ため息をついて答える。
「二人とも全然別の魅力があるから、比べることはできません」
「そうだな。お前と唯はお似合いだと思うけど、梓ともお似合いだと思う。正直、私はどっちの応援もできないな」
「すみません」
「ただ、恋愛っていうのは損得勘定でやるものじゃない。自然と気持ちが盛り上がってくるものだと思う。私たちみたいな高校生には、恋愛経験は多い方がいいんじゃないか?」
「悩むのも高校生の特権ですか」
「子供でも大人でも恋愛したら悩むもんさ。違いなんか何もない。ただ、本気で悩んだ方がいい。うまくいっても、いかなくても、それが経験となって次に活きる」
堂々と言い切った澪に、シンジは感心して頷いた。
「今まで、そんな風に教えてくれた人はいませんでした」
「一緒に暮らしてる伊吹さん、だったっけか。あの人は何も教えてくれないのか?」
「マヤさんはいつだって、僕の一番好きなようにすればいいって、ほとんどそれしか言ってくれませんから」
「そういえばシンジ、ご両親は」
「もう二人ともいません」
「そっか。悪い」
「いえ。母は子供のときのことだからほとんど覚えてませんし、父親とはあまり仲が良くなかったので」
「嫌いだったのか?」
「分かりません。多分、どっちも」
「そんなものかもな」
ふふ、と澪が笑う。
「話を戻すけど、梓と唯をあまり待たせないでやってくれよな。二人とも最近ぴりぴりしてるし」
「そう、ですか?」
「その辺りは恐ろしいほど鈍感だよな、シンジ。二人ともお前のことを待ってるよ。今日はそれをお前に言っておきたくて、お前だけに手伝ってもらったんだ」
なるほど、とシンジは納得した。
確かに機材は重たかったし、男手が必要だっただろう。だが、だからといってムギや律、梓たちが運べない重さというわけではない。だいたい、持っていくときは律に何回も運ばせたではないか。
それにわざわざみんなの前でシンジを指名したおかげで、こそこそと会う必要もなくなり、堂々と二人きりになることができる。
「孔明の罠だったんですか」
「失礼だな。二人きりになるチャンスを作ったと言ってくれ。それに、お前には他にも言っておきたいことがあったしな」
「他に?」
ここ最近のことだと、唯と梓のこと以外には何も思い当たらないのだが。
「何の話か、想像つかないんですけど」
「そうだな」
澪は少し考えてから、シンジの手元を見る。
「お茶、おかわりを淹れてからにしようか」
澪は立ち上がり、シンジから湯のみを受け取り、もう一度お茶を淹れなおす。
「すみません、わざわざ」
「いや」
と、澪は淹れたお茶を、横から、シンジの前に置く。
そのまま、
「え」
シンジの頬に、何か暖かいものが触れた。
「ああああああああ秋山先輩っ!?」
シンジが驚いて硬直する。飛び退かなかっただけ彼を褒めてあげてもいいだろう。
「お前が、唯と梓のどっちにするのかを決める前に、伝えておきたくてな」
その澪はけっこう冷静だった。
「好きだよ、シンジ。こんなにどきどきした相手は、生まれて初めてだ」
「あ、いや、その」
「なに、返事なんて期待してないよ。お前が唯や梓のことでいっぱいになってるのは分かってるからな。ただ、お前が二人に返事をした後だったら、私はこの想いを伝えることすらできないと思った。だから伝えた。それだけのことさ」
ふふ、と澪が笑う。
「でも、緊張したな。こんな風に感じるものなんだな。ありがとう、シンジ。私にいろいろな気持ちを教えてくれて」
「いや、その、えっと」
「言葉が出てないぞ、シンジ」
澪はそのシンジの頭にぽんと手を置く。
「私はお前に感謝してるんだ。お前は『どういたしまして』って返しておけばそれでいいんだよ。あ、ただ、もしもお前が二人から振られたときは言ってくれ。私が立候補するから」
「琴吹先輩と同じこと言うんですね」
「なに? やっぱりムギのやつ、そうだったのか」
澪がいきなりふくれた。
「そうじゃないかと思ってたんだ。ムギのやつ、やけにお前にばかりかまうからな」
まあ、ムギの場合はそれ以外にも理由があったりするが、それは澪に言うことではないだろう。
「いずれにしても、できるだけ早くどっちにするか決めて、私たちを安心させてくれよ。お前がふらふらしてると、本気になるかもしれないからな」
「すみません、勘弁してください」
「やれやれ、甲斐性のない」
ふふっ、と澪が笑う。
「それにしても」
澪の声のトーンが変わった。
「これが失恋か。こんな気持ちになるもの、なんだな」
澪は笑顔だった。涙を流したまま、笑っていた。
こういうとき、振った方は何も言うべきではない。シンジはただ黙って頭を下げた。
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