転校、四日目。
 昼は学校、夜はネルフの日々が続いていた。だがそれは祐一にとって別に苦しいと感じるようなものではなかった。
 退屈では、あったが。
 ネルフほどの美少女が学校に多くなかったことは、軽い失望を覚えたものの重大な問題ではなかった。問題は、他にあった。
「……なんだ、この学校だったのか……」
 綾波、あゆ。
 まだ包帯は取れていなかったが。










 第参話

 七年後











「もう、平気なんだな」
 休み時間。祐一は気軽に声をかけてみた。あゆはにっこり笑って「うん」と答える。
「えっと……祐一くん、だよね」
「ああ」
「はじめまして──って言うのも、なんか変だね」
「お前が変なのは分かりきってる」
「うぐぅ、ひどいよぉ」
 突然涙目になる。どうやら叩くと面白いということが判明した。
 同時に、美少女だということも。
(あの時は分からなかったが……)
 包帯で体中、顔までもぐるぐる巻きにされていたのだ。外見など分かったものではない。だがこうしてみると、確かに可愛い。こういう女の子と近づくことができたのは幸いだ。
 ただ、それが普通の女の子なら、という条件がつくが。
「ん」
 と、その時、クラスの視線がこちらに集まっているのが分かった。
 無理もない。大怪我をして戻ってきた美少女とここに来たばかりの美形(自称)転校生。絵にならないはずがない。
「……少し、時間くれるか」
「うん、いいけど」
 あゆはきょろきょろと回りを見る。
「ここじゃだめなの?」
「ああ、一般人には聞かせられないだろ」
「あ、そっか」
 どうも、あゆにはそういう秘密を守るという意識が少ないらしい。もしかすると、クラスの誰もが自分たちはカノンのパイロットであることを知っているのではないかという疑念すら浮かぶ。
「それじゃ、どこ行こうか」
 あゆが立ち上がりながら言う。
「そうだな、屋上なんてどうだ」
「屋上?」
 だが、それを聞いた瞬間に少しあゆは戸惑う様子を見せた。
「ダメか?」
「ううん、いいよ」
 だが、それはすぐに消えてまたにっこりと微笑んだ。





「会話が──少ない?」
 美汐はキーボードに打ち込みながら同僚の相談に答えていた。
「はい。ネルフの話はするんですけど、学校の話とかは、あんまり……」
 秋子は困ったように左手を頬にあてる。だが微笑んでいては本当に困っているのかどうかは判断できないだろう。
「それで、何か問題でも?」
「特に今のところはないんですけど」
「人間関係を形成することが苦手なのではないか──そう心配しているわけですね」
「そんなところです」
 秋子が何を心配しているのか、美汐は十分に分かっているつもりだった。
「結局のところ、それを解決するのは本人の問題ではないでしょうか」
「それは……」
「祐一さんはもう十六歳です。十分な判断力もありますし、少なくとも背負っている責任は子供のものではありません」
「だからこそ──」
「秋子さんが心配するのは分かりますが」
 ふう、とため息をついて見上げる。
「私たちにできるのは、祐一さんを支援することだけです」
「……」
「精神的な支援が必要だというのなら、もっと積極的に話し掛けてみてはどうでしょうか」
「そう……ですね」
 だが、秋子の返事にはまだ迷いが残っていた。





 ガラガラ、と教室のドアが開く。ゆっくりと入ってきた男子生徒は、自分の席に鞄を置いた。
 四時間分の大遅刻だった。だが、そんなことを少なくとも本人は気にしていなかった。
「こら、不良」
 彼に声をかけたのは、行儀の良さそうな女子生徒であった。
「なんだ、香里か」
「なんだはないでしょ、なんだは。あんたに声をかけるような人が、私の他にいると思ってるの?」
 不良、と呼ばれるほどではないけどなと心の中で答える。
「で?」
「なんだよ」
「三週間の欠席プラス四時間の遅刻。いったい何があったのかしら、北川くん」
「いろいろとな」
 かなり機嫌が悪いということが香里には分かった。中学以来の付き合いになるが、機嫌が悪いときは極端に口数が減る。
「香里」
「なによ」
「転校生、どこだ」
 突然尋ねられ、香里は周りを見回す。
「そういえばさっき、あゆさんと出ていったみたいだけど」
「どこにいったか、分かるか」
「そんなの、二人に聞かなきゃ分かんないわよ」
「そうだな」
 北川はそう言うと教室を出ていこうとした。
「ちょっと、どこ行くのよ」
「用事があるんだよ、そいつにな」
 不機嫌の理由は、それか。
「なによ、知り合いなの」
「そんなんじゃない」
 答えようともしないで、北川は出ていく。
 あまりにもその様子は険悪すぎた。
「まったく、迷惑かけさせないでよね」
 仕方なく、香里はその後をついていった。





「それで、何の話なのかな?」
 あゆは楽しそうに屋上の柵に手をかけて遠くの街並みを眺めている。
「何のっていうわけじゃないけどな。いろいろと聞いてみたいことがあったんだよ」
「ボクに?」
「お前にさ」
 うーん、と首をひねる。
「心当たりは何もないけど」
「そうだろうな」
「だいたい、会ったのだって今日が初めてだよね」
「一度、会ってるよ」
「え、いつ?」
「あの日、使徒が襲来した日にさ」
「ふうん、そうだったんだ」
 どうやら、全く覚えていないらしい。確かに激痛に耐えるだけで全く周りは見えていないようであったが。
「お前──どうしてカノンに乗るんだ?」
「どうして?」
「ああ」
 何よりも聞きたかったのが、このことだった。
 何故、カノンに乗るのか。
 あれだけの怪我をして──それはまだ今も治っていなくて、右目がふさがっていて。それでも、何かにとり憑かれたかのようにカノンを求めた少女。
「そんなこと言われても、ボク分からないよ」
「自分のことだろうが」
「うぐぅ」
「誤魔化すな」
「誤魔化してなんかないよ」
 あゆは真剣な瞳で答える。
「乗っている理由を見つけるために乗っている……そんなところじゃないかな」
「あゆ」
「何?」
「それはお前の台詞じゃないから却下」
「やっぱり」
 がっくりと肩を落とすあゆ。
「祐一くんはそういうところ、厳しいと思ったんだ」
「それで、結局のところはどうしてなんだ? 俺には言えないことか?」
「言えないっていうわけじゃないんだよ……」
 また、景色を眺める。
 それにつられて、祐一もその街並みを眺めた。
「……絆だから、かな」
「絆?」
「うん──ボクには、カノン以外何もないから」
 祐一は目を細めた。
「何も?」
「うん。ボク、カノンに乗っているから、秋子さんにも会えた。往人さんにも会えた。佐祐理さん、舞さん、真琴さん、美汐さん、みんなに会えた」
「学校は?」
「……ボク、学校じゃ浮いてるから」
 あはは、と寂しげに笑う。
「……家は?」
「ボク、一人暮らし」
「親は?」
「いないよ。七年前にいなくなったんだ」
 七年前。
 その数字が、自分の中に大きな影を落とした。
「……そうか」
「うん。だから、今の──カノンパイロットっていう立場は、すごく嬉しいんだ。ボクがカノンに乗ると秋子さんが喜んでくれるから」
「秋子さんは──お前の母親の代わりか?」
「そんなんじゃっ!」
 挑発するような言葉に、敏感に反応する。
「……そう、かも……」
 だが、意外に素直だった。自分でもそう思っているところがあるのだろう。
「だったら、どうして秋子さんのところに行かなかったんだ?」
「──え?」
「秋子さんのことだ。お前を引き取るとか言い出したんじゃないのか?」
「うん……そういうことも、あったよ」
 だが、それは何だか言いづらそうであった。
「……何か、あったのか?」
「そうじゃないんだけど……断ったんだ」
「だから、何故」
「秋子さん、優しすぎるから」
 その瞳に涙がにじむ。
「ボクのことなんかで、手をわずらわせちゃダメなんだ」
「本人は迷惑だなんて思ってないと思うぞ」
「分かってるよ。でも……」
 そこに甘えてはいけない。一人でいなければならない。無理に自分にそう言い聞かせているかのように祐一には見えた。
(ふむ……)
 これ以上は踏み込んではいけないと祐一は判断した。
 誰にでも、心にしまっておきたいものがある。あゆはそれをぎりぎりのところまで教えてくれた。
 これ以上聞くことは失礼だ。それにもう、自分が聞きたかったことは十分に聞くことができた。
 それでよしとしよう。
「ねえ」
 逆に、あゆが尋ねてきた。
「祐一くんは、どうしてカノンに乗ってるの?」
「俺?」
「うん」
「さあ、どうしてかな」
「誤魔化さないでよ。ボクだって話したんだから」
「そうだな──暇だったから、かな」
「うぐぅ」
「冗談だよ。本当のところは……」
 ふと、頭の中に小さな女の子の姿がよぎる。
「……方便、だな」
「ほうべん?」
「ああ。他にやりたいことがあって、そのためにはちょっとカノンに乗ってなきゃならないんだ」
「ふうん」
 苦しい言い訳だった。
 本来なら、自分の用事など一日ですむ。学校を抜け出して、さっさとすませてしまえばいい。そしてカノンパイロットをやめて、この街を出ていく。
 それでよかったはずだ。
 それなのに、どうしてまだ自分はそれを実行できないでいるのだろう。
「やりたいことって?」
「そうだな、世界征服とか」
「……」
「引くな、冗談だ」
「うぐぅ〜、祐一くんの冗談は笑えないよ〜」
 軽口をとばしながらも、祐一は考えていた。
 どうして、自分は今もカノンに乗りつづけているのだろう……。
 と、その時。

 バタンッ。

 扉が開いた。その大きな音に、祐一とあゆが振り返る。
 見たことがない男と、祐一のクラスの委員長である洞木香里とがそこにいた。
 逢引か?
 いや、そうではなさそうだ。男の表情があまりにも険しかったからだ。
「転校生だな?」
 男が、言う。
「誰が?」
「お前以外にいるかよっ!」
「そういうお前こそ誰だ? 俺は見たことないぞ」
「黙れ!」
 男はぐっと拳を握り締めると、祐一めがけて突進してきた。
「おいおい」
 いったいこれは何の冗談かと思ったが、そういうわけではないようだ。とりあえず体を捌いて男のパンチをよけ、間をあける。
「北川くん」
 あゆが反応していた。知り合いか? もしかして、自分があゆと仲良くしていることを怒っているのか?
 まさかあゆの恋人!?
「……なわけないか」
 あゆのぽけっとした表情と、小さな胸を見て言う。
「うぐぅ〜、なにかひどいことを言われた気がするよ〜」
「気のせいだ」
 では、この男──北川とかいったか。何で自分につっかかってくるのだろう。
「どういうつもりだ?」
 北川は親の仇でも見るかのように祐一を睨む。
「お前──あのロボットのパイロットだろう」
「ロボット?」
 カノンのことを言っているのはすぐに分かった。
「あゆ、お前喋ったな」
「言ってないよ」
「じゃあどうしてこの男が知ってるんだよ」
「ボクは知らないよ」
「ネタは上がってるんだぞ、さっさと吐け!」
「うぐぅ〜」
 どうやら刑事ネタはあゆに通じなかったらしい。
「パイロット、なんだな?」
 確認してくる北川。
「違うと言ったらどうするつもりだ?」
「今の会話から明らかだろうが!」
「まあ、確かに」
「許さねえ!」
 再び突進してくる北川。やれやれ、と内心辟易しながらその拳をかわして懐に飛び込む。
 軽く、膝を上げた。
「ごふっ」
 北川の腹部にめりこむ。すぐに足を引っ込めて北川から離れると、その体がゆっくりと崩れ落ちた。
「……んのやろうっ……」
「北川くん、大丈夫?」
 あわてた香里が、北川に駆け寄る。
「ちょっと、祐一くんやりすぎだよ!」
 自分が弱いものいじめをしているように見えたらしく、あゆが非難の声をあげる。
「まてい、襲われたのは俺の方だぞ。正当防衛じゃないか」
「やりすぎだって言ってるんだよ!」
「どこがだ? 俺はこの男に怪我なんかさせてないぞ?」
 正当防衛──法律上では、防衛の意思をもって、緊急の場合に、過剰になりすぎない程度に反撃することを言う。
「うんちくなんかどうでもいいんだよっ!」
「落ち着け、あゆ」
「ボクは落ち着いてるよ!」
「いいから聞けっての。だいたい、どうして俺が喧嘩をふっかけられなきゃならないのか、それを問い正す方が先だろ」
 そうしないと、この男は何度でも殴りかかってきかねない。
「というわけだ。お前、俺に恨みでもあるのか」
 北川に向かって言う。委員長に上半身を助け起こされた北川は祐一を睨み上げている。
「お前のせいで──」
「俺のせいで?」
「お前のせいで、俺の妹が……」
 妹?
「妹が、どうした?」
「瓦礫の下敷きになったんだよ! お前の下手糞な運転のせいでな!」
 なるほど、と納得した。だがそれを非難されるいわれはないはずなのだが。
「無事なのか?」
「命に別状はねえ。だが、二度と歩けない体になったんだ。お前の、お前のせいで!」
「なんだ、よかったじゃないか」
 事もなげに祐一は吐き捨てた。
 あゆも、香里も、一瞬祐一が何を言ったのか分からないといった様子であった。
「……なん、だと……?」
「よかったじゃないか、と言った」
「てめえ、ふざけてんのか」
「まさか。妹は生きてるんだろうが、死ぬよりはるかにましだ」
「ふざけんな!」
「ふざけてないっての。歩けなくなろうが薬物中毒になろうが、どんな状態になったって人間生きてりゃなんとかなる。死なないかぎりはな。死んだら終わりだが、生きてれば幸せにもなれる」
「……」
 どうやら、本気で怒ったらしい。
 北川は立ち上がるとこれ以上ない形相で睨みつけてきた。
「許さねえ……」
「聞きあきたよ、その台詞は」
 北川は五歩の距離を一気に詰めて、渾身の一撃を放った。
 祐一は、立ったままぴくりとも動かず、そのパンチを左の頬にくらう。
「な」
 殴った北川の方が驚いていた。今までまったく当たらなかったパンチが当たった。祐一は避けようともしなかった。
 しかも、全力で殴ったはずなのに祐一はそれを完全に顔で受け止めていた。揺らぎもしなかった。
「歯、くいしばっとけよ」
 そして、祐一の腰が落ちた。
 左足を引き、右足を踏み出す。
 全体重が乗った祐一の右アッパーが、北川の顎を直撃した。
 その体が、少なくとも一メートルは舞い上がったのを、その場にいたあゆと香里は見た。
 そして、落下する。
「北川くん!」
 さすがに顔色を変えて、香里が北川に近づく。
「軽い脳震盪を起こしているはずだが、すぐに起きるさ」
 冷たい視線で、北川を見下ろす。
「……碇くん……」
「祐一、でいいぜ。それから、一発はサービスだ」
 左頬をなでながら言う。
「どうして、ここまで──」
「勘違いするなよ、殴りかかられたのは俺の方だ。もっとも、その男も殴る相手を間違えていると俺は思うけどな」
 そう、本来なら使徒に向かってその拳は振るわれるはずなのだ。
 それをしないのは何故か。使徒にはむかえば死ぬのは分かっているからだ。
 だから、身近で、安全な、味方に向かって不満が爆発する。
 祐一はていのいいスケープゴートというわけだ。
 それに対して香里が何か言おうとしたときである。

 ウウウウウウウウウウウウウ〜。

「緊急警報……」
 あゆが呟く。
「使徒か」
「多分」
 やれやれ、と息を吐く。
「急ぐか」
「うん、でも──」
 あゆはちらりと北川を見る。もちろん、まだ起き上がる気配はない。
「すぐに目が覚める。大丈夫だ」
「う、うん」
「委員長。起きたらすぐに避難してくれ」
「言われなくても──」
 抗おうとして、香里はやめた。
 北川の時には見せなかった、戦士としての厳しい表情がそこにあったからだ。
「──そう、するわよ」
 祐一は振り返ることもなく駆け出していた。あゆがそれに続いていく。
「……」
 何故だか、香里はやるせなさに震えていた。










NEON GENESIS KANONGELION

EPISODE:03   the Soldier











「目標、光学で捕捉。領海内に侵入しました」
「総員、第一種戦闘配置、お願いします」
 オペレーターの声に、やはり落ち着いて答える秋子。だが、その表情にはわずかながら緊張に近いものが漂っていた。
「碇司令の留守中に来るとは、予想もしなかったですね」
 秋子と同程度に落ち着いているのは美汐。スクリーンに映し出されている使徒を見ながらそう呟く。
「そりゃそうよね。前は一八年のブランク、今度は三週間だもの」
 オペレーターの真琴が軽口を叩く。
「こっちの都合はおかまいなしですわね」
 秋子が『困ったポーズ』でいつもの微笑をたたえる。
「ところで、この第四使徒、名前は何ていうんですか?」
 オペレーター佐祐理が尋ねる。
「ええっと、ちょっと待ってください」
 秋子は手元の資料に目を落とした。
「カズヤエル、ですわね」
『……』
 何故か、全員の視線が佐祐理に集まる。
「はえぇ〜」
「女性に嫌われるタイプですね」
「言わないでください〜」
 何故か謝るのは佐祐理だった。
「ああ、一弥、いたらないお姉ちゃんを許して……」
 ここまでくるともはや意味不明を通り越して危ない人に入りかけている。一同はとりあえず佐祐理を無視することに決めた。
 スクリーンにはカズヤエルの姿が映し出されている。巨大な空飛ぶエイ。そう表現するのが相応しいように思える。
 戦略自衛隊の砲撃がカズヤエルへと放たれるが、全く効果はない。足を止めることさえできず、逆に長い尾で反撃されている。
「税金の無駄づかいだな」
 石橋が呟く。
「委員会から、再びカノンゲリオンの出撃要請が来ています」
 舞が言うと、秋子は頷いた。
「……祐一さん、準備はいいですか?」
 すぐに初号機内の映像が映し出され、音声が返ってくる。
『いつでもオーケーです』
「……祐一さん?」
 秋子が、尋ねる。
『なんですか?』
「どうしたんですか、その痣」
『あ……』
 頬をなでる。どうやら腫れているようだ。
『何でもありません。ご心配をおかけしてすみません』
「大丈夫ならいいんですけど──喧嘩はほどほどにしてくださいね」
 ばればれだ。司令部から失笑が漏れた。
『はい。以後気をつけます』
「それじゃ、いきますね」
 にっこりと笑って、告げた。
「カノン初号機、発進」





「う……ん……」
 ようやく、という言葉がよく合うだろう。ようやく北川は起き上がった。既に三十分も過ぎている。すぐに起き上がるといった祐一の言葉は、当たっているようで外れているようでもあった。
「大丈夫、北川くん」
「ああ、悪いな香里」
 北川は頭を振ってから勢いよく立ち上がった。
「ちくしょう、あいつ許さねえ」
「あんた、まだ懲りないの?」
「なに?」
 北川の怒気が、今度は香里に向けられる。
「あいつ、かなり強いわよ。北川くんじゃかなわないって言ってるの」
「悪かったな、喧嘩なんか今までしたこともないさ」
 その北川が、自分から殴りかかったというのだ。どれだけ彼が妹を思っているのかが分かろうというものだ。
「なんか、静かだな」
 北川がようやくそのことに気付いたのか、屋上から校庭を見下ろす。
「まさか、もう五時間目始まってる?」
「そうじゃないのよ」
 香里は北川のボケに内心ため息をついた。
「来てるのよ」
「来てる?」
「敵、よ」
 その一言で、北川は全てを察した。
「なんだ、じゃあみんな避難してるのか」
「そういうことね。多分、この学校でまだ避難してないのは私たちくらいよ」
「何でお前まで残ってたんだ?」
「仕方ないじゃない。誰かさんがここで寝てるんだから。これで死なれたりしたら目覚めが悪いわ」
 それが本心であるところが、香里の美点というべきか欠点というべきか。少なくともこういう場面で何らかの期待を抱かない男は多くないであろう。
「悪いな、わざわざ」
「気にしなくていいわよ、別に」
 北川の立場にしてみると、気になるのではなく気にしたいのだが。そんなことを言っても鈍いことにかけては高校一と言われる彼女にはまったく通用しないだろう。
「……なあ、香里」
「なに?」
「もしかして、あいつ、また出てくるのかな」
 あいつ──転校生、碇祐一。
「そうなんじゃないの? あのロボットのパイロットなんだから」
「……そうか」
 北川は遠くを見つめた。
 少し小高い丘が、目に入った。
「香里、わざわざ悪かったな。すぐ避難してくれ」
「……見にいくつもり?」
「ああ。あいつがどんな戦い方をしてるのか、この目で見てやる」
「それで、どうするの?」
「どうする……って?」
「一生懸命戦ってることが分かったら仲直りでもするの? それとも、それでも許さないって言うつもりなの?」
「そんなこと──」
 分からない。それは、戦いをこの目で見るまでは。
 いや、違う。
 本当は、転校生のことなど、どうでもいいことなのだ。
「……俺は、妹が怪我をしたっていう結果しか与えられなかったんだ。だから、今度は何が起こっているのか、はっきり見てみたい」
「最初から素直にそう言えばいいのに」
「悪かったよ」
「はいはい。それじゃ、行きましょうか」
 おや、と北川が首をひねる。
「香里も行くのか?」
「今さら、どこのシェルターに行ったってもう入れないに決まってるでしょ」
「もうそんな時間なのか?」
「あなた、三十分も寝てたのよ?」
 そうだったのか、と肩を落とす北川。
「それならそうと、早く行きましょう。絶好の見学ポジションがあるんでしょ?」
「ああ」
 北川は頷いて、駆け出した。
 急がなければ。
 戦いを見届けるために。





「目標をセンターにいれて、スイッチ」
 ガガガガガガガッ!
 五、六発ほどライフルを放つ。だが戦略自衛隊の攻撃と同様、それはカズヤエルに届いていないようであった。
「A.Tフィールドか」
 おそらくそうなのだろう。おそらくはライフルなど銃火器による攻撃は無意味だ。直接接触してA.Tフィールドを中和、浸食し、コアを叩かなければならない。それはクゼエルの時と同じだ。
「さて、どうするか」
 エイのような使徒、カズヤエルのコアはちょうど顔のした、人間でいうのなら首のあたりに位置している。
「よし」
 祐一は再びライフルを放った。
 これはデコイだ。
 五、六発放ってからライフルを投げ捨て、一気に距離を縮めた。


「祐一さん」
 秋子が険しい表情になった。
『接近戦闘に移ります』
 だが、すぐに音声が返ってくる。秋子は「仕方ありませんね」と呟いた。
「いいんですか?」
「現場の判断を邪魔してはいけません。少なくとも祐一さんはまだ冷静です」
 美汐の問いに落ち着いて答える秋子。
「……どうか、気をつけて……」


「──あれか?」
 北川が丘の上に立って戦況を見る。
 巨大なエイ状の敵と、祐一が乗るロボット。そして今まさに、祐一が接近戦に移ろうとしているところであった。
「なんだか、気持ち悪い敵ね」
 香里がごくまっとうな感想を口にする。
 その、二人の目の前で。
 二本の光の鞭が伸びた。


「やべえっ!」
 接近戦に入ろうとしていた祐一は完全に不意をつかれた。このような中距離攻撃ができる相手だと思わなかったことは油断だと言われても反論できないだろう。
「ちっ!」
 大きく飛び上がる。だが、光の鞭はカノンと電源とをつなぐアンビリカルケーブルに接触、これを切断した。


「アンビリカルケーブル、断線!」
「エヴァ、内臓電源に切り替わりました。残り四分五三秒!」
 佐祐理の声が司令部に響く。美汐がやや非難げに秋子を見た。
「……どうやら、祐一さんの判断ミスのようですね」
「そうなりますね。困りました」
「困ってばかりもいられないのではないですか?」
「そうですね。とりあえず予備のアンビリカルケーブルを準備してください。それも、多い方がいいです」
「アンビリカルケーブル予備、準備整っています」
 真琴が答える。頷いてマイクに向かって喋った。
「祐一さん、祐一さん、聞こえますか?
『感度良好』
 意外にも祐一の声はまだ明るかった。
「一度、戻ってきてください。ケーブルを再接続します」
『──それは少し難しいみたいです』


 光の鞭をかわしつづけていた祐一であったが、ついに捕らえられた。左足に鞭が巻きつき、大きく空中へ投げ捨てられる。
「ひょえええええっ!」
 祐一は間抜けな声を上げたが、それでも頭は冷静に働いていた。周囲の状況を確認し、被害が最小限度になる場所へ向かって機体を捻る。
「くうっ」
 少し小高い丘に、カノン初号機が落下した。
「いててて」
 右肩から落ちた初号機はすぐに立ち上がろうとする。
「内臓電源、残り三分半か。どうするかな」
 カズヤエルはこちらへと向かってきている。逃げるのは難しい。
「やるか」
 何とか接近戦に持ち込んでコアを破壊する。これしかない。
 そう思って立ち上がりかけた祐一の目に、本来ここにあるはずのないものが飛び込んできた。
「……は?」
 一瞬、頭の中が真っ白になる。
 自分のすぐ後ろに、北川と香里がいた。


「データ、出ます!」
 本来いるはずのない戦場にいる二人の民間人のデータは、優秀なオペレーターによってすぐに判別することとなった。
「祐一さんのクラスメート?」
「どうしてこんなところに?」
 秋子と美汐が首をひねる。だが悩んでばかりもいられない。
 民間人を救出し、なおかつカノン初号機を回収しなければならない。
「どうしますか」
「そんなに、手は多くないと思いますよ」
 秋子はマイクに向かって言った。


『祐一さん、その二人をエントリー・プラグに回収、ただちに本部へ撤収してください』
 そのありえない命令を聞いて祐一は頭が痛くなった。
「簡単に言ってくれるぜ……」
 もはやカズヤエルは目の前だ。うにょうにょと光の鞭が二本、妖しくうごめいている。
「とはいえ……」
 民間人を巻き込むのは自分としても避けたい。
 ……まあ、勝手にこんなところに来た二人の自業自得と言えなくもないが。
「さあ、こい」
 祐一はカズヤエルを睨んだ。光の鞭が、しなる。
 目を、見開く。
 集中力が、一段と研ぎ澄まされる。
「……とったっ!」
 右手と、左手が、それぞれ鞭を掴む。
 だが。
「くうううううっ!」
 まるで電気ショックを浴びているかのような衝撃。一瞬気が遠くなりかけたが、気力を振り絞ってエントリー・プラグを操作する。
『そこの二人!』
 外部マイクに向かって言い放つ。
『乗れ! 早くするんだ!』
 おそらく、自分の体の方が一分ともたないだろう。
「早く……っ」


「乗れ……ですって?」
 香里が全身汗まみれでうわごとのように呟く。
「行くぞ、香里」
「でも」
「でもじゃない。あの転校生、俺たちがここにいるから動けないでいるんだ。邪魔にならないようにするには、指示に従った方がいい」
「……分かったわよ」
 二人は急いで、倒れているカノンをよじ登り、後部ハッチから飛び出ているエントリー・プラグに入る。
 すぐにプラグが再度機体内に戻り、ハッチが閉じる。
「乗ったな?」
 それを感じて、祐一は鞭を手放した。
 飛び上がり、カズヤエルと距離を置く。
 間一髪だった。
 もう十秒も遅ければ、自分は意識を失っていただろう。
 大きく肩で呼吸する。
「……ったく、これは給料分以上に働いてるぜ」
 祐一は毒づいた。


「神経系統に異常発生」
 舞が静かに告げる。
「異物を二つもプラグに挿入したからですね、神経パルスにノイズが混じっているんです」
 それ異常に美汐の声は静かだった。
「……どうするつもりですか」
「どうもしません。ただ、退却してもらうだけです。今のところは」
 そして、秋子は祐一に向かって言った。
「今のうちです。退却してください。残り時間は一分二八秒、十分な時間です。回収ルートは三四番、山の東側です。急いでください」


「……退却か……」
 ごぼっ、という音が二回聞こえる。どうやら『異物』の登場のようだ。
「転校生……」
「話しかけるな、気が散る」
 その一言で再び北川の怒りに火がつく。
「てめえっ」
「北川くん、やめなさい」
「香里、止めるな」
「あのね、あなたが言ったのよ、邪魔にならないようにするには指示に従えって。話しかけるなっていうのも碇くんの指示なら、あなたは従うべきでしょう?」
 筋の通った意見だった。納得して、北川はとりあえず黙り込む。
 静かになってくれたのは祐一にとってありがたかった。とにかくこの場をどうするか。さきほどのカズヤエルの攻撃で体力的にも気力的にも既に限界に近い。この後無事に戻れたとして、はたして再出撃できるほどの体力が残っているだろうか。
 いや、それ以前に。
(退却か……)
 それは、できない相談であった。
 敵を目の前にして逃げるなど。
 自分の命を捨てる行為に等しい。
 自分の存在を否定する行為に等しい。
「それは、できません」
 マイクに向かって言うと、音声を切った。
 ここは自分の戦場だ。
 誰にも、邪魔も介入もさせはしない。
 戦うのだ。
 敵と。
 自分と。
「うおおおおおおおおっ!」
 祐一は叫んだ。そして、今度こそカズヤエルの懐へと飛び込む。
 光の鞭が、その接近を止めようと初号機の腹部を貫く。
「がはっ」
「転校生!」
 北川が叫ぶ。祐一が苦痛を覚えているのをはっきりと目にした。


「祐一さん」
 マイクに話し掛けても返事はない。どうやら音声を切ってしまったようだ。
「……命令違反、ですね」
 美汐がため息をつく。
「そのようですね」
「どうなさいますか」
「仕方ありませんね」
 困ったポーズで笑顔を浮かべる秋子。
「ジャムパンを一〇個食べてくださったら許してあげることにしましょう」
「せめて禁固一週間くらいにはならないんですか」
「なりません」
 にっこりと笑って言う秋子。はっきりいって怖い。
「初号機、プログレッシブナイフを装備!」
 そこへ、真琴の悲鳴のような報告が入った。


「があああああああああああっ!」
 祐一は叫んだ。
 そしてウェポンラックから取り出したプログレッシブナイフを、カズヤエルのコアに深く突き刺す。
「ああっ! くっ! がああああっ!」
 内臓をかきまわされるような激痛にもかかわらず、なお操縦桿を手放さずにナイフをコアの奥深くへと、押し込んでいく。
『初号機、活動限界まであと二〇!』
 口の端から、血が流れた。
「ゆるさねえ……」
 祐一は、小さく呟く。そして、
「てめえはぜったいゆるさねえっ!!!」
 最後の一突きを、絶叫と共に行った。


「初号機、内臓電源終了、活動停止しました」
「目標は完全に沈黙しました」
 活動を停止した、二つの巨大な影が第三新東京市に伸びていた。
「回収、急いでください」
 秋子は、それだけを口にした。


「…………」
 祐一は無言だった。
 激痛がまだ体に残っている。完全に脱力してしまい、口を動かすのも億劫だった。
「……転校生」
 後ろから、声がかかる。
 そういえば、異物が二つ、ここには乗っているのだった。
 考えるのも面倒だったが、とりあえずは答える。
「ああ」
「ど、どう……なったんだ?」
「終わったよ。それだけだ」
 体ががくがくと震えていた。
 痛み。
 苦しみ。
 そうしたものが、
 七年ぶりに、祐一の体に帰ってきていた。









次回予告



薄暗い牢獄の中、自分の心に残る苦痛の記憶。
十六歳の少年の背中に残る、大きな傷痕。
目的のためではない戦いに興じる祐一。
だが彼を慰めたのは戦いではなく、彼が関係を断ちつづけていた他者であった。

「……ひょっとして、全然展開違ってます?」

次回、痕。
さて、この次もサービスしますね。



第四話

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