「コンタクト、停止! 六番までの回路、開いて!」
「ダメです! 信号が届きません!」
「零号機、制御不能!」
「実験中止。電源を落とせ」
「はい!」
「零号機、予備電源に切り変わりました」
「完全停止まで、残り三五秒!」
「司令、危険です。下がってください」
「問題ない」
「ですが──」
「オートエジェクション、作動!」
「──いかん!」
「あゆちゃん!」
「ワイヤーケージ! 特殊ベークライト、急いで!」
第伍話
見えない、翼
一週間ぶりの登校。それは彼にとって初めての経験となるものであった。
『おはようございます!』
玄関から聞こえてくる二つの声。昨日、半ば強引に香里から言われて祐一はそれを受諾することにした。
「では、行ってきます」
「いってらっしゃい、祐一さん」
秋子さんは非常に嬉しそうだ。祐一が誰かと学校に行く、それだけのことでどうしてそこまで喜べるのか。
(やっぱり、何がなんでも断るべきだったかな)
だが滅多なことでは美少女の願いを断ることができない祐一にとっては、それは酷であった。
(ま、いいか……)
別に誰かと一緒に登校するからといって不都合があるわけではない。気楽にいこう。そう思って玄関を出た。
「お待たせ」
「おはよう、祐一くん」
「おす、祐一」
一週間ぶりに、祐一の学校生活が再開される──
──と、思いきや。
「中間テストぉ!?」
初耳であった。はっきりいって、何も勉強していない。
「そ。昨日渡したプリントに書いてあったでしょ?」
見てなかった。
机の上に置いて、そのままにしてある。
「そういうことは昨日のうちに言ってくれ」
「ま、仕方ないな。今回は諦めろ」
「そうそう。祐一くんはカノンのパイロットなわけだし、多少点数が悪くても大目に見てくれるって」
「そんなわけあるか」
いきなりブルーになって毒づく。再登校初日から精神的ダメージがあまりにも大きかった。
だいたい、転校してきて二週間、それも実質授業を受けたのは四日間とあっては、何を出題されたところで分かるものではないだろう。
「香里、とりあえず今日の分のノート、見せてくれ」
「はい、どうぞ」
「随分準備がいいな」
「多分そうくると思ってたから」
どれどれ、とノートを広げると北川も覗きこんできた。
「何でお前が見るんだ。お前は勉強してきたんだろ」
「まさか。定期テストなんかで勉強してられるかっての」
「サボリ魔」
「それはお前だ」
「いいから二人とも、早くしないと遅刻するわよ」
香里が一足先に歩いていく。
祐一はノートから目を離さずに、それを追った。
当然、前方は不注意になる。
ドスン。
お約束であった。
「いててて……あ、すいません。ちょっと前を見ていなかったので──」
誰かとぶつかったので慌てて謝ろうとすると、聞き覚えのある声が聞こえた。
「うぐぅ〜」
「なんだ、あゆか」
一週間ぶりに見たあゆは、既に眼帯も包帯も取れて、完全に元通りという感じであった。
「じゃあな」
そう言って立ち上がり、香里と北川の後を──
「うぐぅ、置いていかないで」
どうやら逃がしてはくれなかった。
「さっさとしろ、俺は急いでるんだ」
「ボクもだよ」
「置いてくぞ」
「あ、待ってよ祐一くん」
祐一は、何となくあゆと話すことに抵抗を覚えていた。それは、この間の会話が原因だったことは間違いない。自分でも分かっていた。
ノートを見ながら早足で歩く祐一と、その横にぴったりとついているあゆ。
妙な組み合わせではあった。
「試験勉強?」
「ああ。だから邪魔するな」
「うん」
あゆは頷く。
「そういえば昨日ねえ……」
「って言ってるそばから邪魔してんじゃねえっ!」
ぱしん、と突っ込みを入れる。
「痛いよ、祐一くん」
「こっちは何も試験勉強してないんだ。少しは気をつかえ」
「それは祐一くんが悪いよ」
「一週間も禁固刑にされてたんだ。勉強時間なんかあるか」
「勉強道具を持ってきてほしいって言えば、持ってきてもらえたはずだよ」
「今日がテストだってことを知ってればそうしたかもな」
「知らなかったの?」
「ああ。ついさっき初めて知った」
「どうして?」
「だーかーらー」
祐一は両手であゆの両頬をつねった。
「うぐぐぐ」
「俺の勉強の邪魔をするのは、この口か、この口か」
「うぐぅ〜」
「もう邪魔はしないと誓うか?」
こくこくと頷くあゆ。
「よし。じゃあ学校に着くまで絶対に喋るなよ」
そう言って離す。直後に「うぐぅ」と涙目で両頬をさする。
「ひどいよ、祐一くん」
だがもう祐一はあゆにかまわなかった。
もっとも、学校まであと一分の距離ではあった。
「どうだった、祐一?」
この日四つ目の、つまりこの日最後のテストを終えて、北川が話しかけてくる。
「ああ」
祐一は笑った。
「終わったよ」
北川はその後ろにパピヨン(蝶々)とフルール(花)を見た。
「いろんな意味でね」
「分かった……聞いた俺が悪かった」
肩に手を置いて謝る北川。
「ところで、今日暇か?」
「テスト期間中だっつーのに、余裕あるな北川」
祐一は心底あきれて北川を見返す。
「いやあ、俺は授業中に勉強するタイプだから」
「だから成績が悪いんだな、と」
「はっきり言うね、お前。しかもレノ調で」
「ま、残念だけどパス。今日はカノンの初号機起動実験があるからネルフに行かなきゃならないんだ」
「試験期間中なのに?」
「一週間サボってたからな」
北川もこの一週間どうして祐一が休んでいたのかは聞いている。
だがそれなら、テストが今までできなかったのは祐一のせいではないだろうに、と思う。
「ま、試験なんて赤点さえとらなきゃいいわけだしな」
「たしかに。でもお前、大学は?」
「大学ねえ」
進学ということは、今まで祐一は考えたこともなかった。
今まで養ってくれた養父母がどうしてもというので高校には入ったが、別にそれすらもどうでもいいと考えていた。
「俺は警察官にでもなろうかと思ってたんだがな」
「警察?」
北川にはぱっとしなかっただろう。何しろ、第三新東京市の治安はすこぶるいい。
祐一が考えているのは地方の、荒んだ都市の警察官であった。
「ま、今でも似たようなことはやってるか」
カノンパイロット。似ているとはとてもいえないが、組織の一員として武器を使うという点においては同じようなものだ。
「それじゃ、昼飯だけでもどうだ?」
「それくらいなら」
「よし。ちょうど香里も誘おうと思ってるんだ。かまわないだろ?」
なるほど、納得。
どうやら香里を誘うダシに使われたということか。
「分かった。つまり俺は都合のいいところで『わるい、そういえば今日はネルフで実験が!』とか言いながら泣いて走り去ればいいんだな?」
「いや、泣くことはないけど」
図星をつかれて動揺したのか、北川は明らかに焦っていた。
「それじゃ、さっさと誘ってこい」
「あ、ああ。悪いな」
やれやれだな、と祐一は苦笑いして北川を見送る。
まさか自分が恋愛のダシにされるとは思わなかった。
まあ、たまにはこういう役回りもいいだろう。滅多にはできない経験だ。
「何だか、平和だな」
こういう雰囲気は、生まれて初めてだったかもしれない。
たとえ、虚構にまみれていたとしても。
「そういや、聞きたいことがあったんだった」
何故か昼飯はラーメンと決まり、地元に比べてはるかに美味しくないラーメン屋で食事しながら、祐一はそれを聞くことにした。
「何だ?」
「あゆは学校で浮いてるって聞いたけど、どういうことなんだ?」
少なくとも、自分の知っている綾波あゆという少女には浮いたところなど全く見受けられない──だが、それはあくまで自分と会話している時に限られるのは祐一も今日一日を見て分かりかけていた。
誰もが、あゆを避けているように見えた。
いったい、何故。
「うーん……綾波のことは、お前の方が詳しいだろ?」
北川が言葉を濁しているのは明らかだった。追究しようかと思ったが、先に香里の方を見ておく。
「……そうね、ちょっとしたことがあって」
だがこちらは北川ほど拒否反応を見せなかった。
「……何があったんだ?」
「うん……」
北川と香里が目を見合わせる。
何かただならない雰囲気が、そこにはあった。
「なあ、祐一」
切り出したのは北川だった。
「お前、何か見えないか?」
何のことか、全く分からない。
「何かって、何だ?」
「いや、見えないならいいんだ」
「よくないぞ。そんなことを言われてもさっぱり分からない」
「そうだよな、悪い」
北川は苦虫をつぶしたような表情になる。
「それで?」
「ときどき、本当にふとした時なんだけど、見えることがあるのよ」
「だから、何が」
「翼、さ」
祐一は顔をしかめる。
「翼?」
「ああ。羽、といってもいいかもしれない。綾波の背中に、ときどき見えるんだ」
「別にそれ自体はなんてことないのよ。一瞬見ほれるくらい、綺麗に見えるしね」
何をばかな、とは思うが嘘というわけではないようだ。二人とも真剣だ。
「それ自体は本当になんでもなかったんだ。でも、あの事件がおきてからな」
「事件」
「そう。まだ私たちが一年生の時。入学して間もなく、だったわ」
それは要約するとこういうことらしい。
屋上で、何人かで弁当を食べていたというのだ。もちろん、あゆもその中の一人だった。
だがそこで、禁止されているはずのボール遊びをし始めた男子生徒がいた。
一人の男子生徒が、柵の近くまでボールを追いかけていった。
誰かが、危ない、と叫んだ。
その生徒は柵に体を預けたつもりだったのだろうが、腰までしかない柵では勢いのついた体はおさえきれなかった。
上半身が飛び出し、頭が落ちていくのと同時に下半身も飛び出していく。
悲鳴が上がった。
同時に、あゆは駆け出していた。
落ちていく男子生徒をつかまえようとしたが、逆にその重さに負けてあゆごと屋上から落下した。
だが、二人は無事だった。
怪我一つなかった。
何が起こったのかは現場にいた二人にしか分からない。
だが、男子生徒はひたすら取り乱していた。
「な、なんなんだよお前っ!?」
あゆに向かってそう言い、そして一目散に逃げ去った。
「なんだそりゃ」
結局、肝心なところは分からずじまいではないか。
「いえ、後日談があるのよ。その男子生徒ね。綾波さんが自分を抱きかかえて、飛んだ、って言ってたのよ」
「確かに上から見た時の落下地点にはおかしいところがあったって言うんだ。本来落ちる場所から横に十メートルもずれてたっていうからな」
「だとしても」
祐一は二人の言葉を遮る。
「仮にあゆが空を飛んだとしても、それで自分の不注意を助けてくれたんだから感謝するべきだろう。なんなんだ、その男は」
「待てって。だから後日談があるって言ってるだろ」
「まだあるのか」
「あるのよ。確かに祐一くんの言うとおり、それだけだったら綾波さんを敬遠する理由になんてならないわ。少なくともその男子生徒以外の人はね。でも、その事件が起きた日の夜だった」
何だかノリが怪談風になってきたな、と祐一は思った。
「何があったんだ」
「死んだんだよ、その男子生徒」
なんとまあ、と祐一は呟く。
「出来すぎてるな、それは。原因は?」
「交通事故っていうことになってるけど、正確なところは分かってないのよ」
「どういうことだ?」
「その男子生徒は自転車にのって帰宅中、無人の車に轢かれて死亡。警察はそう断定した。新聞にも載ったんだぜ」
「無人?」
「そう。そこのところは間違いないらしいわ。それで変な噂が流れたのよ」
(なんだか、予想できるな。その噂は)
「綾波さんの呪いじゃないのか、って」
「バカげてるな」
祐一はあっさりと否定した。
「呪いなんて迷信もいいところだ」
「分かってはいるんだけどな。その噂が一度広まると、なんだかみんな近寄りづらくてさ」
「男子は単純に敬遠しただけなんでしょうけど、女子はもっと事情が複雑だったのよ」
「どういうことだ?」
「綾波さん、可愛いでしょ」
「まあ、確かに」
「入学したばかりの頃は、男子生徒からちやほやされてたのよ」
「なるほど。嫉妬か」
「そういうこと。呪いの噂を積極的に広めた女子が何人もいたのよ。それで結局男子からも女子からもハブ状態」
「なるほどねえ」
祐一はいつかあゆと話した時のことを思い出した。
『……ボク、学校じゃ浮いてるから』
人助けをして、その結果学校中からのけ者にされた。
それでもあゆは、カノンに乗って人助けをしようとしている。
(やれやれ、意外に──)
しっかりした奴だったんだな、と考えを改めていた。
翌日。
二日間で全部のテストが終わって北川にまたも誘われたが、祐一は「今日もネルフに行かなきゃならないから」と断った。
「何だよ、今日も実験か?」
「いや、実は今日は俺が実験するんじゃないんだ」
「へ?」
「零号機の再起動実験。零号機の専属になったあゆがやるんだ」
「綾波が?」
北川はあゆの席を見るが、彼女は一足先に帰ってしまっていた。
「じゃあ別に行かなくてもいいだろ」
「そういうわけにもいかなくてね」
「ふうん。上からの命令ってわけか」
そんなところだ、と答えるが実のところ祐一はこの日特にネルフに行くことを命令されているわけではなかった。
再起動実験に立ち会うことを自分から志願したのだ。
(綾波、あゆ)
そのアンバランスなところが、どうにも気になる少女であった。
NEON GENESIS KANONGELION
EPISODE:05 Ayu 1
「ショック!」
「どわっ」
自販機コーナーでコーヒーなんぞを飲んでいると、突然後ろで大声を上げられたので驚いて飛び跳ねる。
「あははは、驚いてやんの」
「ま〜こ〜と〜」
こんなイタズラをするのはこのネルフには日向真琴をおいて他にいない。当然、振り向いたところには彼女がにこにこと笑いながらこちらを見下ろしていた。
「ショック!」
「ショックは分かった。で、何がショックなんだ」
「碇祐一、赤点確実」
「待てい」
思わず脳天にチョップを決める。
「あのなあ、まだテストは一つも帰ってきてないんだぞ」
「あははは、ダメに決まってるじゃない。だって祐一はテスト勉強なんにもしてなかったんだから」
「ネルフのおかげでな。いやホントにありがたいことだ」
「誰かに言えば勉強道具くらい支給することはできたはずなのに」
「あゆにも言われたぞ、それ」
がっくりと肩を落とす。
「あゆが?……へえ〜……」
「何だ、その意味ありげな頷きは」
「言葉どおりだよ」
「それはお前の台詞じゃないだろ」
ぺし、と頭を叩く。
「う〜っ、さっきから叩いてばっかり」
「で、あゆがいったいどうしたんだ?」
真琴は聞かれると視線を逸らした。
「どうした?」
「いーえ。あゆは随分と祐一のことが気にいったんだなと思って」
「あゆはいつもあんな感じだろ?」
「そうでもないわよ。ああ見えて人づきあいよくないもの」
「お前に比べりゃ誰だって人づきあいがいいと思うが」
「うるさいわねえ。誰にだって得手不得手があるわよ」
「お前は不得手ばっかりだな」
「怒るわよ、祐一!」
「納得」
「できるかーっ!」
「これより、零号機再起動実験を行う」
往人司令の重々しい声が響く。
さすがに零号機の再起動実験ともなると、普段はテストなど見にこない往人司令、石橋副司令までが現れる。
いつもなら美汐技術部長に、オペレーターズの三人、それに作戦部長の秋子さんといったところか。さすがにカノンが一機から二機に増えるかどうかという場面だけだって、この再起動実験がどれだけ重要かということが分かる。
(しっかし、あのあゆがねえ……)
未だにあのオオボケ娘がカノンのパイロットであるという事実が祐一には信じられない。もっともこればかりは適性の問題なのでなんとも言えないが。
「あゆ、準備はいいか」
『はい』
既にパイロットはエントリー・プラグ内だ。祐一の目には、ガラス越しに一つ目のカノン、零号機が両肩を拘束されてじっと立っている姿しか目に映らない。
(うまく、いくといいが……)
珍しく自分は、他人の心配なんかをしているらしい。誰にも気付かれないように自嘲した。
「第一次接続開始」
司令の声が響いて、オペレーターたちが動いた。
「主電源コンタクト」
「稼動電圧臨界点を突破」
「フォーマットをフェイズ・ツーへ移行」
「パイロット、零号機と接続開始」
「パルス正常」
「ハーモニクス正常」
「シンクロ、問題なし」
「オールナープリンク終了」
「中枢神経素子に異常なし」
「1から2590までのリストクリア」
「絶対境界線まであと2.5」
ここまでは順調に来ていた。だが、問題はここからだ。
『コンタクト、停止! 六番までの回路、開いて!』
『信号拒絶、ダメです!』
『零号機、制御不能!』
『実験は中止だ。電源を落とせ』
『零号機、予備電源に変わりました』
『完全停止まで、残り三八秒!』
『司令、ここは危険です。下がってください』
『問題ない』
『ですが──』
『オートエジェクション、作動!』
『──いかん!』
『あゆちゃん!』
『ワイヤーケージ! 特殊ベークライト、急いで!』
(……何故、あゆは起動実験に失敗したんだ……?)
一ヶ月前に起きた事故。起動実験の失敗。だがそれは到底信じられる内容ではない。
今までテストでは何度も成功させてきていたのだ。それなのに、起動実験になったとたんに失敗した。それには何か理由があるはずだ。
起動実験の時にだけ、それまでとは何か違う要因があったはずなのだ。
(あゆ……)
「1.0」
「0.5」
「0.4」
「0.3」
「0.2」
「0.1」
……あと、少し。
そのあとほんのわずかが、とてつもなく長い時間に感じられた。
「ボーダーラインクリア」
「零号機、起動しました」
「続いて、連動実験に入ります」
ふうー、と大きく息をはく祐一。
とりあえずはよかったというべきか。
そうして安堵していると、手持ち無沙汰な秋子がやってきて声をかけた。
「心配でしたか?」
だが、今はそうした言葉も素直に受け止められた。
「また怪我をされて戦闘を一手に引き受けるのは大変ですから」
遠まわしに心配していたことを伝える。意地をはっているのではなく、そういう言葉で本心を口にしたのだ。
「だから再起動実験に立ち会ったのですか?」
「それだけってわけじゃないですけどね」
「聞いてもよろしいですか?
「別にたいしたことじゃないですよ。ただあのあゆっていう娘の素性が知りたいだけです。好奇心、ですかね」
「気に入ったんですか?」
「冗談」
さすがにそればかりは祐一は断固として否定した。
「もし誰か気に入った人がいるとすれば、そうですね、佐祐理さんにでもしておきましょうか」
「つまり、誰も本命の人はいらっしゃらないんですね」
「今のところは」
祐一は肩をすくめた。
「秋子さん。あゆのことなんですけど」
「何でしょうか」
「どうして、起動実験に失敗したんですか?」
秋子は『困ったポーズ』をとった。
「私もくわしくは知らないんです。そういうことは美汐ちゃんの専門ですから」
「なるほど、たしかに」
「でも、美汐ちゃんが言っていたことによると……」
珍しく、秋子が口篭もった。滅多にないことである。
「パイロット自身の、突発的な感情の変化が原因とか……」
「突発的な感情の変化……?」
と、その時である。
ウウウウウウウウウウウウウウウ〜。
「緊急警報?」
「何事だ」
石橋が無線マイクに呼びかける。
「碇」
「使徒か」
「ああ。ここに接近中だ」
往人の判断は迅速をきわめた。
「テスト中段。総員第一種警戒体制。初号機をケージに」
「了解!」
突如あわただしくなるオペレーターズ。一度発令所に戻らなければならない分、急いで行わなければならない作業も多いのだろう。
「零号機は使わないのか」
「まだ実践には耐えん。初号機を出して様子を見る」
(様子?)
それは零号機を出す場合もあるということか。
(ふむ……)
「何をしている、祐一」
往人が珍しく息子に声をかけた。
「さっさと行け」
「りょーかい」
祐一はバカにしたような声で答え、初号機へと向かった。
「これはまた」
「なんていうのか」
「……おいしそう」
「そうじゃないでしょ」
「でも」
「う〜ん、舞の言いたいことは分かるけど……」
発令所に入ったオペレーターズは目を丸くした。さすがに部長クラスになると感情を抑えることもできるのか苦笑する程度であり、総司令と副司令にいたってはいたって平然としていた。
「碇」
「なんだ」
「今度の敵の名前は、なんというのかね」
「イチゴサンデルだ」
第五使徒、イチゴサンデル。
二つの円錐の底面同士を接着したような構図。下半分は銀色に輝いており、上半分は白地にピンクの線が見られる。いわゆるイチゴサンデー超巨大バージョンである。
「これはちょっとやりすぎではないのかね」
「問題ない」
「だが、セカンドチルドレンもいないのだぞ」
「好都合だ」
ニヤリ、と往人は笑った。
「人を馬鹿にしているとしか思えませんね」
美汐が隣にいる秋子に話し掛ける。
「いったい何人分あるんでしょうね」
秋子の視点もピントが横に五メートルほどずれていた。おそらくは舞もその視点なのだろう。
「祐一さん、準備はいいですか」
「いつでもどうぞ」
祐一は送られてくるビジョンで地上の映像を見つめる。
巨大なイチゴサンデー。
何かが違う。
少なくとも今までの敵とは明らかに違う。
なんと言っても『素体』がおかしい。
食べ物?
しかも、イチゴサンデー……。
(なんだか今後、似たような使徒が出てくるんじゃないだろうな)
イチゴサンデーが出てきた以上、鯛焼き、牛丼、アイスクリーム、肉まんあたりは怪しいとみるべきだろう。
(そんな敵いやすぎる……)
だいたいどうやって戦うんだろう、それはイチゴサンデルにしても同じことが言えるが……。
だが確かに今後使徒がどれだけ出てくるか分からないし、それだけの人数がカノンにはいない。
(今後の敵がある意味楽しみではあるな)
出てくるたびにどっと疲れるのはお約束になるだろうが。
『カノン初号機、発進』
いよいよ発進か、と祐一は神経を集中する。
手にしたライフルに力がこもる。
ケージから初号機がリフトオフし、戦場へと近づいていく。
そして、第三新東京市に出る。
その瞬間。
光が、弾けた。
「目標内部に高エネルギー反応!」
珍しい舞の叫び。それが『危険』を意味していることは明らかだった。
「祐一さん、よけてくださいっ」
そして同じく珍しい秋子の早口。だが、それは祐一には届かなかった。
イチゴサンデルから発射された加粒子砲がカノン初号機の出現位置に向かって発射される。
「うああああああああああああっ!」
直撃だった。
出現と同時の攻撃に、動くこともかなわず祐一は気を失っていた。
「初号機を戻してください」
すぐに秋子の命令が飛ぶ。時間にしておよそ五秒。それがカノン初号機三度目の出撃記録であった。
「目標、沈黙しました」
「祐一さんは?」
「脳波異常……心音、微弱!」
佐祐理の悲鳴のような声。
「初号機、第七ケイジへ回収!」
「ケイジへ行きます。美汐ちゃん、救護班に緊急処置の用意をさせておいてください」
「分かりました──ちゃん、はやめてくださいね」
こんなときでも冷静な美汐。そして珍しく駆け足でケイジに向かう秋子。
「……どうする、碇」
「……零号機、起動準備を怠らないようにしておけ」
石橋の問いに静かに答える往人。いつもの余裕は全く感じられなかった。
「初号機、固定完了」
「パ、パイロット脳波乱れてます、心音微弱……停止、停止しましたっ!」
もはや涙を流している佐祐理。
「生命維持システムを最大にして心臓マッサージ!」
「はい」
美汐の指示に舞が素早くパネルを叩く。
「もう一度!」
再び舞の手が動く。
「パルス確認!」
真琴が全員に直接聞こえるくらいの大声で叫ぶ。
「プラグの強制排除、急いで!」
ケイジに戻ってきたカノンからエントリー・プラグが外部操作で排除される。
「LCL、緊急排水!」
「はい!」
排水が行われ、すぐにプラグがエグジットされる。
「祐一さん!」
ちょうどケイジにたどりついた秋子が運ばれてくる意識不明の祐一をかつぎあげた。両方の鼻の穴から赤い筋が垂れていた。
「緊急処置室へ、急いでお願いします」
担架に乗せられ、祐一は運ばれていった。
「祐一くん……」
発令所の一角で、あゆが小さくなって震えていた。
次回予告
祐一は助かった。だがその傷はあゆの初陣に微妙な影響を及ぼす。励ます祐一。
一方秋子は使徒に対し、一点突破の超長距離射撃を試みる。
祐一の願いと日本中のエネルギーは、はたして使徒を貫けるのか。
零号機が溶けていく。
「……イチゴサンデルはやりすぎじゃないんですか?」
次回、決戦、第三新東京市。
第六話
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